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第32話 双頭の荒鷲

 南サルガナス大海の彼方、濃厚なマンガニス粉塵が海面を覆う絶望の海域。

 アングロ・アメリ・ユニス(AAU)軍にとって、そこは「極東の生命線」であり、同時にヴァジュラ帝国の侵攻という猛火に焼かれる最前線であった。


 巨大な大陸、『アエテルナ』。  

 この大陸の東部、ポートアススクはAAUサルガナス艦隊の主力ドックが並ぶAAUの盾である。

 対して西部、バルラート洋を望むルスフェードは、ゲヘナから迫るヴァジュラ帝国の軍勢を迎え撃つための要塞都市だ。  

 すでにヴァジュラ帝国は、このルスフェードから強行上陸を果たしている。

 彼らは「聖裁」の旗の下に橋頭堡を築くと、怒涛の勢いで進撃。

 アエテルナの国土四割を支配下に収め、AAU軍を大陸中央へと緩やかに押し込み続けている。


 そして、その傍らに位置する島、『クメルクス』。  

 ここはアメリの戦争継続能力を支える「地底の心臓」である。

 クメルクスの地下には、高純度のマンガニス海中鉱山が眠っている。

 AAUはこの資源を採掘するため、島そのものを貫く巨大な縦型掘削トンネルを建設した。    このマンガニスは、本来「水」と激しく反応する性質を持つ。

 しかし、未精製の不純な天然鉱石である限り、海水に触れたとしても即座に島が消し飛ぶような大爆発が起きるわけではない。  

 海水が浸入すれば、表面が激しく反応し爆発を起こすが、それは一瞬で収まる。

 反応によって生じた不純物の層が表面を覆い、深部への連鎖を遮断するからだ。


 南太平洋を覆うマンガニス粉塵が、粘り気のある赤錆色のとばりとなってクドムルーの街を包んでいた。

 かつての美しい港湾都市の面影はなく、空気は焼けた鉄と、精密機械の継ぎ目を蝕む微細な鉱石粉の臭いで満ちている。


 この海域は、AAUにとっての喉元だ。

 巨大大陸アエテルナでは、西のルスフェードから上陸したヴァジュラ帝国軍がすでに国土の四割を蹂躙し、AAU軍を大陸中央へと緩やかに、だが確実に押し戻している。  

 この島、クメルクスも同様だ。

 北のワーウルエタから侵攻した帝国軍は、今まさにアメリの「眼」である北東の要衝クドムルーを陥落させ、全軍を情報の闇に突き落とそうとしていた。


 視界は2km先すら怪しく、無線機からはただ砂嵐のようなノイズが溢れるのみ。

 そんな死の静寂が支配する瓦礫の中で、帝国歩兵の一人が崩れかけた石壁に背を預け、悠然と煙草をくゆらせていた。


「おい、こんな前線で煙草の火は危ねえぞ。アメリの連中に位置を教えるようなもんだ」


 隣の兵士が小声で咎めるが、男は紫煙を深く吐き出し、鼻で笑った。


「大丈夫さ。アメリ野郎どもは、さっきの『掃除』で随分と後退したはずだぜ。……あいつら、俺たちの姿どころか、自分の手も見えてねえよ。そもそもあんな三本脚の出来損ないじゃ、俺たちの相手にはならねぇよ」


 男がそう言い切るより早く、彼らのすぐ背後、瓦礫の山と同化していた二つの「影」が、微かな駆動音と共に身を震わせた。


 ――ズゥゥゥゥンッ!! 


 ズゥゥゥゥンッ!!


