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第43話 防衛戦

 ヤバチカ北岸。

 AAUの敗残兵たちが、泥に足を取られながらも海岸線へと殺到していた。

 水平線の向こう、霧を割って現れたのは、彼らにとっての救済――AAU第14救援艦隊だ。


『――ザハーク管制、ベルゼブブ。閣下、敵は完全に戦意を喪失。北の集結地点より、海路への全面撤退を開始しました』


 エドガーの声が全機に飛ぶ。

 だが、ルシフェルのコクピットでハインツは、冷徹なまでに安定した照準を敗走する背中に固定したまま、静かに返した。


「……退却ではない。あれは、次なる攻勢のための『戦力再編』だ」

「え……? 閣下、敵は背中を向けていますが……」

「ベルゼブブ。参謀本部へ打て。『敵、北側に戦力を集結。大規模な総攻撃の予兆あり。中隊の安全を確保するため、これより積極的防衛カウンターに移行する』……と」


 ハインツの「屁理屈」が、中隊のエンジンを吼えさせた。


「第三小隊。予定の地点にいるな?……敵の『船』を整理しろ。水深は大丈夫だな?接岸ギリギリを狙え。敵に艦隊の運命をご覧頂こうじゃないか」

「了解」

「了解です、閣下。……ふふ、お姉さま。逃げる獲物を追い詰めるのは、海の中が一番効率的ですわね」


 海岸線に接近する救援艦隊。


「艦隊A、旧式戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦4、輸送艦8! シュテルツァー輸送艦は2!両艦船底沈下位置、吃水線第2目盛り……空き箱ね。マリス!」

「お姉さま了解。艦隊B確認。駆逐艦6、輸送艦6……艦隊Aから深淵へご招待しますわ」


 接岸しようとしていた艦隊の、駆逐艦ソナーが狂ったような警告音を上げる。

「下方より高速接近! 何だ、魚雷じゃない!? 誘導している?」


 アンジャリの『クラーケオス』が、八本のフロート脚でスクリュー付近を掴み、先頭の駆逐艦の船尾へ飛びつく。


 ガギィィィィィィィィッ!!


 電磁吸盤とアンカーが船体を捉え、クラーケオスが艦底に逆さ吊りで固定される。

「さあ、鋼鉄の悲鳴を聞かせて!」


 メキ、メキメキメキメキィィィィィッ!!


『スキュラバイト』。  

 臨界駆動したマンガニスクリンチャーが、駆逐艦の重厚な外殻を飴細工のように握り潰す。

 船体が内部から圧壊し、海水が噴き出す音が、死神の哄笑のように海域に響き渡る。  

 隣ではマリスの『クラーケン』が、対艦刺突槍で輸送艦の舵とスクリューを正確に破壊し、洋上の巨大な棺桶へと変えていった。


 海が炎上する中、陸上ではハインツの『ルシフェル』が、絶望に叫ぶAAU戦車大隊のど真ん中へ「歩いて」踏み込んでいた。


「防衛戦だと言ったはずだ。……中隊、防衛せよ」


 パンッ! パンッ! パンッ!


