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第33話 受勲

 北の果て、AAU大陸の北西の要衝スーメムの空は、燃えるようなオレンジ色の帷に包まれていた。

 かつてアングロ・アメリ・ユニス(AAU)の北の盾として君臨したこの地は今、かつてない絶望の淵に立たされている。  

 ヴァジュラ・バラ・カノン帝国がその全戦力を傾けた「聖裁」の矛先。

 それは、広大な大地と物量を誇ったかつての超大国を、無慈悲なまでに蹂躙し始めていた。


「――上だ! 上から来るぞッ!」


 そして、蹂躙される戦車をはじめとした陸上兵器。

 AAU大陸の南東に位置するトカムダから北上する南アメリ戦線、そしてAAU大陸の北部一帯ガノディアの東方に築かれた橋頭堡。

 そこから溢れ出したヴァジュラのシュテルツァーは、AAU軍の常識を根底から打ち砕いた。

 AAUの防衛の要であった重装甲の要塞や、精強な鉄壁の戦車大隊。

 それらは、三次元機動を駆使する帝国の機体群の前に、ただの標的へと成り下がっていた。


 帝国の機体は、大東亜やエウロほど職人芸に依存していない。

 だが、徹底的に洗練された「三次元機動」を実現していた。

 悪路を苦にせず、森林や廃墟を縦横無尽に踏破し、強力な跳躍ブースターによって上空から120や144mmライフルの雨を降らせる。

 さらにシュテルツァーが歩兵のマシンガンのように使うのは20mm機関砲や、30mm機銃である


 ローラー起動で戦車砲を避け、跳躍すれば容易く戦車の上面装甲を打ち抜き、貫通した弾は内部で炸裂するのだ。

「……化け物め! 戦車が追いつけん! 照準が定まらんのだ!」


 AAUが誇る重戦車軍団が、広大な平原に展開して物量で押し返そうと試みる。

 しかし、シュテルツァーの群れは山岳地帯のみならず、岩場や沼地を軽々と越え、戦車の死角である上空から急降下し、その脆弱な天板を貫いていく。  

 AAUはシュテルツァーを甘く見ていた。戦車保有台数は帝国の何百倍。

 だが、侵攻が始まって初めて彼らは気づくのだ。

 戦車が時代遅れだということに。


 ガノディアの凍土も、南アメリのジャングルも、彼らにとってはただの舗装路に過ぎない。

 要塞は沈黙し、拠点都市は炎に包まれた。

 AAU各ブロックは未曾有の退却を余儀なくされ、広大な資源地帯であるAAU大陸の北北西方に突き出た世界最大の半島大陸マルムメアが落ちるのも時間の問題となっていた。

 そして今、サルガナス大海の中央に位置する要衝メドムが陥落したという報が世界を駆け巡った。


 バルラート洋の孤島、ケルゲレン島の母艦。

 ミナ曹長は、アメリ戦線から届く悲鳴のような暗号電文を傍受し、青ざめた表情でカイへと報告した。


「……AAUが、壊滅しかけているわ。ヴァジュラの高機動兵器に、既存の戦術が全く通用していない。……このままじゃ、あと数ヶ月で南AAUとアエテルナ、マルムメアが落ちる。そしてメドムは今、陥落よ」


 カイ・イサギはアスラのコクピットで、オイルまみれの手で整備を続けながら言った。

「シュテルツァーの考えにAAUはついていけていないんだ。……三次元機動で地上兵器を翻弄する。これが、今の戦争だ」


 カイのアスラが「個の奇跡」なら、ヴァジュラがAAUで見せているのは効率的なシュテルツァー運用だった。

 そこへ、エウロのシュミット大尉が歩み寄ってきた。


「中佐、我らエウロ・ゲルマ・リキにも本国から通達が来た。……アメリを失えば、世界はヴァジュラに飲み込まれる。『大東亜、エウロ同盟を拡大しアメリ救済のための転戦の可能性あり。備えよ』とな」


 シュミットは、カイが見つめていた家の設計図に目を落とした。

(バカな、そこに暖炉だと?暖房効率が悪い。何より「家族みんなで暖炉前に集まりにくい」では無いか!)

