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第39話 魔王

 一九八三年二月

 空はマンガニスの微細な粉塵で常に鉛色に濁り、太陽すらも病人の瞳のように弱々しく世界を照らしていた。 

 ヴァジュラ帝国の国教にはこうある。

 創世の昔、神は楽園を作った。

 神がこの世界を創り終え、最後の仕上げとして聖なる大地に口づけをしようとした時、アザリアの祖がその場所に自らの汚れた排泄物を置いたのだ。

 神は激しく嘔吐し、その際に吐き出された「神の胆汁」が、世界を覆う黒い粉塵となった。

 神は「お前たちが汚したこの地を、お前たちの血と涙で清め続けよ」と言い残し、泥にまみれた世界を見捨てて去った。

 だから、この世は争いが無くならないのだ。

 アザリア人とは、神を吐かせた者たち」であり、その存在自体が世界に対する汚物であるとされる。

 そのため、彼らを焼く(浄化する)ことは、汚れた大地を清めるための清掃作業と同じだと教え込まれる。


 ヴァジュラ帝国、ゲヘナ大陸中央部。

 ここは神の口付けを汚物で穢したアザリア人が、死ぬまでマンガニスを掘り続けるための、広大な収容所である。

 

 かつて、第二次世界大戦末期。

 誕生したばかりの鋼鉄の巨人「シュテルツァー」を、まるで己の肉体のように操り、無敵を誇った男がいた。

 ゲルマー第三帝国の至宝、ハインツ・ゼ・ゲーヴェア。

 他のエースなど足元にも及ばない戦果を叩き出した『稀代の怪物』シュテルツァー撃墜数322、戦車2104、戦車以外車両1932、火砲323、艦船2、他艦船3、要塞、陣地等532。

 彼は、意図的に戦果を隠していた。

 嫉妬により「妻がリクマ人である」と言うことは、英雄の妻として黙認されていたが、目立つほどに保証は無くなるのだ。

 英雄の妻という事で迫害を逃れてきたが、上層部の一部による嫉妬により、親衛隊の手が娘のクリスにまで及び始めた。

 ハインツは国家を捨て、地下ルートを使って国境を越えた。

 新興国家、ヴァジュラ帝国。

 そこなら家族で静かに暮らせるはずだった。


 しかし、辿り着いた先で彼を待っていたのは、亡命者への温かい手ではなく、冷たい鉄格子の檻だった。

 ヴァジュラ帝国の国教は説く。

「アザリア人こそが大地を腐らせた元凶である」と。

 ハインツこそが、この国で最も忌み嫌われる「アザリア人」そのものだったのである。

 母国で『リクマ人』の妻が迫害され、逃れた先の帝国では、自分と娘の『アザリア人』が迫害の対象であるなど、誰が予想できようか。

「……ハインツ、見て……。クリスが、また……」


 妻の掠れた声に、ハインツは凍りついた。

 掘っ立て小屋の隅で、娘のクリスが浅い呼吸を繰り返している。

 重度の栄養失調。

 ここでは、どれだけマンガニスを掘り出そうと、アザリア人に与えられるのは飢えと病、そして「神への謝罪」という名の屈辱だけだった。


 ハインツは、かつて操縦桿を握り、最強の名を欲しいままにした手で、ひび割れた娘の頬を撫でた。

「すまない、クリス……。パパが、情けないばかりに……。こんな国へ連れてきてしまった……」


 その時、泥を撥ね飛ばし、威圧的な軍靴の音が近づいてきた。

 小屋の戸が開かれ、逆光の中に一人の将軍が立つ。


「凄惨な光景だな。かつて陸を支配した『怪物』の棲家としては」


 ヴァジュラ帝国の実力者が、冷徹な眼差しで、泥の中に跪くハインツを見下ろしていた。


「……何の用だ、その階級、准将か。撃墜王のサインが欲しいなら、あいにくペンも紙も、それを握る力もここにはない」


 ハインツは鋭い眼光を向けた。

 泥にまみれ、老いてもなお、その瞳の奥にはかつて死地を潜り抜けた最強の操縦士としての殺気が宿っていた。


「取引に来たのだ。ハインツ・ゼ・ゲーヴェア」

 ザルニカは一枚の書類を放り出した。

「貴様と、その家族……エルナとクリスの全記録を抹消する。貴様らは今日この瞬間からアザリア人ではない。帝国臣民としての市民権と、最高級の医療、そして豊かな食料を保証しよう」


