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第71話 見舞い

 帰路のサロンバスは、心地よいエンジンの振動と、歩き疲れた面々の穏やかな寝息に包まれていた。  

 カーテンの隙間から差し込む夕陽が、座席で丸まって眠るアンジャリの横顔を赤く染めている。 

 その隣では、ハインリヒが彼女に肩を貸したまま、彫像のように静かに目を閉じていた。


 そんな静寂の中、バスの後部座席では、まだ瞳に爛々とした輝きを宿した二人の少女が、声を潜めて熱い議論を交わしていた。


「……ねぇ、マリスお姉さま。私、決めたよ」

 エルザが、前の座席で幸せそうに眠る姉を一瞥し、真剣な面持ちで切り出した。

「私、次に付き合うなら、カイかシュミット中佐みたいな人がいいな。……ううん、中佐以上じゃないと嫌だ!」


 マリスは優雅な手つきで膝掛けを整え、ゆっくりと、けれど一点の曇りもない瞳で頷いた。

「あら、エルザ。奇遇ですわね。わたしも、先ほど全く同じことを考えておりましたの。お姉さまがあれほど幸福そうになられたのですもの。わたしたちも、妥協などしていられませんわ」


「でしょ!? 条件を整理しようよ」  

 エルザが指を折って数え始める。

「まず、操縦技術。これは絶対だよね。リヴァイアサン中隊の機動に平然とついてこられて、私たちが背中を預けられるくらいの腕がないと。……それから、見た目! これ重要だよ。カイかシュミット中佐より格好良くて、並んで歩いた時にみんなが振り返るくらいの顔じゃなきゃ!」


 マリスは少しだけ人差し指を顎に当て、思案するように目を細めた。

「そうですわね……。あの実直さと騎士道精神も外せませんわ。あ、武士道でも許してあげますわ。それで、わたしの言う事を何でも聞いてくれて、海よりも広い器の持ち主……。そんな方が現れたら、わたしの条件にピッタリですわ」


 二人の会話が盛り上がるにつれ、その「理想の彼氏像」は、もはや現世の人間とは思えない神格化された領域へと突入していく。


 その時。  

 通路を挟んだ隣の席で、深く帽子を被り、寝たふりをしてスキットルを傾けていたガリアスが、堪えきれないといった風に鼻で笑った。


「……ケッ。いねーよ、そんな奴」


 低く、地を這うような野太い呟きに、二人は一瞬だけ言葉を止めた。

 ガリアスは目を開けることすら面倒そうに、窓の外へ視線を投げたまま続ける。


「リヴァイアサンのバケモノじみた機動に付いてこれて、中佐よりつらが良くて、聖人君子みたいな器のデカい野郎だぁ? ……そんなのはな、人類じゃねぇ。伝説の英雄か、さもなきゃただの妄想だ。お前ら、夢を見るのは勝手だが、現実の野郎を絶滅させる気かよ」


「あら、ガリアスさん。起きていらしたの?」

 マリスが鈴を転がすような声で微笑む。

「妄想ではありませんわ。現にカイ少将とシュミット中佐という『基準スタンダード』が目の前にいらっしゃるのですもの。わたしたち、その基準に満たない方に、この大切な心も体も預けるつもりはございませんの」