 シュミットは、何も言わずに悲しげにカイを見るのだ。

 そんなシュミットの気持ちに、全く気がつくはずのないカイは、「……家を建てるのは、もう少し先になりそうだな。次は……あの海を越えることになるかもしれない」とシュミットとミナに聞こえるように呟くのだった。


「サルガナス大海か、ガルガナス大海側から行くのはどうだ?」  

 カイは静かに設計図を畳み、胸のポケットへ仕舞い込んだ。

「ミナ。AAU本土への航路を計算しておいてくれ。……AAUと国交は無いが、陥落したら厄介だ」


「了解、中佐。……すぐに最適航路を割り出すわ。でもね、カイ。サルガナス大海だけで大丈夫よ」

「なぜ?補給か? エウロがいるだろう」


 その言葉に、ミナとシュミットが同時に動きを止めた。


「……バカねえ、カイったら。今、電波が長距離を飛ばないのは世界の常識よ。知っているでしょう?」  

 ミナが取り外されて床に転がっていたアスラのマンガニス混合機手動作動用クランクを手の中でくるくる回し、座ったままカイを見上げた。

「本国や味方の拠点がない、連絡手段もない航海を続ける意味……わかってるのかな? クスクス」


 ミナの忍び笑いに、鉄の規律を纏っていたシュミットさえもが、こらえきれずに肩を揺らした。 「中佐、申し訳ないが……ガルガナス側に向かえば、通信はどうするのだ? 我がエウロも、西側のガルガナス大海側は、エウロ最西端の国ヌグメーダも、エウロからガルガナス大海に出る玄関であるルディガゼーラ海峡も、すでにヴァジュラの版図なのだから」


 シュミットすらもが、悪戯を見つけた子供のように可愛く笑っている。

 カイは面食らい、オイルのついた手で頬を掻いた。


「……すまないな。俺を、これからもこうやって支えてくれないか。お願いします」


 ずっと他人に隙を見せまいと生きてきたシュミットは、この中隊にいることで心が穏やかになっていくのを感じていた。

  

 漆黒の死神と、不屈の通信曹長。

 二人の視線は、燃え盛る西の空――アメリ大陸へと向けられていた。  

 

 ケルゲレン島

 明日は、中隊全員の昇進と受勲を祝う、戦時には不釣り合いな「パーティー」。

 その幸福な響きが、ミナの胸を温かく満たしていた。

 

 かつてエウロ・ゲルマ・リキの平和な要塞都市であったケルゲレン島。

 ここは、帝国の世界に対する宣戦布告の象徴であった。

 そして、ケルゲレン島要塞都市総合司令本部にある大広間。


 大広間は巨大な「熱の坩堝るつぼ」と化していた。  

 本来、この要塞を奪還するために編成された第41大東亜エウロ臨時混成艦隊。

 さらにはその後の長期占領を前提として送り込まれた駐留各部隊、駐留艦隊としてエウロ第三艦隊、治安維持の憲兵大隊、通信設備を再建するための技術部隊や、兵站を担う駐在軍政班。

 数万規模の将兵が、陥落したばかりの要塞へ雪崩れ込んでいた。


 彼らは一様に、浮き足立っていた。  

 数ヶ月に及ぶ凄惨な攻城戦が必要であろう『難攻不落要塞』がすでに「リヴァイアサン隊」という正体不明の一個中隊によって、中枢を完全に制圧された後の抜け殻だったからだ。

「――おい、あいつが『アスラ』か?」

「ああ、あのアスラが隊長で、エリート編成のリヴァイアサン中隊が、帝国の一個艦隊と要塞を一晩で潰したらしいぞ」  

 通路を歩くカイたちの背中には、数多の部隊から注がれる、羨望と、恐怖と、そして嫉妬が混じった視線が突き刺さる。

 今日は要塞内全体がバーや食堂と化していた。 

 配給されたばかりの酒を煽る兵士たちが、自分たちの戦う余地を奪った若き中佐の噂話に花を咲かせ、軍紀の維持もままならないほどの高揚感が石壁の隅々にまで充満していた。


 天井からは、前線には珍しい純白の布で装飾されたシャンデリアが幾重にも吊るされ、その柔らかな光が磨き上げられた大理石の床を鏡のように照らし出している。


 正面の演壇には、要塞総司令官レオポルド・アルカス大将が不動の姿勢で立ち、その傍らには銀のトレイを捧げた儀仗兵たちが控えていた。

 トレイの上には、漆黒のベルベットに横たわる勲章――『ヤマト小綬章』と『スナノオ中徽章』『騎士剣盾付き鉄十字章』が、シャンデリアの光を吸い込み、鈍く、しかし確固たる存在感を放って輝いている。


