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第76話 醜態

 圧倒的な物量。

 九百機のシュテルツァー師団、二個装甲師団の戦車群、そして数万の歩兵。

 そのすべてが、たった十機の「怪物」たちの前で、単なる的へと成り下がっていた。  

 『アイアン・デューク』が、『ヴルク・アクス』が、自らの装甲を紙切れのように引き裂かれ、火柱を上げて沈黙していく。

 その光景はもはや戦闘ではなく、一方的な「清算」だった。


「アスラより各機。……敵が崩れた。これより最終フェーズ、蹂躙を開始する!」


 カイ・イサギ少将の冷徹な号令が、全機のレシーバーに叩き込まれる。


「第一小隊は優先的に敵の弾薬庫および司令部を焼け。残りの各機は……蹂躙せよ!」


「了解、第一小隊だ。……これより、司令部までの道を焼き払う」


 眉間に深い傷を持つ男、ソルガ中佐の声は、酷く落ち着いていた。  

 彼の駆る『オーディン』は、出力上昇に伴う余剰熱を全身のスリットから陽炎のように揺らめかせ、獲物を待つ獣の如き威圧感を放っている。


「エルザ、援護を頼めるか。少々、数が多すぎる」

「了解です、お姉さま! ――あ、間違えちゃった、ソルガおじさま! 私に任せて、ケートスよりリヴァイアサン。Hハンマー!」


 通信機越しに響く、末っ子エルザ大尉の無邪気な声。  

 だがその直後、戦場は「戦乙女」による苛烈な洗礼を受けることとなる。

「戦域爆撃警報! H!」  

 血の気が引いたマリアが悲鳴に近い声を上げるのと同時に、密集する敵機の頭上、高度二百メートルから突如として「死の矢」が降り注いだ。


 エルザの『ケートス』は、市街地の消火用貯水池に機体を半ば沈め、排気熱を水中に逃がした隠蔽状態で『トール・ハンマー』を全弾連続で放っていた。  

――シュババババババッ!!


 新開発の「高マンガニス濃度自動追跡式」を備えた八発のミサイルは、一度天頂まで駆け上がると、パニックに陥りマンガニスを激しく燃焼させている敵機の排気マフラーを目掛けて、垂直に吸い込まれていく。


「……ッ! お嬢、相変わらず派手だな!」  

 アランの『カーリー』が、自分を掠めるような軌道で敵機に吸い込まれたミサイルの衝撃波を四本の腕で器用にいなし、爆風を加速の糧にする。 「文句を言うなアラン。当たるような未熟者は、この中隊にはおらん」  

 ハインツが涼しげな声で断じ、爆炎の合間から飛び出した敵機をパイルバンカーで串刺しにした。

 ソルガもまた、自機のすぐ隣でミサイルの洗礼を受けた敵の爆圧を「計算済みの遮蔽」として利用している。


 ガアァァァァンッ!!ガアァァァァンッ!!


 ガガガアァァァァンッ!!


 狙われた指揮官機を含む八機が、弱点である背部ジェネレーターを直撃され、四散する。

 爆炎と黒煙が敵陣を分断したその瞬間、リヴァイアサンの魔王たちは、誰一人として歩を止めることなく、地獄の奥底へと踏み込んだ。


 中央大通りの「蹂躙」は、凄惨な美しさを湛えていた。  

 潰走を始めた帝国軍第4師団。

 その殿しんがりを務めるべく残されたシュテルツァー一個大隊三十二機が、味方を逃がすため、最後の意地を見せようと等間隔で分散配置して、決死の突撃を敢行しようとしている。

 その正面に、第一小隊が立ち塞がった。


 ソルガが操縦桿を静かに押し込む。オーディンの脚部三連ローラーが火花を散らし、黒い巨躯が時速百十キロまで一気に加速した。


「散るな! 迎撃しろ!」  

 敵の指揮官機、V-10『ヴルク・アクス』が三機、ソルガの進路上に躍り出る。

 背部の多重光学サイトが、敵機の関節部の僅かな歪み、パイロットの呼吸による銃身の揺れさえも克明に描き出している。

 アスラとルシフェルに、何度殺されたか分からない。

 あの地獄のような訓練の日々は、ソルガの感覚を極限まで削ぎ落とし、獲物の死角を透視する「神の目」を与えていた。


 右腕の144mm試製ライフル『グングニル』が吠えた。  

――ドォォン!!  