 それは、狙撃特化型二足歩行兵器専用の120mm滑空ライフルが放つ、空間そのものを物理的に叩き潰すような、腹の底を揺さぶる重低音の破砕音だ。

 プロトタイプ特有の長砲身から放たれた対要塞マンガニス炸裂弾が、音速の壁を突破して突き進む。


 数秒後。

 2km先の霧の向こうで、巨体が地面を砕き、アスファルトを跳ね上げる鈍い振動が足元に届いた。  

 AAU軍の主力三脚機『アイアン・デューク』。 

 分厚い圧延鋼板を誇るその機体は、正確に中央を射抜かれ、動力系を沈黙させていた。

 派手な爆炎はない。

 ただ、沈黙のうちに鉄屑へと変わる死の光景があるだけだ。


「ほらな? 掃除は終わったんだよ」


 歩兵たちが畏怖を込めて見上げる先に、二機の魔獣が伏せていた。


 帝国軍第362シュテルツァー大隊、第一中隊、第四小隊。  

 父、ガリアス・ヴォルカス少佐の乗機、V-LXX-01/THR『トール』。  

 そして息子、ヴォルフ・ヴォルカス少尉の乗機、V-LXX-02/ULL『ウール』。


 その機体は、跳躍機能を完全に切り捨て、四本の脚を蜘蛛のように広げて地面を掴む特異なシルエットをしていた。

 肉体を絞り込んだマラソンランナーを彷彿とさせる、研ぎ澄まされた機能美。

 彼らは戦場に降り立つや否や、現地のコンクリートの色や錆、煤を混ぜ合わせた独自の塗料で、自らの手で機体を塗り潰す。


 彼らは機体に搭載された特注の多重光学レンズのみを頼りに、3.5km先の標的を射抜く「怪物」だ。


「ガッハッハ! 見たかヴォルフ! 今のは完璧だったぞ! 重装甲を貫いた瞬間に中で弾ける、あのアメリ野郎の断末魔がこのレンズ越しに見えるようだ!」


 外部スピーカーから響く、ガリアス少佐の野太い笑い声。

 少佐でありながら息子と一緒にいたいという身勝手な理由で小隊長に収まり続ける変人だが、その撃墜数は486機。

 帝国軍の歴史に刻まれるべき狂気の数字だ。


「親父、今のは左の脚の付け根だろ。俺の美しい狙撃に届くにはあと二百年はかかるな!」


「甘いな! 俺は486機だ。戦車や装甲車は恥ずかしくて数に入れんが……最近じゃアメリのあの不恰好な三脚機を撃墜スコアに加えるのも、良心が咎めるぜ!」


「違げえねえ! 止まってる標的を撃ってるのと変わらねえからな! ガッハッハ!」


 二人の見事な髭がコクピット内で揺れる。

 彼らが誇るのは理論ではない。

「センスと練習」……それだけで、粉塵による光の屈折すら脳内で演算し、神業を成立させていた。


 高笑いが粉塵に吸い込まれる中、機体内の戦術無線器が、強力な信号を拾った。


『第四小隊へ。至急、大隊指揮所に出頭せよ。繰り返す、直ちに出頭せよ』


「ちっ、呼び出しだ。ヴォルフ、行くぞ。海賊小隊の帰還だ。大隊長殿を待たせるわけにはいかねえからな」


 半壊したビルの中にある、砂埃の舞う大隊長室。  

 第362大隊長の中佐は、椅子から立ち上がると、階級の下であるはずの二人に対し、丁寧な言葉で接した。


「ヴォルカス少佐、ヴォルフ少尉。……相変わらずの見事な腕前です。これほど短期間で最前線を『掃除』されるとは。君たちの目が届く範囲に、アメリの鉄屑は残っていないようですね」


 中佐は、泥のついたブーツを机に投げ出し、鷹揚に構えるガリアスの不遜な態度を、むしろ微笑ましく思いながら、参謀本部の朱印が押された『転属命令書』を差し出した。


「……本国首都デリ・ガートに戻り、再編を受けよ?」


 ヴォルフが命令書を奪い取り、眉をひそめて親父と顔を見合わせた。


「おいおい、大隊長さん。アエテルナもクメルクスも、主力が壊滅してあと一歩だ。アメリ野郎をルスフェードの海まで叩き出す瞬間を、俺たちがどれだけ楽しみにしてたか分かってんのか? この『眼』であるクドムルーを完全に潰せば、アメリは終わりなんだぜ」


「全土陥落は確実です」  

 中佐は穏やかに、だが重々しく頷いた。

「ですが、アメリはしぶとい。彼らはまだ戦争を続けるでしょう。上層部は、君たちのその卓越した力を、より重要な再編部隊に必要としているのです。これは君たちにしか成し得ない仕事ですよ」


「親父! 教官やれとか後方配置なら、デリ・ガートで暴れようぜ! 訓練用の案山子を撃つなんて、退屈で髭がハゲちまう!」


 ガリアス少佐は獰猛な笑みを浮かべ、立派な髭をしごいた。


「おお! そりゃそうだ。俺たちは『双頭の荒鷲』だ。繋がれるのは御免だが……もし面白い獲物を用意してるってんなら、本土まで船を出してやってもいいぜ! ガッハッハ!」


