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第29話 硝子の姉妹

 帝国海軍第163対艦シュテルツァー中隊、指揮官専用待機室。  

 アンジャリ・サマセット大尉が微睡みから引きずり出されたのは、あまりにも不自然な「静寂」のせいだった。  

 いつもなら聞こえるはずの、マンガニス・ボイラーの蒸気音も、整備兵たちの荒っぽい怒声も、何一つ聞こえない。


「……シグルド?」  

 寝ぼけ眼で婚約者の名を呼ぶ。

 だが、返ってきたのは、建物の深部で時折響く、崩落の乾いた音だけだった。  

 彼女がよろめきながら地下女性士官用宿舎から三階テラスへ向かう。

 嫌な予感に掻き立てられ、テラスに急いで飛び出した瞬間、視界に入ってきたのは「地獄」の完成図だった。


「……嘘。そんな、まさか……ッ!!」


 アンジャリの喉が、引き攣った音を立てた。

 眼下に広がるはずの要塞都市群は、巨大な鉄の万力で握り潰されたかのように、ひしゃげた瓦礫の山へと変貌していた。  

 つい数時間前まで、半年後の結婚式の余興について笑い合っていた部下たち。

 彼らがいた場所には、もはや人影一つない。

 ただ、建物の鉄骨が牙のように突き出し、その隙間から、彼らの日常であった重油とマンガニスの粉塵が、死臭を伴って立ち上っているだけだった。


「みんな……。ハンス、エルンスト……返事をして!」


 叫びは虚しく、黒煙に吸い込まれる。

 彼女は狂ったように階段を駆け下り、外縁要塞砲の統合管制室へと走った。  

 そこには、世界最大の要塞砲がそびえ立っているはずだった。

 シグルドが、その知略を尽くして要塞火器を操っているはずの場所だ。  

 だが、アンジャリが辿り着いた先にあったのは、高さ三十メートルに及ぶ「焼けたコンクリートの墓標」だった。


「あ……あああ…………」


 膝が笑い、その場に崩れ落ちる。  

 管制室があった場所には、パイルバンカーが抉り開けた巨大な孔が空き、そこを中心に建物全体が内側から爆発したように陥没していた。  

 瓦礫の山からは、未だに「パチ……パチ……」と、電子基板が焼ける音が聞こえる。  

 その膨大な瓦礫の下には、式でタキシードを着るはずだったシグルドがいる。

 ケマネアリのリゾートで、青い海を背に誓いの言葉を交わすはずだった彼が、今は冷たいコンクリートの重みに押し潰され、見る事も叶わない。

 シグルド・ベルンド・グレンダール大尉、ケルゲレン要塞、外縁要塞砲統合管制室火器管制官。

 彼は昨日から、当直だったのだ。

「許さない……」


 アンジャリの瞳から、光が消えた。  

 涙は出なかった。

 代わりに、胸の奥底でマンガニス反応炉よりも熱く、ドロドロとした黒い炎が噴き出した。  

 この島を、私の家を、私の愛したすべてを灰にしたのは誰だ。  

 あの漆黒の阿修羅。

 あの東洋の、呪われた魔機だ。


「殺す……。生きては帰さない。あいつを、あいつの大切なものすべてを、私がこの手で引き裂いてやる」


 復讐の魔鬼と化す事を決心した彼女は、地下二階対艦シュテルツァードックへと続く階段へ飛び込んだ。  

 そこで出会ったのは、一人の女。

 近づいてくる敵兵の小隊規模の足音。

 逃げるには人質しかない。


 海上滑走 ―― 絶望の航跡


 ドォォォォン!!  