 120mmライフルの乾いた音が鳴るたびに、敗走する戦車の砲塔基部が爆ぜ、駆動系が火を吹く。ハインツは走らない。

 ただ、最小限の歩幅で弾雨をすり抜け、事務的に引き金を引く。


「ヒャッハー! これが防衛戦!? 逃げる奴を撃つのが一番の防衛よね!」  

 ヘルガの『ミョルニル』が泥を爆発させ、戦車の隊列をショットガンで薙ぎ払う。


「ヴォルフ、よく見ておけ! これが中隊長の『防衛戦』だ!」  

 ガリアスの叫びに、ヴォルフは目を見開いた。 

 ハインツの通った後には、急所を完璧に撃ち抜かれた120両以上の戦車の山が、等間隔に、まるで墓標のように並んでいく。


「……エドガー少尉。掃除は終わりだ。報告書にはこう書いておけ」  

 ハインツがライフルのボルトを引き、熱い薬莢が「ジュッ」と泥に沈む。

「『敵の総攻撃を完全に抑止した。これより命令通り、待機に戻る』……とな」


『ベルゼブブ了解。……実に、完璧な「防衛戦」でした、閣下』


 九月のヤバチカ。

 海では艦隊が握り潰され、陸では三個大隊が「散歩」のついでに消滅した。  

 後に残されたのは、凍てつく風の音と、魔王の背中を畏怖と憧れと共に仰ぎ見る、部下たちの呼吸だけだった。

 

 帝都、参謀本部の最深部。

 磨き抜かれた黒大理石の会議室には、ヤバチカとは違い、重い空気が流れていた。


 円卓の中央に放り出されたのは、ヤバチカからの最新の戦闘報告書だ。

 参謀総長は、その紙の束を「呪いの魔導書」でも見るかのような目で見つめていた。


「……見たまえ、諸君。これが、我々が三日前に出した『厳重待機命令』に対する、ザハーク中隊からの回答だ」


 総長の掠れた声が、静まり返った室内で不気味に響く。


「……防衛戦だそうだ。敵の執拗な攻撃に対し、中隊の安全を確保するための『やむを得ない反撃』を、三日間に渡って実施したと……エドガー少尉の丁寧な報告書にはそうある」


 総長は、震える指でページを捲った。


「あの男が上陸してから今日までの戦果、シュテルツァー二個師団壊滅。一個装甲師団(戦車400両以上)壊滅。歩兵一個師団壊滅。さらに北部の海域では、AAUの二個救援艦隊が全艦、海の藻屑となった。……諸君、私に教えてくれ。今の帝国の軍事用語では、これを『待機』と呼ぶのかね?」


 一人の参謀が、冷汗を拭いながら声を絞り出した。


「閣下……しかし、現場の兵士たちは熱狂しております。『英雄が道を切り拓いた』と。対外的なプロパガンダとしても、これほど戦意を昂揚させるニュースはありません。AAU側は、ハインツ一人の影に怯え、全戦線が硬直しています」


「それが問題なのだ!」


 参謀総長が、机を激しく叩いた。重厚な灰皿が跳ね、灰が舞う。


「奴は……ハインツは、自分が何だと思っている! 彼は一個の軍人ではない、帝国の『聖剣』だ。代わりなどどこにもいない、唯一無二の、負けられない象徴なのだ!」


 総長は立ち上がり、窓の外の帝都の街並みを見下ろした。

 その背中は、かつてないほど小さく見えた。


「考えてもみろ。もし、あの男がたった一発の不運な砲弾で、あるいは泥濘の中のつまらぬ事故で、命を落としたらどうなる。対外的には『帝国の無敵伝説』が崩壊し、AAUは飢えた狼のように雪崩れ込んでくるだろう」

「しかしながら、AAUは怖くは無い。しかし大東亜とエウロが問題だ!それに対内的には、国民の絶望は計り知れん。プロパガンダ的に、これほど最悪のリスクを孕んだギャンブルがあるか」


 総長は、再びレポートの「中隊スコア」に目を落とした。


「中隊全体の撃破数、もはやグラフが突き抜けている。……だが、見てくれ。ハインツ中将個人のスコアだけが、異常に低い。シュテルツァー28……? 冗談ではない。戦域全体の被害報告と、彼の申告数が乖離かいりしすぎているのだ! 他の部隊の報告にある、数百両の戦車や火砲の山を築いたのが、すべて『不明』で済むわけがあるか!」