 司会進行として壇上に立ったのは、ベルナール少将だった。

 彼は端正な顔立ちを一層引き締め、静かに、しかし広間の隅々まで通る声で告げた。


「――これより、ケルゲレン島奪還作戦における殊勲者への受勲、および昇進伝達式を執り行う」


 ベルナールの視線が、最前列に並ぶ第507特務中隊の面々を捉えた。


「中隊長、カイ・イサギ中佐。前へ」


 カイが軍靴の音を響かせ、演壇へと進み出る。仕立て直された漆黒の礼装。

 その肩には、少年の細い肩にはあまりにも重い「英雄」の責任が乗っている。  

 アルカス大将が一歩踏み出し、トレイから『ヤマト小綬章』を手に取った。


「カイ・イサギ中佐。貴公の功績は、もはや語るまでもない。一個中隊をもって要塞を沈黙させ、艦隊を壊滅させた。さらにケマネアリ軍事基地の殲滅。その機動。貴公こそ、この暗雲立ち込める時代の『希望』そのものだ」


 大将の分厚い手が、カイの胸元に勲章を留める。

 ピンが布地を貫く小さな抵抗が、カイの心臓の鼓動と共鳴した。

 続いて大将自ら、カイの中佐の階級章を大佐に付け替える。

「……身に余る光栄です」  

 カイの声は短かったが、そこには共に地獄を抜けた仲間たちへの思いが凝縮されていた。


 次に、ラインハルト・サカモト少佐、前へ。

 中佐への昇進を命ずる。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ハインリヒ・シュミット大尉、少佐への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 チャルン・ピチット大尉、少佐への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ニルット・プラサード中尉、大尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 アラン・バティスタ少尉、中尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ニュエン・フォン・マイ少尉、中尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ジョセフ・カサイ准尉、少尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ユキヤ・サトウ准尉、少尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 タケシ・サカモト准尉、少尉への昇進。

『ヤマト小綬章』と『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ミナ・フェリシア曹長、少尉への昇進。

『騎士剣盾付き鉄十字章』を授与する。


 ベルナールの読み上げに従い、一人一人が壇上へ上がる。  

 

 ミナは、銀色の義手を震わせることなく、凛とした姿勢でヤマト小綬章を授かった。

 彼女の横顔は、もはや「守られるだけの少女」ではなく、一軍を導く士官の風格を漂わせている。


「総員、総司令官大将に敬礼ッ!」


 ベルナールの鋭い号令とともに、十名の英雄たちが一斉に右手を掲げた。  

 その瞬間、広間を埋め尽くした全将兵から、壁を震わせるほどの地鳴りのような歓声が巻き起こった。

 それは、絶望しかなかった戦争の中で、初めて掴み取った「本物の勝利」への、心からの叫びだった。

 

「堅苦しい時間は終わりだ! 今日はバルラートの海の幸が、諸君らの胃袋に降伏を乞うているぞ!」


 アルカス大将の快活な宣言とともに、大広間の奥の巨大な扉が左右に開け放たれた。  

 そこには、食の芸術とも呼べる、信じがたい光景が広がっていた。


 会場の中央を占拠するのは、巨大な「ドウメ大蟹」の氷上タワーだ。

 荒波に揉まれて真っ赤に色づいたその身は、殻を剥けば溢れんばかりの弾力を持った白身が覗き、立ち上る湯気と共に濃厚な磯の香りを振り撒いている。  

 その傍らには、ケルゲレン近海でしか獲れない「銀鱗の極光鮪」。

 脂の乗った大トロが、繊細な氷細工の皿の上で宝石のように輝いている。


「……ちょっと、ナティカ! 見て、この深海真珠貝のグラタン! ソースの中に、本物のトリュフが刻まれてますわ!」

 マイ中尉は、普段の傲岸不遜な態度をどこへやら、目を皿のようにして料理の山に飛びついた。 

 彼女が手に取ったのは、要塞のシェフが全霊を懸けた「七層仕立ての7種のベリー・タルト」だ。  フォークを入れると、サクッとしたパイ生地の中から、カノディア産の冷涼な気候で育った甘酸っぱい苺のコンフィチュールが溢れ出す。