 海面を爆砕し、オーシャン・ブルーの巨躯、V-SSX-08『クラーケオス』が霧を切り裂いて疾走する。    

 独立懸架された八本の脚が、毎秒数百回の微振動で潮流の抵抗を相殺し、時速200キロを超える極限の滑走を実現していた。  

 機体内部の物資スペース。  

 暗く狭いコンテナの中に放り込まれたミナは、激しい揺れと金属音の中で、必死に壁を叩いた。


「出して! 離してよ!!」


 だが、コクピットに座るアンジャリに、その声は届かない。  

 彼女の耳に聞こえるのは、亡き戦友たちの断末魔と、シグルドが最期に呼んだかもしれない自分の名前だけだ。


「……シグルド。見守っていて。……私は生きる。阿修羅を殺す!復讐を果たしたら、あなたの元へ行くから……会いたいよ…お願い…」


 涙に果てはあるのだろうか?アンジャリの指が、操縦桿を白くなるほど握り締める。  

 クラーケオスの右腕に装備された対艦刺突槍「ガジャ・クンバラーナ」が、獲物を求める蠍の尾のように、夜の海面で鈍く光った。


 阿修羅よ、お前は……お前だけは許さない。殺す。殺す。生かしておけるものか。


 アンジャリ・サマセット大尉は、重い瞼の裏に焼き付いた太陽を見つめていた。

 暗く冷たいバルラート洋の上、漂流を始めてから丸一日以上が経過している。  

 燃料指針はとうの昔にレッドゾーンを振り切り、愛機『クラーケオス』はただの鉄の浮き箱と化していた。


 ハッチを叩く波の音。

 そして、そのすぐ下で旋回するサメたちが、愛機の下方観測窓から回遊しているのが見えていた。

「ああ、シグルド……。愛する、シグルド……」  乾いた唇から漏れるのは、もはや帰らぬ婚約者の名だけだった。    

 自決用の拳銃は脱出の際、ドックの海中に没した。

 アンジャリは虚ろな目で、赤く塗られた「メインタンク・ブローレバー」を見つめる。

(これを引けば、隔壁が開く。マンガニス反応炉に海水が一気に流れ込み、水蒸気爆発が私を粉砕してくれるはず……)  

 だが、今のエンジンは冷え切り、反応も止まっている。

 水が入れば、爆発さえ起きずにただ暗い海の底へ引きずり込まれ、溺れ死ぬだけだ。    

 その時、沈黙していた戦術範囲無線機から、耳を裂くようなノイズと共に叫びが届いた。

『……尉! アンジャリ大尉! 感度あり! よくぞ、よくぞご無事で!』

「……燃料が、尽きた。……それと、捕虜を確保している。これを、どうにかしたい……」  

 震える声でそれだけを告げると、アンジャリは操縦桿に額を押し当てた。

 救助が来る。

 死ぬことさえ許されない現実に、彼女は浅い呼吸を繰り返した。


 数時間後、曳航されたクラーケオスがケマネアリ軍事基地の巨大なドックに滑り込んだ。  

 ハッチが開き、重油と血の匂いが混じった熱気が外へと逃げていく。

 タラップを降りるアンジャリを待っていたのは、金髪の端正な顔立ちをした憲兵大尉だった。

 あまりの安堵感に力が抜けて躓く。

「レディに対して失礼をお許しください。……危なかった、本当によくぞ」  

 彼は職務を超えた痛ましさを瞳に宿し、膝をつきかけたアンジャリの細い肩を抱きとめた。

 傍らの少し恰幅の良い少尉も、慈しむように声をかける。

「大尉、ご自身を責めることだけはおやめください。貴女が生きて帰ったこと、それこそが我が帝国の希望です」    

 アンジャリは、無機質に「捕虜ミナ」を憲兵たちに引き渡した。

 義手と義足の女――ミナが憲兵に連行されていく背中をぼんやりと見送った瞬間、張り詰めていた糸が音を立てて千切れた。

「……っ……あああぁぁ!!」  

 ドックの硬いコンクリートに膝をつき、アンジャリは獣のように慟哭した。    

 愛するシグルドが、あの温かなケルゲレン要塞が、東洋のクズどもに焼かれた。  

 自分はただ寝ていた。

 夜襲の中、平和な夢を見ていたのだ。

 なぜ、砲撃や爆音で起きなかったのか。

 女性士官を守らんと紳士の思考で作った「地下女性士官用宿舎」では、爆音など聞こえるはずもない。

 しかし、アンジャリが自分を許せない『言い訳』として使えるものでは無かった。 

(私以外のみんな。部下たち、愛するシグルド。温かい私の家族たちが死んでしまった。なぜ、私、一人だけが、のうのうと生き延びているのか?)