 超高圧油圧バッファーが凄まじい反動を瞬時に吸収。

 一発。

 先頭機の胸部装甲が砕ける。  

――ドォォン!!  

 次弾装填時間はコンマ数秒。

 二発。

 二機目の脚部を粉砕。  

 三機目がライフルを構えるより先に、ソルガは左腕の20mm短機関銃『スレイプニル』を解き放った。

 ――ガガガガガガガガガッ!!


 布を引き裂くような、あまりに速すぎる連射音。

 軽量合金製の多銃身が、毎分千五百発の鉄の雨を降らせる。

 片手保持でありながら、オーディンのリミッター解除された腕部剛性が微塵のブレも許さない。 

 20mm弾は頭部重要区画をピンポイントで叩き潰し、爆煙の中をオーディンが風のように通り抜けた。


「ソルガおじさま、左! AAUのアイアン・デュークが三つ、建物の影に隠れてる!」

「感謝する、エルザ」


 ソルガは回避行動を取らない。

 オーディンは全速力のまま、サイドスラスターを一瞬だけ噴射し、機体を斜めに「滑らせた」。  ――ズガァァァン!!  

 アイアン・デュークが放った90mm砲弾が、オーディンの残像があった場所を虚しく通り過ぎる。

「お返しだ。……受け取れ」


 ソルガは滑走の慣性を利用し、144mm試製ライフルを水平に一閃。

 三連射。  

 一発ごとに銃身が焼けるような音を立てるが、強制空冷機構がそれを許さない。

 放たれた144mm弾は建物の角ごと敵機を貫き、三機の鋼鉄のオモチャを纏めて鉄屑へと変えた。


 市街地広場、追い詰められた敵大隊の残党が、一斉にソルガへ牙を剥こうとしたその時――。  「どいてどいてー! 邪魔だよ!」


 青い閃光。

 エルザの『ケートス』が、建物の屋上から九十メートルの超高度跳躍を敢行し、敵陣の中央へ急降下してきた。  

 その右腕には、狂気的な大口径を誇る180mmショットガン『八岐大蛇』。


 ――ズドォォォォォォォォンッ!!!


