第41話 魔王の降臨
九月のヤバチカ。
凍土は中途半端に溶け、鉄錆とマンガニス燃料が混じり合った「黒い泥」の海と化していた。
「……救援はまだか! 第十、第十二小隊全滅! 第六艦隊の砲撃が来るぞ、伏せろぉ!!」
帝国の拠点から放たれる悲鳴のような通信。
直後、大気を引き裂く重低音が響き、AAU艦隊から放たれた40センチ砲弾が着弾した。
AAUは未だ大艦巨砲主義を信奉しているが、限定的な目視圏内の戦闘では猛威を振るっていた。
ドォォォォォォォォォォン!!
衝撃波が地面を舐め、帝国軍のシュテルツァーを泥ごと吹き飛ばす。
霧の向こうからは、AAUの主力機『アイアン・デューク』の、地響きを伴う鈍重な足音が迫る。
三脚機特有の「ズシン、ズシン」という不規則な振動。
その阿鼻叫喚のノイズを、鋭い無線が切り裂いた。
『――ザハーク管制、ベルゼブブ。エドガー・ハインライン少尉です。これより戦域を「整理」します』
旗艦の管制室。
眼鏡をかけたエドガーは、冷汗一つかかず、無数のデータが流れるモニターを見つめていた。 「アンジャリ大尉、マリス中尉。座標確認。……対艦戦を開始してください」
「第三小隊からベルゼブブ。敵艦隊視認距離。艦隊A旧式戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦4、輸送艦8。シュテルツァー輸送艦無し。艦隊B駆逐艦8、輸送艦8、シュテルツァー輸送艦無し。艦隊Aから排除開始」
「ベルゼブブ了解、ご武運を」
海域を封鎖していたAAU艦隊。
その一隻、駆逐艦のソナーが狂ったような警告音を鳴らした。
「下方より高速接近物! 魚雷じゃない……何だこれは!?」
水中に居るのは青い悪夢。
アンジャリの『クラーケオス』が、八本のフロート脚を蜘蛛のように広げ、駆逐艦の艦底へと飛びついた。
ガギィィィィィィィィッ!!
『アビス・ホールド』。
高出力電磁吸盤が鋼鉄を噛み、強制接舷する。 「マリス、獲物を逃がさないで。……さあ、貴方は、断末魔を聞かせてちょうだい」
アンジャリがクランクを回す。
マンガニスクリンチャーが臨界駆動し、機体全体が咆哮を上げた。
メキ、メキメキメキメキィィィィィッ!!
『スキュラバイト』。
鋼鉄の脚が、駆逐艦の装甲板を飴細工のように握り潰していく。
船体が内部から圧壊し、海水が機関室へと流れ込む。
一方、マリスの『クラーケン』は対艦刺突槍「ガジャ・クンバラーナ」で次々と水中から艦底を突き刺し、バイタルパートを貫いていく。
爆雷の投下が始まるが、友軍艦の真下にいるシュテルツァーに、そのような物が当てられる訳が無かった。
「第三小隊からベルゼブブ。艦隊AB共に7割撃沈、揚陸準備よし。揚陸地点A-1からD-3まで全てクリア」
「……海域の障害、排除完了。ベルゼブブ了解。上陸ポイント、クリーン。中隊長、どうぞ」
エドガーの冷静な管制に応じ、輸送艦のハッチが爆発するように開いた。
「ルシフェル了解した」
ズドォォォォォン!!
カタパルトすら使わず、ハインツの『ルシフェル』が凍土へと着地する。
泥が十メートル以上跳ね上がり、黒い機体がその中から現れた。
「……仕事だ。各自、生き残れ」
ハインツの短く冷淡な号令。
ドシュゥゥゥゥゥゥ!!
ソルガの『オーディン』が放つ144mmライフルが、先頭の『アイアン・デューク』のバイザーを、1300m先から一撃で消し飛ばした。
「左前方、三機。エルザ、追い込め」
「了解ですわ、エドガーさん!」
エルザの『ワルキューレ』が、重力を無視した跳躍でAAUの支援機『スカイ・フォール』の頭上を取る。
有線ミサイルがロケット弾ランチャーを誘爆させ、戦場に巨大な火柱が上がった。
炙り出された敵機を待っていたのは、ヘルガの『ミョルニル』だ。
「死になさい、屑鉄が」
ガシュゥゥゥゥン!!