 その事実が、彼女の心を鋭利なナイフで削り続けていた。


 基地司令アイズヴァール・ルンド中将自らが彼女を迎え、参謀たちもまた、娘を案じる親のような視線で彼女を取り囲んだ。

「大尉、報告は明日でも良いのだ。まずは身体を……」

「いいえ……中将、話さねばなりません。……あの黒き影、破壊神『阿修羅』のことを」  

 先行試作シュテルツァーY-S01w アスラ

 カイ・イサギ少佐 別名 阿修羅(アスラ)

 ブリーフィングでは聞いた事があったが、彼は今、中隊を率いている。

 一晩で、帝国最強とも名高いケルゲレン島要塞と、それを守護するシュテルツァー一個師団を壊滅させた事。

 自分は、寝ていて何も気が付かず、たった一人の生き残りとして無様に逃走した事。

 こんなに役に立たない自分を処罰してほしい事。

 床にへたり込み、止まらぬ涙で床を染めながら彼女は語った。

 ルンド中将は、アンジャリの肩を優しく触りましたが、アンジャリはそのまま話を続けます。

 炎に包まれた自分が預かる中隊のハンガー、瓦礫の山と化した要塞管制室、そしてシグルドとの約束、結婚……。

 中将は、アンジャリの顔を両手で掴み、優しく自分と目を合わせる位置に顔を上げさせます。

「誰がこの様な英雄を罰せるものか。大尉、今は少し休みたまえ、何日も寝ていないのだろう?大丈夫、私は、私たちは君の味方だ。」


 中将の紹介で扉が開くと一人の少女が立っていた。  

「帝国海軍、第262対艦シュテルツァー中隊長。マリス・アイスグリム中尉です」    

 紹介された少女は、小動物のように愛らしい笑顔を浮かべていた。

 しかし、愛らしい顔とは裏腹にアンジャリと同じ、海軍シュテルツァー部隊所属を示す白の制服に膝丈の白いプリーツスカート、銀のモールが肩からかけられ、白いブーツを履いていた。


「しばらくは彼女に君の世話を頼んだ。彼女が掌握する中隊も、大尉と同じ対艦シュテルツァー中隊だ。しばらくは、体を休めることに専念するといい。何か話があれば、私はいつでも話を聞こう」

 中将は、まるで優しい近所のお爺ちゃんのように優しく微笑んでくれるのだった。

 そして、マリス中尉もまるで申し合わせていたかのように優しい微笑みをアンジャリに向けていた。

 クラーケオス級をはじめとする「対艦シュテルツァー」の真実を知る者は、全軍でも数えるほどしかいない。

 帝国においてさえ、その存在は参謀本部直轄の特務部隊、あるいは海軍特務に秘匿されている。 

 彼らに与えられた任務は唯一つ。

 敵にその姿を捉えさせることなく、深淵から一方的に敵艦を粉砕すること。

 

 アンジャリは、マリスに連れられて宿舎に向かう。

 しかし、真っ直ぐ向かっている様子はなく、岩肌とコンクリートが混在する重厚なドックを経由する。

 そのドックには、アンジャリの愛機と瓜二つのシルエットを持つ、水色と青の中間の色に塗られた機体が機体の大半を水中に沈めながら、鎮座していた。  

「お姉さま、よろしくお願いしますわ。私の愛機『クラーケン(V-SSX-09/KRN)』。お姉さまの『クラーケオス』の妹分です」

「……クラーケン。よろしくお願いします、中尉」

「嫌ですわ、お姉さま。マリス、と呼んでくださいませ」    

 マリスは人懐っこくアンジャリの腕に絡みついた。

(お姉さまか、ああ、悪くないな。この娘は私の心を解きほぐそうと懸命なのだろうな)

 

