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第36話 卑怯な恋文

 一九八三年五月

 ゲヘナ大陸中央西部、ガルガナス大海の荒い潮風が吹き抜けるルカ帝国海軍基地。  

 参謀本部の招集命令を受け、アンジャリとマリスの姉妹は、愛機と共に首都港を目指していた。 

 本来であれば大型機専用特殊輸送船で優雅に運ばれる身分であるが、折悪くAAU戦線の激化により、特殊輸送船のすべてが前線へと出払っていた。

 八脚という異形の駆動系を持つ『クラーケオス』と『クラーケン』は、通常の貨物船には収まりきらない。  

 彼女たちに残された道は、荒れ狂う大海を愛機自らの脚で滑走し、長距離行軍を果たすことだけだった。


「……こんなの、新兵訓練以来ですわ。全然わからない」


 基地の隅、潮騒と重油の臭いが立ち込める屋外整備場で、マリスは慣れない作業に口を尖らせながらスパナを握りしめ途方に暮れていた。  

 内地の基地は人手不足が深刻で、整備兵たちは海戦で傷ついた艦艇の修繕に追われている。

 トップエースであり、軍部でも「お姫様」と持て囃されてきた彼女たちに、優先的に手を貸す者はいない。  

 アンジャリもまた、汚れるのを厭わずに分厚いマニュアルと格闘していた。


「マリス、少し待って。今、図面と現物を照らし合わせているから……。うーん、ここのバイパス、マニュアルの図と少し形状が違う気がするけれど、これで合っているの?」


 業を煮やしたマリスは、適当に見当をつけたハッチを力任せに抉り開けた。

 そこは本来、専門の整備士がオーバーホールの際にしか手を触れない、機体深部のバイパス回路。

 誰の目にも触れるはずのないその暗がりに、一通の紙片が張り付いていた。


「……何ですの、これ?」


 油に汚れたその封筒には、震えるような文字で宛名が書かれていた。


 マリス中尉殿。……いえ、マリス様。

 本来、機体に私信を隠すのは重大な軍律違反です。

 ですが、面と向かっては、あなたの眩しさに言葉が詰まってしまう。

 私は勇気が出ない臆病者です。

 ですから、整備兵でもよほどのことがない限り開けない場所に、こうして手紙を忍ばせます。

 つまりは、あなたがこれを見ることは永遠にないと信じて出した手紙です。


 いつか、私は戦死するかもしれません。

 軍人である以上、それは怖くありません。

 しかし、あなたを愛する気持ちを、たった一言も告げないまま死ぬこと――それだけが、私は怖いのです。

 私は、あなたを愛しています。

        リュゼ・イスタリオン准尉


「……バカね、あなた……。本当に、なんて、バカなんですの……!」

 マリスの指が、紙を破かんばかりに震えた。

 リュゼ。

 彼は背は余り高くないのに、基地では一番バスケットボールが上手かった。

 いつも誰かとバスケットボールをしていた彼。 

 マリスは、そんな彼がとても眩しく見えて、好きだったのかもしれない。

 そして、マリスの機体を誰よりも丁寧に磨き上げていた彼。

 彼が「絶対に見られることはない」と信じて、守り刀のように機体に込めた純情。  

 それが、最悪の戦況と、整備兵の不足という「不測の事態」によってマリス自身によって暴かれてしまった。


「リュゼ……。返事もできないじゃない……。こんなの、ズルいわよ……っ!」

 マリスはその場に崩れ落ち、泥と油にまみれた手紙を胸に抱きしめて嗚咽を漏らした。  

 彼が死ぬまで秘密にするつもりだった恋心。

 その封印を解いてしまったのは、他ならぬ自分自身。

 そして、彼を殺した「阿修羅」への憎悪が、悲しみと共に胸を焼き焦がす。


「マリス……」


 アンジャリが後ろから、汚れを気にせず妹を抱きしめた。

 彼女の胸にも、婚約者シグルドとの、二度と戻らぬ幸福な日々が去来する。


「彼は、あなたを苦しめたくてこれを書いたんじゃないわ。ただ……自分の命よりも大切に整備したこの鋼鉄の中に、あなたの命を守るための一部として、心を溶け込ませたかったのね」

「お姉さま……。彼、私がこれを見るなんて思ってなかったのですわ。なのに、あいつが……あの『阿修羅』が、私たちの何もかもを……ッ!」


 マリスの瞳の、少女らしい柔らかな光の中に、冷たく燃える復讐の炎が湧き上がる。

 彼の純情すら墓暴きのように暴かざるを得なかった戦場の残酷さを、彼女たちはその魂に刻み込んだ。


 数日後。

 キラキラとした「お姫様の目」で根負けさせた整備兵たちの手により、最低限の整備を終えた二機はルカ軍事港を出港した。  

 だが、洋上滑走を開始した直後、マリスの『クラーケン』が不自然な震えと共に停止した。


「マリス? どうしたの、加速して」

「……お姉さま、……お姉さま……」


 無線越しに聞こえるマリスの声は、今にも消え入りそうだった。


「……わたしのクラーケンの中の音に……。彼の……リュゼの音が、混ざるの……」

「マリス……?」

「マンガニスの脈動も、油圧の律動も……全部、彼が話しかけているみたい。『中尉、ここは遊びが必要ですか?』『狭くありませんか?』って。いつも言っていた、あの音が……レバーを通じて、私の指先に伝わってくるの」