 中佐に見送られ、二人は意気揚々と指揮所を後にした。  

 極東からAAU陣営が物理的に消滅する日は近い。

 だが、聖都デリ・ガートには、何が待つのか彼らには想像もつかなかった。


「ヴォルフ! 帰還の船が出る前に、もう少しくらいアメリの鉄屑を仕留めておくか!」

「賛成だ、親父! スコアの端数調整といこうぜ!」


 クドムルーの瓦礫の山で、ヴォルカス少佐の愛機『トール』は、獲物を待つ蜘蛛のように四本の脚を低く広げ、地を掴んでいた。  

 彼らのシュテルツァーには、特殊な装備がある。

 職人が手作業で磨き上げた重厚な多重光学レンズの群れと、パイロットの右手に委ねられた無骨な手動クランクだ。


「ヴォルフ、揺らすなよ。……大気が澱んでやがる」


 ガリアス少佐は、コクピット正面に鎮座する『連装式特注望遠鏡』に片目を押し当てた。

 ガチャン、と重い金属音が響く。

 少佐が手元のクランクを回すと、機体外部に露出した巨大なレンズ筒が、ミリ単位の精度でスライドし、焦点距離を調節していく。

 マンガニス粉塵による光の屈折——それはこの世界では「超長距離狙撃が出来ない理由」だが、彼にとっては「計算の変数」に過ぎない。


 レンズの奥で、2km先、さらにその倍の4km先に蠢く影が、陽炎のように揺れながら焦点を結ぶ。  

 AAU軍の三脚機『アイアン・デューク』。

 その鈍重な機体が、粉塵の幕の向こうで無防備にその身を晒していた。


「標的視認。……距離4050、仰角修正マイナス0.2。風はマンガニスの重みで下に垂れてやがるな」


 ガリアスは息を止めた。

 機体脚部の油圧ロックが作動し、四脚の爪が石畳を深く食い破る。

 反動で機体がズレることを防ぐための、「根」を張る動作だ。  

 右足がペダルを踏み込む。

 狙撃シュテルツァー専用120mm滑空ライフルの薬室に、『対要塞マンガニス炸裂弾』がガチリと装填された。


「海賊の流儀を教えてやる。……死ね、鉄屑が」


 引き金が引かれた。


 ――ズゥゥゥゥンッッ!!!


 瞬間、トールの全身を凄まじい衝撃が駆け抜けた。

 ライフルの咆哮が大気を物理的に引き裂き、砲口から噴き出した火薬燃焼ガスが、周囲のマンガニス粉塵を一瞬で吹き飛ばして円形の真空を作り出す。    

 発射の衝撃と同時に、砲身が後方へ大きくスライドする。  

 カキーンという高く鋭い音が響き、薬室から熱せられた巨大な真鍮製の薬莢が勢いよく弾き出された。

 それは地面に転がると、まだ内部にこもる熱を放ちながら、赤錆色の土をじりじりと焼いた。


 弾丸は、粉塵の攪乱をその圧倒的な初速でねじ伏せ、4kmの距離を瞬きする間に踏破した。    レンズの先で、標的の『アイアン・デューク』が、まるで巨大な金槌で叩かれたかのように仰け反った。

