第73話 海戦
揚陸戦艦『大和』の作戦会議室。
重油と紙の匂いが混じり合う中、ジャン・リュック・ベルナール中将が、テーブルに広げられた大判の海図を指し棒で叩いた。
そこにはリヴァイアサン中隊が集められていた。
「ベルナール中将である。統合参謀本部の作戦を伝える」
その声は低く、そして重い。
「サルガナス大海側は広大だ。防衛網の構築は困難を極める。ゆえに、大東亜、エウロ海軍の大半はサルガナス海中央部に布陣し、パトロールラインを設定。そこを絶対的な防衛網とする。……だが、守るだけでは勝てん。我々第41統合参謀本部直轄特務艦隊、および大東亜第四艦隊、エウロ極東派遣第二艦隊……。我々こそが唯一、最大の牙だ」
中将は指し棒を一点に止めた。
「一つ一つ丁寧に奪還していく。……まずは、ライオン・ポートだ」
カイやハインリヒ、そして三姉妹たちの顔が引き締まる。
「不確定だが、敵戦力は戦艦2を含む艦隊3、シュテルツァー7個師団、機甲師団2、装甲擲弾兵師団2、歩兵師団3。それでも、ここが『一番戦力が少ない』。……3月20日前後に近海に到達する予定だ。あそこは東洋最大の要塞都市であったが、AAU・帝国の混成10個艦隊による艦砲射撃を受け、住民ごと皆殺しにされている。……しかしながら、味方艦隊による遠距離砲撃はギリギリまで行わない。生存者の可能性を捨てきれぬからだ」
ベルナールは冷徹な眼差しでアンジャリを見据えた。
「不意遭遇戦は、海上にいる限り、基本的に第三小隊と、第一小隊のエルザ機による『臨時増強第三小隊』が行う。対艦戦闘において、これ以上の布陣はない。……小隊長、アンジャリ・サマセット少佐」
「了解」
アンジャリが短く、鋭く応じた。
「揚陸は、目標近海で敵艦隊との不意遭遇が無ければ、夜間に行う。カイ少将、貴官はよほど艦隊の数が多い時のみ対艦戦を実施せよ。それ以外は戦力を温存だ」
「了解。対処可能数ならば、増強第三小隊に任せる」
カイの落ち着いた声に、中将は頷き、第三小隊へ問いを投げた。
「増強第三小隊……この布陣なら、艦隊は何個まで相手にできる?」
マリスは軍人としての冷徹な確信を込め、いつもの穏やかな口調を崩さずに答えた。
「アンジャリお姉さまと、わたくしと、エルザ。……この布陣なら、四個艦隊までなら行けますわ」
「よし。それぞれ無茶ばかりな作戦だが、エース・オブ・エースの君たちこそが希望だ。ブリーフィングを終える。別れ!」
「「「はっ!!」」」
三月十六日、十四時。
北緯一二度、東経一四二度。
ライオン・ポートへの途上、揚陸戦艦『大和』の艦橋は、パッシブ・ソナーが捉えた微かな「異音」に沸き立った。
「全艦減速、第一船速。敵影補足! 距離57,000。艦種不明ですが、スクリュー音から一個艦隊と断定!」
マリア少尉の鋭い報告が響くと同時に、『大和』の艦底部では重厚な油圧音が唸りを上げた。
海水と重油の匂いが立ち込める中、三機の「怪物」が射出の時を待っていた。
オーシャン・ブルーのクラーケオス
ライトブルーのクラーケン
ディープ・ブラック・ブルーのケートス。
「パイロット搭乗完了。全機、オールグリーン。スタンバイ」
アンジャリはコクピットの計器類が静かに脈動するのを確認し、深く息を吐いた。
「第三小隊、発艦筒に注水開始。懸架索、解除」
マリアの声と共に、巨大な円筒状の空間に外海から海水が勢いよく流れ込む。
機体を支えていたクランプが外れ、浮力とマンガニスエンジンの振動がアンジャリの背中に伝わった。
「艦底部発射筒、注水完了……増強第三小隊、発艦せよ!」
ドォォン!