至近距離からの大口径ショットガンが敵の三脚を粉砕し、倒れ込んだコクピットへ、左手のパイルバンカーが深々と突き刺さる。
ドパァァァァン!!
肉厚な装甲を貫き、中のパイロットごと「掃除」する乾いた音。
そのさらに後方。
ガリアスとヴォルフの親子は、地を這うように伏せ、120mmライフルの照準を重ねていた。 「……ヴォルフ、息を止めろ。中隊長の予測点に合わせるぞ」
「……おお!親父!」
二機が放つマンガニス炸裂弾が、AAUの拠点防衛機『グランド・タートル』の巨大な盾の隙間から、本体を内側から爆破するように粉砕した。
エドガーは、自身のモニターに映し出される「黒い軌跡」の全く無駄の無い動きに戦慄していた。
ハインツの『ルシフェル』は、戦場を「散歩」していた。
AAUの兵士たちが狂ったように放つ機関砲の弾幕。
その弾道計算のわずかな隙間を、ハインツは機械的な最小動作ですり抜けていく。
パンッ!
長砲身の狙撃銃が、乾いた音を立てる。
AAUの『アイアン・デューク』の脚部駆動部が火を吹き、機体が前のめりに倒れる。
パンッ!
次の一射が、別の倒れた機体の脱出ハッチ付近を正確に撃ち抜く。
「……一機。……二機」
エドガーの声が震える。
ハインツは「倒す」のではない。
「散歩」しているのだ。
狙いは常に、装甲の継ぎ目、バイタルパート、マンガニス燃料の供給ライン。
無駄な弾丸は一発もない。
「化け物だ……!」
AAUの指揮官用機『コロッサス』が、狂ったようにメイスを振り回してハインツに迫る。
ハインツは避けない。
至近でライフルの銃口を、突進してくる巨躯の「ジェネレーターとコクピットを繋ぐ3cmだけ露出したパイプ」に置く。
ドォォォォォォン!!
近距離でのマンガニス炸裂弾。
コロッサスの上半身が消し飛び、巨大な鉄屑がハインツの足元に転がった。
「……敵は?どこに居る?エドガー少尉」
「……え、あ、はい。……今ので、壊滅です。一個師団規模の戦力が、事実上沈黙しています」
ハインツは静かにライフルのボルトを引いた。
熱せられた薬莢が、黒い泥の中に落ち、ジュッという音と共に消えていく。
凍土の戦場には、ハインツが通り過ぎた後に積み上がった数百の「スクラップ」と、それを呆然と見送るヴォルフの、震える呼吸音だけが響いていた。
夜のヤバチカ。
海から吹き付ける風は湿った重みを持ち、野営地の天幕を絶えずバタバタと震わせていた。
周囲に広がるのは、中途半端に溶け出した凍土が土と混ざり合った、どろりとした黒い泥濘だ。
「……信じられん。何度検算しても、この数字が叩き出される」
エドガー少尉が、指先で眼鏡のブリッジを強く押し上げた。
手元の端末が放つ淡い光が、彼の蒼白な顔を浮かび上がらせている。
「本日のハインツ中隊長、単独撃破数156。……シュテルツァー28。そして戦闘車両128。……命中率は事実上の92パーセント。……この泥濘と霧の中で、ほとんど無駄弾も出していないというのか」
「……計算機の限界ね、エドガー」
ヘルガが、パイルバンカーの冷却スリットから滴る排熱液を汚れたウエスで拭い取りながら鼻で笑った。
「アタシが敵の『アイアン・デューク』の装甲をブチ抜こうと、泥にまみれて取っ組み合いを演じてた時よ。……中隊長は、その背後に展開してたAAUの戦車大隊を、歩きながら一両ずつ仕留めてた。……あれは狙撃じゃない。死神の散歩よ」
「私も……見てしまいました」
エルザが、いつもなら自慢げに手入れする『ワルキューレ』の脚部ユニットを抱えるようにして、焚き火を見つめていた。
「私の有線ミサイルが敵を追い込むより早く、中隊長の弾丸が戦車の急所を『選んで』断ち切っていく。……私たちが必死に戦場を駆け回っているのが、まるでお遊戯のように思えてくるほど、あの人の動きには無駄がなかった」
「マリス。私たちは海から見ていたけれど、あの『ルシフェル』の動き……貴女はどう感じた?」 アンジャリが問いかける。
