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第52話 三つの戦場

 一九八三年十二月五日。  

 メニスカス海の要衝、ターナー島。

 帝国の喉元。

 そこは、かつてないほどに濃密な粉塵のヴェールに包まれていた。

 視界は数キロ先さえおぼつかず、太陽は鈍く光る銀貨のように空に貼り付いている。

 海面は重く濁り、波頭さえも灰色の粒子にまみれていた。


 ターナー島守備司令部。

 海を望む断崖を穿って造られた地下要塞の最深部で、守備司令官ヴォルダク・カ・ムルン元帥は、低く唸るような溜息をついた。

 彼は帝国の貴族。

 彼の家名は峻厳なる山脈を抱く属領の言語で「不屈の岩」を意味したが、今、その岩には無数の亀裂が走っていた。


「……五個艦隊だと? 報告を読み違えたのではないか」


 ヴォルダクの声は、地底の冷気よりも冷たく響いた。

 傍らに立つ参謀たちは、誰一人として目を合わせようとしない。  

 目の前の海図には、島を完全包囲するように配置された無数の「敵」を示す赤い駒が並んでいる。

 エウロ連合と大東亜連邦の混成師団四個、そしてエウロ五個艦隊。

 それはエウロが国家の存亡を賭けて、自国の本土守備さえ放棄して放った、文字通りの全戦力であった。

 そしてその尖兵として展開していた艦隊の一つ。

 第41大東亜エウロ臨時混成艦隊にはあの「リヴァイアサン中隊」が上陸の時を待っていた。


「閣下、沿岸砲台より急報! 視界四〇〇、粉塵の隙間に敵駆逐艦の艦影を多数視認! ……有線誘導魚雷による第一波が来ます!」

「防雷網は! 陸上のシュテルツァー隊、全機発進! 何としても海へ叩き落とせ!」


 ヴォルダクは咆哮したが、その心裏にあるのは、どす黒い絶望だけだった。

 現在、この島に展開しているのは三個艦隊と三個師団。

 数こそ揃っているが、その実態は「軍隊」の体裁をなした案山子に過ぎない。

 最精鋭のザハーク中隊や最精鋭たる帝国の誇る戦闘部隊は全て、大東亜侵攻という幻想のために太平洋の彼方へ送られ、ここに残されたのは、旧式の機体を宛がわれた二線級の予備役や、実戦経験のない少年兵ばかりであった。

 そして、本来なら「この島に危機が訪れた時に展開するはずの精鋭の総予備」は、既に先日、ヌグメーダの半島で消滅していた。


「参謀本部の、バカどもめ……!」  

 ヴォルダクは拳で岩壁を叩きつけた。

「『最強部隊はヤバチカにあり』だと? 『大東亜は帝国の威光に震えている』だと? 奴らが自作自演のプロパガンダという安酒に酔い痴れている間に、帝国の喉元にはエウロの冷たいナイフが突き立てられたのだ!」


 窓の外、島を囲む海が、粉塵の霧を突き破ってオレンジ色の火柱を上げた。  

 視界不良の中、敵艦隊は友軍の防衛艦隊と艦隊戦を始めた。

 目視ギリギリの距離まで肉薄し、一発一殺の有線魚雷を放ってくる。

 そして敵潜水艦隊から、これでもかと放たれる射程わずか七〇〇メートルの死の接吻。

 この時代の海戦は文字通り、互いの返り血を浴びる距離での凄惨な殺し合いへと回帰していた。


「閣下、帝都守備軍の三個師団をこちらへ転出させるよう要請を! まだ間に合います!」  

 若い参謀が、血走った目で叫ぶ。

 だが、ヴォルダクは力なく首を振った。

「無駄だ。本土の守りを剥がせば、連中はターナーを捨てて直接帝都へ雪崩れ込む。……帝国は終わるぞ。全主力を大東亜という蜃気楼に向けたツケが、この地獄だ。なんと、なんと愚かなのだ!」


