第26話 出航
カイにシリチャイ中将からの至急呼び出しがかかる。
重厚な防圧扉が開き、カイが艦橋へ足を踏み入れた。
そこには司令官たちの沈痛な、しかし決然とした横顔があった。
「……来たか、カイ。君がいま、人の話を聞いている場合ではない状態なのは分かっている。だが、絶望に身を任せる前に、これを見てくれ」
シリチャイ中将が、広大な木製の作戦卓に広げられた海図を示した。
代わって前に出たのは、ベルナール少将だった。
彼は色鉛筆を手に取り、海図の空白をなぞるように説明を始めた。
「私が話しましょう、中将閣下。……カイ中佐、冷静に判断するんだ。通称『海魔 シーサーペント』、アンジャリ・サマセット大尉がいかに帝国のエースであり、クラーケオスが異形の性能を誇る機体であっても、何も準備もなく外洋を長期航行したりはしない。シュテルツァーの備蓄食料とマンガニス触媒の消費、そして操縦者の疲労を考えればな」
ベルナールの筆先が、大陸東岸の一点を鋭く囲んだ。
「帝国は建国以来、軍事拠点を沿岸部にしか設けていない。内陸部は未開のままだ。補給の殆どを海運に頼る帝国の特性から考えれば、アンジャリが逃げ込める場所は限られる。ここケルゲレン島から最短距離にある帝国海軍基地は、ビーザンモーク地域にある『ケマネアリ軍事基地』だ。ここ以外の拠点を目指すのは航続距離的に現実的ではない。陸路を使った移送も、帝国のドクトリンからして考えにくい。……つまり、ミナ曹長は間違いなく、今この瞬間はそこにいる」
シリチャイ中将が深く頷き、カイの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「対帝国の最大の切り札である君の婚約者を救出するのだ。本国も、これには文句は言えまい。いや、君がケルゲレンで見せた圧倒的な戦果を前に、口を挟める者などおらん。私が何としても、この作戦を決行させる。……カイ、君の希望と闘志を捨ててはならない」
カイの瞳に、熱い涙が沸き上がった。
それは先ほどまでの絶望の涙ではなく、ミナを助けることが出来る「希望」の光だった。
「……ありがとうございます。ですが、軍を動かすための『理由』はどうされるのですか」
カイの声はまだ震えていたが、シリチャイは不敵に笑った。
「本音は救出だが、軍には建前が必要だ。本国にはこう打診してある。『ケルゲレン島奪取に際し、周辺海域唯一の拠点であるケマネアリ軍事基地を強襲せん。もって、帝国の逆襲能力を根本から破砕し、本海域の安全を確保する』とな。……そして、十五分前に参謀本部から返信が来た。『貴艦隊の戦略的判断を支持する。武運を祈る』だ。……これで、君を止めるものは何もない」
「もう一つ、君以下全員昇進だ。そして前回の作戦で全員受勲もされる。さあ、行きたまえ、今はそれどころでは無いのだろう?」
カイは、人生最大の敬意を込めた、涙ながらの敬礼を捧げた。
踵を返し、艦橋を後にする。
出航は整備完了に合わせた十時間後。
目標は、ビーザンモーク唯一最大の軍事基地。
ケマネアリ軍事基地。
揚陸戦艦グングニルのドックは、重油とマンガニスの焦げた匂い、そして刺すような殺気に満ちていた。
出航まであと数時間。
整備ドックへ向かう通路には、第五〇七特務中隊の面々が既に集結していた。
カイは彼らの前で立ち止まると、中佐としての仮面を脱ぎ捨て、深く頭を下げた。
整備兵たちが慌ただしく機体に這い回り、弾薬の積み込みとエンジンの最終調整が続く中、カイ・イサギは中隊の面々の前に立ち、深く頭を下げた。
「……みんな、本当に、すまない……。俺の我儘なんだ。でも、どうしても、ミナを助けたいんだ。力を貸してほしい!」
その声は、整備の金属音にかき消されそうなほど震えていた。
だが、作業の手を止める者はいなかった。
彼らは作業を続けながら、あるいは自身の愛機の影から、カイに応えた。
「面を上げろ、中佐。……そんな言葉を聞くために、我々はここに残ったわけではない」
シュミット大尉が、愛機の脚部装甲を見上げながら低く言った。
