第38話 欧州解放へ
「参謀本部からの通信は、解読不能、あるいは未受領。当艦隊はルディガゼーラ海峡攻略を継続する。……ただし、海路ではない。シダビトーからの陸上強襲。これより本作戦を『Unternehmen Felix(フェリックス作戦)』と呼称する!」
「ミナ少尉、陸上進軍用の地形データを各機用に印刷してくれ。第88の機体写真も頼む」
シュミットの指示に、ミナ・フェリシア少尉は「了解いたしました、少佐」と凛とした足取りでコンソールへと向かった。
その瞳には、カイが提示した「道」への全幅の信頼と、それを支える管制官としての誇りが宿っている。
「……了解です。ルート地図を、シダビトー上陸地点から要塞背後まで……最短で三十分。……みなさんに言うのも何ですが、登攀時の姿勢制御には留意してください」
「ああ、分かっている。ありがとう少尉」
カイはいつものように、新居の設計図を扱うかのように、その地図を大切に懐へ収めた。
1983年5月、深夜。
激しい雨が降り始めたルディガゼーラの手前で、揚陸戦艦グングニルは大きく舵を切った。
目指すは絶望の海路ではなく、希望の陸路である。
漆黒の破壊神『アスラ』を筆頭に、リヴァイアサン隊の全機が、一人の少年の直感が生み出した「断崖の道」へと踏み出そうとしていた。
「……帝国に、思い知らせてやる」
シュミットの呟きと共に、カタパルトから噴き出した高圧蒸気が夜の闇を白く切り裂いた。
その白濁とした視界の向こうに、彼は祖国の無惨な記憶を見ていた。
ケルゲレン島要塞の崩壊、ヌグメーダ300万の虐殺と蹂躙、そしてメニスカス海を血で染めた大敗。
ターナー島陥落の報と共に届いたのは、愛する同胞たちへの虐殺と、ゲヘナ大陸への終わりのない強制連行という絶望であった。
負け続け、奪われ続け、踏みにじられてきたエウロの矜持。
その積年の屈辱が、今、シュミットの胸中で黒く燃え上がる炎となり、機体の回路を駆け巡る。
奪還の時は来た。
彼は操縦桿を握りしめ、かつて祖国の空を焼いた帝国の傲慢を、その手で叩き潰すべく牙を剥いた。
「シダビトー基地、目視距離まで接近。……地獄への扉が開くぞ」
シダビトー。
そこは帝国軍にとって、ただの資材置き場に過ぎない。
配置されているのは旧式の装甲大隊、戦車大隊、歩兵大隊、そして港湾パトロール用の魚雷艇3隻のみであった。
本来、第507特務中隊『リヴァイアサン』が相手にするような戦力ではない。
だが、この作戦の真髄はそこではない。
35度に切り立つ断崖「ルガの背骨」を登り切り、背後からルディガゼーラを強襲することにある。
「カタパルト、蒸気圧限界まで充填。第一波、発艦準備!」
ナティカ准尉の鋭い号令が響く。
グングニルの前甲板では、三条の蒸気カタパルトが鼓膜を震わせるような高周波の排気音を奏でていた。
「アスラ、射出シークエンス移行。ベクターノズル、全開!」
カイ・イサギ大佐が操縦桿を握り込む。
マンガニス反応炉が臨界点に達し、コクピットに重厚な振動が伝わった。
ドォォォォォォンッ!!
高圧蒸気が爆発的に解放され、20トンを超える鋼鉄の破壊神『アスラ』が漆黒の空へと弾き飛ばされる。
「……制御、安定。脚部スラスター、強制冷却開始!」
ボォォォォォンッ!!
カイはシダビトー基地司令部に着地した。
続いてシュミット、サカモトといった魔狼たちが次々と射出され、ビーチへと降り立つ。
夜の海に立ち上がる無数の水柱は、帝国への逆襲の狼煙であった。
シダビトーの守備隊にとって、それは空から「死」が降ってきたに等しかった。
「敵襲! 海から……いや、崖からだ! 空からシュテルツァーが降りてくるぞ!」
混乱した歩兵たちが手榴弾を放つが、フェンリルたちに届くはずもない。
ドン!ドン!ドン!
シュミット少佐のフェンリルが、144mm自動ライフルを咆哮させた。
巨大な薬莢が石畳の上で乾いた音を立てて跳ねる。
直撃を受けた戦車大隊の車両は、装甲ごと内部の乗員を粉砕され、飴細工のようにひしゃげた。
「登っているバカがいるな」
サカモト中佐が冷たく呟く。
爆薬を手に機体にしがみついた命知らずの歩兵に対し、サカモトはグレイプニルの脚部ダンパーを一瞬だけ解放し、突発的な「身震い」を敢行した。
ドスゥゥゥンッ!
