第25話 絶望のカウントダウン
連れ去られた先が、ケルゲレン島からほど近い帝国の一角ビーザンモークの辺境、深い霧に包まれた『ケマネアリ軍事基地』であることを、ミナは知る由もなかった。
海を裂くようなクラーケオスの激しい振動が止まり、ハッチが開かれた瞬間、ミナの鼻腔を突いたのは、マライカの潮風とは似て非なる、マングローブの腐敗臭と冷たい雨の匂いだった。
アンジャリ・サマセット大尉は、一度もミナと目を合わせることはなかった。
彼女にとって、ミナはもはや人間ではなく、「先程までの自分の命を守るための保険」に過ぎないのだ。
アンジャリ大尉は無言で顎をしゃくり、待機していた憲兵隊へミナを引き渡した。
石造りの冷え切った地下施設。
ミナが最初に通されたのは、窓一つない脱衣室だった。
「脱げ。徹底的にな」
中年の女性憲兵は、感情を排した声で命じた。
冷たい義手の接続部、義足のジョイントの隙間、果ては口腔内まで。
穴という穴、所持品という所持品。
人権という概念が入り込む隙のない、屈辱的な身体捜検が行われた。
「……これは、誰が作った?」
女性憲兵が、ミナの義手の滑らかなチタン合金を乱暴に叩く。
「……病院」
ミナは唇を噛み、声を絞り出した。
脳裏には、グリスの匂いを漂わせながら、一心不乱に自分の指先を調整していたあの少年の姿が浮かんでいた。
彼が愛おしそうに磨き上げた「私の体」を、軍靴の足音が響く不浄な場所で晒されている。
その事実が、胸をナイフで抉られるよりも痛かった。
そして、女性憲兵は義手と義足を一通り見ると興味がなさそうに、乱暴に籠の中に投げ入れた。
捜検が終わると、ミナは薄暗い尋問室へと突き飛ばされた。
中央に据えられた鉄の机。
裸電球がチリチリと音を立てて揺れ、影が壁に長く伸びている。
対面に座っていたのは、少尉の階級章をつけた脂ぎった顔の男だった。
彼は机の上に置かれたミナの義手と義足を見つめ、卑俗な笑みを浮かべた。
「さて。大東亜の『曹長』殿。まずは景気づけに、その服を脱いで見せてもらおうか。女の工作員が毒薬や発信機を仕込むからな。調べる必要があるのは分かるだろう?」
少尉は立ち上がり、ゆっくりとミナに歩み寄った。
「ほら、脱げよ。前をはだけろと言っているんだ。自分じゃできないのか? だったら俺が手伝ってやる。下着の中までじっくりと調べなきゃならんのでな」
汚れた指先が、ミナの軍服の襟元に触れた。ミナは激しく身をよじったが、後ろ手に拘束された手は鉛のように重く、自由を奪われた体では抗う術がない。
「やめて……触らないで……!」
「いい声だ。情報の前に、女としての喉を鳴らしてもらおうか――」
男の指がボタンに掛かったその時、尋問室の重厚な鉄扉が開く。
続いて衝撃音。
次の瞬間、脂ぎった少尉の体は壁まで吹き飛び、うめき声を上げながら崩れ落ちた。
「馬鹿か、貴様は!」
怒号と共に現れたのは、端正な顔立ちを怒りに染めた、金髪の将校だった。
大尉の階級章が、電球の光を反射して鋭く輝いている。
「この女は『あの艦隊』を知る、唯一の戦略的情報源だぞ! 貴様の汚い欲で台無しにするつもりか! 憲兵隊の面汚しめ、今すぐ懲罰部隊へ行け!」
「そんな!わたしはわたしのやり方で情報を取ろうと…………」
怯える少尉を配下の憲兵に引きずり出させると、室内に張り詰めていた不潔な空気が一変した。
大尉は深く溜息をつくと、ミナの前で膝をつき、震える彼女の手を取った。
「……すまなかった。非常に見苦しいものを見せた」
彼は驚くほど洗練された手つきで、乱れたミナの襟元を直し、ボタンを一つずつ留めていった。
その瞳には、先ほどの少尉のような野卑な欲望はなく、むしろ学者のような怜悧さと、貴族的な慈悲が同居していた。
「あなたは捕虜だが、我々は誇り高き帝国軍人だ。あのような野蛮な男は例外なのだ。どうか、許してほしい」
大尉は静かに自席へと戻り、優雅な動作で椅子に腰を下ろした。
机の上には、ミナの経歴が記されているであろう書類が広げられている。
「兵員番号FEA-24-F702 ミナ・フェリシア曹長ね」
「申し訳ないが、あなたの所属する部隊は、我々にとって同胞の血を吸った仇敵だ。それは理解しているな?」
「まだ、部隊名を教えてもらってはいないが、アンジャリ大尉から経緯は聞いているのだよ。ケルゲレン島を壊滅させた艦隊だとね」
ミナは答えなかった。
ただ、目の前の男の「整いすぎた親切」に、得体の知れない薄気味悪さを感じていた。
「私は君を傷つけたくない。紳士として、友人のように接したいと思っている。だから、しばらくはこの収容所で、毎日私と話をしてもらうことになるだろう。大東亜のこと、大東亜の技術のこと……そして、ケルゲレン島で起きた事についてね」
何も答えないミナの態度に、大尉はクスリと笑いを漏らす。
「私は紳士だが、あまり待つのは好きでは無い。あなたの体に触れる事はしないが、早めに教えてくれると嬉しいのだがね」
大尉が「待つのは好きでは無い」という言葉を口にした瞬間、ミナの心臓が跳ねた。
この男は、アンジャリ以上に危険だ。
暴力ではなく、紳士という皮を被っているが、いつか豹変する時が来る。
そしてはそれは決して遠い未来では無い。
「……彼に会いたいか?」
大尉の突然の問いに、ミナは窓のない壁の向こう、遠い海原を想った。
ミナの脳裏には、今頃、自分がいなくなった衝撃で狂ったように写真を撫で声にならない絶叫を上げているであろう一人の少年がいる。
「そうか、会いたいか。明日、彼のことについて話そうか、お嬢さん」
黒い闇を裏側に感じる笑顔を残して、大尉は部屋を出る。
「三日だな。三日間は私は『紳士』だよ」
部屋の外から聞こえる悍ましいカウントダウンの宣告。
(……バカね、カイ。早く来なさいよ。じゃないと、私………………)
ミナは毅然と顔を上げた。その瞳には、とめどない涙が流れ続けていた。
尋問室から一区間離れた憲兵幹部待機室。
「少尉、さっきは済まなかったな」
「……大尉。『私が殴られた甲斐』はございましたか?」
「ああ、十分だ。ああいう『誇り高い女』は、一度絶望の中に救いを見せ、それを後から叩き落とすのが一番効率がいい。……三日だ。三日経って口を割らなければ、少尉、君の好きなようにしろ」
「ありがとうございますゲヘヘヘ」




