第4話:善意の毒、あるいは救済の失敗
一人の生徒がガタンと机を叩いて立ち上がった。
直樹:「……美月さんは、犯人じゃない!!」
一瞬、教室内が凍りつく。
直樹の声は震えていたが、その瞳は真っ直ぐにクラスメイトたちを見据えていた。
直樹:「だから言ったんだ! 塩を入れようって!
淡水ミドリフグなんていない。ミドリフグは海水魚なんだよ!
みんなが……みんながミドリフグを殺したんだ!」
ざわっ、と波のようにクラスが揺れる。
生徒A:「は? 何言ってんだよ直樹。先生も店の人も『淡水で大丈夫』って言っただろ」
生徒B:「今さら自分の知識を押しつけてんじゃねえよ。うざいんだよ」
生徒C:「……お前、なんか知ってて隠してんのか? 」
疑いの視線が、美月から直樹へと一気に移った。
直樹は激しく呼吸を乱しながら、声を絞り出す。
直樹:「嘘じゃない……本当なんだ。あいつは淡水じゃ生きられないんだ……信じてよ!」
しかし、誰も耳を貸さない。それどころか、誰かがぼそっと呟いた言葉が、決定打となった。
「……やっぱり、直樹が怪しいんじゃね?」
その一言で、空気が決まった。
誰かが叫んだ。
「直樹、お前何か余計なことしてないよな?」
直樹は唇を噛んだ。
直樹:「…………」
「黙るなよ! 何やったんだ、言えよ!」
その反応が、クラスの「確信」へと変わっていく。
その瞬間、予鈴のチャイムが残酷に鳴り響いた。
佐藤先生が穏やかな表情で教室に入ってくる。
佐藤先生:「どうした、みんな席に着け。授業を始めるぞ」
すると、最前列の生徒が立ち上がった。
生徒D:「先生……ミドリフグを殺したのは、直樹くんです」
佐藤先生は教壇に立ち、ゆっくりとクラスを見回した。
佐藤先生:「直樹、黙っていたんじゃわからないぞ。」
直樹は何かを隠しているようだった。
佐藤先生:「……直樹。君が何か知っているなら、今言ってくれたほうがいい。黙っていると、みんなに疑われてしまうぞ」
ざわっ、とクラスが揺れた。
直樹の肩が小さく震える。
佐藤先生:「……よし。じゃあ数学の続きに入るぞ。みんな、ページを開け」
何事もなかったかのように授業が始まった。
だが、直樹の机の上には教科書すら開かれていない。
彼の拳だけが、白くなるほど強く震えていた。
二時間目の休み時間。さらなる衝撃が教室を襲った。
「大変だ! 四組のミナミヌマエビも全滅したってよ!」
「ええっ、あっちもかよ!?」
噂は一気に全校へ広がる。
「学校中の生き物を殺して回る犯人がいる」。
生徒E:「……これも、直樹くんの仕業なんじゃ」
冷たい視線はすべて直樹に集まった。反論しても誰も信じない。弁明すればするほど怪しまれる。先生すら、もう味方には見えない。 直樹はついに耐えきれなくなり、椅子を蹴るようにして教室を飛び出した。
「やっぱり! 逃げたぞ犯人!」
その喧騒を背に、真壁と狐兎森は廊下の隅で静かに言葉を交わしていた。
真壁:「……あの白い粉、やっぱり毒だったのかな。直樹くんは一体、どんな毒を使ったんだと思う?」
狐兎森:「やったのは直樹くん。でも、それは毒じゃないわ。たぶんね」
真壁:「毒じゃない? でも彼がやったんだろ?」
狐兎森:「ええ、直樹くんがやった。でも、彼は『殺して』はいない」
真壁:「変なことを言うね。矛盾してるだろ」
狐兎森:「問題は……たぶん、量だと思う」
真壁:「……量? どういう意味だよ。彼、何をしたって言うんだ?」
狐兎森は、黒目がちの瞳を細めて、すべてを見通したような顔で言った。
狐兎森:「直樹くんは、フグを救おうとしたのよ。……でも、その『救い方』が、致命的に間違っていたの」
直樹は、人気のない北校舎の階段の踊り場に座り込んでいた。 膝を抱え、額を押し当て、乱れた呼吸を整えようともがいている。
直樹(心の声): (違う……違うんだ。僕は助けたかっただけなのに……。なんで……なんで僕が……。ほんの少し……ほんの少し入れただけなのに。どうして……)
目からぽたりと、大粒の涙が落ちた。
そのとき――そっと、静かな足音が近づいてきた。
「……直樹くん」
顔を上げると、そこに美月が立っていた。いつもの強気な表情ではない。どこか迷いと後悔を孕んだ、弱々しい瞳。美月はゆっくりと膝を折り、直樹の隣に座った。
美月:「……ごめん」
直樹:「……え?」
美月:「庇ってあげられなくて、ごめん。みんながあなたを疑い始めたとき……私、何も言えなかった。怖かったの。『反対してた私が言うと、余計に怪しまれる』って……自分のことばかり考えて……」
直樹は涙を拭いながら、かすかに首を振った。
直樹:「美月さんのせいじゃないよ……。僕が、ちゃんと説明できなかったから……」
美月:「違うの。あなたが『助けようとした』って、なんとなくわかってた。昨日の当番のとき、あなた、ずっとフグの様子を気にしてたでしょ。……あれ、ずっと気になってたの」
直樹の肩が、びくんと跳ねた。
美月:「私……本当は、あなたの味方でいたかった。でも、怖くて言えなかった。本当に……本当にごめん」
強がりな彼女が初めて見せた、震える声の謝罪。 直樹はしばらく黙っていたが、やがて深く、重い息を吐き出した。
直樹:「……ありがとう。そう言ってくれるだけで……少し、楽になった」
美月は、ほんの少しだけ涙を浮かべて微笑んだ。
美月:「直樹くん……一緒に教室に戻ろう。このままじゃ、あなたが悪者にされちゃう。私も……ちゃんと話すから」
直樹は立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
直樹:「……うん。行こう」
二人は並んで階段を降りていく。その背中は、先ほどまでの絶望に沈んだ姿より、ずっと力強く見えた。
【新聞部・真壁の取材メモ】
■ 事件の急展開:標的の移動
容疑者が美月から直樹へ移る。きっかけは直樹自身の「自白」に近い擁護発言。
四組のエビ全滅騒動が、直樹への疑念を「確信」に変えた。
■ 狐兎森さんの仮説:毒ではない「何か」
「やったけど殺していない」「救おうとしたが間違えた」という奇妙な言葉。
水槽の縁の「白い粉」の正体は? やはり『毒』ではないのか?
しかし、なぜ死んだ? 狐兎森の言う「量」の問題とは。
■ 直樹の心理状態
「ほんの少し入れただけ」という呟き。彼は淡水飼育を危惧し、独断で塩を入れた可能性がある。
知識があったからこそ、あえてリスクを冒した。
■ 美月の変化
孤立していた彼女が直樹に歩み寄った。彼女だけは、直樹の「善意」に気づいていた。
■ 残された謎:他クラスのエビ全滅
直樹が他クラスの水槽にまで手を出す理由がない。
別の「要因」が同時多発的に動いているのか? あるいは、学校の水道水そのものに何かあるのか?
「善意がトドメを刺したのだとしたら、これほど悲しい結末はない。だが、まだ何かが足りない。四組のエビの死が、直樹くんの犯行だとは思えないんだ。」




