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第53話 無能な上層部

 翌日

 一九八三年十二月七日。

 帝都デリ・ガート。

 そこは王者の心臓。

 無骨な要塞など存在せず、あるのはプロパガンダのために美しく整えられた巨大な軍事港湾だけだった。

 王者は己の庭を汚す防御施設を必要としなかったのだ。

 だが、その港を誇らしげに埋めていた戦闘艦たちは、すでにメニスカス海の海底に沈んでいる。


 連合軍にとって、そこはただの「上陸しやすい地形」でしかなかった。

 連合艦隊がデリ・ガート沖合を埋め尽くし、鋼鉄の絨毯のような布陣を敷く中、後方のターナー島ではエウロが誇る新兵器、多連装超長距離ロケット弾『ファフニール』がその巨躯を戦慄かせていた。


 七時三十分。

 復讐の時間が訪れた。


「……どんなものなのかしらね、新兵器とは」

 旗艦『グングニル』の甲板で、ニュエン・フォン・マイ中尉が呟いた。

 リヴァイアサン中隊の面々は、甲板から遠くターナー島の空を見上げていた。

 市民に対して爆撃警告は昨日から今日まで数度行われていたが、市民が避難している様子は見られなかった。

「ああ。市民を焼くのは気が引けるが……我々の市民を焼き続け、強制連行を繰り返してきた帝国だ。因果応報、仕方ないのだろう。警告はしているのだけどな」

 

 

 カイ・イサギ大佐の言葉を遮るように、空を割る音が響いた。


 ターナー島から放たれた『ファフニール』の第一陣が、帝都に散発的に降り注ぐ。

 だが、その光景は「精密な鉄槌」とは程遠いものだった。

 全体の一割がどうにか港湾部に吸い込まれ、爆炎を上げる。

 しかし残りの九割は、目標から大きく逸れ、虚しく海面へと吸い込まれていった。


「……おい、粉塵で信管が破壊されているんじゃないか?」

 サカモト副長が眉を潜めて呟いた。

 「これ、本当に使えるのか?」とチャルン。

 アランも顔を引きつらせて指を差す。

「あれを見ろよ。六〇〇メートルは離れているエウロ艦のすぐ横に落ちたぞ。大丈夫かよ……」


 明らかに命中率が低い。

 この粉塵ノイズの中では、いかに形状を工夫した弾頭といえど、四〇〇〇キロの航法はあまりに博打すぎた。

「ファフニール中止か、着弾修正が入るはずだ」


 誰もがそう確信した時、艦橋からミナ・フェリシア少尉の鋭い声がスピーカーを通じて響いた。 「皆さん、見ましたか!? 現在、着弾修正か作戦の繰り上げを軍団司令部に確認中です。そのつもりでいてください!」

「了解だ、ミナ」

 カイが応じる。


 しかし、「新兵器で帝国の息の根を止める」という甘美すぎる果実に、連合軍司令部は盲目となっていた。

 軍団本部の命令は非情だった。

――『修正なし、ファフニール全弾発射を継続せよ』。


「……あれ? また来ましたわよ? 大丈夫なんですの、これ……」

 マイが空を指差した。

 その声が恐怖で裏返る。

 粉塵の帳の向こう、不気味な風切り音と共に、グングニルの直上に「巨大なシルエット」が急速に膨れ上がった。


「――総員、待避ーーッ!!」


 サカモト副長の絶叫が、甲板に響き渡った。

 次の瞬間、世界が真っ白に染まった。


ドゴォォォォォォォォンッ!!


