第27話 救出
ここからケマネアリ軍事基地までは、荒れ狂うバルラート洋を越えて約18時間の航程である。
だが、この航海は平和なそれとは根本から異なっていた。
帝国の哨戒網を避けるため、第41大東亜エウロ臨時混成艦隊は全神経をレーダーに集中させて進む。
オペレーターのナティカ・タナサーン准尉が注意を発した。
「左15度、距離約20000、敵駆逐艦と思われる艦影1。……回避する」
ベルナール少将が素早く指示を飛ばす。
「進路変更、面舵20」
「進路変更、面舵20」
すかさずナティカ准尉が復唱した。
ベルナール少将は一度も艦橋の椅子に座ることなく、夜の海を睨み続けている。
レーダーは粉塵の影響により、5km届けば奇跡という惨状だ。
近距離しか使えない以上、頼りになるのは見張り員の目と、熟練のソナー員の耳だけであった。
一度でも帝国艦隊に捕捉されれば、強襲の奇襲性は失われ、人質であるミナが移送される恐れすらある。
その頃、吹きさらしの甲板では、カイが『アスラ』のコクピットに籠りきっていた。
メインランプの点灯すら許されず、小さな補助灯の明かりだけを頼りに、彼は指先の感覚でパイルバンカーの薬莢受けと排熱フィンを一つずつ確認していく。
(待っててくれ、ミナ。……今、行くから)
ミナが拉致されてから、18時間が経過した。
寝返りを打った際のはだけた彼女の写真を、カイは照準モニターの脇に貼り直す。
何度も触れたため、コーティングには擦れた跡が残っていた。
そのミナの顔を、震える指でなぞる。
19歳の少年にとって、この18時間は永遠にも等しい地獄であった。
戦闘のない静寂は、かえってカイの頭の中で彼女の悲鳴をリフレインさせた。
ミナのことを考え続けながら、カイはアスラの中でしばしの微睡みに落ちた。
「……中佐、そろそろだぜ」
外部スピーカーから、サカモト少佐の低い声が響く。
水平線の向こう、薄らと、しかし確実に「陸地」の影が見え始めていた。
時刻は午前9時。
霧の合間に、牙のようにそびえ立つ帝国海軍ビーザンモーク拠点『ケマネアリ軍事基地』の防波堤が広がっている。
カイ・イサギ中佐が操縦桿を握り込む。
マンガニス反応炉が低い唸りを上げ、コクピットに蒸気と熱が満ちていった。
ナティカ准尉の朗らかな声が響く。
「ケマネアリ軍事基地手前2500m到着、現在のレーダー有効範囲2000m」
「……リヴァイアサン隊、隊長機。単機発進を許可する。中佐……ご武運を」
「ありがとう、准尉」
「グングニル、カタパルト準備よし」
「進行方向クリア、射出準備完了」
「アスラ、準備よし、行くぞ!」
ドォォォォォォォンッ!!
蒸気カタパルトが、20トンの鉄塊を虚空へと弾き飛ばした。
着水のコンマ一秒前、アスラの足底部・三連駆動ローラーが毎分三万回転まで加速する。
ベクターノズルから数千度の高圧プラズマガスが海面へ叩きつけられた。
ボォォォォォンッ!!
凄まじい水蒸気爆発。
アスラは海に没することなく、穏やかな海面を滑るように突き進む。
「……制御安定。海面走行に移行する」
水蒸気爆発による反発力と、ローラーの超高速回転が生み出す表面張力の強制利用。
波は穏やかだが、操作を誤れば一瞬で水没し、機体ごと四散する綱渡りの操縦である。
しかしカイは、瞬時に波の動きに合わせて複数のベクターノズルの出力を調整し、海上を疾走した。
背後に巨大な水柱を立ち上げ、アスラが霧の中から躍り出る。
ドゴオオオオオオオオォォォン!
港に停泊していた敵駆逐艦二隻が、同時に爆発炎上した。
「目標視認。距離200まで接近……全機、最終充填を開始せよ」
シリチャイ中将の声が艦内に響き渡る。
ミナが尋問室で少尉と対面した瞬間、軍港の駆逐艦が浮き上がり、へし折れて炎上したのは、まさに同じタイミングであった。
この時、ミナには確かに聞こえた。
それは、カイのパイルバンカーが敵艦を粉砕した音であった。
「第一波、射出!!」
ナティカ准尉の鋭い号令と共に、蒸気カタパルトが高圧蒸気を一気に解放した。
ドォォォォォンッ!!
爆音と共に、三体の鉄塊が漆黒の霧を切り裂く弾丸となって撃ち出される。
先頭を飛ぶのは、副長サカモト少佐の『グレイプニル』だ。
銀鏡の装甲が陽光を反射する。
サカモトは空中で機体をひねり、両腕から超振動ブレード『クリーグ・メッサー』を抜剣した。
青白い光を帯びた刃が空を裂く。
防波堤のV-10『ヴルク・アクス』三機が砲塔を巡らせるが、既に遅い。
グレイプニルは着地の衝撃を作動エネルギーへ変換し、すれ違いざまに三機の胴体を撫で斬りにした。
ガシュゥゥゥンッ!
