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第24話 帝国

 一九四三年

 第二次世界大戦、欧州戦線  

 軍事大国ゲルマー第三帝国の圧倒的な装甲兵力の前に、旧宗主国アングリア連邦は、本土防衛という名の泥沼に沈んでいた。

 アングリアは、ゲヘナ大陸全域に広がる広大な植民地から膨大な数の中核兵力を徴兵し、前線へ投入。

 しかし、その行為こそが、後に自らを噛み千切る「牙」を育てる結果となる。


 一九四四年

 ついに歴史の転換点が訪れる。

 デリ・ガートに集結していた現地人徴兵部隊が、アングリア連邦の腐敗と無能を糾弾し、一斉蜂起。

 彼らはアングリアが供与した最新のシュテルツァーを接収し、独自に発展させた宗教や思想を基に「ヴァジュラ・バラ・カノン帝国」を建国した。

 アングリアが国力を注いで築き上げた生産拠点、研究施設、そして世界最大の埋蔵量を誇るマンガニス鉱脈――その全ては、既に帝国の胎内にあったのだ。


 ゲヘナ大陸を解放したヴァジュラ軍は、そこで歩みを止めなかった。

 彼らはメニスカス海を北上し、ゲルマー第三帝国軍との決戦で防衛網が瓦解していたアングリア本土「大アンギュラ・ヴィンクト島」へ逆侵攻を敢行。

 かつての宗主国の心臓部を物理的に「踏みにじる」ことで占領したのである。  

 シュテルツァーの圧倒的優位性に、世界は震撼した。

 航空戦力が失われ、近距離戦闘を余儀なくされるこの世界において、既存の戦車や艦船はシュテルツァーの敵ではなかった。

 しかし、その操作の極致とも言える煩雑さは、各国のパイロット育成に重い足枷を嵌めることとなる。


 帝都デリ・ガート、帝国軍統合参謀本部。  

 紫煙の漂う薄暗い司令部で、参謀総長の低く冷たい声が響いた。

「……アスラだと? 我が帝国が開発した、あの『動かぬ試作機』ではないのか?」


「左様です。ですが……あれを御せる人間は、帝国はおろか世界中にも存在せぬはずでした」  

 報告する技術将軍の声は、恐怖に震えていた。 「まともに歩かせ、戦列歩兵レベルの挙動ができる者ですら、世界に十人とおりませぬ。まして、あの高機動……」


「海上を疾走したというのか。あの重量の陸戦機で、水面を」


「間違いありません。海面滑走……理論上のみ存在した『神の領域』です。帝国のエースですら、アスラに乗れば直立すら困難でしょう。操作系統が、人間を拒絶しているのです。だが、大東亜の中佐はそれを……呼吸をするように操っている」


 参謀総長は、黄金の装飾が施された椅子に深く背を預けた。

「つまり、予備機もあったとしても、操る者が居らぬ以上、我が帝国にとってはただの鉄屑だということか?大東亜ごときの猿どもが」


「……その通りです。現状、正面衝突でアスラを止める術はありません。戦略そのものが書き換えられてしまいました」


 航空戦力が失われた現代、沿岸要塞は絶対の盾であった。

 それを海からの超高速機動で無効化された今、ヴァジュラ帝国の「聖戦」は根底から崩れようとしている。

「策を練るのだ。……人間の理を捨てた、禁忌の策を。大東亜の中佐が『神』ならば、我らは『悪魔』を喚ぶしかない」


「練度不足だろう。アスラに一万時間乗せたらどうだ?」  

 一人の将軍が、苦し紛れに提案する。技術将軍は、それを鼻で笑うことすらできなかった。


「……歩かせるだけで十数本のレバーを同期させ、姿勢制御だけで無数のペダルを鍵盤のごとく踏み分ける。それがアスラです。さらに緻密な出力を秒単位で調整せねばなりません。それを『二足歩行』という不安定な極地で行うのです。並の操縦士なら、立ち上がろうとした瞬間に自重で機体をひしゃげさせるでしょう」


 兵站将軍が補足します。

「兵站管理の観点から申し上げれば、アスラは兵器の体を成しておりません。レシプロ戦闘機の操縦マニュアルが幼子の絵本に見えるほど、その操作系統は難解を極めます。通常のシュテルツァーがレシプロ戦闘機の八倍の煩雑さと言われているのはご存知でしょう?アスラはさらにその八倍。 閣下、人間の脳が一度に処理できる情報の限界を、あの中佐は物理的に突破しているのです。アスラ一機を維持するコストよりも、それを動かせる『個体』が存在すること自体が、我々の理解を超えた戦略的悪夢なのです」


 参謀総長はモニターを睨みつけた。

「ならば、海上機動など、もはや狂気の沙汰ではないか」


「その通りです。波のうねりに合わせ、ミリ単位で足底の噴射圧を制御し続けねばならぬ。指先が、一ミリでも震えれば海に叩きつけられる死の作業。あの中佐はそれを、鼻歌でも歌うかのような平然とした顔でやってのけているのです」


 海軍元帥が重い口を開いた。

「航空戦力なき今、沿岸要塞は最強の軍備です。戦艦も陸戦兵器も寄せ付けぬ。だが、アスラは海を歩き、壁を軽々と越えて内部に侵入する。……中に入られれば、あとは皆殺しを待つだけです」


 陸軍元帥もまた、覇気のない溜息をつく。

「帝国が大東亜のどこを攻めようと、アスラが現れれば補給路を断たれ、侵攻軍は全滅するでしょう。奴を止める策など、この世に存在せぬ」

「同盟を組んだエウロも同じ事か。まさか、取るに足らぬ赤子の同盟かと思っていたが、これほどとは…………」


 参謀総長は決定を下した。

 全軍の七割をアメリ侵攻に充てる。

 アメリを落とした後、大東亜をじわじわと締め殺すしか道はない。

「残る戦力は、アスラの上陸が予想される拠点の増強に充てよ。勝てるとは思わぬ。……せめて『攻めにくい』と思わせるのが関の山だ」


 参謀総長は、皇帝陛下への奏上に何と述べるべきか、出口のない苦悩の闇へと沈んでいった。

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