 地上で放たれた超空洞弾が、空気を、音を、そして敵機の装甲をまとめて「消し飛ばす」。  

 凄まじい反動。

 ケートスの細い腕が天を仰ぐほどに跳ね上がるが、エルザはそれを抑え込まない。

 反動によって上を向いた銃口の向きを、背部スラスターの瞬発的な点火で強引に「次の獲物」へと繋げる。

「えへへ、これすっごい暴れるけど、次の照準する時便利なんだよね」

 通常なら姿勢を崩して隙を晒すはずの跳ね上がりを、彼女の才能はあらかじめ計算された「次の射撃への予備動作」へと利用していた。


 エルザは空中で一回転。

 着地と同時に、跳ね上がった勢いをそのまま回転運動に変え、着地のついでにAAU機の頭部を蹴り折る。

 その優雅かつ破壊的な動きは、まさに戦場に舞い降りたワルキューレそのものだった。


「エルザ、一気に司令部へ向かう。……私の背中を撃たせるな」

「はーい! 世界一かわいい援護、見せてあげるね!」


 オーディンとケートス。

 二機は完璧な相互援護を維持しながら、絶望的な物量で押し寄せる歩兵師団の装甲車列へと突っ込んだ。


 ソルガの144mmが、弾薬庫の防壁を一撃で貫通させ、背後の弾薬集積所を誘爆させる。  

 炎の嵐。

 黒煙の中で、ソルガの眉間の傷が鈍く光る。

 彼の脳内では、アスラとルシフェルに揉まれ続けたことで得た「極限の予測能力」がフル稼働していた。


「……右、30。次弾。左、10。……終わりだ」


 グングニルの連射が止まらない。

 一発一発が確実に、敵の急所を穿つ。  

 横から肉薄しようとする近接型『ズル・ドゥガ』に対しては、20mmの零距離掃射で蜂の巣にし、返りオイルを浴びながらオーディンは進む。


 背後では、エルザが『八岐大蛇』のリロードを行いながら、近寄る雑兵を高機動で翻弄し、漏れ出た敵をショットガンの一撃で粉砕し続けている。


「……司令部庁舎、視認」


 ソルガが呟く。  

 巨大なコンクリートの塊の前に、最後の守護者として帝国製Rシリーズの精鋭部隊が立ち塞がった。

 だが、ソルガは減速しない。


「エルザ、最大高度へ跳べ」

「了解ッ! おじさま、頑張って!!」


 『ケートス』がブースターを全開にし、九十メートルの頂へと一気に舞い上がる。その眼下、地上の『オーディン』が猛り狂った。


 ドォォン! ドォォン! ドォォン! ドォォン!  ――ドォォォォォンッ!!!


  限界を超えた連射に、オーディンの144mmライフルが真っ赤に焼け、断末魔のような高熱を放つ。

 だが、その砲火に慈悲はなかった。  

 恐るべき精度と連射速度で放たれた弾丸は、立ち塞がる精鋭機三機を回避の暇さえ与えず空間に縫い付け、その内部を蹂躙しながら貫通。

 弾丸は勢いを殺さぬまま、後方の司令部庁舎一階部分を粉々に砕き散らした。

 漏れ出た敵は、上空からのショットガンで地面ごと抉り取られれる。

 支えを失い、轟音と共に崩落する建物。  

 帝国軍の指揮系統が、巨大な瓦礫の山の下に物理的に圧殺された瞬間だった。


 砂塵が舞う中、オーディンは静かに銃身を下げた。  

 その横には、空から軽やかに降り立ったケートスが、まるで散歩の後のように無邪気に立っている。


「ふぅ……。お掃除完了! ソルガおじさま、今の連携、百点満点だね!」

「……ああ。お前の援護があったからこそだ。……礼を言う、エルザ」


 ソルガは、機体から漏れ出す蒸気の音を聞きながら、かつての自分を思い出していた。  

 以前の自分なら、この物量に圧倒され、守りに入って死んでいただろう。  

 だが今は違う。  

 アスラという高みを見上げ、ルシフェルという深淵に触れたことで、彼は「神の領域」へと片足を踏み入れていた。


「アスラより各機。司令部の沈黙を確認した。……よくやった、ソルガ、エルザ。……全軍、掃討戦を開始せよ。」


 掃討戦とは組織的抵抗を喪失し、敗走・潜伏する敵を文字通り、掃き出すように、一区画ずつ徹底的に沈黙させていくプロセスを指します。

 勝利が確定した後に、後顧の憂いを断つための残酷なまでに効率的な殲滅作業、それが「掃討戦」です。


「……逃がさん。貴様らの逃げ道は、すでに我らが塞いでいる」  

 ハインリヒのケーニヒスパンターとアランのカーリーが、敗走する装甲車列の先頭を粉砕し、鉄の壁を作って逃げ場を奪う。  

 そこへ、ガリアスとヴォルフの狙撃班が、遠距離から「動くものすべて」を精密に仕留めていった。


「アスラよりヤマト」  

 カイが、炎上する要塞砲ビルをパイルバンカーで貫きながら通信を入れる。

「ヤマトコントロール。閣下、揚陸ですか?」  マリアの声は、勝利を確信した高揚感に包まれていた。


「そうだ。……ご馳走はよりどりみどりだ。揚陸を開始せよ。仕上げは彼らに任せる。リヴァイアサン中隊、引き上げだ。勝利は独り占めしてはならないからな」


「ヤマトコントロール了解! ……全艦、揚陸開始! シュテルツァー各隊、カタパルト射出! 勝利は間近だ、遅れるな!」


 接舷した大東亜エウロ連合艦隊の揚陸艦のハッチが開き、後続の大東亜第六シュテルツァー師団、エウロシュテルツァー第三師団、その他歩兵師団三個師団がカタパルトとバウハッチから次々と海面へと弾き出された。  