瞬間的な高圧水流に押し出され、三機は『大和』の巨体の下から深海へと躍り出た。
泡の中に消えていく母艦の影。
ここからは、ソナーだけが頼りの闇の戦場だ。
水深三十。
三機は音波吸収泡を展開し、音もなく滑走する。
不意に、ノイズ混じりの無線がアンジャリの耳を打った。
『……β(ベータ)からα(アルファ)、Δ(デルタ)。聞こえますか……?』
マリスの、軍人としての冷徹な観察眼が光る通信。
「アルファ、感度良好」「デルタ、聞こえるよ、お姉さま」
『敵旗艦、戦艦一。船底沈下位置、第8目盛りを突破。喫水深度から、シュテルツァー積載艦と断定します。……続いて巡洋艦二。両艦とも第3目盛り。シュテルツァー1から2、予備機搬送と予測されます。……続き、駆逐艦四、輸送船六、病院船一。周囲に他艦影なし』
アンジャリは操縦桿を握り直し、オーシャン・ブルーの機体を標的へと向けた。
「アルファ(アンジャリ)、了解。敵戦力、完全に把握したわ。……全艦隊を撃滅する。病院船はなるべく残すわ。マリス、エルザ。敵の排煙孔と艦底を狙いなさい」
「了解ですわ、お姉さま。……深淵の静寂を、あの方々に」
「お姉さま任せて! 私は戦艦から叩くよ、トール・ハンマー、スタンバイ!」
エルザのケートスが背部のミサイルランチャーを起動させ、水中で微かな駆動音を立てる。
海面上を進むAAUの艦隊は、まだ気づいていない。
自らが物量と装甲で勝てると信じているその「傲慢」が、海面下わずか三十メートルから狙う三頭の「海の魔物」によって、まもなく無価値な鉄屑に変わるということを。
「作戦開始……。一隻も逃がさない」
アンジャリのクラーケオスが、八本の脚をしならせて加速した。
水深三十メートル。クラーケオスのコクピット内は、計器が放つ淡いブルーの光に照らされていた。
アンジャリは、天地が逆転する接舷戦闘に備え、S-AGDK(対G加圧座席装置)の拘束強度を一段階引き上げる。
「距離三〇〇。目標、敵旗艦戦艦。……いいわ、エルザ。その位置よ。私の合図と同時に放ちなさい」
「了解っ! 敵艦照準、排煙孔マンガニス濃度最大値を現在値で固定。……いつでもいいよ、お姉さま!」
エルザのケートスが、背部の八連装ミサイルランチャー『トール・ハンマー』を駆動させる。
ウィィィン
精密なモーター音が、海水の抵抗を受けて重く響く。
「マリス、随伴の巡洋艦を牽制。駆逐艦にソナーを使わせないで」
「承知いたしましたわ。……クラーケン、臨界駆動開始」
マリスの指先が、マンガニスクリンチャーの出力レバーを押し上げる。
機体周囲の海水が余剰熱で一瞬沸き立ち、銀色の気泡がライトブルーの装甲を撫でて後方へ流れた。
続いて、アンジャリは戦艦に肉薄する。
AAU旗艦 戦艦ウィリアム・H・ブラッドフォード艦底。
アンジャリのメイン・モニターいっぱいに、巨大な鋼鉄の壁――戦艦の艦底が迫る。
ゴォォォ……
巨大なスクリューが水を掻き回す轟音が、クラーケオスの外殻を震わせた。
「……捕まえたわ! アビス・ホールド、起動!!」
アンジャリがトリガーを引く。
クラーケオスの八本の脚が蜘蛛のように広がり、艦底へと一斉に突き立てられた。
ガギィィィンッ!!!
水中を伝う凄まじい金属衝撃音。
高出力電磁吸盤が鋼板に吸着し、物理アンカーが分厚い底板を深く穿つ。
ミシィ!メギィ!グギギギィ!
「ぐっ……、あぁぁぁ!!」
天地が反転し、機体ごと戦艦に張り付いたアンジャリに、猛烈な重力と振動が襲いかかる。
平衡感覚が消失しそうになる。
だが、彼女はその地獄を意志の力でねじ伏せ、絶叫に近い声で命じた。
「エルザ! 今よ、撃ちなさい!!」
「トール・ハンマー、発射ッ!!」
ボボボシュゥゥゥッ! ポッボボシュゥゥゥッ!