 マリスは操縦桿から手を離し、自分の胸を抱いた。  

 いつもなら聞き流していた機械的なノイズのすべてが、今はリュゼの献身的な囁きに聞こえる。

 彼が心血を注いで調整したこの機体は、今、マリスの五感を通じて、失われた彼の存在を訴え続けていた。


「お願い……。少しだけ、時間を頂戴。……操縦が、できないの。レバーを動かそうとすると、彼の手が重なっている気がして……、私の代わりに、彼が泣いている気がして……ッ!」


 強靭なエースパイロットの仮面が剥がれ落ち、そこには愛されていたことに今更気づいた、ただの少女がいた。  

 アンジャリは、何も言わずにクラーケオスを横付けし、妹を抱きしめるように寄り添った。


「いいわ、マリス。止まっていい。……そのまま、彼の音を聞いていなさい。時間はたっぷりあるわ……ここはもう、ケマネアリじゃない」


 霧深いガルガナス大海。  

 二機の巨大な魔獣は、海面に浮かぶ鉄の島のように静止した。  

 マリスは、機械が発する熱と音の中に、今はなき少年の鼓動を探し続けた。  

 それは首都へ戻るための行軍ではなく、二人きりの、誰にも邪魔されない「葬送の儀」であった。


 時を同じくして、世界は激変の渦中にあった。  八州の大東亜連邦本部、そしてベルアークのエウロ・ゲルマ・リキ本部には、氷のような電文が届いていた。  

 アングロ・アメリ・ユニス(AAU)からの回答は、絶望的なまでに傲慢だった。


『連邦やエウロの助けなど無用。我々には我々の、世界を焼き尽くすだけの「鉄の雨」がある。 我らアメリの艦隊と師団が、君たちの何倍あるか理解しているのか? 貧弱な貴公らの兵力など、戦況の足しにもならん』


 ニュー・ヨルクスの評議会は、迫りくる帝国の牙に喉元を焼かれながらも、かつての栄光という幻想に縋り付いていた。  

 これを受け、大東亜とエウロは、AAUを切り捨てる意思を共有すべく極秘のホットライン会議を招集する。


「中隊長。……エウロからの緊急要請です」

 ミナ・フェリシア少尉が、義足を感じさせない凛とした足取りでカイの隣に立った。  

 その瞳には、休息を奪われた愛する男への痛みと、職務を全うしようとする軍人としての覚悟が混ざり合っていた。


「アメリが門を閉ざした以上、我々の次の矛先は……メニスカス海。ヴァジュラの手中に落ちた『要塞島ターナー』の奪還作戦に、リヴァイアサン隊の参加が組み込まれました」

「メニスカス海、か。また要塞を食い破れというわけだな」


 背後から現れたシュミット大尉が、低く笑う。 「エウロ政府は本気だ。ターナー島を落とし、メニスカス海の制海権を奪い返す。そのためには、海面を滑走する大佐殿の『黒い破壊神』が不可欠だと、奴らは喉を鳴らしているよ」


「確かにここを落とせれば、帝国の首都にチェックをかけられる……盤上の王の喉元に、剣を突きつけるも同然だ。しかしな…………」

 カイは懐にある、少し汚れた新居の設計図を指でなぞった。


「……ミナ。庭の話ができるまでには、まだしばらくかかるな」

「……ええ。きっと、素敵な庭になるわ。私は、最後まであなたの側にいる。だから、必ず」

「ああ。メニスカス海をエウロの手に戻してやる」


 カイはいつものように、無邪気とも言える笑顔で頷いた。

 だが、ミナの表情は晴れない。


「カーイー! ちょっと、分かっているの? この『行くまで』がどれだけ地獄なのかを!」

「ああ? 何日で着くんだ?」


 カイの間の抜けた問いに、ミナの声がグングニルの艦内に響き渡った。


「ケルゲレン島からメニスカス海まで、補給なしの強行軍よ! 帝国の本拠地にほど近いロピラ運河なんて使えるわけないでしょう? ガルガナス大海を抜け、帝国最大の関門ルディガゼーラ海峡を突破しなきゃいけないの! 戦闘は避けられないし、援軍だっていつ来るか分からないのよ!」


「……大変なんだな」


 カイはキョトンとした顔で、けれどその瞳の奥には、どんな要塞をも粉砕する死神の静かな闘志を宿していた。  

 細かいことを気にしない「破壊神」と、彼が必要な細かいところを支え続ける「不屈の少女」。  

 彼らの往く先には、古の海を血で染める、未曾有の激戦が待ち受けていた。


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