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第64話 完成

 ドックの喧騒は、もはや戦場のそれではなく、一種の狂信的な祭典に近い熱気を帯びていた。  改修が進む『オーディン』や『トール』、他の新型機を横目に、中隊の末っ子、エルザ・アイスグリム大尉は、複雑な計器や図面が散乱する一角で、男たちの輪の中心にいた。


 そこにいるのは、かつて帝国で冷酷な兵器開発に携わっていた元帝国技術将校、理知的なエウロの技師、そして職人気質な大東亜の技術者たちだ。

 本来なら言葉の壁や過去の因縁があるはずの彼らが、今は一人の少女の「おねだり」を前に、かつてない結束を見せていた。


「……あのね、私、お姉さまたちと同じ海に入れるシュテルツァーがいいの。お姉さまたちが波間を駆けている時、私だけ地面の上で待ってるなんて……そんなの寂しいじゃない。お願い!」


 エルザが潤んだ瞳で上目遣いに見つめると、技術者たちの間に戦慄にも似た「義務感」が走った。

「……おい、聞いたか。大尉は寂しいと仰っているぞ」

「だが……軽量、跳躍特化機を海水になんて可能か?」

「不可能を可能にするのが我々の仕事だ。おい、帝国時代の水密設計図をすべて出せ! エウロの新型ベクターノズルもだ! 全部ぶち込むぞ!」


 こうして、世界で最も甘く、そして最も無謀なプロジェクトが幕を開けた。


 奇跡の怪物

 A-JX07-E Cetusケートス

 一ヶ月後。

 完成したその機体を見たカイとハインツは、開いた口が塞がらなかった。

 深海を思わせる、黒に限りなく近いディープ・ブラック・ブルーの装甲。

 それは、エルザの可憐さとは裏腹に、獲物を深淵へと引き摺り込む海獣ケートスの威容を湛えていた。


「エルザ、これ……本当にあの軽量機だったのか?」  

 ハインツが呆然と呟く。

「そうよ。可愛いでしょう?」

「いや、改修って言うか、どこが残ってるのだ?別物の新機体だぞ」

「アスラでも、雨の日に海中から待ち伏せされたら危ないかもな」

 スペックを聞いたカイは、嬉しそうに戦慄する。


 技術者たちがエルザへの愛ゆえに暴走した結果、機体は完全に別物へと変貌していた。

 水陸両用、水深50mまでの水中行動を可能にするため、全身のローラー、スラスター、ベクターノズルを完全新規設計。

 水上走行のみならず、万人が制御不可能なベクターノズル制御による水中機動が可能な魔機である。

 そして、水面から50mもの高度を、水飛沫を置き去りにして跳躍する。

 まさに天才児エルザにしか制御できない海の巨獣。

 「海水に浸かったら即座にフルオーバーホールが必要」という、実用性を度外視した超高精度パーツの塊。

 しかし、ドックには「エルザ大尉のためなら不眠不休も厭わない」というファンクラブ化した整備兵たちが、瞳を輝かせて待機していた。

 そうだ、彼らにとってケートスのフルオーバーホールは『ご褒美』なのだ。

「ふふ、いい子ね。可愛いよ、ケートス。これで、やっとお姉さまたちと一緒に泳げるわ」


 モニター越しに愛機を見て微笑むエルザの背景で、開発に携わった技術者たちが「エルザちゃん。いや、エルザ大尉が『可愛い』って言ってる!」と涙を流して抱き合っている。

 

 その光景をドックの入り口で見ていたアンジャリが、マリスの肘をつっつく。

「……マリス。あの子、おそらく世界最初の水陸両用機に乗ることになるわよ」

「私たちの機体の改修が遅れる訳ですわね。あれ、改修ではありませんわ。新機体の開発ですもの」


 三姉妹の末っ子が手に入れた、人智を超えた『世界最初の水陸両用シュテルツァー』は、『大好きな姉と一緒に海に入りたい』という少女の純粋な願いから生まれた奇跡であった。