彼は自ら整備兵に細かな指示を出しつつ、一度もカイを見ようとはしなかった。
「ミナ曹長を奪われたままで背を向けるなど、ゲルマーの軍人にはできん。……貴殿の私情は、我々全員の任務の範疇だ」
「カイ、気にするな」
ジョセフが、自機の火器管制回路図から目を離さずに言った。
「あいつがいなきゃ、この部隊は目も耳も潰されたも同然なんだ。……お前の邪魔する奴らは俺が掃除するさ」
第二小隊のニルット中尉は、海図台に広げたケマネアリ周辺の地図を睨んでいた。
「……拉致など許せません。収容所の場所は全員把握しています。上陸後、最短ルートで突き抜けます。……アラン少尉、施設の収容者に被害を出さずに重要設備破壊のシミュレーションを」
「了解しています、中尉」
アラン少尉が、自身の機体のラダーに手をかけたまま短く応じる。
「中佐、貴殿が最短距離を走れるよう、障害はすべて排除します」
ドックの奥で、弾薬の搬入を監督していたチャルン大尉が、重厚な声を響かせた。
「カイ中佐、着いたら振り返る必要はありません。ケマネアリの防衛線は、第一と私の小隊が引きつけます。ミナ曹長を傷つけた報いだ、相応の鉄槌を叩き込んでやる」
ユキヤ准尉も、言葉少なに頷く。
「……正面の防壁は僕がこじ開けます。中隊長はミナさん救出を最優先にしてください」
マイ少尉は、愛機のシートに持ち込むお菓子を整理しながら、唇を白くなるほど噛み締めていた。
「……あんな卑劣な真似、絶対に許せませんわ。ミナさんを怖い目に遭わせたこと、帝国軍に骨の髄まで後悔させて差し上げます。……中佐、さっさと準備なさいな」
最後に、サカモト少佐が、自身の機体の脚部を叩いてカイに歩み寄った。
「……聞いたかよ、カイ中佐。みんなもう『地獄』への準備はできてるぜ。……必ず奪い返そう。全員でだ」
カイは涙を拭い、拳を握りしめた。
整備兵たちの怒号、クレーンの軋み、そして戦友たちの静かな、しかし確固たる殺意。
それらが混ざり合い、グングニルのドックは巨大な「復讐の揺り籠」へと変貌していた。
「……感謝する。……目標、ケマネアリ軍事基地だ。出航は23:00、到着次第作戦開始。 敵勢力下の航海だ、船足は少し遅くなる。到着予測時間は、接敵が無ければ明後日の午前07:00。 隊長機の俺が先陣を切る。俺が出たら接岸200mからカタパルト射出開始だ。」
第一波:副長(ラインハルト少佐)及び第一小隊(シュミット大尉、ジョセフ准尉)。 副長、敵のエースを頼みます。第一小隊は軍事基地正面を制圧せよ。
第二波:第三小隊(チャルン大尉、ユキヤ准尉)及び、第四小隊のマイ少尉。 第三小隊は軍事基地正面、第一小隊の援護だ。マイ少尉は基地司令部を叩け。
(マイ少尉は目を見開いて顔を輝かせた。)
第三波:第二小隊(ニルット中尉、アラン少尉)及び、第四小隊のタケシ准尉。 第二小隊は敵を牽制しながら弾薬庫の爆砕を目指せ。タケシ准尉、揚陸したらマイ少尉と合流して第四小隊として基地司令部だ。
隊長機は、第三小隊の揚陸と同時に、一気に収容所解放に向かう。
軍事基地と街が隣接している。民間人誤射には留意せよ。 だが、発砲があれば敵だ。殺せ。 本作戦は短時間で当該基地を無力化することにある。 弾薬庫だけではなく、備蓄燃料、車両、整備工場、弾薬工廠……あらゆる軍事目標を殲滅せよ!」
「「了解!!」」
ドックに響き渡ったのは、かつてマライカの埠頭で、カイに叩きのめされながらも立ち上がった八名の戦士と、彼らを支える副官の咆哮だった。
「「了解!!」」
それから数時間後。
夕闇に紛れ、第41大東亜エウロ臨時混成艦隊は沈黙を保ったまま漆黒のバルラート洋へと滑り出していった。
しかし、カイが知る術は無い。
ミナの尋問を担当する大尉が、「女をオモチャにする少尉」にミナを渡す約束の日が、中隊の到着と同じ日である事を。
殺伐としたドックにいた全員に、ミナ救出の決意の火が灯っていた。
カイは涙を強く拭い、力強く頷いた。
深夜、静まり返ったケルゲレンから、愛する者を救うためだけに、漆黒の破壊神『アスラ』が再び海へと滑り出す。




