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第37話 脚の理由

 一九八三年五月

 漆黒のガルガナス大海を切り裂き、メニスカス海を目指す第41大東亜エウロ臨時混成艦隊 旗艦 揚陸戦艦『グングニル』の艦内は、エンジンの重低音と張り詰めた殺気に満ちていた。  

 作戦会議室の中央、大型円卓には鮮明なカラーの航空写真が何枚もクリップで留められ、その色彩が、えぐり取られたような絶壁の白さと、そこに据えられた砲台の不気味な黒さを残酷に際立たせていた。


「……正気か。本国は、我々に海中の藻屑になれと言っているのか」


 副司令官ベルナール少将が、震える指でエウロ本国司令部から届いたばかりの電文を叩いた。


 第一級機密司令文書


極秘:大東亜連邦・エウロ・ゲルマ・リキ合同参謀本部発

宛:第41大東亜エウロ臨時混成艦隊 司令部

所属:第507特務中隊・リヴァイアサン運用部隊、他


指令:『ルディガゼーラ海峡突破』及び『ターナー奪還』


一、第41混成艦隊は、現時刻を以て最優先順位で作戦行動に移行せよ。


二、速やかにルディガゼーラ海峡を突破。

 同海域における帝国軍勢力を排除し、メニスカス海へ進出せよ。


三、指定時刻までにメニスカス海域にてエウロ 

 本国軍と呼応、共同戦線を展開。

 帝国軍ターナー島要塞を完全攻略せよ。


 本作戦は両陣営の政治的連携の根幹である。

 全将兵、なお一層の奮戦を期待する。


 その命令は、現場の兵士にとっては死刑宣告と同義だった。


「いいか、海峡の全域が帝国軍の沿岸散布砲『ヴァジュラの火槌』の射程三〇〇〇メートル圏内だ! 誘導兵器がマンガニス粉塵で死滅したこの海域で、奴らは最初から『命中』など期待していない。海域そのものを鉄の雨で塗り潰す『面制圧』だ。カイ大佐、貴公のアスラがいかに高速で海面を滑ろうと関係ない。数万発の鋼鉄弾が海面にぶちまけられれば、波そのものが衝撃で消失する。蹴るべき水面を失えば、アスラとて海中へ没し、重圧に潰されるしかないのだ!」

 ベルナールの怒号が室内に響き渡る。

 これに対し、第一小隊長のシュミット少佐が、腕を組みながら冷ややかに言葉を添えた。


「少将の仰る通りです。さらに問題なのは、アスラ以外の全機体……私のフェンリルも、サカモト中佐のグレイプニルも、海上運用能力が皆無だという点です。グングニルを要塞砲の射程外に留めたまま、アスラ一機でどうにかできる規模ではない」


「そうだ! そもそもこの艦隊の火力では、接岸する前に蜂の巣にされる!射程も命中制度も敵の方が上なのだぞ!」


 参謀たちが絶望に顔を歪める中、ミナ・フェリシア少尉がさらに冷徹な事実をモニターに突きつけた。


「……さらに。ルディガゼーラ海峡の突破はただの要塞攻略ではありません。帝国の誇る最強の部隊――第88対シュテルツァー特務中隊『ケルベロス』が、そこに配置されています」


 画面に映し出されたのは、四機のシュテルツァーの静止画。

 連邦情報部が「悪魔たち」と呼称する、帝国のエース集団だ。


「まずは中隊長、ソルガ・ユルヴァ・ストリクス中佐。機体名・コードネーム共に『オーディン』。リミッターを完全解除したバランス型です。右手の一四四ミリ試製ライフルによる精密狙撃は、中距離において圧倒的な命中率を誇ります。左手には二〇ミリ機銃。中距離の支配者です。撃墜数540。……撃墜数はあくまで敵兵の噂から出している数字ですが、あながち遠くはないでしょう」


「……あの親父、まだ生きていたのか」  

 サカモト中佐が、苦虫を噛み潰したような顔で、煙草の煙を吐き出した。


「次は小隊長、ヘルガ・バルムンク大尉。機体名『ミョルニル』、二つ名は『雷槌』。重量級でありながら、こちらの攻撃を紙一重でかわし続ける神懸かり的な回避能力を持ちます。右手ショットガン、左手パイルバンカー。……この女、コクピットしか狙いません。残酷な性格で有名です。撃墜数101」