 もちろん、テスト機動は天才児エルザならではの軽快な天才的機動を見せた事は言うまでもない。


 同日。

 駐屯地演習場。

 新型機への転換。

 それは、「操縦」などという生易しいものではない。  

 シュミットとアランの二人は、連日、演習場に響き渡るエンジンの爆音と、鼻腔を焼くマンガニスの煤煙の中にいた。


 シュミット中佐が対峙する『ケーニヒスパンター』。  

 その新型エンジンは、アイドリング時ですら操縦席の計器盤を狂ったように震わせ、シュミットの視界を物理的に削り取っていく。  

 最大の問題は、機体の旋回速度と連動した、新型マンガニス過給機の「過敏さ」だった。


 シュミットが右の旋回レバーを一段弾くだけで、機体はジャイロの制動を無視して独楽のように回ろうとする。

 これまでのフェンリルの感覚でレバーを引けば、慣性Gでパイロットの首の骨が折れるか、過給圧の異常上昇でエンジンが内部から吹き飛ぶ。


「……くっ、この『豹』は、一ミリの遊びも許してくれないのか!」  

 シュミットは、血の滲んだ手で真鍮製の圧力調整ダイヤルをミリ単位で回し、暴走するマンガニスの供給を力づくで抑え込む。  

 右足の油圧ペダルを小刻みに踏み変え、不整脈を繰り返すピストンの振動を、機体の姿勢制御へと無理やり変換していく。  

 それは「対話」ではない。

 猛獣の喉元を掴み、その暴力を制御へと変えさせる、命を削るような調律だった。


 アラン大尉が挑む『カーリー』の操縦席は、もはや人間のための空間ではなかった。  

 通常のシュテルツァーに備えられた二本のメインレバーに加え、カーリーには補助腕を制御するための「サブ・スロットル」が左右の膝元に増設されている。  

 四本の腕を動かすには、両手、両足、さらに肘と膝を使い、八つのレバーと四つのペダルを同時に、かつ別々の周期で操作しなければならない。


「……右上の銃を撃ちながら、左下の補助腕でバランスを取り、同時に脚部の排圧ブースターを吹かす……! クソ、脳が焼けるぞ!!」  

 アランは狭隘なコクピットで、まるで複雑な楽器を弾く狂人のように四肢を躍動させていた。  少しでもタイミングがずれれば、多軸の流体モーターが干渉し、機体は自重で転倒する。  

 アランは、四つのアナログ回転計を同時に凝視し、それぞれの腕にかかる重油圧を皮膚の感覚で聞き分ける。  

 意識が四散し、吐血しそうなほどの負荷。

 だが彼は、レバーに巻かれた革が擦り切れるまで、その不規則なエンジンの咆哮に食らいつき続けた。

 二月の終わり。

 ドックのハッチが開き、二機の巨躯が演習場へと滑り出る。    

 シュミットのケーニヒスパンターは、爆発的な排気音と共に、大地を抉るような鋭い踏み込みを見せた。  

 過給圧のレッドゾーンを綱渡りで歩むような、極限の機動。    

 アランのカーリーは、四本の腕が吐き出す熱気が蜃気楼を作り、まるで千手観音のように多方向へ銃口と刃を向け、同時に駆動させていた。    二人は、レバーを握る手の震えを、心地よい戦慄として受け止めていた。  

 この鉄の野獣をねじ伏せるために費やした、血と油にまみれた数百時間。    

 それは、リヴァイアサンという世界でも屈指の部隊に所属している戦士たちの意地だった。

 二月の凍てつく風が吹き抜ける訓練場。

 そこには、一ヶ月前のような無様な巨人の姿はもはや無かった。


 ガリアスや三姉妹、そして整備兵たちが足を止めて見守る中、漆黒の夜明けのような薄明かりの下で、二機の新型シュテルツァーが激突していた。


「――ッ! 中佐、甘いですな!!」


 アランが吠え、四腕の『カーリー』が異形の機動を見せる。

 二本の腕でシュミットの電磁剣を強引に受け流し、同時に残る二本の腕が、まるで生き物のように別の角度から打撃を繰り出した。

 複雑怪奇な八つのレバーと四つのペダルを同時に操る、狂気じみた多軸操作。

 アランの意識は、限界を超えて機体各所の油圧の脈動を捉えていた。


 対するシュミットの『ケーニヒスパンター』は、その猛攻を紙一重の踏み込みで回避した。

 新型過給機が放つ、耳を劈くような高周波の吸気音。

 シュミットは暴走寸前のマンガニス圧を、指先のミリ単位のレバー操作でねじ伏せ、機体を「豹」の如き跳躍へと繋げる。

 フェンリルの鈍重さは消え、そこには純粋な速度と殺意の塊だけが躍動していた。


「……信じられん。あんな暴れ馬を、もう完全に乗りこなしていやがる」


 煙草を咥えたまま、ガリアスが呆然と呟いた。

 二機の動きは、もはや「操縦」という概念を超えていた。

 金属同士が激しくぶつかり合い、火花が夜の闇を散らすたびに、エンジンの咆哮が大地を震わせる。


 訓練が終わり、ハッチが開いて二人が地上に降りてきたとき、その場にいた全員が息を呑んだ。


「……ふぅ。アラン、今の三連撃……悪くなかった」

「……中佐こそ。あのタイミングで、よく過給圧が持ちましたね……」


 そう言って、二人が手袋を脱いで汗を拭ったとき、その掌が露わになる。

 革製の操縦桿を死に物狂いで握り締め、力任せにレバーを叩き込んできた二人の両手は、血豆ができては潰れ、その上にまた新しい血豆が重なり、赤黒く変色して、ボロボロに裂けていた。


「……お姉さま、見て。あの手……」

 エルザが、痛ましそうに声を漏らしました。


 マリスは、深い尊敬を込めて静かに頷く。

「ええ……。お二人とも、言葉にはなさいませんけれど」


 アンジャリも、無言でその傷だらけの手を見つめていた。

 誰に教えられたわけでもない。


 二人のトップエースは、ただ己の意地と、仲間への愛だけで、鉄の野獣をその肉体に刻みつけたのでした。


 冬の澄んだ空気の中、二人の荒い吐息が白く立ち昇ります。

 そのボロボロの手こそが、リヴァイアサンの誇りを守るための、何よりも確かな証でした。


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