 弾頭は装甲を貫通し、機体内部で信管が作動。 

 爆発的な圧力によって、三本の脚がバラバラに吹き飛び、巨体は土煙すら上げることなく荒野へ沈んでいった。


「……命中だ。ヴォルフ、次だ。まだ標的は残ってるぞ」


 ガリアスは再び手動クランクを回し、レンズの焦点をずらした。  

 排莢された薬莢から立ち昇る硝煙の臭いが、コクピット内まで微かに届く。

 機械と肉体が一体化したこの一瞬こそが、彼らにとっての至福であった。

 父ガリアスが放った一撃により、AAU軍偵察小隊の一機が、その巨体を無様に崩れ落とした。

 だが、周囲の三脚機たちは、それが「狙撃」であることすら即座には理解できなかった。  

 レーダーは沈黙し、光学センサーはマンガニス粉塵に遮られて2km先が限界だ。

 彼らにとって、指揮機の沈黙は、唐突に訪れた「機械の故障」か、あるいは「地雷」を踏んだようにしか見えなかった。


 その混乱を、3.5km彼方からヴォルフ・ヴォルカス少尉の愛機『ウール』が見下ろしていた。


「親父、おこぼれを頂いていくぜ。……奴ら、まだ自分たちが死んだことにすら気づいちゃいねえ」


 ヴォルフは操縦桿を横に倒し、機体脚部の駆動輪を荒野の大地に叩きつけた。

 プロトタイプ四脚機『ウール』の真骨頂は、その「多脚滑走」にある。

 跳躍機能を削ぎ落としたことで得られた極限の低重心を活かし、瓦礫の山を縫うように、まるで氷上を滑るかのような滑らかさで、時速60kmを超える高速移動を開始する。


 3.5km、この距離を維持したまま、ヴォルフはAAU軍の横腹へと回り込む。  

 『アイアン・デューク』たちは、ようやく友軍の破壊を悟り、闇雲に周囲を旋回させ始めた。

 鈍重な三脚がアスファルトを叩く音が響く。

 だが、彼らがレンズを向ける先には、赤錆色の霧が立ち込めているだけだ。


「無駄だぜ。お前らの目じゃ、俺の髭一本も見えやしねえよ」


 ヴォルフは周囲の砂塵が、ふんわりと優しくおさまる速度で停止する。

 機体右肩に懸垂された120mm滑空ライフルのグリップを握り直した。  

 彼の機体に備え付けられた『単眼式高倍率照準器』。

 激しく揺れる視界の中で、ヴォルフの脳は粉塵による光の歪みを「感性」で補正し、標的を一点に固定し続ける。


 機体脚部のダンパーが猛烈な勢いで伸縮し、滑走中の微振動を相殺した。


「……そこだ」


 ――ズドォォンッ!!


 『ウール』の右肩から、120mmライフルの閃光が走る。  

 放たれた弾丸は、3.5kmの距離を真空のごとく踏破し、『アイアン・デューク』の重装甲を、紙のように貫通した。    

 被弾した機体は、火花を散らすことすらなく、ただ物理的な質量に押し潰されるようにして横倒しになった。

 乗員は、自分たちがどこから、何によって撃たれたのかを理解する余地すら与えられない。

 それは戦闘ではなく、一方的な「処刑」だった。


 狙撃の静寂において、最も無意味な抵抗は、潜伏する敵歩兵による小細工だ。  

 対シュテルツァーライフルや、対戦車ロケット弾は至近距離で脆弱部を狙えば、あるいは意味はあるかもしれない。

 しかしながら、彼らは時に、機体の視覚を奪おうと特殊インクや粘着弾をメインカメラに浴びせてくる。

 だが、シュテルツァーの視覚システムを過小評価している証拠だ。


 AAU製以外のシュテルツァーは、たとえ頭部のモノアイが塗り潰されようとも、機体各所には補助用のペリスコープが配置されている。

 さらに、それらすべての光学系が死んだとしても、操縦席の装甲板の裏には、普段は閉じられている『直視用スリット』が隠されているのだ。  厚い防弾バイザー越しに肉眼で外を覗くパイロットを、インクごときで止めることなどできはしない。

 歩兵の小賢しい策は、ただ巨人の「予備の眼」を開かせるだけの手間に過ぎなかった。

 また、機体に登り、テルミット系の爆薬で直接関節を焼こうとする命知らずもいるが、シュテルツァーのパイロットは、機体の駆動音や操作レバーに伝わる微細な振動から、外部の違和感を鋭敏に察知する。

 「登っている」と気づかれた瞬間、歩兵に待っているのは無慈悲な結末だ。

 振り払うための身震いや、突発的な跳躍。

 その凄まじいGと着地時の衝撃は、装甲にしがみついていた人間の脊椎を、瞬時にして粉砕する。  

 ただ、ヴォルフにとって、狙撃という一点の曇りもない『芸術』を、こうした成功率の低い小細工で汚されることこそが、耐え難い侮辱であった。

 ヴォルフはライフルのボルトを力任せに引き絞る。


 ――ガシャンッ、カキーン


 熱を帯びた巨大な真鍮薬莢が排莢口から弾き出され、滑走する機体の後方へと、放物線を描いて踊り跳ねた。  

 ヴォルフは次弾を装填しながら、さらに加速する。

 敵はパニックに陥り、見えない敵に対して、射程の届かない機関銃を無意味に乱射し始めた。


「ガッハッハ! ヴォルフ、いい位置だ! だが、薬莢をそんなに撒き散らすなよ、後で拾う奴の身にもなれ!」


 父ガリアスが「トール」のレンズ越しに、その一方的な狩りを満足げに眺めながら無線を鳴らす。


「へっ、海賊が拾い物の心配なんてしてられるかよ! 親父こそ、居眠りして標的を見失うなよ!」


 粉塵渦巻くクドムルーの廃墟で、一機、また一機とアメリの三脚機が崩れ落ちていく。  

 3.5km先、安全な場所から冷徹に、そして豪快に獲物を間引いていく。

 最後の一機が地に伏したとき、戦場には再び、マンガニス粉塵がもたらす重苦しい沈黙だけが帰ってきた。


「全滅だな。もう、帰ろうぜ親父!」

「よし飲むぞ。アニーは今日はいるのか?」

「ドロシーはいるはずだぜ!」

「よし、飲むぞガッハッハ」

 粉塵に煙るクドムルーの空に、最強の親子の笑い声がいつまでも響いていた。

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