 妻、エルナが息を呑んだ。

 だが、ザルニカの条件はあまりにも残酷なものだった。


「条件は一つ。貴様が我がヴァジュラ帝国の新設されるシュテルツァー中隊を率いることだ。貴様にしか御せぬ部隊がある。それを持って、敵を清掃しろ」


 小屋の外では、聞きつけたアザリア人たちが騒ぎ始めていた。

「代表! 俺たちを見捨てるのか!」

「俺たちを迫害している国のために、あんたは戦うのか!」

 同胞たちの怨嗟の声が、マンガニスの風に乗って肌を刺す。

 ハインツが「この話」に乗れば、それは自分たちを迫害する迫害者そのものになることを意味していた。


 ハインツは、クリスの細い指が自分の服を弱々しく掴んでいるのを見た。

 家族を守るために祖国を捨てた。

 そして今、娘を生かすために、自分を迫害する国に魂を売る。


「……分かった」

 ハインツの声は、鋼が擦れるような冷たさを帯びていた。

「ステッキ(操縦桿)に戻ろう。……この娘が、再び笑えるようになるのなら」

 ハインツはザルニカの脇を通り抜け、光の中へと足を踏み出す。

 石を投げつけ、罵声を浴びせてくる同胞たちの顔を、彼はもう見る事は出来なかった。

 娘の命を拾うために、彼は再び「エース」の名を背負い、かつて家族と見た夢の残骸を蹂躙するために戦場へと這い出した。

 そして石を投げた同胞が、准将の指示のもとに機銃で薙ぎ倒される場面も彼は見る事は無かった。


 ヴァジュラ帝国の首都、デリ・ガート近郊。

 ターナー島を臨む事ができるメニスカス海沿いの演習場に、帝国の粋を集めた八機の「エース機」と、その乗り手たちが集められていた。


 静寂を切り裂いたのは、鋭い軍靴の音だった。

 ヴォルガ・ゼ・ザルニカ准将が、壇上から冷徹な眼差しで彼らを見下ろす。


「本日、これより貴様らを参謀本部直轄第335対シュテルツァー特務中隊――通称『ザハーク』として結成する」


 だが、並び立つ面々にまとまりはない。

 第二次大戦の伝説を継ぐ老兵、冷酷な美貌を持つ暗殺者、戦場を舞う天才少女、影のある青年、そして海から上がってきた異形の怪物を駆る女たち。

 彼らは互いを値踏みし、隠しきれない傲慢さと不信感を空気中に撒き散らしていた。


「……中隊長、か」

 中央に立つ一人の老兵が、静かに、しかし地を這うような重圧を持って呟いた。

 ハインツ・ゼ・ゲーヴェア中将。

 アザリア人居住区の泥の中から、娘クリスの命を救うために「死神のステッキ」を再び握ることを選んだ、生ける神話。


 彼が率いることになった面々は、まさに一騎当千の「狂犬」たちであった。


 結成初日。

 模擬戦のフィールドに持ち込まれた機体群は、どれもが既存の軍事常識を破壊していた。


 第一小隊長兼、中隊副長、ソルガ・ユルヴァ・ストリクス中佐。

 眉間の古傷を指でなぞりながら、彼はリミッターを解除した怪物機『オーディン』の調整を冷淡に見守る。

 彼の狙撃は、敵の戦意そのものを射抜く精密機械の如き正確さを持つ。

 その傍らには、重量級の装甲を纏った『ミョルニル』を駆るヘルガ・バルムンク大尉。

 「雷槌」の異名通り、彼女のパイルバンカーは、敵を粉砕することに生理的な悦びを感じているかのようだった。


「おじい様方がモタモタしているなら、私が先に片付けて差し上げますよ」

 第二小隊のエルザ・シュタイン大尉が、十九歳という幼い顔に似合わぬ冷笑を浮かべる。

 跳躍特化機『ワルキューレ』に乗り込み、「泥臭い近接戦は嫌い」と言い放つ彼女の指先は、すでに有線ミサイルのトリガーを弄んでいた。

 彼女を支えるのは、逆関節の軽量機『ロキ』を駆るジュリアン・ノール中尉。

 影のある微笑を浮かべ、彼は複雑な地形をローラー走行で滑走するシミュレーションを繰り返す。

 一方、海軍から引き抜かれた第三小隊のアンジャリ・サマセット大尉とマリス・アイスグリム中尉は、周囲の陸戦型を見下すように沈黙していた。

 八脚の異形『クラーケオス』と『クラーケン』。

 船底を握り潰す「スキュラバイト」を秘めたその機体は、陸の騎士道など最初から持ち合わせていない。

「マリス、ここの演習場は海があるわよ」

「はい、お姉さま。演習中の事故死はよくありますものね」


 そして第四小隊、ガリアス・ヴォルカス少佐と息子ヴォルフ少尉。

 彼らは機体に施された独自の迷彩の中に同化し、遠い標的だけを見つめていた。

 跳躍を捨て、四脚で地面を掴むその姿は、待ち伏せを極めた蜘蛛そのものだった。


「……バラバラだな」

 ハインツが呟く。

 ザルニカ准将は薄笑いを浮かべた。