 その時、ソナー室から悲鳴のような報告が響いた。

「――感知! 磁気探知、極めて微弱! シュテルツァー発艦反応!このノイズ、間違いない……阿修羅!阿修羅がでた!」


 霧の向こう。  

 帝国の誇る沿岸散布砲『ヴァジュラの火槌』。

 彼らは未だに射程に入らぬ敵艦隊に対して照準を合わせ続けていた。


「――聞こえる?カイ。エウロの軍団本部から最優先。アスラへの単機発艦命令よ」

 旗艦『グングニル』の艦橋。ミナ・フェリシア少尉の声が、漆黒のコクピットに届く。

「アスラ了解、いつも通りだ。目標は?」

「要塞司令部直下、第一から第十二沿岸砲台。沿岸銃座は380を超えるわ。沿岸砲台を撃滅し、揚陸地点を確保せよ。銃座は残しても構わない。揚陸艦隊は接岸まで三百秒。間に合わなそうなら、停止命令をかけるから無理はしないで」


「三百秒か。……よし、出してくれ」

 カイ・イサギ大佐の冷徹な声が返る。

「リヴァイアサンコントロールからアスラ。隊長機。単機発艦許可」

「――システム、最終安定。マンガニス臨界電圧、正常値」


 ミナ・フェリシア少尉の声が、カイのコクピットに冷たく、そして鋭く響く。

 アスラのモノアイが、暗闇の中で濁った赤色に点灯した。

 それは、最強の破壊神が目覚めた合図だった。

「機体固定解除。カタパルト、接続」


 ガシュンッ! という重厚な金属音が艦内に反響し、二十トンの鉄塊が射出シャトルにロックされる。

 機体の背後では、巨大な蒸気ピストンが咆哮を上げ、今にも弾け飛ばんばかりの圧力を蓄えていた。


「カイ大佐、現在は晴天。風速6m追い風。海面高度、最大で十メートル変動しています。……着水には注意して」

「……大丈夫だ。ミナ。そのくらいなら誤差だ」

 第41大東亜エウロ臨時混成艦隊司令のラッタナ・シリチャイ中将と、副司令官のジャン・リュック・ベルナール少将はミナの横で目を合わせてクスクスと笑っていた。

 普通のパイロットなら「自殺行為だ!」と叫びたくなるような状況。  

 しかし、二人はカイの常識外れな機動を何度も見てきている。

 失敗するなど、もはや微塵も思っていなかった。

 カイが操縦桿のトリガーを引き絞ると、アスラの脚部に装備された三連駆動ローラーが、火花を散らして回転を始めた。


 キィィィィィィン――ッ!!


 高周波の回転音が、格納庫の空気を物理的に震わせる。

 毎分三万回転。

 超音速域に達したローラーの摩擦熱で、アスラの足元から立ち上る蒸気が真っ赤に染まった。


「リヴァイアサンコントロール。射出カウント開始。五、四、三……」


 カイは深く息を吐き、思考を加速させる。

 晴天なるも荒れ狂う波。

 視界を遮るすべてが、彼の脳内で精密な三次元座標へと置換されていく。


「二、一……アスラ発艦!!」


 ドォォォォォォォォンッ!!


 蒸気カタパルトが爆発的に解放された。

 二十トンの質量が、わずか三秒で時速二百キロまで加速し虚空へと放り出される。


 眼下には、牙を剥くメニスカスの大波。

「墜ちる」――誰もがそう確信するのが普通だが、最早失敗すると思う者など居ない。

 大東亜エウロ同盟最強のエース『破壊神 アスラ』なのだから。

 アスラのベクターノズルから数千度のプラズマ炎が海面へ叩きつけられた。


 ボォォォォォンッ!!