 味方を守るはずの『ファフニール』が、自分たちの旗艦グングニルの艦橋に直撃した。

 耳をつんざく爆音。

 飴細工のようにひしゃげた鉄骨と、焼け落ちた艦橋の残骸が、アスラたちの目の前で甲板へと崩れ落ちる。


「ミナ!!」

 カイが叫ぶが、グングニルの指揮系統は一瞬で沈黙した。


 第41大東亜エウロ臨時混成艦隊の次席旗艦、揚陸重装巡洋艦『ヘルメス』の無線が、狂ったような悲鳴を上げた。

『至急! 至急! 軍団本部、こちらヘルメス! ファフニールをやめさせろ! 旗艦グングニル中破、艦橋喪失! ファフニールが、味方に降り注いでいるッ!!』


 帝都を焼くはずの邪龍の咆哮は、今や味方を食い破る呪いへと変わっていた。


 三時間に及ぶ予定であった、超長距離ロケット弾『ファフニール』の斉射。

 後に調査団が驚愕と共に報告することになるが、帝国への直接的な人的被害は「ゼロ」であった。

 目標から大きく逸れたロケット弾の九割は、無人の海面を叩いて水柱を上げるか、すでに放棄された埠頭の石畳を砕いたに過ぎなかった。


 しかし、その「外れた」一射一射が、味方である連合艦隊の頭上に降り注いだ事実は、勝利の美酒を絶望へと変えた。


 午前十時三十分、ファフニールの地響きが止み、死を孕んだ静寂が訪れた。

 連合軍司令部は、味方の損害に目を瞑り強引な揚陸作戦を継続した。

 港湾部に艦隊の斉射が加えられ、大東亜の『叢雲』やエウロの『レーヴェ』が、黒煙を上げる埠頭へと次々に降り立つ。


「……なんだ、こいつらは。まともに歩くことすらできんのか」


 上陸した大東亜のパイロット、ロウ・ミン少佐は、コクピットの中で乾いた笑いを漏らした。

  迎撃に現れた帝国の主力機『ヴルク・アクス』は、新兵や学徒兵が無理やり押し込められているのか、泥酔した巨人のようにふらつき、自軍の建物を破壊しながら転倒していった。