「そうだよ! 副長だってソルガだって、素敵な奥さんがいるじゃない。私たちだって、妥協は最大の罪なんだから!」


 エルザの追い打ちに、ガリアスは「……やってられねぇな」と小さく毒づき、再び帽子を深く被り直した。


 バスは、夕闇が迫る高速道路を滑るように走っていく。  

 理想を語り合う少女たちの高い声と、それを見守るベテランの呆れた溜息。  

 平和すぎるその光景は、戦場を生き抜いた彼女たちが手に入れた、何よりも贅沢な放課後のような時間だった。


 海軍記念病院の特別病室は、開門と同時に戦場のような騒がしさに包まれた。  

 旅行後、三日間の休暇。

 その初日にカイが真っ先に向かったのは、愛妻の元だった。

 彼の後ろには、溢れんばかりの紙袋を両手に下げたマリスとエルザが、まるで凱旋パレードのような足取りで続いている。


「ミナ、一回目の手術、本当にお疲れ様。……少し、顔色が戻ったようで安心したよ」  

 カイがミナの傍らに座り、瑞々しい高級苺をテーブルに並べると、ミナは弱々しくも、いたずらっぽく目を細めた。

「おかえりなさい、カイ。……あら、マリスにエルザも。そんなにたくさん荷物を抱えて、これからここで露店でも開くつもり?」


「ミナさん! 露店どころじゃありませんわ!」  マリスが素早い手つきで、紙袋から次々と箱を取り出した。

「これは鶴剣州名物の漆塗り簪、こちらは肌に良いという真珠の粉、それから……。エルザが『これはミナに似合うよ』と言って、半日かけて選んだシルクのショールですわ」


「ちょっとマリスお姉さま、一番大事な『バケモノ』を忘れてるよ!」  

 エルザが、カイの大きな旅行バッグから、仰々しく包装された「それ」を引っ張り出した。

「ミナ、見て! カイが土産物屋で三十分間フリーズして、最後には『これこそが武人の精神だ』って確信して買った逸品……。パイルバンカーを抱きしめた木彫りの熊だよ!」


 ベッドの上に鎮座したその熊は、鮭を獲ることを諦め、代わりに鉄の塊を愛おしそうに右腕にホールドしていた。  

 ミナは一瞬絶句し、それから耐えきれなくなったように噴き出した。

「……あはは! 痛い、お腹の傷に響くわ……!カイ、あなた、本当に……。でも、この熊の目つき、どこかあなたに似ていて可愛いわね」


「そうか? ……俺も、手放せなくなる何かを感じてな」  

 カイが真面目な顔で頷くものだから、病室はさらに笑いに包まれた。


「でも、ミナさん。本当の『お土産』は、物だけではありませんのよ」  

 マリスが中隊の隠し撮り写真を扇子のように広げ、ミナに差し出した。

「見てくださいな、このアンジャリお姉さまの蕩けたお顔。シュミット中佐が『体調を崩したのは私だ』なんて見え透いた嘘で守ろうとして、かえって熱い仲を宣伝してしまった時のものですわ。まさに、リヴァイアサン始まって以来の衝撃的な不器用カップルの誕生ですわよ」


「まぁねー! 中佐、あんなに堅物だったのに、今じゃアンジャリお姉さまのナイト気取りなんだから。見ててこっちがのぼせそうだったよ!」  

 エルザが身振り手振りで、ハインリヒとアンジャリの不器用なダンスを再現してみせると、ミナは涙を浮かべて笑った。


「こっちは宴会の時のヴォルフ! クリスさんの隣で、普段の狂犬っぷりはどこへやら、ふにゃふにゃに蕩けてるんだから!」

「これはトイレに入ったソルガとか、誰が撮ったの?!」

 次から次へと差し出される、仲間の「隙だらけの幸せ」が詰まった写真。  

 ミナは、弱々しくも瞳を輝かせ、一枚一枚を愛おしそうに指でなぞりました。


「そう……アンジャリが、そんなに幸せそうに。……よかった。本当に、よかったわ」  

 ミナは写真の中のアンジャリの笑顔を見つめ、そっと胸をなでおろした。


「でも、おかげでわたしたちのハードルは、もはや宇宙まで上がってしまいましたわ」  

 マリスが、ふふっと吐息をつきながらカイを見上げる。

「閣下。わたしたち、決めましたの。彼氏を作るなら、シュミット中佐並みの操縦技術があって、見た目はそれ以上で、ガリアスさんが『いねーよ』と絶望するような超人じゃないとお断りですわ。……ねぇ、閣下? 閣下なら、そんな素敵な男性をどこかから調達してきてくださるでしょう?」


「……俺に、神でもスカウトしてこいと言うのか?」  

 カイが困り果てたように眉を下げると、ミナが彼の手に自分の手を重ねた。

「いいじゃない、カイ。……この子たちの厳しい審査を通り抜けるような、勇敢な騎士が現れるのを、私たちで見守りましょう。その頃にはきっと、私は万全の体で、あなたの隣に立っているわ」