 凄まじい水蒸気爆発。

 うねる海面と機体の間に生じた爆発的な反発力を、カイはミリ単位の姿勢制御で「受け止めた」。

 着水の瞬間にローラーが海面の表面張力を力ずくで掴み、アスラは沈むどころか、波の頂を弾丸のように駆け抜けた。


「……海面走行に移行。これより、ターナー要塞へ肉薄する」


 背後に巨大な白銀の水柱を二条描きながら、漆黒の死神は霧の迷路へと消えていった。


「大佐、正面! 帝国軍防衛艦隊、駆逐艦5、輸送艦4展開中! 砲門の作動を確認!」

「蹴散らす。……ミナ、他の艦隊位置!」

「リヴァイアサンコントロール了解。当海域には別艦隊の反応無し」

「アスラ了解」

 アスラが跳ねた。  

 波の斜面を跳躍台にし、重力さえも加速の糧にする。  

 駆逐艦の主砲がアスラの残像を捉えた瞬間、カイは空中で機体を九十度ひねり、パイルバンカーを初撃の勢いそのままに駆逐艦の艦橋へと叩きつけた。  

 ガシュゥゥゥンッ!!  

 防弾ガラスを、装甲を、そして人の意志を、鉄の杭が等しく貫く。

 旗艦の駆逐艦の艦橋、それ自体が砕け散り、虚しく垂直に聳える無惨な鉄骨のみが残っていた。

 そしてその艦の爆発の炎が上がるよりも早く、アスラは144mm試作汎用自動ライフルAW-144R が規則正しく、駆逐艦隊全艦の艦橋を順番に消し飛ばしていく。

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!  

 もはや、指揮系統が少しでも残っている艦は無かった。


「リヴァイアサンコントロール!アスラ。最優先!敵沿岸砲台『火槌』、発砲準備、作動を確認! 照準、エウロ揚陸艦隊……射程ギリギリ。撃たせないで!」

「了解だ!」


 海面から跳躍する。 

 軍事常識を嘲笑うかのように、二十トンの鉄塊が沿岸要塞上空を滑空する。

 要塞の守備兵が見上げたのは、日の光さえ遮る巨大な「黒い影」だった。


「な、なんだ、あの化け物は――」  

 兵士の絶叫は、144mm試作汎用自動ライフルAW-144Rの咆哮にかき消された。

 ドン! ドン! ドン! ドン!  

 至近距離を数発。

 カイは砲塔を直接狙わなかった。狙ったのは、砲塔を支える巨大な油圧シリンダーと、要塞内部からだとよく見える露出した弾薬装填のリフト口だ。  

 強力な要塞砲で使用される砲弾による連鎖爆発。    

 ドゴォォォォォォォォンッ!!  

 一つ、また一つと、沿岸要塞の牙が内側からひしゃげていく。  

 炎上する要塞砲の火影を背に、アスラは海岸の建造物を根こそぎ撃ち壊していく。

 ドン! ドン! ドン! ドン!  

「アスラからリヴァイアサンコントロール。沿岸砲台残り4。グングニルに届く砲台は無いはずだ。中隊、順次カタパルト発艦せよ」

「リヴァイアサンコントロール了解。第507特務中隊リヴァイアサン。カタパルト発艦を開始。第一目標、残存沿岸砲台。第二目標。要塞司令部、弾薬庫」

「副長了解。行けるぞ。出してくれ」

「リヴァイアサンコントロール了解、第507特務中隊、全機、射出開始!」


 ミナ・フェリシア少尉の号令が、グングニルの重厚な隔壁を越えて全隊員へと伝播する。

 格納庫の奥底で息を潜めていた「魔狼」たちが、一斉に咆哮を上げた。

 マンガニス反応炉の唸りが重なり合い、巨大な揚陸戦艦グングニルそのものを震わせる。


「……ようやく出番か。待たせすぎだ。大佐」

 シュミット中佐が操縦桿を握りしめた。

 彼の駆るフェンリルのモニターには、今も炎上を続けるターナー島の海岸線が映し出されている。

 積年の屈辱、奪われた同胞の記憶。

 それら全てを爆発的なエネルギーに変えるかのように、機体背後のブースターが青白いプラズマを噴き出した。


「射出甲板、全回路開放! カタパルト、蒸気圧限界まで充填!」


 ナティカ准尉の鋭い声と共に、グングニルの前甲板に並ぶ三条のカタパルトが、凄まじい高周波の排気音を奏でる。

 シュゥゥゥゥゥゥ――ッ!!

