第28話 帰還
アスラの光学レンズが、収容所の出口から運び出される影を捉えた。
汚れた軍服、粉塵に汚れた顔。
だが、その左手は千切れんばかりに大きく、力強く振られていた。
「……ミナ」
カイの声が、密閉されたコクピットの中で震えた。
喉の奥に詰まっていた重苦しい塊が、一気に溶けて流れ出していく。
ここに来るまで凍りついていたカイの心が、その細い腕の動き一つで解き放たれた。
「アスラから全軍、感謝する。……この恩は、一生忘れない」
その直截すぎる言葉に、通信回線が一瞬だけ静まり返った。
だが、すぐにナティカ准尉の、弾けるような声が跳ね返ってくる。
『リヴァイアサンコントロール了解! もう、中佐ったら……。お幸せに!』
よし、とカイは少し赤面しながら操縦桿を握り直した。
ミナは生きている。
救出は成った。
ならば、あとはこの地獄を自分たちの手で終わらせるだけだ。
怒りと歓喜が混ざり合い、アスラのマンガニス混合機がかつてないほど滑らかに、死の旋律を奏で始める。
「アスラから第507特務中隊員に達する。……このような帝国には、ぜひ丁寧にお礼をせねばならん。全軍、殲滅せよ!」
今なら、世界中の帝国軍を相手にしても負ける気がしない。
カイがアスラのブースターを点火し、パイルバンカーを構え最高の一撃を見せつけようと身構えた、その時だった。
『あー、あー、副長から隊長。……敵戦力壊滅。繰り返す、敵戦力は既に壊滅だ! リヴァイアサンコントロールも了解してくれ!』
サカモト少佐の、どこか呆れたような、それでいて清々しい声が割って入った。
「……え?」
カイはポカーンとして、短戦術範囲レーダーを見つめた。
見渡せば、司令部はマイ少尉の30mmで蜂の巣になり、弾薬庫はジョセフの狙撃で吹き飛び、逃げ遅れた装甲車列はタケシのハンマーで文字通り平らげられていた。
戦場には、もう、アスラが踏み込む余地など、一ミリも残されていなかった。
最強の破壊神は、力強い陽光を浴びながら、手持ち無沙汰にパイルバンカーの内部撃鉄がオープンしたまま、ケマネアリの広場に立ち尽くしていた。
「全艦、撤収開始! 陸戦隊、置き土産の地雷を忘れるなよ。帝国に、二度とこの港を使わせるな!」
サカモト少佐の号令が響き、ケマネアリ基地の廃墟には、対人と対車両、対シュテルツァー地雷が丁寧に埋設されていった。
第41混成艦隊は、燃え盛る基地を背に、母港として改修建造中であるケルゲレン島への帰路についた。
揺れる揚陸艦の船内、静まり返った予備パーツ倉庫の片隅。
「ねえ、カイ……ありがとう」
ミナが、借り物の大きな軍用毛布にくるまりながら、隣に座るカイを見上げた。
「……いや。俺じゃない。中隊のみんなのおかげだ」
カイは照れくさそうに視線を逸らし、それから決心したように、低く、しかし真剣な声で尋ねた。
「あのさ……変なこと、されてないよな? 服を脱がされたり……その」
ミナは一瞬だけ目を丸くし、それから鈴を転がすように笑った。
「ふふ、大丈夫だよ! 実はね、今日がその『変なこと』をされる予定の日だったの。本当に、ギリギリで助けてくれたんだよ」
ミナは、コツンと、自分の頭をカイの胸にゆだねる。
その言葉を聞いた瞬間、カイはこれまでの人生で一番大きな安堵の溜息をついた。
心臓の動悸がようやく収まり、彼は改めて、目の前にいる大切な女性の愛おしさを噛み締めた。 カイがゆっくりと顔を近づける。ミナも静かに目を閉じる。
二人の唇が触れ合おうとした、その時――。
カイの視界の端で、積み上げられたマンガニス予備タンクと太い排気パイプの近くに積んであった「シュテルツァー積載用医療キット」の箱が崩れ落ちた。
(……?)
「サカモト少佐!押さないでと言いましたわよね!」
「いや、これはナティカが」
「私は、シュミット大尉にスカート踏まれましたー」
「いや、よく見えなかったから、つい、すまぬ」
目を凝らすと、そこにはサカモト少佐、シュミット大尉、マイ少尉、さらにはオペレーターのナティカ准尉までが息を殺してこちらを凝視していた。
ナティカにいたっては、どこから持ってきたのか、大きなレンズの二眼レフカメラを構えている。
「…………。」
カイは、ミナまであと3cmまで近づいていた唇をゆっくりと離し、ポカンとした顔のまま固まった。
戦場では見えない距離の敵機までも見逃さない阿修羅の感覚が、なぜこの状況で働かなかったのか。
『……おい、中佐。続けろよ。俺たちは背景だ、気にすんな』
サカモト少佐が、声をひそめてそう告げ、親指を立てる。
カイの顔が、アスラのマンガニス炉よりも赤く熱した。
ケルゲレン島への帰還まで、あと12時間。
カイ・イサギ中佐にとって、この船内は戦場よりも過酷な場所になりそうだった。