 だが、彼らが上陸したとき、そこには戦うべき「敵」はほとんど残っていなかった。

 リヴァイアサン中隊の「独り占めしない様に残した残敵」は、白旗を上げ始めていたのだ。


 残るのは、帝国のエースが座乗していたはずのひしゃげたプロトタイプ機。  

 海に引き摺り込まれ、煙を上げるAAUの重多脚機。  


「……終わったな、カイ隊長。……最高の朝食だった」  

 ハインツが、返り血のようなオイルに濡れたルシフェルの腕を無造作に振るい、残った熱を逃がす。


「ええ、ハインツ副長。……さて、後片付けは彼らに任せて、俺たちは少し休みましょうか」


 朝陽がライオン・ポートを照らし出す。

 しかし、その光が照らし出したのは、かつての美しい港町ではなく、たった一個中隊に「蹂躙」し尽くされた、帝国のプライドの残骸だった。


 帝国とAAUは思い違いをしていた。

 ある程度の戦力を保有した物量ならばリヴァイアサン中隊を蹂躙できる、削り切れるはずだと。


 現実は違った。


 あるいは、大平原ならば違った結果だったのかもしれない。

 自軍のシュテルツァーと装甲車両の残骸が、燃え盛り、たまに爆発を繰り返すバリケードの山に変わる。

 市街地を縦横に走る幹線道路は瞬く間に渋滞を引き起こし、分断される。

 動けるパイロットは、前線で戦死する。

 技量が不足しているパイロットは、その燃え盛る味方の屍が転じたバリケードの山に絶望して右往左往しているうちに始末される。


 参謀本部。  


 重厚な石造りの会議室には、死を待つ病室のような、重苦しく冷たい沈黙が立ち込めていた。  円卓に広げられたライオン・ポートの最新地図。

 そこには、赤色で示された帝国・AAU連合軍の「鉄の壁」を、たった一筋の黒い矢印が貫き、全ての防衛線を無に帰した戦況が記されている。


「……なぜだ。なぜ、これだけの兵力が用意されていて陥落する」


 ヴォルガ・ゼ・ザルニカ国家元帥が、絞り出すような声で呟いた。

 その双眸には、理解を拒絶する困惑と、隠しきれない恐怖が混じり合っている。


 帝国の叡智を結集したプロトタイプ、AAUが持ち込んだ底なしの物量。  

 戦略的要所を抑え、大東亜の首を絞める補給線の封鎖。  

 さらに、前線には「エース」と呼ばれる者たちを教導隊から引き抜いてまで惜しみなく配置した。    

 理論上、そこには隙など一つもなかった。

 たとえ大東亜軍の全戦力が押し寄せたとしても、戦略的縦深を持ってすり潰せるはずの、鋼鉄の海。  

 それが、たった一隊の「バケモノ中隊」に、ものの数時間で飲み込まれたのだ。


「元帥閣下……」  

 一人の中将が、震える声で言葉を継いだ。 「……もはや、あの中隊は『異常』です。戦術や戦略という言葉が、奴らの前では意味をなしません。物量の不足などではないのです。シュテルツァーだけでも一千機……それに装甲師団。それらが、まるで赤子の手をひねるように、次々と沈黙させられている。……我々が戦っているのは、人間ではありません」


「馬鹿を言うな!」  

 ヴォルガが机を叩いた。

「人間でないなら何だというのだ。……神か? 死神か?」


 沈黙。  


 誰も答えられない。

 誰も、あの漆黒の『アスラ』が海面を滑走し、重力すら無視して要塞を駆け上がる映像を直視したくないのだ。

 一撃で防壁を粉砕するパイルバンカー。

 3キロ先から関節を抜く精密狙撃。

 海中から巨艦を引き摺り込む八本の脚。  

 それは、軍事という名の「計算」を、根本から否定する暴力の化身だった。


「元帥閣下。……かくなる上は、別動隊をもって大東亜の首都を叩いてはいかがでしょうか。喉元を抑えれば、あの怪物どもも戻らざるを得ないはず……」  

 苦し紛れの提案。

 だが、ヴォルガはそれを一蹴した。


「狂ったか! 海軍だけは精強な大東亜の警戒網を抜け、首都・八州に肉薄できると本気で思っているのか? もし奇跡的に陥落させたとして、その後の補給はどうする。あの『ヤマト』が、我々の輸送船を一隻でも通すと思うのか!?」


