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第49話 欧州の夜明け

 一九八三年、九月。

 ヌグメーダ北方戦線。  

 空を覆うマンガニス粉塵は、陽光を鈍く屈折させ、戦場に不気味な黄昏時のような光景を刻んでいた。

 湿気を吸った土壌は粘り気を増し、精密な二脚駆動系を持つ大東亜機にとって、それはまさに悪夢の舞台であった。  

 重厚な砲声が地平の彼方から響き、地面を揺るがす。


「……何だと!? 第九、第十一師団が南方へ転進!? 馬鹿な! こんな状況で精鋭を引き抜くというのか!」  

 ベアトリクス・フォン・シュタイン少佐の怒号が、コクピット内にこだました。

 彼女の駆る『V-12 ズル・ドゥガ』カスタム機の排気口からは、負荷に耐えかねた蒸気が「シュウウウウウウ」と音を立てて噴き出す。  

 ヌグメーダ帝国軍司令部から届いた無機質な命令は、北方でかろうじて維持されていた防衛線を、まさに内側から引き剥がすようなものだった。

 リヴァイアサン中隊による南方防衛線の壊滅的な崩壊。

 その「穴」を埋めるため、参謀本部は北方を支えていた主力を、文字通り根こそぎ引き抜いたのだ。  

 シュタインの周囲に残されたのは、練度も機動力も劣る二線級の歩兵機甲大隊と、泥濘に沈みかけた数機の旧式戦車と装甲車のみであった。


「少佐、まずいよ……。僕たちの側面を支えていたシュテルツァー隊が、もういない! 防衛線が、薄すぎる!」  

 カレル・アルトマン大尉の声に、これまでにない焦燥が混じる。

 彼の超軽量跳躍特化型『V-05 ラズ・ヴェイ・ツバメ』は、空中でかすかに機体を揺らし、地上の混乱を俯瞰していた。

 だが、彼らが守るべき戦線には、今や致命的な「空白」が生まれていた。

 それは、いつ誰に突かれてもおかしくない、脆いガラス細工のような防衛線だった。


 一方、対峙するエウロ・大東亜混成軍は、この機を逃さなかった。  

 ヤン・カジミェシュ少佐は、自機の『E-X01 ケーニヒスフェンリル』の操縦桿を強く握りしめる。

 機体の駆動系からは「ギチチチ……ギチチチ……」と嫌な摩擦音が響くが、彼は構わず前方を睨みつけた。

「全機、泥を噛んで進め! 敵の一部が撤退している。 今この場にいるのは、取り残された奴らの残り滓だ! 一歩たりとも後退は許さん! 前へ! 前へ出ろ!」  

 彼の指示と共に、泥にまみれたティーガーやレーヴェ、そして『Type-81 雷電』の群れが、駆動系の悲鳴を無視して一斉に前進を開始した。


 激突は、あまりにも泥臭く、そして不条理な形で訪れた。


 シュタインの『ズル・ドゥガ』カスタムは、ブースターを全開にして泥濘を切り裂き、目前の『E-101 レーヴェ』をヒート・ハルバードで叩き斬ろうと刃を肩部装甲に当てる。 

――ガギィィィィィィィィン!!  

 熱せられた刃が装甲を焼き切り、火花が散る。 

 しかし、その背後――。  

 一機の『Type-74改 叢雲』が、泥濘に足を取られ、偶然にもシュタインの死角となる土手の陰に転倒していた。

 そのパイロットは、まだ着任して間もない准尉だった。

 彼は機体を立て直そうと必死にレバーを操作し、泥と汗で滑る手でパニック状態のまま、パイルバンカーのトリガーを「カチンッ」と叩いた。


 ドゴォォォォォォォォォォン!!  

 シュタインが次の獲物へ向け旋回しようとした瞬間、泥の中から突き出された鋼鉄の杭が、ズル・ドゥガの脆弱な脚部関節の後方を、背後から無造作に貫いた。

 機体内部で油圧配管がと破裂し、高圧のオイルが噴き出す。

「なっ……馬鹿な! 背後からだと!?」  

 バランスを崩し、巨躯が泥の海に「ズズズズズ……」と沈む。

 そこへ、動けなくなったティーガーや雷電の砲口が一斉に向けられた。  

 ドドォォォォォン!!!


 ドドドドドン!!!

 騎士道も、エースの矜持も関係ない。

 倒れた巨獣に対し、一般兵たちは「とどめ」として、数え切れないほどの砲弾を叩き込んだ。

 シュタインのコクピットが、内部で断末魔の金属音を響かせ、やがて沈黙した。


 一方、上空のカレルもまた、戦場の「偶然」に捕らえられた。  

 彼は『ラズ・ヴェイ・ツバメ』の跳躍力を生かし、雲の上から混成軍を狙撃し続けていた。

 そのセミオート88mmスナイパーライフルは、正確なリズムで火を噴き、地上を蹂躙する。

 パン!パン!パン!  