熱振動にさらされた鋼鉄は赤熱し、一拍置いてから上半身が地面へと滑り落ちた。
断面からは加熱された重油とマンガニス触媒が噴き出し、湿った石畳の上で激しく炎上する。
「……授業の続きだ、帝国諸君。一機も通すな!」
(エースがいない。プロトタイプ機も見当たらん。ならばまずは雑魚狩りだ)
続いて着地したシュミット大尉のフェンリルが、144mm自動ライフルを咆哮させた。
跳ね上がる真鍮の薬莢が石畳の上で乾いた音を奏でる。
帝国歩兵が潜む土嚢は綿飴のように弾け飛び、肉体とコンクリートの土埃が舞い上がった。
その背後でジョセフ准尉のフェンリルが膝をつき、狙撃姿勢を固定する。
「……風速2、修正なし」
放たれた対物狙撃弾が、1500メートル先の沿岸砲台を正確に貫通した。
直後に弾薬庫が誘爆を起こし、巨大な火柱が空をオレンジ色に染め上げた。
「第二波、射出!!」
間髪入れず、三機の影が霧から躍り出た。
空中でマイ少尉のフェンリルが、独立マンガニス推進器を臨界点まで吹かす。
「お待たせいたしましたわね、不作法な帝国の皆様! わたくしの30mmがお相手しますわ!」
マイは司令部への大通りに強引に接岸した。
時速200キロの機体の慣性を強制ブレーキでねじ伏せると、機体はアスファルトを捲り上げながら横滑りする。
彼女はそのまま両腕のカノンを掃射した。
重厚な打撃音が響くたび、帝国の旧型機が立て続けに9機、飴細工のようにひしゃげ、次々と誘爆していく。
その頭上、チャルン大尉とユキヤ准尉のコンビが飽和火力を叩きつけた。
ユキヤのグレネードが防壁の接合部を砕き、そこへチャルンのミサイルが降り注ぐ。
垂直に叩きつけられた成形炸薬弾が、重装甲機を内部から膨らませるように爆散させた。
「第三波、射出!!」
最後の三機が迫る。
地形把握の天才ニルット中尉は、空中で交戦地域の最短経路を算出し、アラン少尉とタケシ准尉へ指示を飛ばした。
タケシのフェンリルが要塞の瓦礫に着地し、アイゼン・ハンマーを振り下ろす。
ロケットブースターを併用した打撃が、燃料貯蔵庫を守る兵士を「圧殺」し、石畳をクレーター状に陥没させた。
港湾は、わずか数分で鉄の墓標が立ち並ぶ地獄へと変貌した。
重油の臭いと高周波、そして断続的な砲声。
第507特務中隊がケマネアリの喉元に牙を突き立てた瞬間であった。
「目標、収容所主要部及び憲兵司令部」
アスラの外部スピーカーから漏れるカイの声は、冷徹な機械音のようであった。
20トンの巨体が石畳の広場へ滑り込み、火花を散らして旋回する。
アスラはまず、収容所を固める二棟の監視塔を粉砕した。
砕け散った石片が兵士の絶叫を飲み込み、監視塔が崩落していく。
「……次は、そこか」
逃走を図る軽装甲トラックに対し、カイはトリガーを絞った。
放たれた一弾はフロントグリルを貫き、背後の建物まで貫通する。
ドゴォォォォン!!
黒煙を上げるトラックが路面に突き刺さり、後続の車両は鉄の檻の中に閉じ込められた。
アスラは収容所正面に仁王立ちとなり、アイドリングの重低音を響かせる。
カイはレンズの倍率を上げ、施設の窓を注視した。そこには既に、戦意ある者など存在しなかった。
「リヴァイアサンコントロール、こちらアスラ。外周掃討完了。揚陸を開始せよ……陸戦隊、突入」
ミナは尋問室で、革ベルトに縛られたまま音を聞いていた。
帝国軍の乱れた軍靴の音が、次々に排除されていく。
目の前の少尉は、怯えて脂汗を流しながら右往左往していた。
「……カイだ。カイが来たんだわ」
ミナは窓から差し込むアスラの巨大な影を見つめていた。
少尉が拳銃をドアに向けた瞬間、蝶番が吹き飛び、白い煙が室内を包んだ。
「やめてくれ!」
少尉がのけ反った瞬間、陸戦隊員が銃床で彼の顔面を叩き割った。
ぐしゃりという生々しい音が響き、少尉が床に転がる。
隊員たちが制圧を終える中、先任軍曹がミナの元へ駆け寄せ、革ベルトを一気に切り裂いた。
「ありがとうございます……」
「申し訳ありません、遅くなりました。中佐がお待ちです。歩けますか?」
「ええ。……アスラの音が、聞こえるもの」
陸戦隊の無線機から、ナティカ准尉の歓喜に震える声が響き渡った。
『全機へ、こちらリヴァイアサンコントロール! ミナ曹長を無事確保! 怪我なし。変なこともされてないわよ、カイ中佐!』
「了解だ、リヴァイアサンコントロール」
その瞬間、アスラのエンジン音が空を割るような咆哮に変わった。
カイはモニター越しに、建物から運び出されるミナの姿を捉える。
泣きながら飛び出し、彼女の元へ駆け寄りたい感情を、彼は中佐の制服で精一杯に抑え込んだ。
その指先は、今にもハッチを蹴り開けんばかりに、レバーを強く握りしめていた。