 再びの沈黙。  

 参謀たちの脳裏には、先ほど届いた最後の一報がこびりついている。


『敵中隊、緊急補給を完了。再び戦域へ。……繰り返す。奴らは、まだ止まらない。……ぐあぁぁっ!!』


 通信はそこで途切れた。  

 帝国が誇った「鉄の門扉」は、たった一個中隊によって、瓦礫の山へと変えられようとしている。


「……怪物か」  

 ヴォルガは、力の入らなくなった指で地図をなぞった。


 海岸。

 揚陸拠点となった海岸線は、整備兵たちの怒号とレンチの音が響く「戦場」へと移り変わっていました。

 一方で、激戦を潜り抜けたパイロットたちの時間は、少しだけ緩やかに流れ始めている。


 ブリーフィングルームの冷房は、過熱した脳を冷やすには最適だった。  

 シャワーを浴び、汗とマンガニスの臭いを洗い流したアンジャリは、リヴァイアサン制服のプリーツスカートに、上着はラフなTシャツという軽装でソファーに身を預けていた。


「もう、本当に疲れちゃった。マリス、エルザ、怪我はない?」

「ええ、お姉さま。わたくしは機体のバイパスが少し悲鳴を上げましたが、身心ともに健やかですわ」  

 マリスがゆっくりとした口調で、冷えたオレンジジュースを一口運ぶ。

「私は元気いっぱいだよ、少し物足りないくらい!」  

「エル、あなたは少し撃ちすぎですわ」

 末っ子のエルザがキャッキャと笑い、三姉妹の穏やかな談笑が部屋を満たしていた。


 そこへ、自動ドアが音を立てて開き、二人の男が現れた。


「――断じてあり得んのだ、カイ。スキレットを直接火にかけるなど、熱伝導の死地デッドゾーンへ自ら飛び込むに等しい愚行なのだ。まずは端の蓄熱帯で、チーズの繊維が悲鳴を上げるまでじっくりと待つのだ。これが勝利への唯一の道なのだぞ」