 だが、地上で爆発した弾薬庫の爆風が、マンガニス粉塵と共に猛烈な乱気流を生み出した。

 「ヒュウウウウウウッ」と機体が強風に煽られ、一瞬、姿勢を崩したその刹那。  

 1.5km先から放たれた、大東亜軍『Type-80 火龍』の迫撃砲弾が、狙ったわけでもなく放物線の頂点でカレルの機体に「ゴンッ」と「当たって」しまった。  

――ドゴォォォォォォォ!!  


 不運な衝突。

 翼を折られたツバメは、もはやエース機としての輝きはなく、ただの重い金属塊として轟音を立てて落下した。  

 墜落した先には、復讐に燃えるエウロ軍の歩兵たちが、対シュテルツァーライフルを構えて待ち構えていた。

 彼らの銃口が至近距離でコクピットに向けて火を噴く。

「……そんな、さ……。僕が、こんなところで……ああ!…………ママ!ママ!」

 カレルの呟きは、ハッチを抉じ開けようとする対シュテルツァーライフル弾が奏でる降り注ぐ金属音と共に、雨音に消えた。  

 ヌグメーダで帝国が誇った二人のエースは、呆気なく鉄屑と化した。


 その頃、ヌグメーダ南方戦線では、「漆黒の蹂躙」が続いていた。


 第507特務中隊「リヴァイアサン」。  

 カイ・イサギが駆る漆黒の『アスラ』を先頭としたその一群は、帝国の南方防衛網を「切り裂く」のではなく、「蒸発」させていた。

 機体からは、排気口から立ち上る焼けた燃料の匂いが、戦場に異臭を撒き散らしている。


「南方から緊急入電! 第九重装甲歩兵大隊壊滅! 敵阿修羅中隊の進撃速度、時速七十キロを維持! 防衛線が機能しません! さらに第三十三対シュテルツァー装甲大隊撤退許可を求めてます!」  

 ムカスクマンの帝国軍総司令部。

 そこには、もはや傲慢な支配者の面影はなかった。

「……馬鹿な。南方のジャングルと泥濘を、どうやってその速度で抜けてくるというのだ! 回避運動のパターンは!? 奴らは二脚だぞ!」  

 今のヌグメーダは泥濘に支配されていて、二脚機では「まともに戦えない」――――はずだった。

 司令官の震える指が、地図を指した。

 画面には、黒い線が予測不能な軌跡を描きながら、首都へと直進している。  

 しかし、その通信すら、リヴァイアサン中隊の猛攻の前には無意味だった。


 ――ドォォォォォォォォォォン!!  

 カイの『アスラ』が、霧の中から現れた帝国軍の伏撃機を捉え、右腕のパイルバンカーを叩き込む。

 ドゴォォォォォォォォォォォオン!!

 カキィーン

 カイのパイルバンカーの薬莢は、後方を走行していたサカモト機に当たって飛び去る。

 敵機の胸部装甲が音を立てて抉られ、内部のジェネレーターを誘爆させる。

 ドパァァァァァァァァン!!  

 爆炎が雨を赤く染めるが、カイは足を止めることすらしない。

 爆炎を突き抜け、さらに加速する。

 その背後、黒い銀鏡の光沢を放つ副長サカモトの『グレイプニル』が、亡霊のような軌跡を描いて敵の側面に回り込んだ。  

――シュパァァァッ!  

 二振りの『クリーグ・メッサー』が交差し、逃げ遅れた敵シュテルツァーの四肢を瞬時に切り飛ばす。

「カイ、先行しすぎるなよ! 第四小隊が離されている!」

「言われずとも分かっている! 足を止めれば、泥に飲まれるぞ!」  

 カイの声が、無線越しに怒号のように響いた。

 間も無く夜を迎える。

 帝国軍には、もはや崩壊した戦線を立て直す戦力など無かった。


 翌日

 ヌグメーダ首都ムカスクマンを目前に控えた、190キロ地点。  

 昨日までは強固を誇った帝国の防衛線は、今や散発的な小隊単位の抵抗にまで零落していた。 

 灰色の空の下、あちこちでシュテルツァーの残骸が黒煙を上げ、帝国の指揮系統が修復不能なまでに崩壊していることは誰の目にも明白だった。

 507中隊の快進撃の成果である。

 北側、大東亜、エウロ混成軍団も首都手前240km地点に布陣している。


 だが、勝利を確信すべきはずの「第507特務中隊 リヴァイアサン」の司令部テント内では、歓喜とは程遠い怒号が飛び交っていた。


「馬鹿な! 首都を目前にして撤退だと!? 冗談はやめてくれ!」


 シュミットの叫びが、雨音を切り裂いた。

 その顔は怒りと絶望で赤黒く上気している。 「我々以外の部隊で、首都の防衛が抜けると思っているのか! 帝国はまだ一個師団のシュテルツァーを隠し持っているんだぞ。我々が引けば、ヌグメーダは再び、いとも簡単に帝国の支配下に戻る。今までの犠牲は何だったんだ!」


