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第42話 朝の散歩

 ヤバチカの泥濘から遠く離れた帝都。

 重厚な石造りの参謀本部の一室では、ヤバチカからの最新報告を前に、将星たちが息を呑んでいた。  

 卓上に広げられた戦域マップ。

 そこには、一個中隊が通り過ぎた後に残された「敵師団壊滅」という、軍事常識を嘲笑うかのような赤字が記されている。


「……信じがたい。たった一個中隊で、AAUの二個師団を足止めしただと? それも橋頭堡を完全維持したままか」


 白髪の将軍が、震える手で報告書を叩いた。

 そこには、エドガー少尉が記録した「シュテルツァー28、戦闘車両128」というハインツの数字が踊っている。


「閣下、これは喜ぶべき戦果ではありません」

 若き参謀が、冷徹な声で言葉を継いだ。

「ハインツ中将は……いえ、『ザハーク』は鋭利すぎます。彼は、自らが帝国の『唯一無二の聖剣』であることを自覚していない。車両百数十両などという雑務のために、この至宝を消耗させるなど、あってはならないことです」


「左様。かつてのWW2における教訓を忘れてはいかん。あの巨大な国家群と正面から力比べを演じた、伝説の聖剣たち……。彼らが一人、また一人と折れるたびに、それぞれの陣営は目に見えて衰退したのだ」


 室内の温度が一段、下がったかのような静寂。


「今、ハインツ中将を失うことは、帝国の盾と矛を同時に失うことと同義だ。大東亜とエウロと渡り合えるのは、彼の『魔王の』のみ。彼が折れれば、ヤバチカはおろか、帝都までの道が開かれるも同然だ。AAUごとき、たまに姿を見せるだけで良いのだ」


「……しかし、本人は『仲間を救うためだ』と称して、常に最前線へ飛び出していく。国家の英雄と言えば聞こえはいいが、首脳部からすれば、国家予算の半分を賭けた博打を、毎日最前線の泥の中でやらされているようなものだ」


 白髪の将軍が、苦々しく呻いた。


「参謀本部としての結論は一つだ。……ハインツを温存せよ。これ以上の無謀な強襲は禁ずる。彼には、戦局を決定づける一点においてのみ、その刃を振るわせるべきだ。特に大東亜の聖剣と撃ち合わせるなど、断じてあってはならん」


「ですが閣下。中将に『戦うな』と言って、聞き入れると思われますか? 彼は部下を救うためなら、軍規すら踏みにじる男です」


「……ならば、彼が動かざるを得ない状況そのものを作らせないことだ。ヤバチカの第102大隊の救出で『つい、やり過ぎた』などという報告は、今回限りにしていただかねば困る。聖剣は、鞘に入っているからこそ聖剣なのだ……」


 将星たちの議論は、感謝や賞賛ではなく、「失うことへの極限の恐怖」に支配されていた。  

 最前線で部下のために泥を被るハインツの情熱と、後方で彼を「折れてはならない偶像」として閉じ込めようとする参謀本部の思惑。


 その巨大な温度差が、ハインツ・ゼ・ゲーヴェアという男を、中隊を、さらなる孤独な深淵へと追い込もうとしていた。

 野営地の通信用テント。エドガー少尉が、端末に表示された赤い封緘の付いた暗号文を読み上げた。


「……本国参謀本部より緊急訓令。中隊は現時刻を以て全ての攻撃行動を凍結。拠点の完全待機を命ずる。……付け加えられています。『別名あるまで大休止。消耗を抑えよ』……と」