海中から、八発の「雷」が放たれた。
泡を曳きながら水面を突き破り、垂直に天へと昇る。
高度二百メートル。
ミサイルは急激な機動で反転し、敵戦艦が誇らしげに吐き出す黒煙――高濃度マンガニスの排気へと、狂った猟犬のように吸い込まれていく。
「トールハンマー発射確認。……命中まで、三、二、一……」
マリアの冷徹なカウントダウンが重なった。
――ドォォォォォォン!!!
――ドドォドォォォォォォン!!!
海面上に、巨大な火柱が八本同時に突き上がった。
排煙孔から逆流した爆炎が、戦艦内部のマンガニス貯蔵庫を誘爆させる。
全弾が、敵艦隊にそれぞれ致命的な損害を与えていた。
アンジャリは、頭上の艦体が巨大な楽器のように悲鳴を上げ、歪んでいくのを全身で感じていた。
キィィィペキペキギィ
「マリス、巡洋艦へ! 仕上げを始めるわよ!」
「ええ……。沈みゆくあの方々のために、せめて静かな墓標を立ててあげましょう」
マリスのクラーケンが、張り付いていた巡洋艦はすでにキール(竜骨)がへし折れ、バイタルパート(重要区画)に深刻な浸水をもたらしていた。
マリスは巡洋艦の艦底にしがみついたまま、暗黒の海の中で対艦刺突槍『ガジャ・クンバラナ』を構えた。
ギィィィ、ガガッ……!
頭上で、巨大な鋼鉄の巨獣が断末魔を上げている。
エルザが放った『トール・ハンマー』は正確に艦隊大多数の排煙孔を刺し貫き、内部で誘爆したマンガニス燃料が、艦の心臓部を内側から焼き尽くしていた。
逆さ吊りの重圧に顔を歪めながら、アンジャリは操縦桿に備えられた赤いトグルスイッチを跳ね上げた。
「……まだよ。海の魔物はこの程度じゃ、……『スキュラバイト』、臨界駆動!」
クラーケオスの深部で、マンガニスクリンチャーが青白い閃光を放ち、リミッターを超えたエネルギーが八本の脚へと逆流する。
キィィィィィィン!
高周波の駆動音が、戦艦の厚い底板を通じて艦隊全体に響き渡った。
「沈みなさい……。折れろ!!」
アンジャリがクランクレバーを力一杯引き絞る。
八本の脚が、艦底を掴んだまま「外側」へと強引に引き剥がす。
臨界駆動による圧倒的な圧壊エネルギーが、戦艦アイアン・マイケルのキール(竜骨)に集中した。
――メキメキ、バキィィィィンッ!!!
海水が崩壊したダムの決壊の如く流れ込む。
純粋な物理的破壊。
完全に破断されたキール。
数万トンの鋼鉄が、巨大な氷を割るような音を立てて中央から「くの字」に折れ曲がった。
ガキイイィィィィィィィィイイイン!!!
折れた断面から噴き出す重油が、海を黒く染めていく。
時折、マンガニスが海水と反応し、散発的に爆発を起こしている。
「……アルファ(アンジャリ)より各機。大型艦の沈黙を確認。……次は、ネズミ(駆逐艦)たちを狩るわよ」
アンジャリは沈みゆく戦艦の残骸からアビス・ホールドを解除し、ゆっくりと離脱した。
旗艦が轟沈し、艦隊のほとんどの艦に深刻な火災が発生している。
戦艦に引き続き、巡洋艦も艦底から破壊された。
全速で離脱を図る残存艦。
その進路を遮るように、ライトブルーのクラーケンが静かに浮上した。
「慌ててどこへ行かれるのですか……? わたくしが優しく『おやすみなさいませ』のご挨拶を差し上げますわ」
マリスが操縦桿を撫でる。
右腕の対艦刺突槍『ガジャ・クンバラナ改』が、水圧を排した超空洞現象を伴って唸る。
――ドシュゥゥゥッ!!
音速を超えた槍が、巡洋艦の喫水線下を容易く穿った。
一度突き刺さった槍先からは、海水が容赦なく流れ込み、内部に居た機関科員達が絶望の海底に飲み込まれていく。
「マリスお姉さま、上からいくよ。気をつけて!えいっ!」
海面を弾丸のように跳ね、エルザのケートスが躍り出た。
水面から五十メートルの跳躍。
空中で機体を反転させ、逆光を背に耐水ショットガン『八岐大蛇』を突き出す。
「暴れ馬だけど、仲良くしてね! シュート!!」
――ズドォォォォン!!!