凄まじい衝撃。
しがみついていた人間の脊椎は瞬時に粉砕され、肉塊となって地面に叩きつけられた。
シュルツァーという巨人の身震い一つが、人間にとっては天災に等しい。
わずか15分。
シダビトーの全戦力は沈黙し、燃え盛る鉄屑の山へと変わった。
「全機、ルガの背骨を抜けるぞ。目標、ルディガゼーラ南側!」
カイのアスラを先頭に、中隊は露岩地帯を驚異的な速度で駆け上がった。
そして辿り着いたのは、ルディガゼーラ要塞の真裏、弾薬庫と軍事工廠が立ち並ぶ心臓部であった。
「第四小隊からリヴァイアサンコントロール!……おかしいですわ! シュテルツァーが一機も居ないですわよ!」
マイ中尉が驚きの声を上げる。
「帝国のエース様たちは、海ばかり見ていて背中のファスナーが空いていることにも気づかないのかしら? 全機、攻撃を開始してください」
ミナが無線でクスクスと笑う。
それは勝利を確信した笑みであった。
隣に立つシリチャイ中将も、その報告に昂ぶりを抑えられず笑顔で応じた。
そこにあるのは、無防備に晒された要塞砲軍と山積みの弾薬。
抵抗するのは、未だ事態を把握していない歩兵のみである。
「不安になるな。奴らが油断した報いだ。……一気に食い破るぞ!」
カイの号令と共に、アスラが海面に滑り出る。
パイルバンカー『コキュートス』が火を噴いた。
ドゴォォォォォォォンッ!!
アスラのパイルバンカーで駆逐艦がへし折れる。
リロードされた薬莢が別の艦体に当たり、澄んだ音を響かせたその瞬間、その駆逐艦もまたバイタルパートを貫かれているのだ。
カサイ少尉の120mm滑腔ライフルが、3000メートル先の燃料タンクを正確に射抜いた。
次弾が弾薬庫を貫通し、夜空をオレンジ色の地獄に変えていく。
「ユキヤ、右舷の燃料集積所を燻り出せ。仕上げは俺がやる」
「了解です、チャルン少佐。……花火の準備はできてます!」
ユキヤ・サトウ少尉のフェンリルが、『ヴォルケ・ファウスト』を同時掃射した。
低圧発射方式特有の音が連続し、テルミット弾が工廠の屋根を突き破る。
一拍おいて、建物全体が内側から白熱した。数千度の高熱が、出荷を待つばかりの旧式機『ヴルク・アクス』をドロドロの鉄屑へと変えていく。
「出たな、ブリキの箱どもが」
煙の中から現れた自走砲に対し、チャルン少佐の冷徹な声が響いた。
有線誘導ミサイル『ドラート・ラケーテ』のハッチがフルオープンされる。
「全弾、同調。……発射」
シュシュシュシュシュシュッ!!
回避不能な精密機動を描く無数の火蛇が、装甲車列へと降り注いだ。
成形炸薬弾が車体内部でメタルジェットを噴射させる。
ドドゴォ!ドゴオォォ、ドゴオォォン!!
連鎖する爆発。
チャルンは次弾を装填し、海峡側の要塞砲陣地へと狙いを定めた。
「ユキヤ、暴徒鎮圧音響弾を砲台の観測所に叩き込め」
「了解! サービスですよ!」
音響弾が炸裂し、帝国兵がのけ反った隙に、チャルンのミサイルが砲台の旋回ギミックを粉砕した。
海峡の守りである『ヴァジュラの火槌』が、一度も火を噴くことなく陸側からの攻撃で沈黙していく。
『第三小隊からグングニル。剣は折れた。剣は折れた』
要塞の頂で照明弾が夜空を染めた。
それはリヴァイアサン中隊による勝利宣言であった。
「……暗号『アイガー登頂』を受信。要塞砲、全門沈黙!」
艦橋でナティカ准尉の声が震えた。
「全艦隊、突入開始ッ!!」
シリチャイ中将の咆哮を合図に、第41臨時混成艦隊が加速を開始する。
全艦の汽笛が重なり合い、海峡に咆哮となって響き渡った。
先頭を切る四隻の駆逐艦は、時速40ノットを超える超高速で海峡へ飛び込んだ。
かつて「死の射程」と呼ばれた圏内に踏み込んでも、砲座は微塵も動かない。
「……全艦、対艦パイルバンカー装填! 敵駆逐艦を海底へ叩き落とせ!」
混成艦隊の「暴力」が牙を剥く。
グングニルの艦首から、巨大な杭が射出された。
鋼鉄の杭が帝国駆逐艦の喫水線を容赦なく貫く。
装甲を抜くのではない、数万トンの衝撃が艦体構造そのものを物理的に「へし折る」のだ。
ゴガガガガガガッ!!