「……性格が悪そうな女だ。パイルバンカー対決と洒落込むか」  

 カイが腕を組みながら無邪気に笑うが、ミナの表情はさらに険しさを増す。


「大佐、ふざけないで。次は、エルザ・シュタイン大尉、一九歳。機体名『ワルキューレ』、二つ名は『戦乙女』。軽量・跳躍特化機です。左肩の有線誘導ミサイルが得意ですが、本当に恐ろしいのは至近距離です。天才的なショットガンの腕前で、標的をゼロ距離から仕留める。本人は『近距離戦は嫌い』と言っているそうですが、その撃墜数は220。……撃墜の半数は近距離射撃。恐怖でしかありません」


「そして最後が、ジュリアン・ノール中尉。機体名、コードネーム共に『ロキ』。逆関節型の軽量機で、強化されたローラーによって地形を無視した三次元機動を見せます。右手ショットガン、左手三〇ミリ機関砲。中・近距離のスペシャリスト。撃墜数は106」


 会議室に、鉛のような沈黙が落ちた。  

 エウロ本国の参謀たちは「このエース中隊さえ排除すれば、勝利への道は開ける」と、地図の上の駒を動かすように容易く言い放つ。

 だが現場の将校たちにとって、それは死神の隊列を正面から突破せよと言われているに等しい不条理だった。

「本国の連中は、安全な司令部で酒を酌み交わしながら、指先一つで我々の死地を決めているのか!」  

 不満の火種は怒号へと変わり、室内で渦巻く。  参謀本部は、最強の『リヴァイアサン隊』——破壊神アスラ、そしてグレイプニルとフェンリルという伝説的編成への過信に酔いしれ、現実の戦力差を直視することを放棄しているかのようだった。  

 議論は堂々巡りを繰り返し、熱量を失った言葉だけが虚しく蓄積されていく。

 それは、死へと続く絶望のカウントダウンに他ならなかった。


 その時、腕を組みながら何かを考えていた様子のカイ・イサギ大佐が、顔を上げずにポツリと呟いた。


「……海が行き止まりなら、横から行けばいいんじゃないか?」


 一瞬、荒れ狂っていた怒号が止まった。参謀の一人が、信じられないものを見る目でカイを振り返る。


「……横だと? 大佐、冗談を言っているのか。ルディガゼーラの両脇は、垂直の断崖絶壁だぞ。船が通れない場所を、どうやって『横から』行くというんだ」参謀長がため息混じりに皮肉を言う。


「シダビトーだよ」  

 皮肉と気がつかないカイは立ち上がり、海図の手前にある小さな入り江を指差した。

「あそこの海岸なら、要塞砲の射程外だろ。そこから上陸して、陸路を北上すればいい。海からじゃなくて、陸から要塞の背後に回り込むんだ」


「何を馬鹿な!」  

 ベルナール少将が机を叩いた。

「シダビトーから要塞まで、道など存在しない! 険しい岩山と未踏の断崖だぞ。重量二十トンのシュテルツァーが何十機も進軍するなど、正気の沙汰ではない。そんなところに機体を降ろせば、進軍途中で故障するか、崖から転落して全滅だ!」


 だが、カイは怯まなかった。

 いつもの間の抜けたような笑顔のまま、けれど瞳の奥に破壊神の鋭利な光を宿して言い返す。


「でも、シュテルツァーの脚は、そのためにあるんだろ? 道がないなら作ればいい。帝国の連中だって、まさか自分たちの要塞を陸から、それもあの絶壁側から攻めてくる奴がいるなんて思ってないはずだ」


 会議室に奇妙な静寂が訪れた。

 否定しようとした参謀たちの口が止まる。  

 艦隊司令シリチャイ中将が、鋭い眼光で地形図を睨みつけた。


「……参謀! 今すぐシダビトーから要塞背後への勾配と地質を確認しなさい! 急いで!」


 その言葉を合図に、室内は再び喧騒に包まれた。

 だが、今度は「突破口」を探すための前向きな喧騒だった。

 参謀たちが定規を走らせ、地形図の等高線を血眼になって追いかける。


「……中将! 可能です!」  

 一人の若い参謀が、声を裏返らせながら叫んだ。

「シダビトーの海岸から北上し、この『ルガの背骨』と呼ばれる露岩地帯を抜ければ、要塞の真裏……弾薬庫や兵舎が並ぶ区画に直接出られます! 距離は約90キロ。勾配は最大で三十五度。通常の車両には困難な起伏は存在しますが、シュテルツァーの強力な脚部駆動と姿勢制御があれば、ここなら……特に困難なルートでもありません!」