 白濁とした蒸気が雨を切り裂き、視界を覆い尽くす。


「副長サカモト機、シュミット機、出るぞ!」


 ドォォォォォォォンッ!!


 高圧蒸気が爆発的に解放された。

 二十トンを超える鋼鉄の巨躯が、暗黒の虚空へと弾き飛ばされる。

 続いてアラン、ジョセフ機、そして第四小隊のマイとタケシが、一分と置かずに次々と炎上する要塞の中へと撃ち出されていく。


「さぁ! 遅れをとった分は、帝国のみなさまのお命で返させてもらいますわ!」

 マイのフェンリルが、沿岸要塞砲直上を滑空しながら30mmシュトローム・カノンを眼下と向け、狂喜の咆哮を上げる。

 ドドドン!ドドドン!ドドドン!ドドドン!

 要塞内部からだとよく見える、要塞砲弾供給ベルトを撃ち抜いていく。

「マイ、はしゃぎすぎるな。……チャルン、ユキヤ、第三小隊は各小隊の援護だ!」

 サカモト副長の冷静な指示が出た時には、沿岸砲台全基の破壊は完了していた。

「アスラからリヴァイアサンコントロール。沿岸砲台全基破壊完了だ。敵シュテルツァーは新兵しかいない。軍団司令部に伝えてくれ」

 ミナからクスクス笑い声が聞こえる通信が入った。

「リヴァイアサンコントロールから全機。撤退命令よ。『他の部隊にも戦果』をあげないと恨まれちゃうでしょ?十分な戦果です。お疲れ様でした」

「なんだって?もう終わりか?」

「カーイー!あのね!戦争を楽しみにでもするつもり?ダメよそんなの。離婚するわよ」

「え!結婚もまだなのにか!」

「そこまでだ。隊長。恥ずかしいから夫婦漫才はよそでやってくれ」とシュミット。

「中隊長。この通信、ウチの艦隊全部に聞こえてますからね」

 ユキヤの笑いをこらえている声。

「結婚?!離婚!?ちょっと隊長!?聞いてませんことよ!」

 さらに中隊員から笑い声とヤジが飛ぶ中、カイのひきつった声の無線が響きます。

「中隊諸君。ご苦労だった。全機帰投せよ。残敵掃討は味方の仕事だ」

 しかし、もはや威厳を感じさせる事などできる訳は無かった。


「参謀本部のバカどもよ!貴公らの無能が原因で帝国は滅びるのだ!」

 ヴォルダクは、もはや希望など一握も無い絶望の中で呟いた。  

 彼は、元帥執務室に籠ると執務机の引き出しの中から、帝国貴族の最高峰の者だけが持つ高貴なる拳銃『帝国元帥儀礼用拳銃P-08 エクス・マキナ1965年式』を取り出した。

 葉巻に火をつける。

 ブランデーを一口飲んだ。

 そして自らのこめかみに銃口を当てる。

 ダアァァァァァ――――ン


 一九八三年十二月五日。

 帝国の栄華を象徴したターナー島要塞は一日で陥落した。


 一九八三年十二月五日。

 ターナー島陥落と同日

 メニスカス海とバルラート海を繋ぐ帝国首都デリ・ガートの喉元、ロピラ運河の南口は、視界を遮る濃密な粉塵と、マンガニス粒子のノイズによって、灰色の地獄と化していた。


 その灰色の帳を突き破り、大東亜連邦の影が動く。


「――全艦、これより突入する。観測員、瞬きを禁ずる。敵の艦橋が見えるまで撃つな」


 大東亜海軍第八機動艦隊旗艦、揚陸戦艦『厳島』。

 そのブリッジで、ゲンジロウ・タナカ海軍中将は、鈍く光る真鍮の望遠鏡を握りしめていた。  彼が率いるのは、大東亜が『今出せるギリギリの艦隊全て』の混成艦隊である。


「タナカ閣下、左舷四〇〇に敵駆逐艦の影! 帝国旗を確認しました!」  

 報告したのは、若き士官、イドリス・ハキム大尉である。

 「よろしい。面舵一杯、接舷せよ! 砲術長、150mm砲を水平に固定。杭(Anti-Ship Pile Bunker (アンチシップ・パイルバンカー、通称ASPB)の信管を解除しろ!」