 エドガーの声が、テント内の冷たい空気に溶ける。

 焚き火を囲んでいた中隊メンバーの間に、形容しがたい感情が広がった。


「温存、ねぇ。アタシたちは博物館の展示品か何かだと思われてるわけ?」  

 ヘルガが、パイルバンカーの整備用オイルを泥の上に吐き捨てるようにこぼした。

「目の前で味方がなぎ倒されてるのに、鞘の中で大人しくしてろって? 冗談じゃないわ」


「参謀本部のエリート様は、泥の匂いを知りませんもの」  

 エルザが、膝の上でショットガンの弾丸を弄びながら、冷めた目でエドガーを見た。

「あの方々にとっては、中隊長は『折れてはならない偶像』。でも、私たちにとっては、この地獄を一緒に歩いてくれる希望なのに」


「待機命令、か……」  

 ガリアスが、3km先から微かに響く砲声に耳を澄ませた。


「ヴォルフ、あっちで撃ち合ってるのは、さっきの第102大隊の残党か、それとも別の支援部隊か。……かなり激しいな」


「……親父。あっちには、第61対シュテルツァー装甲大隊が展開していたはずだ。今、AAUの部隊が闇雲に砲撃してるんだろうな」  

 ヴォルフが、レーションの空缶を投げ捨てながら言った。


 その時、天幕の奥から、規則的なステッキの音が響いた。  

 ハインツだ。  

 彼はエドガーの差し出した命令書を、老眼鏡越しに一瞥すると、ふっと小さく鼻で笑った。


「……待機、か。本国の連中は、私が英雄だなどと勘違いしているらしい。……私はただの、先のない老兵だというのに」


「閣下……では、命令に従われるのですか?」  エドガーが恐る恐る尋ねる。ハインツはゆっくりと顔を上げ、3km先の夜空を赤く染める砲火を見つめた。


「……ああ。命令は絶対だ。我々はここで待機しよう」


 当然なはずだが、ハインツとしては意外な言葉に、中隊の面々が驚きの表情を浮かべる。

 だが、ハインツの言葉には続きがあった。


「……しかし。……不幸にも、待機中に敵の強襲を受け、反撃を余儀なくされる可能性は否定できまい? 例えば、三キロ先のあのあたりに、我が中隊を脅かす『極めて危険な敵部隊』が展開しているとなれば、これは正当防衛だ」


「中隊長……」  

 ソルガ中佐が、口角を吊り上げた。


「エドガー少尉。参謀本部への報告書を書け。……『中隊は待機中、敵の組織的攻撃を感知。中隊長は、全隊の安全を確保するため、機動防御(カウンター)を開始する』……とな。明朝6:30出発だ。通信もその時打て」


 エドガーは一瞬だけ固まった後、眼鏡をキラリと光らせてタイプライターを叩き始めた。

「……了解しました。現在、本中隊は『猛烈な攻撃』を受けています。……脅威を排除するために出撃します」


「……話が早くて助かる」  

 ハインツはステッキを放り出し、傍らにそびえ立つ『ルシフェル』の脚部を見上げた。


 明朝


「仕事だ。……お前たちは、お前たちの仕事をしろ。……いいな、これは防衛戦だ。我々は、猛攻撃を受けているのだ」


「了解!!」


 猛獣たちが、一斉に立ち上がる。  

 ハインツ・ゼ・ゲーヴェアという男が、味方を見捨てるはずがないことを、彼らは確信していた。


 帝国の「聖剣」は、鞘に収まることを拒んだ。  黒い泥を跳ね上げ、黒い機体が夜の闇へと滑り出す。  

 参謀本部の臆病な「命令」を、120mmライフルの爆音で塗り潰すために。

 第三小隊は、ハインツの指示で中隊とは別の海域に

「ヴォルフ。私の近くを狙っていろ……私を狙う敵をお前が撃つのだ」

 朝霧の中、ハインツの声が無線から静かに、しかしヴォルフにはしっかりと聞こえた。

  3km先では、半壊した第61対シュテルツァー装甲大隊の残存部隊と負傷兵を載せた輸送トラックの列が、AAUの別働隊によって「袋のネズミ」にされていた。


「……ここまでだ。せめて負傷兵のトラックだけでも逃がせ! 残った装甲車で壁を作れ!」

 大隊長の声が、AAUの四脚支援型『ビッグ・スティック』が放つ二連装砲の爆音にかき消される。

 泥濘に足を取られた輸送車列の周囲を、AAUの重格闘型『ハンマー・ヘッド』が、獲物をなぶる獣のように包囲していく。

 超硬質合金のメイスが車両を叩くたびに、絶望が泥と共に跳ね上がった。


 だが、その阿鼻叫喚のノイズを、「物理的に」切り裂く音が響いた。


――パァァァァァァァン!!