マリスは冷淡な瞳を伏せ、膝の上で握りしめた拳を震わせた。
「……お姉さま。あれは、完璧な作業です。中隊長は敵のシュテルツァーの装甲ではなく、常にコクピットや駆動系を狙っていた。……最小限の動きで戦域を沈黙させる。……恐ろしい人です」
「……ヴォルフ、お前はどうだ。さっきから手が止まってるぞ」
ガリアスが、予備の120mm砲弾を磨いていた息子の肩を叩いた。ヴォルフはライフルを整備する手を止め、焚き火の明かりに照らされた赤らんだ顔を上げた。
「……親父。俺、さっき第102大隊のやつらに拝まれたよ。『神様だ』って。……でも、俺は何もできなかった。親父と一緒に何機か撃破しただけさ。中隊長が、俺の照準器の中に割り込んできた敵機を、一秒足らずで三機片付けてたんだ。……俺は、あの人のスコアを抜くなんて……どの口が言ったんだろうな」
その時、泥を跳ね上げる重い足音と、規則的なステッキの音が近づいてきた。
ハインツだ。
彼は泥に汚れた外套を翻し、焚き火の輪に歩み寄ると、パイプ椅子にどっしりと腰を下ろした。
「……閣下。本日の戦果記録ですが」
エドガーが書類を差し出す。
ハインツはそれを一瞥すると、深い溜息をついた。
「……エドガー少尉。私の戦果から車両の128という数字を消せ。シュテルツァーの28だけでいい」
「え……? ですが、閣下! 本日の車両の九割は、AAUの主力戦車です! 補給トラックではありません! これだけの数をたった一機で……それも、救出された第102大隊の窮地を救ったのは、間違いなくこの戦車撃破によるものです!」
「……私にとっては車両だ」
ハインツの声は、冷たく、しかし揺るぎなかった。
「……いいか、これは私個人の記録の話だ。勝手に書き直せ」
エドガーが呆然とする中、ハインツは焚き火の熱に手をかざしながら、周囲の若者たちに鋭い視線を向けた。
「……だが、お前たちは違う。お前たちの記録には、戦車一両、火砲一門に至るまで、正しく算入しろ」
「え……? でも、中隊長は……」
ヴォルフが戸惑う。
ハインツは、わずかに口角を上げて続けた。
「お前たちはまだ若く、これからの軍歴がある。……一個でも多い数字が、お前たちの階級を上げ、給料を上げ、ひいては家族を養う盾になる。……戦果を誇る必要はないが、正当な権利を捨てるほど愚かにはなるな。……私のは、年寄りの愚かしいこだわりだ」
静寂が、野営地を支配した。
「魔王」としての自負ではなく、部下の将来を想う「父親」としての現実的な優しさが、若者たちの胸を突いた。
「……中隊長」
ジュリアンが、影のある微笑を消して言った。 「……貴方は、僕たちが想像していたよりも、ずっと『まとも』な人なんですね。……この地獄のような戦場で、まだそんなものを背負っていらっしゃる」
「ジュリアン。……背負わなければ、いつかトリガーが軽くなりすぎる。それは、人間が終わる時だ」
ハインツは立ち上がり、ヴォルフの頭に大きな、温かい手を置いた。
「ヴォルフ。明日は、シュテルツァーだけを狙え。……戦車のような泥臭い仕事は、私のような先のない老いぼれがやっておけばいい。……お前たちは、誇りを持って戦え」
ハインツはステッキを突き、そのままルシフェルの影へと消えていった。
「……聞いたか。あれが『魔王』の正体だ」
ソルガが、ウィスキーのグラスを飲み干し、誇らしげに笑った。
「……あの人は、俺たちを一人も死なせず、そして魂も汚させずに、この戦争を終わらせるつもりなんだ。……さあ、寝るぞ。明日は、あの背中に置いていかれないようにな」
ソルガが抱いていた、ハインツに対する「傲慢で生け好かない」という第一印象はすでに霧散していた。
そこには、熱烈な忠誠心だけが深く刻まれていた。
ヤバチカの暗い空に、焚き火の火の粉が舞い上がる。
ハインツの「自分を勘定に入れない」高潔さと、部下の未来を守ろうとする「熱」を、ザハーク中隊の猛獣たちは、今、確かに共有していた。