百八十ミリのフレシェット超空洞弾が、逃走を図る駆逐艦の艦橋を至近距離から粉砕した。
艦橋を失い、制御を失った艦が、隣を進んでいた輸送船の腹部へと激突して乗り上げる。
マリア少尉は、モニターに次々と表示される「撃沈」の信号を見つめ、陶酔したように笑った。
「すごい……。増強第三小隊、まさに死神の舞踏会ね。……全目標、撃滅を完了。残存戦力1。病院船のみです。病院船、白旗です。戦意喪失を確認!」
シリチャイ大将が、腕を組んだまま静かに頷いた。
「……これが、我々の『唯一の牙』だ。マリア、アンジャリたちに伝えてくれ。全艦撃滅を確認。見事な戦いであったと」
「了解しました! ……さぁ、第三小隊の皆さん。お疲れさまでした!」
暗黒の海を、爆炎が紅く照らし出す。
彼らの航路を阻む者は、もうどこにもいなかった。
漆黒の海に散ったAAUの残骸を背に、揚陸戦艦『大和』の艦底部ハッチが再び開いた。
海水に濡れ、鈍い光を放つ三機のシュテルツァーが、静かにドックへと引き上げられていく。
「全機、収容完了! 臨時増強第三小隊、パーフェクトよ!」
マリア少尉の弾んだ声が格納庫に響き渡る。
ハッチから降りてきたアンジャリ、マリス、エルザの三人に、待ち構えていた整備兵や搭乗員たちから、割れんばかりの歓声と拍手が降り注いだ。
「さすがは中隊の看板娘たちだ!」
「主力艦隊クラスだろ?瞬きする間に一掃しちまうなんてな!」
一時間後。
戦闘の熱を冷ますためのシャワーを浴び終えた三人が、作戦室へと続く通路に姿を現した。
髪を湿らせた彼女たちを待っていたのは、リヴァイアサン中隊の精鋭たち、そして――。
「……お疲れ様。見事な手際だったよ、三人とも。少しでも休んでくれ。対艦シュテルツァーってすごいんだな」
廊下の壁に背を預けていたのは、中隊長カイ・イサギ少将だった。
その隣には、副長のハインツ大佐が、腕を組んで仁王立ちしている。
「カイ閣下、ただいま戻りました。……少し、海を汚しすぎてしまいましたわね」
マリスが、湯上がりで火照った頬を隠すように、優しくも凛とした微笑みを浮かべる。
「あはは、マリスお姉さま。あれは掃除だよ! 私たちが綺麗にしてあげたんだから!」
エルザがタオルで髪を拭きながら、天真爛漫に笑った。
その時、これまで沈黙を守っていた「魔王」ハインツが、一歩前に出た。
重厚な威圧感を放つその眼差しが、三人の少女たちをじっと見つめる。
(本人は優しい表情のつもりなのだが)
格納庫にいた整備兵達は、ハインツが何を口にするのかと、固唾を呑んで見守った。
ハインツは、メタリックブラックの愛機『ルシフェル』を見上げ、それから静かに告げた。
「……見事だ。海では、我がルシフェルでも勝てないだろうな」
ハインツは3人の目を順番に見て、わずかに口角を上げた。
(本人は笑顔のつもり)
「……素晴らしい腕前だ」
その瞬間、通路にいた整備兵達から、地鳴りのような「どよめき」が沸き起こった。
あの、魔王として君臨し、他者を寄せ付けない傲慢なまでの実力を誇るハインツ・ゼ・ゲーヴェアが、明確に「負け」を認めたのだ。
「えっ、今……あの『魔王』が……?」
「聞き間違いか? ハインツ大佐が、カイ閣下以外に自分より上がいるって認めたのか!?」
ハインツの賞賛に、アンジャリは誇らしげに胸を張った。
「ありがとうございます大佐」
「……ハインツ大佐にあそこまで言わせるなんて。ねぇ、お姉さまたち。私たち、本当に凄いのかもね」
「ええ。……でも、アンジャリお姉さま。本当の戦いは、これからですわ」
マリスが視線を向けた先、格納庫設置の戦術モニターには奪還すべきライオン・ポートの地図が、依然として赤く、不気味に灯っていた。