 中隊付きとして帯同している第41大東亜エウロ臨時混成艦隊のジャン・リュック・ベルナール少将は、苦虫を噛み潰したような表情で通信記録を叩きつけた。


「……帝国とAAUが停戦交渉を開始した。数日中には成るだろう。それに伴い、奴らは全兵力の七割を割いていたAAU戦線から部隊を引き抜き、大東亜へ向ける準備を始めている。アエテルナの基地整備と港湾の拡張速度は異常だ。……ブラフではない、本気だ。奴らは大東亜を、君たちの故郷を『くびり殺し』に来る」


 シュミットの拳が震えていた。  

 故郷エウロの完全なる解放。

 その最後の欠片(ピース)であるヌグメーダの奪還まで、あと190kmであった。

 ここで自分たちが大東亜へ引き返せば、どんな奇跡が起きようとも、ヌグメーダの同胞が帝国の圧政から救われる日は二度と来ない。  

 しかし、帝国がほぼ全軍を大東亜に向けている以上、早急に行くしかないことは、軍人として理解している。

 だが、彼の心は、その「正論」を受け入れる事が出来なかった。


 司令部内に、明日午前十時の撤退決定が重く宣告された。  

 誰もが、泥水を飲み干したような暗い顔で俯いた。

 ヌグメーダの冷たい風が、天幕を不吉に揺らす。


「――じゃあさ」


 その通夜のような静寂を、場違いなほど軽い声が突き抜けた。  

 カイだった。彼は無造作に地図の一点を指差すと、事も無げに言った。


「今日中に首都を落とせばいいんだろ? 190キロなら、サッといって落としちゃおうぜ」


 シュミットの目が、零れ落ちんばかりに見開かれた。  

 ベルナール少将は一瞬呆然としたが、次の瞬間、腹の底から突き上げるような大笑いを上げた。

 一日で190キロを侵攻し、一個師団が待ち構える首都を陥落させる。

 戦史の常識に照らせば、狂気の沙汰だ。


「……ハッハッハ! そうか、そうだったな! 君たちは『リヴァイアサン』だった!」


 ベルナールは、カイの肩を力強く叩き、最高の笑顔を向けた。

「やってこい、カイ。……ミナ、全軍に打電しろ。文面はこうだ。『リヴァイアサン中隊は、敵の猛烈な圧力に対し、やむを得ず敵首都方向へ向けて全力で後退せり』とな!」


 オペレーターのミナが、弾けるような笑みを浮かべてカイにウィンクを送る。

「了解です、少将! 『首都方向へ全力で後退中』、送ります!」


 シュミットは、その光景をただ呆然と見つめていた。  

 目には熱いものが込み上げ、視界が滲んでいる。  

 無理だとは分かっている。

 一日で190キロ侵攻し、首都を陥落させるなど、戦史の常識ではあり得ない狂気の沙汰だ。   それでも、この無茶苦茶な仲間たちが、自分の故郷のために、そして自身の矜持のために「最後の一日」を賭けてくれた。  

 上官が。

 友が。

 政治の冷徹な決定に抗い、ギリギリまでエウロ解放に手を尽くしてくれている――。

 その事実こそが、何よりも彼の心に消えない火を灯した。

 

 今日、史上最も無茶な一日の行軍が、今始まった。


 9月の冷たい雨が、ヌグメーダの泥濘を黒く染めていた。  

 撤退期限まで残り二十四時間。

 第507特務中隊「リヴァイアサン」は、物理限界を嘲笑うかのような速度で荒野を爆走していた。

 それは行軍というよりは、黒い鋼鉄の獣が獲物の喉元へ向かって跳躍する、剥き出しの暴力に近い。


「――チィッ! 邪魔だ、どけッ!」


 先頭を駆けるカイの『アスラ』が、霧の中から現れた帝国軍の伏撃機を捉えた。  

 ガギィィィィィィィィン!!  

 カイのパイルバンカーが敵の胸部装甲を抉り、内部のマンガニス燃料を誘爆させる。  

 ドパァァァァァァァァン!!  