 パイルバンカーを抱いた熊が見守る中、病室は春の陽光と、賑やかな家族の絆で満たされていた。  

 カイは、ミナの少し冷たい手を強く握り返した。

 旅行の余韻は、こうして家族で分かち合うことで、ようやく本当の「思い出」として完成したようだった。

 三日間の大休止。

 海軍記念病院のミナの病室は、かつてない活気に包まれていた。  

 カイ少将の思惑通り、あるいはそれ以上に、リヴァイアサン中隊の面々は「戦友の見舞い」という名の突撃を次々と敢行したのである。


 だが、戦場では超一流の彼らも、病室への「補給物資」の選定においては、致命的なほどにピントがズレていた。


「……あ、あの、ガリアスさん。これは……?」  ミナが困惑した視線を向けたのは、ベッドの脇に鎮座した、一升瓶の4倍のサイズの「特大梅酒」だった。

「ガッハッハ! 酒は百薬の長ってな! 鶴剣州の蔵元で、一番効くやつを担いできたぜ。傷口の消毒にもなるし、飲めば痛みも吹っ飛ぶぞ!」

「ガリアス、ここは病院よ……。それにミナさんは術後なの」  

 エルザに耳を引っ張られながら退場するガリアスの背中を見送り、ミナは苦笑するしかなかった。


 今度は別の意味で「浮世離れした」空気を纏う二人が現れた。

 新婚のような初々しさと、戦場での荒々しさを奇妙に同居させたヴォルフ少尉とクリスである。


「ミナさん、お体に障らなければこれを。……その、ヴォルフと選んだのですが」

 薄い水色の清楚なワンピースを着たクリスが少し照れくさそうに差し出したのは、包みから覗くのもはばかられるような、禍々しくも鮮烈な赤い紋様が施された「巨大な極東の魔除けの面(般若)」だった。


「夜、悪い夢を見ないようにって……。ヴォルフさんが『これが一番強そうだ』って言い張るものですから。これ、お守り……になるんでしょう?」


 クリスが申し訳なさそうに言葉を添えるが、その真っ赤な面は、深夜に目が合えば間違いなく別の意味で飛び起きそうな、呪術的な迫力に満ちていた。

 死線を潜り抜けた若き狙撃手の「強さ」に対する基準は、どうやら常人とは別の次元に到達してしまったらしい。

 そして、妻を港まで見送りに行くからと、アラン夫妻から彼らが託されたのは「銅海州温泉の素」。

 入院中のミナにどう使えと言うのか。


 そこへ、入れ替わるように現れたのは、中隊の重鎮たるハインツ大佐とソルガ中佐だった。  

 二人の老練な戦士は、多くを語ることはなかった。

 ただ、無造作に、しかしどこか誇らしげにテーブルへブツを置いた。

「土産だ」

 短く一言。  

 そこに置かれたのは、ご丁寧に「パイルバンカー」という豪快な文字が墨書きされた二振りの木刀であった。  

 般若の面に、パイルバンカー仕様の木刀。    ……これが、世界最強の精鋭たちが導き出した「入院中の女性ミナへの心遣い」の答えなのだろうか。  

 カイとミナの二人は、もはや笑うことさえ忘れ、目の前に並んだ「最強の贈り物」たちを前にして、ただただ呆然とするしかなかった。


 さらに、アンジャリとハインリヒの二人組が訪れた際には、病室の棚がいよいよ限界を迎えた。 「ミナ、これを。……栄養がつくかと思ってな」  ハインリヒが、軍の機密書類でも扱うような厳格な手つきで差し出したのは、「珍味、乾燥すっぽんの詰め合わせ」。