 その細い腕からは想像もできないが、彼女の二つ名は『ハヴグーヴァ』。

 一度標的を捉えれば、島一つを丸ごと胃袋に収めるまで離さないと言われる海の魔物の名前を冠する帝国海軍のエースパイロットだ。

「お姉さまの機体より、私のは少し青が明るいんですのよ。素敵でしょう? 海の中では、この色が一番溶け込むんですわ」

「……ええ。綺麗ね、マリス」

「ああ、お姉さま! 硬すぎますわ、クスクス。もっとリラックスしてくださいませ」


 時刻は午前五時。

 朝の冷気が漂う中、ルンド中将の指示で特別に食事が用意された。

「私も、実は夜勤明けなんですの。基地近海の哨戒任務を終えて、今から明日までは全休止。ですから、お姉さまと一緒にお風呂に入って、ゆっくり寝る予定ですわ」    

 食堂の椅子に座り、温かいスープを口にしたアンジャリは、その熱さにようやく自分が生きていることを実感した。

「……マリス。ごめんなさい、こんな朝の時間の食事に付き合わせて」

「何を仰いますの。お姉さまの噂は聞いておりましたわ。『シーサーペントの二つ名 アンジャリ・サマセット大尉。ケルゲレン島侵攻戦の英雄』帝国で二つしかない対艦中隊ですもの。私、ずっと親しみを感じてお会いしたかったんですの」  

 マリスはコロコロと笑いながら、アンジャリの皿に料理を取り分ける。

 その屈託のない優しさが、アンジャリの心に蓄積した怨念を、少しだけ外側から溶かしていく。


 入浴の時間、二人は簡素だが清潔な浴室で、身を寄せ合うようにして湯船に浸かった。

「お姉さま、お背中流しますわね」  

 マリスの小さな手が、アンジャリの背中に触れる。

 その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。 

 湯気の中に、失ったケルゲレンの景色が、シグルドの笑顔が溶けていく。  

「……どうして……私だけ…生きてしまって…」 「泣いていいんですよ、お姉さま。……その涙が枯れたら、一緒にあの阿修羅を海の底へ沈めに行きましょう。二人なら、絶対にできますわ!」

 マリスはアンジャリの背中に顔を寄せ、静かにアンジャリを愛おしむ様に目を閉じた。  

 マリスの脳裏に、一つの光景が蘇る。

 二歳年上のレミスの笑顔。

 怒った顔など一度も見せたことがない、天然ボケで、いつも周囲を照らしていたレミス。  

 まるで、みんなの太陽のような明るい姉。

 帝国によるアメリのテティス運河侵攻戦。

 帝国の圧勝に終わったその戦場で、レミスの駆るシュテルツァーは、背後からあの杭――パイルバンカーによって貫かれた。


 パイルバンカー。


 それは、ただ敵を殺すための道具ではない。  マッハ2.5からマッハ3(カタログスペック時速約3,400km)で打ち込まれる鋼鉄の杭は、爆圧と衝撃波によって、コクピット内部の人間を文字通り「粉塵」へと変える。

 マリスの元に戻ってきたのは、砕けた金属片と、誰のものかも判別できない血塗れの髪一房だけだった。  

 遺体どころか一欠片の遺骨すら、家族の元へは帰らない。  

 それは死者の尊厳を奪い、遺族の悲しみさえも粉砕する悪魔の所業だった。

(……お姉さま。アンジャリお姉さま…もう、奪わせない…)

 マリスの瞳に、浴室の電光が冷たく反射した。  彼女はパイルバンカーが大嫌いだった。

 しかし、敵のエースであり姉と慕うアンジャリの仇であるカイ中佐が『パイルバンカー』の使い手であるという事実だけが、マリスの心の隅に、得体の知れない、どす黒い染みを残していた。


 ベッドに入ると、アンジャリの身体はガタガタと震え始めた。

 過労と悲しみ、そしてこれから始まる復讐への恐怖。  

 マリスは無言でアンジャリを抱きしめた。

 彼女の小さな胸の鼓動が、アンジャリの震えを静めていく。  

「お姉さま……。私、ずっと一緒ですわ。……おやすみなさい」    

 アンジャリは、マリスの温もりに包まれながら、気絶するように深い眠りへと落ちていった。  ドックでは今、二機の海の魔獣、クラーケオスとクラーケンが、復讐の時を待つように静かにその巨躯を横たえていた。

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