 爆炎が雨を赤く染めるが、カイは足を止めることすらしない。

 爆風を突き抜け、さらに加速する。  

 その背後、黒い銀鏡の光沢を放つ副長サカモトの『グレイプニル』が、亡霊のような軌跡を描いて敵の側面に回り込んだ。  

 シュパァァァッ!  

 二振りの『クリーグ・メッサー』が交差し、逃げ遅れた敵シュテルツァーの四肢を瞬時に切り飛ばす。

「昨日も言ったろ!カイ、先行しすぎるなよ! 後続が離される!」

「言われずとも分かっている!」


 一方、後方で後方援護を担う第四小隊のマイは、コクピットの中で美しく整えられた眉を吊り上げていた。

「……もう! カイも副長も、先行しすぎですわ! わたくしの30mmの射程から出ないでと、あれほど申し上げましたのに!」  

 彼女のモニターと、戦術レーダーには猛スピードで離れていく前衛機が表示されている。

 本来なら自分も最前線で弾丸の雨を降らせたい。

 だが、今は殿として中隊の背後を固める役割だ。

「索敵に通信……淑女たるわたくしが裏方ばかりなんて、不公平だと思いませんこと? ああ、もう……一機くらいわたくしの元へ寄ってらっしゃいな、この無骨な屑鉄ども!」  

 ドドドン!ドドドン!ドドドン!ドドドン!

  悔しさを紛らすように、マイは「『運悪く』リヴァイアサン中隊の後背を取ることに成功した」敵の軽量機二機を30mm機関砲の過剰な掃射で粉砕した。 

 薬莢がコクピットの外で激しい金属音を立てて弾ける。

「お嬢様、落ち着けって! 敵さんはもう戦意喪失してるよ!」  

 隣を走るサカモト少尉が、『アイゼン・ハンマー』を肩に担ぎ直しながら笑う。


 190キロの距離を、彼らは文字通り「電撃」の如き速さで駆け抜けた。


 ムカスクマンの最終防衛線。

 そこに展開していたのは、疲弊しきった擲弾歩兵混成装甲大隊を含む実質二個大隊。

 ぬかるんだ土手に腹をつけ、震える手でライフルを構える帝国兵たちの士気は、底を突いていた。  

「第三、第四小隊、突撃! 貴様らの意地を見せろ! 敵に息をつかせるなァ!」

 敵の小隊長が吠えている。

 彼の声に呼応したかのように、雨足が強くなる。

 第一小隊、シュミット少佐の猛攻が敵陣を震わせる。  

 ズガァァァァァ!!  

 シュミットの右手の『クリーグ・メッサー』が敵戦車を無理矢理切り裂き、左手の144mm自動ライフルがゼロ距離で装甲車を蜂の巣にする。

 随伴歩兵が車両の炎上に巻き込まれ、瞬時に『人間松明』が数本燃え上がる。

 ドン!ドン!ドン!

 バギィバキィーンパキィーン


 リヴァイアサン中隊の側面をとろうと、展開する敵装甲車が次々とひしゃげて爆砕していく。

 同時に、後方からジョセフの120mm滑腔ライフルが火を噴いた。

 400メートル先の敵戦車大隊の指揮官車が、対物狙撃弾の一撃で木端微塵に吹き飛ぶ。

 カーン

 狙撃弾が車両に吸い込まれる。


 ドゴォォォォォォォ!!!

 戦闘開始から、わずか十分。  

 ムカスクマン守備隊からオープン回線で、絶望に満ちた号令が響き渡った。


『――こちら、守備軍団長。無益な殺生はこれまでだ。全軍に告ぐ……直ちに武器を捨て、全面降伏せよ。我々は彼らに抗う術を持たぬ。繰り返す――――」


 あまりの早さに、シュミットは引き金にかける指を止めた。  

 カキィーン……カラン……  


 排熱された144mmの薬莢が、凱旋門の石畳に落ちて虚しい音を立てる。


「……終わった、のか」


 シュミットは、震える声で呟いた。  

 一日で190キロを走破し、一国の首都を陥落させる。

 それは狂気が生んだ、あまりにも完璧な勝利だった。


「ほらな、シュミット」  

 カイの『アスラ』が、排熱の蒸気を吐き出しながら横に並ぶ。

「サッといって、落とせただろ? お前の故郷だ」


 凱旋門を抜ける風が、機体の熱を奪っていく。 

 シュミットは何も言わなかった。

 言いたかったが、言葉が紡げないのだ。

 自分たちは明日、この地を去らなければならない。

 彼はついに奪還した故郷の土を、その目に焼き付けるように見つめ続けていた。


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