「……んん……っ! 美味しすぎますわ……。戦場のレーションなんて、もう二度と口にしたくありませんわね!」  

 マイは頬を桃色に染め、一口、また一口と、至福の糖分を全身に染み渡らせていった。


「ミナ少尉! こっちの『蜂蜜漬けのナッツケーキ』も凄いですよ! 中からとろっとしたキャラメルが……!」  

 ナティカ准尉も、頬をケーキで膨らませながらミナの袖を引く。

「ふふ、ナティカ。そんなに慌てたら、せっかくのパーティーがすぐにお腹いっぱいになるわよ。……でも、本当に。……こんなに美味しいものを食べられる日が来るなんてね」


 ミナは、銀のフォークで小さなマカロンを口に運んだ。

 甘さと共に、あの日、尋問室で縛られていた恐怖が、暖かい光の中に溶けて消えていくのを感じていた。


 会場の隅では、シリチャイ中将がカイに寄り添い、自らの故郷の香辛料をふんだんに使った「王家蟹の海鮮スープ」を勧めていた。

「カイ、これを飲みなさい。冷えた体には、これが一番の薬なのよ。……本当に、よく生きて戻ってくれたわ」

「ありがとうございます、中将」  

 カイは、温かいスープと共に、ようやく自分の心が「帰還」したことを実感していた。


 喧騒が最高潮に達し、ワルツの旋律が広間に響き渡る中、カイはそっとミナの手を取った。 「……少し、外へ出ないか」

「……ええ、いいわよ」


 二人は賑やかな広間を抜け、要塞の最上階にある展望テラスへと出た。  

 そこには、冷たい夜風と、静かなバルラート洋のさざ波、そして満天の星空だけがあった。  

 テラスの小さなテーブルには、ミナが「どうしても二人で食べたかった」と、会場から持ち出した二つの小さな「苺のムースケーキ」が、銀のトレイに乗せられている。


「……カイ。勲章、似合っているわ」  

 ミナが、カイの胸元に輝くヤマト小綬章を、愛おしそうに指先でなぞった。

「ミナだって。南の島のおてんば少女が英雄で受勲だってさ」

 ミナの細い肩を抱き寄せた。

「あなたのおかげよ。私は何もしないで勲章もらったの」

 礼装越しに伝わる彼女の確かな体温。

「……ミナ。寒くないか?」

「ふふ、大丈夫。ここの海の風はとてもあたたかいもの」

 ミナは、カイの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。 「……ねえ、カイ。このケーキ、一緒に食べましょう?」  

 ミナがフォークですくい上げて、周囲を確認する。

 一粒の苺。

「あーん、して?」

 カイは照れながらも、その甘い果実を口に含んだ。

 苺の酸味と生クリームの濃厚な甘さが、戦場での硝煙の味を完全に上書きしていく。

「……甘いな。……うまいよ」


 カイは、血に染まったように見えている自身の掌を見つめた。

 敵機の挙動を完璧に読み切る彼が、目の前の少女の心の機微にだけは、どうしようもなく翻弄されている。

 その戸惑いこそが、彼を「破壊神」から「人間」へと繋ぎ止める唯一の錨だった。



「ふふ、そうでしょ? ……私だけのエースパイロットさん」

 ミナは自分の言葉に恥じらいを隠す事が出来ず、赤く染まったであろう顔を少し俯かせた。

 月の光が二人の影を石床に長く落とす。 

 カイはミナの顎をそっと持ち上げ、その潤んだ瞳を見つめた。  

 重なり合う唇。  

 それは、重油の匂いも、鉄の絶叫も届かない、 

 ただの十九歳の少年と少女としての、純粋な愛の誓いだった。


 テラスの向こうでは、勝利を祝う大輪の花火が打ち上がり、暗い海面を色鮮やかに染め上げた。

 決して遠くない日、絶望のアメリ戦線へと舵を切らねばならないかもしれない。

 帝国のエース機が牙を剥き、ヴァジュラの鋼鉄の軍勢が待ち構えているだろう。


 けれど、この夜の甘いケーキの味と、唇に残った確かな温もりがある限り、彼らが立ち止まることはない。  

「……必ず、生き残ろう。……二人で家を建てるんだ。暖炉付きのな」

「ええ。……約束よ、カイ」


 遠くで弾ける花火の残響が、バルラートの闇に溶けていく。

 明日にはまた、鉄と油の日常が始まる。

 だが、カイの胸ポケットには家の設計図が、そして唇には熱い誓いが刻まれている。


 二人は繋いだ手を放さないまま、夜の風に吹かれていた。


 英雄たちの凱旋の夜は、静かに、しかし力強く更けていった。

 


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