 わずかに抵抗を試みる熟練兵の『ズル・ドゥガ』も、大東亜の狙撃機『不知火』が放つ155mm対物弾によって、頭部を正確に消し飛ばされていく。

 「帝国のエース」という幻想は、すでにこの戦場には存在しなかった。

 彼らは無能な参謀本部により、一人残らず大東亜侵攻作戦へと駆り出されていたのだ。


 戦闘開始から五時間。帝都の全スピーカーが、ノイズと共に震えるような音声を垂れ流した。


『――全軍、武装を放棄し投降せよ。皇帝陛下、及び皇族の方々は皆、自死された……。首都は占領された。我が軍は敗北したのだ。繰り返す、武装を放棄せよ!』


 帝都の陥落。

 それは拍子抜けするほどあっけなく、ただ惨めな崩壊の宣言であった。


 勝利の宣言が街に響き渡る中、旗艦『グングニル』の甲板は、この世の全ての絶望を煮詰めたような惨状を呈していた。

 中破し、飴細工のようにひしゃげた艦橋からは、どす黒い煙が立ち上り、消火活動に走る兵士たちの怒号が飛び交う。


「ミナ! ミナ、返事をしろ! 嘘だろ、こんなことが……!」


 金属の焼ける臭いと火花の中で、副長サカモト中佐は、狂ったように瓦礫を掻きむしっていた。

 指先からは血が滲み、爪は剥がれかけていたが、その痛みすら感じていない。

 彼の目の前には、数時間前まで冗談を言い合っていた「最強の中隊」の変わり果てた姿があった。


「司令官! シリチャイ中将! しっかりしてください!」

 「……ゲホッ……ベルナールは……あいつは無事か……?」


 ラッタナ・シリチャイ中将は、折れた肋骨が内臓を深く刺し、肺から溢れた鮮血で軍服を赤黒く染めていた。

 その傍らでは、副司令ベルナール少将が両脚を複雑骨折し、意識を失いながらも苦悶に顔を歪めている。


 崩落した鉄骨の影には、オペレーターのナティカ准尉が横たわっていた。

 彼女の瞳は見開かれたまま、空っぽの虚空を映している。

 首は、生身の人間ではあり得ない角度に折れ曲がり、その命の灯火が瞬時に吹き消されたことを物語っていた。


「アラン……アラン、泣くな。脚なんて、また作ってもらえばいいさ……」

「少佐! 喋らないでください! 今、今すぐ助けますから!」


 第二小隊長、ニルット少佐は両脚を膝から下で切断され、意識が混濁していた。

 アラン大尉が絶叫しながら、彼の脚を圧し潰している巨大な装甲板を、素手で動かそうと必死に足掻いている。


 救護兵たちが持ち込んだグラインダーが、凄まじい火花を散らした。

 ミナ・フェリシア少尉は、焼け落ちた細い鉄棒によって脇腹を貫通され、甲板に文字通り「縫い付けられて」いた。

 彼女が誇りにしていた義手と義足は、落下の衝撃で跡形もなく砕け散り、体のあちこちからは痛々しい赤が滲んでいる。

 ミナは、蒼白な顔のまま、深い昏睡の底に沈んでいた。


「ミナのすぐ横だ! 大佐を助けろ! 早くしろ!」


 カイ・イサギ大佐の胸部にも、冷徹な鉄の杭が深く突き刺さっていた。

 心臓をわずかに外れた位置。

 拍動は極めて弱く、その浅い呼吸は今にも途絶えそうだった。

 エースとしての反射神経すら、味方の頭上から降る「誤算」の前では無力だったのだ。


「……マイ……嘘だろ、マイ……目を開けてくれよ……!」


 第一小隊のシュミット中佐が、第四小隊の残骸の前で膝を突いた。

 そこには、巨大な鉄柱によって胸部を完全に貫通されたマイ大尉の遺体があった。

 あの不敵でお嬢様然とした笑みは二度と戻らない。

 その背後、艦橋落下の直撃を受けたタケシ中尉は、もはや人の形を留めていなかった。


 第一小隊のジョセフは瓦礫の下敷きとなり、第三小隊のユキヤは衝撃で即死。

 ピチット少佐だけが海上で発見されたが、依然として意識はない。


「これが……これが俺たちの望んだ結末かよ……!」


 サカモトの慟哭が、炎上するグングニルの甲板に空虚に響き渡る。

 帝都デリ・ガートの街には、大東亜とエウロの勝どきが上がっている。

 だが、その勝利を最も高い場所で掲げるはずだった英雄たちは、自分たちの信じた勝利に裏切られ、血の海の中で虫の息となっていた。


 一九八三年十二月二十四日。

 深夜。

 メドム島にたどり着いた参謀本部直轄第335対シュテルツァー特務中隊――『ザハーク』。

 中隊を待っていたのは絶望であった。


 ハインツ・ゼ・ゲーヴェア中将は、その血のように赤い電文を無言で受け取ると、揚陸艦から降りようとしていた中隊の面々を振り返った。


「……中隊員、全員集まれ。これから絶望を語ろう」

 ハインツの声は、驚くほど静かだった。

 中隊に割り振られたドックの隅、使い古された木箱が並ぶ薄暗い一角に、八名の精鋭が集まった。

 ハインツはゆっくりと木箱に腰を下ろし、傍らに愛用のステッキを立てかけた。

 そして、コクピットから持ち出した娘クリスの写真を、剥き出しの電球の下でじっと見つめ、語り始めた。


「……ロピラ運河が壊滅した。ターナー島も壊滅。そして、我々の首都デリ・ガートは、エウロと大東亜の攻勢で陥落したのだ。……参謀本部の連中が、最後になんと言ったか知りたいか? 『武装解除し投降せよ』だ。12月7日の事だ」


 ハインツは自嘲気味に、短く笑った。その笑いは、マンガニスの穴の中で死を待つ老人のような、乾いた響きを帯びていた。


「もはや帝国は存在しない。考えてみれば、当然の帰結だ。無能な参謀本部。特権階級の貴族と平民の隔たり。貴公らは、その死にゆく主人を救うために、このサルガナス大海を逆走したいか? 数ヶ月かけて、冷たくなったデリ・ガートの死体に接吻しに戻りたいか?」


 ヴォルフが小さく息を呑む音が聞こえた。

 ハインツは彼を、そして全員を、射抜くような眼光で見据えた。


「……済まないな。気の利いた慰めなど出てこないのだ。私には居場所など、最初からこの灰色の空にはなかった。私がこの国に魂を売ったのは、娘クリスの命を繋ぐためだった。だが、その取引相手(帝国)が消滅した今、私に残されたのは「命を繋ぎ、家族に会う事」だけだ。……帝国は死んだ。そして、我々もまた、エリート部隊と言う肩書きも階級も、立場も、消え去ったのだ」


 ハインツは立ち上がり、ステッキで足元のコンクリートを力強く叩いた。


「……私は決めた。私は、大東亜に下る」


 その言葉に、ブリッジに衝撃が走った。ガリアスが目を見開き、エルザが息を止める。


「……驚くことはない。これが最も効率的な『清算』だ。帝国の首都を占領しているのは大東亜と、エウロだ。エウロになぞ行けるわけが無い。我らの護衛艦隊ですら、もはや亡国の艦隊なのだ。大東亜が、家族に会える可能性が一番高い」


 ハインツは自分の肩に付いた帝国の階級章を、躊躇なく引き剥がし、ドック海面に投げ捨てた。


「……お前たちは、好きにしろ。帝国と共に灰になりたければ、ここの基地に残るか、アエテルナの『大東亜侵攻部隊』と合流するが良い。私に従う義務は、もうどこにもない。……私は、娘一人の命を救うために、惨めな裏切り者になる道を選ぶ。……ただ、それだけだ」


 ハインツは背を向け、独り、ルシフェルの待つドックへと歩き出した。  

 その後ろ姿は、もはや帝国の将軍ではなく、ただ一人の父親としての、あまりにも孤独で、しかし、あまりにも巨大な背中だった。


「……中隊長ッ!!」


 沈黙を破ったのは、副長のソルガだった。彼は、ハインツの背中に向かって叫んだ。


「……俺の居場所も、本国にはなかった! 息子は理不尽に殺された。大東亜に下るというなら、俺もその汚名を共に背負う! 貴方が『神』でないというなら、俺はその『男』に最後まで付き合うだけだ!」


「お前達まで、私に従う必要はない。行き先は収容所かもしれんのだぞ」

 ハインツは部下達を見ないまま言った。

「明日、答えを聞こう。明日、9:00にここでまた会おう」

「宿舎の場所は、そこにいる『元帝国海軍曹長殿』に聞くがいい」

 ハインツが宿舎とは別の方向に歩いていくのが見えた。

 そこに魔王の威厳を感じる事は出来なかった。

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