 粉塵を切り裂き、『厳島』が加速する。

 数キロ先から放たれる敵艦の150mm主砲が周囲の海面を叩くが、それは命中を期待せぬ面制圧の牽制に過ぎない。

 この距離では、当たること自体が不運でしかなかった。


「……五〇〇、三〇〇……今だ! 撃て!」


 距離数百メートル。互いの艦橋に立つ人間の顔が、粉塵越しにうっすらと見えるほどの至近距離。  

 厳島の艦首から、対艦の杭(ASPB)が、凄まじい咆哮と共に撃ち出された。

 超硬度合金の巨大な杭が、逃げ場のない帝国駆逐艦の装甲をバターのように貫き、その深奥にある心臓部――弾薬庫を直接粉砕する。


 同時に、150mm砲が零距離で火を噴いた。

 装甲を抉るのではない。

 文字通り「殴り倒す」ような衝撃が、帝国艦を海面へと圧し折った。


 一方、海面下では、大東亜の「隠れた牙」が蠢いていた。


「……ワイヤーに余計な負荷をかけるな。潮の流れを読め」  

 対艦シュテルツァー中隊を率いる、ザウ・ミン少佐は、コクピットの中で歯を食いしばっていた。  

 彼の駆るType-81「翠龍」の目前には、巨大なロピラ運河の防護門と、それを見守る帝国守備隊の姿があった。


「距離六〇〇。これ以上はワイヤーが切れる。……放て!」


 放たれた有線魚雷が、海中の粉塵を蹴散らして進む。

 長距離になれば海中摩擦でいとも容易く断ち切られるワイヤーも、この屠殺場のような近距離ならば、必殺の導綱となる。

 逃げ場のない運河の入り口で、三本の魚雷が帝国駆逐艦の腹部を突き破った。

「入り口はこじ開けたぞ! 本隊を入れろ!」

 