「なるほどシュミット、深いな……! やはり俺は、戦う前から敗北していたのか……」

「そうだ。そこからスキレットを……」


 入ってきたのはカイ・イサギ少将と、ハインリヒ・シュミット中佐だった。  

 二人ともシャワー直後で、下は制服の乗馬ズボンだが、上は白いTシャツ一枚という、戦場での威厳はどこへやらというラフな格好だ。

 シュミットは、普段の「氷の貴公子」のイメージを微塵も感じさせない、柔和な表情で料理の話に花を咲かせていた。


 その姿を見た瞬間、アンジャリの瞳がキラキラと輝いた。

「あーん、ハインーーっ! 怖かったわ、わたし! もう、生きた心地がしなかったんだから」


 「ガバッ!!」  

 アンジャリが、椅子から飛び起きてハインリヒの胸に飛び込んだ。


「アン! 無事だったか! ああ、心配で心配で……私の前に立ち塞がる敵が、一瞬でも海(アンジャリのいる方)を見ようものなら、即座に鉄屑に変えてやったぞ!」

「ハインかっこいい! やっぱり私を一番に守ってくれるのはハインなのね!」


 見つめ合う二人。

 周囲の空気は一気に、戦場の硝煙を上回る熱気と甘ったるいピンク色の空気に支配された。  

 ハインリヒは「氷の貴公子」と呼ばれた仮面を完全にどこかへ脱ぎ捨て、アンジャリの頭を愛おしそうに撫で、アンジャリは乙女全開の笑顔で甘えている。


 ……が。  

 ふと、アンジャリの意識に、横で固まっている「視線」が飛び込んできた。  

 そこには、口を半分開けたままのカイと、ジュースのグラスを口に当てたまま固まっているマリス、そして目が点になっているエルザがいた。


「……あ、あ、あああぁっ!?」


 アンジャリは、自分が「妹たちの前」であることを、嬉しさのあまり完全に忘れていたことに気づいた。

 そしてハインリヒもまた、自分の「仮面」が木っ端微塵に砕け散っていることに、今さら気づいたのである。


「お、おほん!……あ、あらぁ、なんだかジュースがとっても美味しいわね。マリス、エルザ。……あら、男性陣の皆さんも、お疲れさま?」  

 アンジャリは、超高速でハインリヒから離れ、何事もなかったかのように髪を整えてソファーに座り直した。


 対するハインリヒも、耳まで真っ赤にしながら、突然直立不動の姿勢に戻る。

「……ああ、アンジャリ少佐、ごきげんよう。……ご機嫌と、その、戦闘の結果はいかがだろうか? 非常に……効率的な……対艦戦闘だったと聞き及んでいるが……」


 沈黙。  

 そして――。


「……ふっ、……くくくっ、……あ、あははははははは!!」

「ひぃーっ! お姉さま! シュミット中佐! 顔、顔が赤い!まっか!」


 カイが腹を抱えて椅子から転げ落ち、エルザは足をバタバタさせて笑い転げた。

「……ふ、ふふふふ。シュミット中佐、あの、その……『即鉄屑』ですのね? お姉さまのために……ふふ、ふふふふっ!」  

 マリスまでもが、ハンカチを口に当てて、肩を小刻みに震わせている。


 圧倒的な醜態。  

 戦場では一千機のシュテルツァーを相手に一歩も退かなかった「氷の貴公子」と、海のエース「深淵の長女」が、仲間たちの前で、たった数秒の甘えによって完膚なきまでに敗北した瞬間だった。


 三人の笑いが止まり、ようやく部屋にまともな会話が戻るまで、たっぷり三十分の時間が必要であった。


 ポートライオンが解放された時、白日の下にさらされた帝国とAAUによる非道は、世界を戦慄させるに十分な数字であった。  

 死者五十六万人、重軽傷者百十万人、行方不明者百万人に及ぶ、軍による虐殺。

 人道という概念を焼き尽くした焦土。


 帝国とAAUは、この未曾有の惨劇に対し「敵国のプロパガンダに惑わされるな」と強硬な情報統制を敷いている。

 真実は瓦礫の下に埋められ、公式発表では「テロ拠点の精密打撃」という言葉で塗り潰された。  しかし、隠蔽という名の膜の下で、両国の国家基盤には修復不可能なひび割れが、音もなく、着実に広がり始めている。

 それは、一握りの首脳部たちが権力に酔いしれ、気がつくことさえできない致命的な「腐蝕」であった。


 翌日テレビ放送

 帝国国営放送(GBC)特別報道

「ライオン・ポート、テロ拠点の完全沈黙に成功」

 帝国軍司令部は本日、ライオン・ポート市街地に潜伏していた大東亜連合のテロ支援組織、および非合法武装勢力の拠点を精密打撃により完全に制圧したと発表しました。

 これらの背後にはエウロ欧州連合の諜報機関が関与している疑いが持たれています。

 ヴォルガ元帥閣下は『住民を盾にする卑劣なテロリストに対し、帝国は断固たる鉄槌を下した』と声明。

 市街地の火災は大東亜軍が撤退時に行った焦土作戦によるものであり、我が軍は現在、被災した住民への人道的救助活動を開始しています。

 なお、敵軍が主張する『我が帝国軍による非人道的行為』はすべて戦意高揚のための捏造であり、市民の皆様は惑わされぬよう――」


 AAU(対大東亜連合・共同通信)公式声明

「不法侵入者への正義の執行」

 AAU評議会は、ライオン・ポートにおいて進行していた『不法占拠状態』が、AAU平和維持軍の毅然とした対応によって解消されたことを報告する。

 一部で報じられている「AAUによる民間人の被害」は、大東亜軍のシュテルツァーが放った無差別攻撃に起因するものであり、責任の所在はすべて大東亜側にある。

 また、エウロ欧州連合の機体が虐殺に加担しているという疑いも持たれている。

 我が連合は、この蛮行を国際社会に強く訴え、大東亜、エウロ連合の『異常なまでの軍備』が世界平和を脅かす存在であることを再認識するものである――」

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