「……中将はWW2の時、スコアをいつも低く少なめに申告していたそうです。おそらく『その悪い癖』が出ているのでしょう…………」


「聖剣が、自らを鞘に収めることを拒んでいるというのか……」


 参謀総長は、深く、深く椅子に沈み込んだ。


「温存したかった。安全な奥の間に、美しい飾り物として閉じ込めておきたかったのだ。折れたら終わりの『伝説』を、泥まみれの戦場に放り出しておきたくはなかった。……だが、奴は泥を被ることを選んだ。参謀本部の面子も、国益も、リスク管理も、すべてを120mmライフルの硝煙で吹き飛ばしながら」


 総長は力なく手を振った。


「……会議を続けよう。議題は、『この中将の機嫌を損ねず、どう温存するか?』と、『直接ぶつける事なく、大東亜の阿修羅をいかに戦場に出させないか』だ……ああ、頭痛がする。誰か、強い薬を持ってきてくれ」


 帝都の夜は更けていく。

 最前線でハインツが笑いながらヴォルフをいじっている間、後方のエリートたちは、その「あまりに自由すぎる刃」をどう扱うべきか、終わりのない泥濘の議論へと沈んでいった。


 一九八三年九月

 参謀本部から下された命令は、「1984年5月まで待機せよ」

 中隊は、過酷な極寒の地ヤバチカで待機を余儀なくされた。

 隊員たちは、これがアメリ大陸北の大国、カノディアへの侵攻作戦が発動されるまでの、束の間の猶予であることを察していた。

 駐屯地の一角、レンガ造りの中隊専用サロンでは、暖炉の薪がパチパチとはぜる心地よい音だけが響いていた。

 窓の外は視界を奪うほどの猛雪だが、室内には去年の帝国の冬を感じさせる、コーヒーと煙草、そして油の匂いが混じり合っている。


「……ああっ! もうっ! エドガー、これ貸してよ、その『計算機』!」


 静寂を破ったのはヘルガの声だった。

 彼女は戦闘服の肩を崩し、テーブルに広げられた分厚いカノディアの物資カタログを指差している。  

 エドガーは青白い顔で、歯車だらけの手動式計算機のハンドルを握りしめていた。


「ヘルガ大尉、困ります! 僕は今、次期侵攻作戦に向けた備蓄弾薬の計算と、ハインツ閣下が『削れ』と仰った車両撃破の矛盾を、整合性を持たせるために台帳に書き写している最中なんです!」

「いいじゃない、ちょっとくらい! カノディアの高級ブランド『メイプル・ブティック』の価格を外貨換算しなきゃいけないんだから!」

「……ハンドバッグの計算を軍用計算機でするなんて、贅沢すぎますよ……」


 ガチャン、ガチャン、と重々しい機械音が響く。

 エドガーがレバーを回すたびに、油に濡れた鉄の歯車が噛み合い、帝国の戦果と女子たちの欲望が同時に集計されていく。


「エドガーさん、根を詰めすぎては目に毒ですわ。ほら、温かいミルクティーを淹れましたの」  エルザが、繊細なレースの付いたティーカップを差し出した。

 彼女の横には、スパイが命懸けで持ち帰ったであろう「カノディア主要都市・商店街詳細マップ」が広げられている。

「侵攻が始まったら、乙女チーム(第三小隊のこと)とこのデパートを制圧したいんですの。……ねえ、アンジャリさん?」


「ええ。こんなに頑張っているんだもの。ご褒美が必要でしょう?」  

 アンジャリが、ソファでマリスの長い蒼髪をブラッシングしながら妖艶に笑う。

「マリス、貴女は何が欲しい? 凍てつくカノディアの夜を凌ぐための、最高級のコートなんてどうかしら」

「……お姉さま。私は、閣下が仰っていた、カノディアのパンケーキというものが気になります」  

 マリスが、いつもよりわずかに声音を弾ませて答えた。

「パンケーキだと……。マリス、あの大陸はそう甘くないぞ」  

 暖炉の正面。

 ソファにどっしりと腰を下ろしていたソルガ中佐が、グラスの琥珀色の液体を揺らしながら口を開いた。

「偵察部隊の報告によれば、カノディアのAAU軍は雪解けの季節を狙って、最新鋭の寒冷地仕様機の新型を実戦配備するつもりだ。お前たちが買い物の相談に現を抜かしている間に、機体がスクラップに変わるかもしれんのだぞ」