「だからこそ、貴様が与えられたのだ。この猛獣どもに首輪をはめるのは、神の(わざ)を持つ貴様以外にいない」


 二週間の地獄の訓練が始まった。

 当初、小隊員たちは各々の技量に溺れていた。 

 エルザは孤立してミサイルを放ち、ヘルガは味方を無視して突撃し、アンジャリには陸上の連携など無意味だった。


 だが、彼らの傲慢さは、一機の機体によって文字通り「粉砕」されることになる。

 ハインツ・ゼ・ゲーヴェアの愛機、『ルシフェル』。


「全員でかかってこい。死に物狂いで、私を止めろ」


 ハインツの静かな命令と共に、演習場は戦場へと変わった。

『ルシフェル』。

 それは装甲という概念を捨て、機動にすべてを捧げた四脚の魔王。


「生意気なおじい様! 堕ちて!」

 エルザの『ワルキューレ』から放たれた有線ミサイル。

 だが、ルシフェルはローラー走行と跳躍を組み合わせた、物理法則を無視した機動でそれを紙一重で回避する。

「なっ……機体が、消えた!?」


 直後、ハインツの右手に握られた120mmライフルの轟音が響いた。

 ドゴォォォォォォンッ!!

 反動で通常の機体ならひっくり返るはずの超高火力を、ハインツは神懸かり的な姿勢制御でねじ伏せる。

 訓練弾はワルキューレの推進器のミリ単位横を掠めただけで、エルザの機体を横転させた。


「次は貴様らだ」


 ハインツの『ルシフェル』は、海から攻撃を仕掛けようとしたアンジャリとマリスの頭上へと、重力を嘲笑うような跳躍で降り立った。

「アビス・ホールド!? 違う、ただの着地で脚部を……!」

 アンジャリが叫ぶ間もなく、ルシフェルの左腕に装備された訓練用パイルバンカーが、クラーケオスの急所を一寸の狂いもなく突く。

「殺す」のではなく、機体回路を一瞬でシャットダウンさせる外科手術のような一撃。


「馬鹿な……。親父と俺、二人で長距離から狙っていたのに、一度も照準が定まらない……!」

 ヴォルフ少尉が戦慄する。

 光学レンズの向こうで、ルシフェルは常に「死角」を移動し続けていた。

 そして気がついた時には、訓練用パイルバンカーが彼ら親子の背中に刺さるのだ。

 

 二週間の間、彼らは100回戦い、100回敗北した。

 負けたことの無いエース達である。

 夜襲、罠、全員による包囲攻撃――いかなる策も、ハインツの「神の操縦」の前では塵に等しかった。


 二週間が過ぎた夜。

 演習場の整備ドックには、かつての不協和音はなかった。

 あるのは、一人の男への絶対的な畏怖と、その「神」に付き従う誇りだった。


「中隊長……」

 副長のソルガが、ハインツの前に歩み寄った。 「我々は認めざるを得ません。貴様は怪物だ。いや、この戦場を統べる魔王だ」



 エルザは黙って頭を下げ、ヘルガは狂気混じりの尊敬の念をハインツに向けていた。

 アンジャリも、ガリアス親子も、もはや自分たちの流儀に固執してはいなかった。

 彼らは理解したのだ。

 自分たちがどんなに努力しても、あのハインツの領域には一生かかっても届かない。

 ならば、その「神」の盾となり、矛となり、その背中を支えることこそが、自分たちの存在意義であると。


「……まとまったようだな」

 ハインツは、少しずつ回復してきている娘クリスの写真をコクピットの隅に貼り付けた。

 娘が回復したら、人並みに結婚させてやりたい。

 アザリア人収容区域では、結婚や出産は認められなかった。

 なぜなら『増えるから』だ。

 民族絶滅政策には、出産は最も不要な事である。

 彼が守るべきは、帝国の栄光ではない。

 この中隊を最強に育て上げ、確実に任務を完遂し、娘の命を繋ぐこと。

 

 再びザルニカ准将が現れる。

「参謀本部直轄第335対シュテルツァー特務中隊『ザハーク』これより貴様らに最初の清掃任務を与える」


「……目標は」 ハインツが静かに問う。


「アメリ大陸だ。そこを蹂躙してもらう。本命は、大東亜とエウロの合同特務部隊だがな。今はまだ貴様らに消耗してもらっては困るのだ。まずはアメリで英雄になってもらう」


 ハインツ・ゼ・ゲーヴェアは、重い革の手袋を嵌め直した。

「……AAUか」

 彼の瞳の奥に、かつてゲルマーで「魔王」と呼ばれた頃の、冷徹な火が灯る。


「諸君、仕事だ。魔王ザハークとしてのな」


「了解!!」 七名の精鋭たちの声が、地下ドックに雷鳴のように響き渡った。

 最強の戦士、最強の狙撃兵、最強の後衛、そして深海の魔獣。

 それらを従えた「魔王」が、いま、世界へと解き放たれようとしていた。

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