 空気を震わせる乾いた高音。

 次の瞬間、輸送トラックに棍棒を振り下ろそうとしていた『ハンマー・ヘッド』の頭部が、内側から爆発したかのように弾け飛んだ。


「何だ……!? 狙撃だと? この視界ゼロの霧の中で?」

 AAUのパイロットが叫ぶ暇もなく、二発目、三発目が続く。

 霧の向こう側から、死神が事務的にチェックマークを入れていくような、残酷なまでの正確さ。


 霧が、意志を持っているかのように割れた。

 そこから現れたのは、漆黒のシュテルツァー『ルシフェル』。

 そしてその左右を固める、猛獣たちの群れだった。


「……エドガー少尉、報告書に追記しろ。『敵の攻撃は苛烈であり、中隊はやむを得ず敵中央を突破する』とな」

 ハインツの低く冷徹な声が、ザハーク中隊の全チャンネルに響く。


「了解しています、閣下。……現在、我々は『甚大な包囲下』にあります。……敵中央を突破し、活路を開く必要あり!」 エドガーが眼鏡の奥の目を血走らせ、指先を踊らせる。


「ヒャッハー! 防衛戦よね、これ! 防衛なんだから、全部壊しても文句は言われないわよね!」

 ヘルガの『ミョルニル』が、ブーストを吹かせて敵の正面から突っ込み、ショットガンで右脚部を崩した『アイアン・デューク』の胸部に、左手のパイルバンカーが深々と突き刺さす。


 ドパァァァァァァン!!

 肉厚な装甲を貫通し、後背の排熱パイプまでを粉砕する快音が、霧の朝に響き渡る。


「……中隊長に任せきりにできませんもの」

 エルザの『ワルキューレ』が、重力を嘲笑うような跳躍を見せる。

 滞空中に放たれた有線ミサイルが、霧の中に隠れていたAAUの自走砲『サンダー・ボルト』の砲列を蹂躙してゆく。

 ドゴオドゴオオドゴオドゴオオオオ!!!

 自走砲の砲弾が次々と誘爆してゆく。


「……ヴォルフ、狙え。中隊長が『隙』を作ってくださってる」

 ガリアスの『トール』が四本の脚で泥を掴み、120mmライフルの照準を固定する。

「……わかってるぜ親父!中隊長の近くを!」


ズゥゥゥゥンッ!!


ズゥゥゥゥンッ!!


ズゥゥゥゥンッ!!


 ヴォルフの視界の中で、ハインツの『ルシフェル』の近くを見ると、恐ろしいほど敵が照準におさまる。

 『狙って』いるのでは無い。

 『敵が照準におさまる』のだ。


 ハインツは、敵の戦車大隊が放つ砲火の合間を、数センチの差ですり抜けていく。

 そして、歩調を一切乱すことなく、腰だめに構えた長砲身のライフルを、静かな足取りで撃ち放つ。


パンッ! パンッ! パンッ!


 一射ごとに、AAUの主力戦車が炎上し、砲塔を泥の中に転がしていく。

「……物足りんな。WW2の好敵手達の方が、何枚も上手だった」

 ハインツの呟き。


 第61対シュテルツァー装甲大隊の兵士たちは、霧の中から現れたその黒い救世主の姿に、言葉を失った。

 自分たちを包囲していたAAUの精鋭たちが、たった数分で、名前もなき鉄屑の山へと変えられていく。


「……エドガー少尉。掃除は終わりだ」

 ハインツがライフルのボルトを引き、熱せられた薬莢が、じゅっという音を立てて冷たい泥に沈む。

「……報告書にはこう書いておけ。『敵は全て排除した。中隊の損害なし。これより、命令通り「待機」に戻る』とな」


「……了解しました、閣下。……実に、完璧な防衛戦でした」


 エドガーの眼鏡の奥で、数値が更新される。

 ハインツ・ゼ・ゲーヴェア、本日の戦果――追加撃破、戦車32、シュテルツァー12。

 しかし、その数字は、救われた兵士たちの歓喜の叫びと、部下たちの心に灯った熱い心服に比べれば、あまりに小さなものに過ぎなかった。


 霧が再び、静かに戦場を包み込む。

 黒い魔王と猛獣たちは、朝霧の中、何事もなかったかのように帰還していった。

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