帝国艦は中央から真っ二つに裂け、轟沈していく。
その横を揚陸重装巡洋艦が通過し、150mm二連装砲が歩兵部隊を塵へと変えていった。
南側の軍事工廠が火の海と化したが、北側には未だ強固な防壁と守備隊が潜んでいる。
「南は片付いた。……次は北だ。諸君、跳ぶぞ」
サカモト中佐の号令が飛ぶ。
ミナが素早く戦況を伝えた。
「リヴァイアサンコントロール了解、北側要塞砲は沈黙。敵歩兵大隊と装甲師団規模。シュテルツァー無し、艦隊は沈黙。副長、カサイ少尉が狙撃任務についているので第一小隊に入ってください」
「了解だ。いくぞシュミット!」
漆黒の海峡、わずか数百メートルの距離を、シュテルツァーの脚部が「跳躍」で渡る。
「私が、先に行きますわ!」
マイ中尉のフェンリルが、誰よりも早くプラズマの尾を引きながら海峡を飛び越えた。
空中での一斉射撃に対し、マイの30mmカノンが空中で火を噴く。
ドドドン!ドドドン!ドドドン!ドドドン!
正確な掃射が、防壁の機銃座を兵士ごと削り取った。
着地と同時にニルット大尉とアラン中尉の第二小隊が展開する。
アランのフェンリルが『八九式電磁鉄甲』を装甲車に叩き込んだ。
超重量の拳がエンジンブロックを貫通、粉砕する。
一方、ニルット大尉は二丁の散弾銃で路地裏を「掃除」していった。
その頭上、シュミット少佐が「帝国に……エウロの痛みを知らせてやる!」と叫び、垂直落下した。
超振動ブレード『クリーグ・メッサー』が青白く発光し、帝国兵を紙のように切り裂く。
同時に144mm自動ライフルをゼロ距離で咆哮させた。それは慈悲なき復讐の舞であった。
その横ではサカモト中佐の『グレイプニル』が舞い、司令部前を蹂躙する。
彼の通った後には、寸断された鉄の残骸だけが残った。
エース不在の帝国軍は、リヴァイアサン隊の圧倒的な暴力の前に、ただの無駄な足掻きを繰り返すのみであった。
「見てなさい……これが、奪われた者の怒りよ」
ナティカ准尉は敵艦隊の壊滅を見つめながら、拳を握りしめた。
歩兵たちの悲鳴が響く中、中隊は一方的な蹂納を続けた。
帝国軍が誇る『ヴァジュラの火槌』も、守護神『ケルベロス』も、この戦場には存在しなかった。
静まり返った廃墟の中央、アスラのコクピットでカイ・イサギ大佐が小さく息を吐いた。
「……リヴァイアサンコントロール、聞こえるか。北側の殲滅、完了だ。あー……もう少し楽しみたかったんだけどな。みんながどんどん行っちゃうから、俺の分がなくなっちゃったよ」
その声が響いた瞬間、無線からは部下たちの笑い声と文句が飛び出した。
「あら、大佐! もたもたしている大佐が悪いんですのよ!」とマイ中尉が笑えば、アラン中尉も「譲る暇なんてありませんでしたって!」と続く。
「チャルン少佐が僕の獲物までミサイルで横取りしたんです!」とユキヤが訴え、チャルンは「次はもっと数がい場所へ行きましょう」と冷徹に返した。
サカモト中佐は「部下にスコアを譲るのも指揮官だぞ」と呆れ、シュミット少佐は「この作戦は、我らエウロの積年の恨みを晴らす最高の回答となった」と感謝を述べた。
カイはモニター脇のミナの写真に指を触れた。
壊れゆく要塞の爆発音は、彼には彼女へと続くカウントダウンのように聞こえていた。
本来、ここには帝国最強の『第88対シュテルツァー特務中隊』が駐屯していたはずであった。
しかし、帝国参謀本部の無能な政治的配慮により、彼らはわずか三日前に転属させられていた。
現在のルディガゼーラは、最強の矛を奪われ、新しい盾も届いていない歴史的な「真空地帯」であったのだ。
海峡の両岸から噴き上がる爆炎が海面を赤く照らし、グングニル艦隊の進路を「勝利の道」として指し示していた。