 ロピラ運河守備司令部。  

 司令官ガンドラ・カ・ザラム大将は、モニターに映る無機質なノイズと、その合間に浮かび上がる「炎上する自軍艦」のシルエットを凝視し、手にした杯を握り潰した。  

 彼は帝国の辺境伯。

 乾燥した高原地帯の出身であり、その粘り強い防御戦術には定評があった。

 だが今、彼の貴族としての矜持もプライドも、眼前の光景と共に音を立てて瓦解していた。


「馬鹿な……。大東亜の連中、これほどまでの艦隊で侵攻してくるとは。……援軍だ! 援軍はまだ来ないのか!」


「司令官、敵旗艦。防護門を突破! 艦首のASPBが門を破壊しました!」  

 副官のエルン・バド少佐が悲鳴を上げる。


 窓の外、粉塵が赤く染まる。  

『厳島』の20mm機関砲が掃射され、司令部の防弾ガラスを火花と共に叩き割った。

 もはやそこは、優雅な司令室ではない。

 血と鉄の匂いが充満する、ただの殺戮現場であった。


「……帝国は、終わるのか」  

 ガンドラ中将は、自らの胸元に迫る大東亜の兵士たちの影を見つめ、静かに目を閉じた。


 一九八三年十二月五日。  

 大東亜連邦三個艦隊、そして潜水艦隊は、ロピラ運河を「力」で抉じ開けた。  

 運河要塞司令部で、ガンドラ中将は、血と油に汚れた電文用紙にペンを走らせた。

 機関砲弾の直撃で吹き飛ばされた片腹。

 もはや長くは無い事を悟っていた。


「参謀本部無策無能のため、我、討死せり」

 電文が送信された三秒後、再び掃射された20mm機関砲が彼の身体を四散させていた。


 粉塵の中、東洋の龍は悠然と防衛施設が破壊された運河を北上する。  

 帝国の至宝、ザハーク中隊がこの壊滅を知るのは、まだ先の事になるのである。


 一九八三年十二月六日。  

 午前九時。

 メニスカス海の真珠、ミスウユデ島。

 そこは、帝国が「世界の勝者」であることを誇示するためだけに存在する、巨大な舞台装置であった。


 この島を守るのは、第11近衛中隊。

 通称『ホワイトナイツ』。

 彼らは全軍から選抜された「容姿端麗」な若者たちであり、身長差は5センチ以内、体格から髪の色に至るまでが「美学」の名の下に管理されている。

 配備されたシュテルツァーは、戦場の土に汚れることを想定していない。

 鏡面仕上げの純白の装甲に、精緻な金の縁取りが施された、動く芸術品であった。


「……信じられませんわね。これが本当に、我々が落とさなきゃいけない『要塞』ですの?」

 グングニルの甲板で待機する第四小隊のニュエン・フォン・マイ中尉が、光学モニターを覗き込みながら、心底呆れたように声を上げた。


 リヴァイアサン中隊は、今や「死神」の代名詞だ。

 ターナー、ロピラを瞬く間に蹂躙した彼らに対し、軍団司令部は「リヴァイアサンは温存、海上待機」を命じていた。

 彼らの「暴力」をこの繊細な島に叩き込めば、接収後のリゾート資源が文字通り消滅してしまうからだ。


「……あいつら、機体の整備より、洗車とワックスがけに時間をかけているようだな」

 サカモト中佐が、冷ややかに呟く。

 モニターの中では、黒塗りの高級乗用車が並ぶ港湾で、純白のシュテルツァーたちが、まるでパレードの整列のように美しく、しかし無意味な陣形を組んでいた。


 やがて、大東亜の揚陸艇が海岸に接岸し、歩兵部隊と一般のシュテルツァー隊が上陸を開始した。


 その瞬間だった。


「――全機、ひざまずけッ!」


 第大東亜第78近衛シュテルツァー中隊の隊長機が、スピーカーから怒号のような号令を発した。

 戦うための構えではない。

 数千万マルクを投じて作られた純白の機体たちが、上陸した大東亜の無骨な量産機を前に、敵の怒号一つで降伏し、一斉に、そして優雅にその膝を砂浜につけたのだ。

 別の区画では、エウロ部隊による「同じような儀式」が行われていた。


 戦闘開始、ならぬ「占領開始」まで、わずか数十秒。

 一度の砲声も、一度の金属音も響かなかった。


「ミスウユデ島、防衛司令部より全艦隊へ入電。……『我々は、貴公らの勝利に相応しいもてなしを準備している。これ以上の無粋な破壊は、貴公らの名誉を傷つけるだろう』。……ですって」

 ミナの報告は、冗談を聞いたかのような笑いを含んでいた。

 司令部から届けられたのは、軍人としての降伏文書などではない。

 それは、敵への「勝利の祝宴への招待状」とでも呼ぶべき、あまりに厚顔無恥な降伏メッセージであった。


 島に滞在する貴族令嬢や婦人たちは、戦火の恐怖に怯えるどころか、バルコニーから新しい「勝者」たちへ向けて白いハンカチを振っている。  彼女たちは、自分たちの世界が崩壊したという現実を、何一つ理解していないのだろう。

 支配者が誰に変わろうとも、自分たちの優雅な生活だけは「もてなし」一つで買い叩けると思い込んでいる。

 帝国特権階級の腐敗は、もはや救いようのない極致に達していた。


「……馬鹿馬鹿しい。これが、我々が命を懸けて切り開いてきた帝国の『喉元』の実態か」  

 シュミット少佐が、反吐が出るのを堪えるように吐き捨てた。

 一九八三年十二月六日。

 ミスウユデ島、無血開城。

 帝都デリ・ガートまで450km。

 あまりに呆気なく、そして醜悪な幕切れによって帝都への最後の一歩が踏み出された。

 

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