「なんだと……?」  

 ベルナールが息を呑んだ。彼はカイが指したルートを食い入るように見つめる。  

 帝国軍シダビトー基地。

 要衝ですらない補給基地。

 そこには強力な部隊はおろか、ルディガゼーラの予備資材が置かれている程度だろう。


「せいぜい対シュテルツァー装甲大隊が数個配置されている程度だろうが、あんなものは名前ばかりの張りぼてだ。装甲車両が逆立ちしたところで、シュテルツァーの敵ではない」とアラン中尉が吐き捨てるように言った。


「確かに、ルディガゼーラの要塞砲はすべて海を向いている。陸側は守備隊の歩兵がいる程度で、重装甲のシュテルツァーによる強襲など想定すらされていない。……いける。これなら勝機がある!」


「上等だ」  

 サカモト中佐が、不敵に唇を歪めた。

「海面で動けない的になるのは御免だが、土の上ならこちらにもやりようがある。……問題は第88特務中隊だが、奴ら、AAU戦が佳境のこの時に、あんな掃き溜めのような要塞防衛任務なんて、腐っているはずだ」


 サカモトは海図の一点を見つめ、吐き捨てるように続けた。

「奴らは本来、エウロ侵攻の初動を担うはずの『矛の最先端』だ。それがこのところの我々の動きで、エウロ側を過剰に刺激するのを恐れた帝国内部が、あえてあそこに留め置いた。いわば、政治的な都合で手足を縛られた死神よ。防衛任務なんて退屈な仕事、奴らの性に合うはずがない。……油断している、というより、下手をすれば臨戦体制などとっていないかもしれない。そこを突く」


「ああ。丘を登って奇襲で要塞砲さえ潰せば、艦隊が通れる道ができるだろ?」


 カイの言葉に、これまでの否定派だった参謀たちも、次々と戦術案を出し始めた。

「それなら、カサイ少尉を絶壁の頂上に配置すれば、海峡全体の狙撃ポイントになります!」

「チャルン少佐のミサイルも、断崖からの打ち下ろしなら最高だ。一掃できる!」


 不可能だと思われた海峡突破が、カイの一言で「陸上攻略」という現実的なシナリオへ書き換えられていく。

 しかし、その熱狂を冷ますかのように、通信士のナティカ准尉が駆け込んできた。

 その手には、震えるような新着の電文があった。


「……報告します! エウロ本国司令部より追加の電文です!」


 ナティカの声が、会議室に冷たく響いた。


「『帝国軍との交戦を避け、エウロ西部方面スーメライ軍港へ寄港せよ。移動に際し、帝国対艦シュテルツァー中隊と艦隊で接敵した場合は、全力での回避を推奨する』……以上です」


 一瞬の沈黙。そして、シュミット少佐が盛大に鼻で笑った。

「スーメライへ退けだと? あそこへ逃げ込めば、我々はメニスカス海への道を永久に失い、大西洋の袋小路で干からびるのを待つだけだ。……本国の連中は、自分たちがどれだけ臆病な命令を下しているか、自覚すらしていないようだな」


「全くだ。命令をコロコロと変えおって。盤上の駒の痛みも知らぬ腰抜けどもが」

 ベルナール少将は、先ほどまで「不可能だ」と叫んでいたことなど忘れたかのように、その電文を無造作に握りつぶし、火を点けると灰皿の中へ投げ捨てた。

「……通信障害だ。いいな?」


 シリチャイ中将が力強く頷く。

 カイは懐にある、少し汚れた新居の設計図を指でなぞり、窓の外の暗い海を見つめた。


 一九八三年五月、深夜。  

 揚陸戦艦グングニルは、絶望の海路を捨て、誰もが「不可能」と切り捨てたシダビトーの断崖へと舵を切った

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