「あら、ソルガ中佐。相手は『あの』AAU軍ですわよ?」  

 マリスが鈴の鳴るような声で、コロコロと笑う。

「……ふん、まあ油断するな」  

 ソルガは、「気を抜きすぎれば死ぬぞ」と苦言を呈したかったのだが、彼女たちが戦場で見せる苛烈な手腕を思い出し、それ以上の言葉を飲み込んだ。

 (ああ、この部隊は俺の苦言が必要なヒヨッコなぞ、一人として居ないのを忘れていたな)


 ヘルガが、エドガーの肩に肘を乗せたまま不敵に笑う。

「ねえ、ヴォルフ? アンタもカノディアに行ったら、可愛い女の子に会えるかもって期待してるんだろ?」


 サロンの隅で、大きなレンズを綿密に磨き上げていたヴォルフが、飛び上がらんばかりに肩を震わせた。

「えっ!? い、いや、俺はクリスさん……そんなことより、侵攻開始までにウルの多重光学レンズの調整が……」

「ヴォルフ、顔が赤いぞ」

 父ガリアスが、ウィスキーのボトルを持って近づき、息子の頭をわしづかみにした。

「いいか、今のうちに女子(おなご)たちに愛想を振りまいておけ。カノディアが片付いたら、お前はあいつらの重い買い物袋を抱えて、カノディアのメイン通りを行進させられる運命なんだからな。両手に花どころじゃねぇや、なぁ!ガッハッハ」

「……親父、人ごとだと思って…… 」

 ヴォルフは、『荷物持ち』として、その場にいた彼女達の照準に自分が収まったことに気づくことはできなかった。

「賑やかだな」

 規則的なステッキの音と共に、ハインツが奥の部屋から姿を現した。

 外套を脱ぎ、椅子に腰を下ろす。

 全員が反射的に背筋を伸ばすが、ハインツは手でそれを制した。


「エドガー少尉、計算は進んでいるか」

「はっ、中将。……ええと、弾薬の調整は予想範囲内に収まりそうです。ただ……ヘルガ大尉達の『ショッピング』次第では輸送大隊が必要になりそうです」

 エドガーは笑いを堪えて報告する。

「……そうか。ならば、全員のシュテルツァーに予備収納を取り付けて、彼女たちの希望を積めるように対応しろ」

 ハインツの冗談とも本気とも取れる言葉に、サロン内がどっと沸いた。

「中隊長、素敵! さすがね!」  

 ヘルガが喜び、エルザが拍手を送る。

 ヴォルフだけが「そんな無茶な……ピンクのバッグとか背負って狙撃なんてムリだよ。親父ぃ」と机に突っ伏した。

「バカ!お前、冗談に決まってるだろ!」

 再びサロンは笑いの渦に包まれるのであった。


 ハインツは微笑みながら、暖炉の火を見つめた。  

 彼の手元には、かつての戦友や家族との古い写真が挟まれた私物の手帳がある。  

 長い冬。


 ハインツは、自分が「英雄」として破壊してきた数々の平穏と、今、目の前にあるこのかりそめの平穏を天秤にかけた。


「……ソルガ。酒を持ってこい。……今夜は、カノディアの雪解けを祝して、ヴォルフの奢りで乾杯しよう」

「ちょ、閣下!? なんで俺の奢りなんですか!」

「冗談だ」

「え!?」

 ヴォルフの絶叫と、皆の笑い声が駐屯地の雪夜に響き渡る。  

 「魔王」とその配下たちは、人生で最も穏やかに見えた冬を、一滴ずつ慈しむように過ごしていた。


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