「中佐、これ……どうやって使うのかしら?」

 アンジャリが小声で質問するが、ハインリヒは真面目な顔で「滋養強壮にはこれだと、土産物屋の主人が言っていた」と、本人も使い方が分からないらしい。

 当のアンジャリも、「ミナの義足ほどの大きさの、つぶらな瞳にニコリとマヌケに笑った口が付いているゴボウのぬいぐるみ」をミナにプレゼントしていた。


「「……ふふ、あははは!」」

 夕暮れ時。

 ようやく静かになった病室で、ミナとカイは周囲を見渡して声を上げて笑った。


 パイルバンカーを抱いた熊。

 恐ろしい般若の面。

 木刀に、乾燥した亀。

 酒に大きなぬいぐるみ。

 そして、カイが買ってきた排挾が出来るパイルバンカーのキーホルダーに、「海だ!男だ!パイルバンカー!」と背中に書いてあるミナサイズのTシャツ。 

 どれ一つとして、洗練された見舞いの品とは言えない。

 けれど、そのどれもが、選んだ者たちの不器用で、真剣な「ミナに元気になってほしい」という祈りに満ちていた。


「……困った人たちね。でも、おかげで退屈している暇なんて一秒もなかったわ」  

 カイが新しく剥いてくれた林檎を口に運びながら、ミナは幸せそうに目を細めた。

「カイ。私、こんなにたくさんの『愛すべき変なもの』に囲まれているんですもの。きっと早く治るわよ」

 カイは、パイルバンカー熊の隣に天狗の面を並べながら、静かに、けれど力強くミナの手を握った。

「ああ、センスは悪いが、みんなが応援しているんだ」

「クスクス、カイ、あなたのお土産も特別センス悪いわよ」

「俺もそう思っていたよ。ハハハハハ」

 病室に積み上がった珍妙な品々は、そのまま、ミナという一人の女性が背負う、世界で一番温かい「重荷」であった。

 カイは、束の間の休日を、ミナの病室に宿泊する事を選んだ。

 それは、ミナにとっては何にも代え難い、素晴らしい土産であった。


 翌朝。 

 海軍記念病院の廊下に、ベテラン看護師長の悲鳴が小さく響き渡った。


「な、なんですか、このお部屋は……!?」


 ミナの病室のドアを開けた彼女の目に飛び込んできたのは、朝日を浴びて真っ赤に輝く巨大な般若の面。

 その下には、不敵な笑みを浮かべて右手にパイルバンカーを抱く木彫りの熊が鎮座し、傍らには武骨な文字で「パイルバンカー」と書かれた木刀が二振り、十字に立てかけられている。


 清潔感あふれる病室は、一晩にして「どこかの前衛的な格闘技道場」か「呪術師の庵」のような様相を呈していた。


「……あ、師長さん。おはようございます」  

 軍用携帯式コット(簡易ベッド)を展開して、ミナのベッドの横で仮眠を取っていたカイが、目を擦りながら起き上がった。

 その横で寝ているミナの背中には「海だ!男だ!パイルバンカー!」と大書されたTシャツが。


「少将閣下! この……このおどろおどろしいお面や木刀は一体……! 患者様の安静に障ります!」 「いや、師長さん。これは……その、我が中隊に伝わる最新の『心理療法』なんだ」  

 カイは、パイルバンカー熊の頭を無意識に撫でながら、至って真面目な顔で言い放った。

「強靭な精神こそが肉体の回復を早める。この般若の面が病魔を威嚇し、木刀が弱気を断ち、熊がパイルを……とにかく、そういう科学的根拠に基づいた……」


「……あはは! もう、カイ、やめて……!」

 ベッドの上で上半身を起こしたミナが、お腹を押さえながら笑い声を上げた。

「師長さん、ごめんなさい。この人たち、戦場では神様みたいに強いのに、お見舞いのセンスだけは……絶望的なんです。でも、これを見ると、みんなの顔が浮かんできて本当に元気が湧いてくるんですよ」


 ミナの顔色は、昨日よりも確実に良くなっていた。

 その澄んだ瞳に宿る光を見て、師長は呆れたように溜息をつき、手に持っていた検温計をワゴンに置いた。


「……全く。リヴァイアサン中隊というのは、常識までパイルバンカーで撃ち抜いてしまうのですね。仕方ありませんわ、今回だけは『心理療法』として許可しましょう。ただし、回診の先生が腰を抜かさないように、お面には少しだけ布を被せておきますからね」


「助かるよ、師長さん。……ミナ、聞いたか? 許可が下りたぞ」

「ええ。よかったわね、カイ。……でも、退院する時には、一人じゃ持ちきれないわね」

「多分、みんなが来るさ」

 

 窓の外には、抜けるような青空が広がっている。  

 般若の面と木刀、そして奇妙な熊に見守られながら、二人の戦士は、束の間の、けれど何よりも尊い休息の時間を分かち合っていた。

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