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第30話 鏡の表裏

 ドゴオォォォォォン!!


 爆音と、宿舎の天井から降り注ぐ瓦礫の衝撃が、アンジャリを微睡みの淵から引きずり出した。  

 視界を埋めるのは、もうもうと立ち込める白い土埃。

 混乱する頭で隣のベッドを見ると、そこには先ほどまでの「可憐な妹」の姿はなかった。

 マリス・アイスグリム中尉は、既に軍服のボタンを留め、瞳に「エース」の鋭い光を宿して立ち上がっていた。


「……お姉さま、来ましたわ」


 その声は、浴室で見せた甘えた響きを完全に失っていた。  

 二人は崩落しかけた宿舎の歪んだ扉を蹴破り、地下の対艦シュテルツァー中隊ドックへと急ぐ。


 地上へ続く通気口から、ケマネアリの地獄が垣間見えた。  

 アンジャリは息を呑んだ。

 昨日、自分を優しく支えてくれたあの金髪の憲兵大尉や、ふくよかな少尉がいたはずの憲兵本部は、巨大な焚き火のように赤黒い炎を上げ、崩落していた。  

 帝国の誇る拠点、ケマネアリ軍事基地が、わずか数分の間に「鉄の墓標」へと変貌している。


阿修羅アスラ……!」


 マリスの瞳が、収容所広場に仁王立ちする漆黒のシルエットを射抜いた。  

 その足元には、マリスの部下たちが乗っていたはずの量産型対艦シュテルツァー、V-08M『ガト・マリン』九機が、見る影もなく粉砕され、纏まった場所で散乱していた。


 対艦シュテルツァーは「海の狩人」だ。

 大出力を水上走行の浮力維持と推進力に割く彼らは、陸上では鈍重な標的に過ぎない。

 彼らは逃げるためではなく、突然の奇襲から「仲間を守るために」起動し、そして戦い、一方的に狩られたのだ。


「リュゼ!リュゼ・イスタリオン准尉!?……みんな!……嘘。嘘よ……」


 マリスが、ポツリと呟いた。


 地下ドックに着くと、マリスの足がピタリと止まってしまう。

「お姉さま……私の部下、副長はおじいちゃんでね、とても優しいの……。部下たちはみんな男の子。みんなして……いつも、私をお姫様扱いするのよ。お姉さま……私……私も……私の家族……失ってしま……リュゼ……」


 マリスの小さな肩が激しく震え、アンジャリは無言で彼女を強く抱きしめた。  

 あああああああぁぁあぁぁああああ!

 声にならない絶叫。

 かつて自分がケルゲレンで味わった絶望。

 それが今、この目の前の少女にも降りかかっている。  

 一刻も早く機体に乗り込まねばならない。

 だが、今は、マリスを無理に立ち上がらせる方法などあるはずも無かった。


 マリスがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳から感情が消え、底知れぬ冷たい殺意だけが残った。

 彼女はアンジャリに顔を見られないよう、無言で足早に自分の愛機へと歩き出す。


「お姉さま……無線の周波数を合わせましょう。1356.98に。……1356.98ですわ」


 それは、今や全滅してしまった彼女の中隊の、いつも使っていた無線コードだった。


 地下ドックの重厚なハッチが開き、二機の魔獣が姿を現した。  

 アンジャリのV-SSX-08/KLR『クラーケオス』。  

 そしてマリスのV-SSX-09/KRN『クラーケン』。


 暗い海洋色、明るい海洋色。

 それぞれ特徴的に塗装された二機の八脚機は、ドック内で滑るような動作で、海中に沈む。

 もはや、海上から見えるのは平坦で海洋色に彩られた上面装甲だけだった。


「マリス・アイスグリム中尉、クラーケン。行きますわ!」


「……アンジャリ・サマセット大尉、クラーケオス、出る!」


 ドォォォォォンッ!!  

 二機の対艦シュテルツァーが、同時に海中で加速する。


 それは、「オペレーターが居なければ無駄なはず」の空虚な出撃報告だった。

 応答する者は誰もいない。

 それでも彼女たちは、崩れゆく自分たちの輪郭を繋ぎ止めるように、その名を叫んだ。


 悲しき姉妹が、悲しき復讐の航跡を刻み始めた。


 一方、戦略の天秤を一日でひっくり返したカイはアスラの脚部に腰掛け、強い陽光に照らされなら潮風に吹かれていた。

「……カイ。今回の作戦で攻略したケマネアリね、物流の要衝なの。帝国はしばらく軍を攻勢に動かせないんじゃないかな」

 彼女は通信曹長として、日々膨大な電文の海を泳いでいる。

 今では「大東亜経済広域圏」だけでは無く、「エウロ・ゲルマ・リキ」の情報も受信するのだ。

 世界の二大経済圏の軍事通信を捌き、『第41大東亜エウロ臨時混成艦隊』と、『第507特務中隊リヴァイアサン』に関係する情報を抽出する彼女の耳は、軍事境界線の向こう側で帝国が喉元を抑えられた音を、誰よりも正確に聞き取っていた。


「そうか。……なら、そろそろ結婚の話ができるな」  

 ミナが瞬時に赤くなり、目を丸くする。

 だがカイは、そんなミナの可愛い反応に気づく繊細さなど持ち合わせていない。  

 膝の上で、ボロボロの『新居の設計図』を広げた。

「ミナ、シュミット大尉が言っていた。暖炉は石材を積んだ重厚なやつがいい。エウロの冬は厳しいからな。それが流儀らしいぞ」

「ふふ、素敵ね。……でも、あんまり重厚すぎると掃除が大変そうよ?」  

 ミナが義手のワイヤーをキシリと鳴らして笑う。  

 その音は、カイにとってどの軍事暗号よりも価値があり、どの計器の針よりも正確に、彼の「生きる目的」を示していた。

「……掃除は俺がやる。約束だ。いや、ミナは何もしなくていい。俺が全部やる」  

 カイは設計図のリビングに、小さな暖炉の絵を描き加えた。  

 ふと返事がないことに気づき、顔を上げる。  そこにはミナが、わざとらしく頬を膨らませて仁王立ちしていた。

「カーイー! 私はなんでも出来るのよ! ゲルマー製の義手と義足があれば、掃除だってなんだって。……私のことを『何もできない可哀想な妻』扱いしたら、即離婚だからね!」  

 カイは堪えきれずに笑い出した。  

 ハハハハハハハハハ!

「ごめんよ、ミナ。全部一緒にやろう。いつでも一緒だ」

「ふふ。カイと家でもずっと一緒なんて疲れそう。……でも、頑張ってみるわ」


 世界が地獄の炎に包まれ、強国たちが戦略の迷路で立ち尽くす中、漆黒の阿修羅はただ愛する人のための「安住の地」を目指して、その鋼の指先を動かしていた。



 

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