ストックホルムへ
――空気が、薄くなる瞬間がある。
拓実はそれを、台の向こう側で相手のラケットが軌跡を描き始める“ほんの前”に感じ取る。
◇
国内ツアーは、移動と汗とテーピングの匂いでできている。
朝の体育館、ブリーチャーの金属が冷たく、ボールマシンが白い円を連続で吐き出す。
「今日はサーブの“高さ”を半球分、下げる。」
コーチの声に、拓実は短くうなずく。
トスの指先、視線の角度、右足の母趾球――全部が“同じ”になるまで繰り返す。
国内ランキングはトップ、世界でもトップファイブ。数字は誇らしいが、数字は次の一本を打ってはくれない。
ミライマート音大前店の小さなテレビでは、ニュースの合間に世界大会のハイライトが何度も流れた。
店長の篠崎は、レジに“応援ポップ”を貼る。〈柳川拓実 選手、今週も暴れてきて!〉
「暴れるは違うやろ」
そう突っ込みながら、光子と優子はサンドイッチを持って出ていく。
寮の廊下でスマホを覗けば、拓実のアカウントには海外の観客のコメントが英語や絵文字で並び、練習の短い動画に“いいね”が静かに積もっていた。
◇
国外シリーズ。会場は照明が低く、台だけが舞台のように浮かんでいる。
相手のバックハンド“チキータ”が鋭く、台上の短い球を容赦なく弾き返してくる。
拓実は一度も手首を固くしない。
(前に出す。引かない。吸い込む。)
サーブはYG、巻きの逆、ナックルを挟み、三球目はバック対バックの連打に持ち込む。
第4ゲーム、9-9。
彼はリズムを半拍だけずらして、相手の足の裏の沈黙を聴いた。
ラリーが一本伸び、相手の肘が詰まる。10-9。次の一本で取り切る。
勝っても吠えない。ガットに触れ、ボールに頭を下げる。それがいつもの“お辞儀”。
この一勝がランキングを一つ守る。
維持することは、上がるより難しい。
それでも、拓実は淡々と“同じ朝”を積む。
◇
帰国。日本選手権。
会場に入った瞬間の、独特のざわめき。
観客席の奥の方で、双眼鏡を持った少年が背伸びをする。
幕に書かれた名前が並び、どの苗字にも重さがある。
拓実のブロックは“重い”。それは名誉であり、試練だ。
初戦は、台上の触り合いでほぼ完結した。
二回戦、相手のフットワークがよく、フォアミドルを突くとすぐに脚が反応してくる。
(横を使う。)
サーブのコースをストレートに寄せ、三球目で横回転をまだらにして、相手のスイング軌道を微妙にずらす。
5ゲームで閉めた。
ベンチに戻り、タオルで汗を拭う。
「次、左。サービスの軌道、見せすぎないように」
コーチの小声は短く、具体的だ。
「うん。フリックの高さ、目線で殺す。」
三回戦、左利きの若手。
バック対バックの押し合いから、相手が一瞬だけ手首をほどく。その“ほどけ”に合わせ、拓実のドライブが台から弧を描いて落ちる。
スコアは開いた。だが、一本一本の密度は高い。
勝っても、呼吸は荒いまま。
ラウンド・オブ16。
会場の音が、少しだけ違う高さで鳴っていた。
有名選手の試合が同時に進み、歓声が波のように順番を変える。
拓実の台の前には、見慣れた影があった。
マスクの上の目だけが笑って、手を振る。
優子だ。
(来たんだ。)
心の中で呟いて、彼は何も変えない。変えないことが、彼の“変化”だ。
試合の入りは固かった。
相手はカウンターの名手、上から被せる球が深い。
1ゲーム目、7-11。
ベンチに戻ると、優子が遠くから両拳を胸の前で小さく合わせる。
“間”のサイン。
拓実は短くうなずく。
2ゲーム目、サーブのルーティンの“間”を半拍だけ伸ばした。
トス、視線、息。
相手のリズムがわずかに前に出る。
その前のめりを、横回転の薄いボールで受け流し、三球目で一段低く叩く。
11-6。
3ゲーム目、デュースが二度続き、最後はミドルに詰めて取り切る。
4ゲーム目は落とし、最終の5ゲーム目。
9-8のリード、タイムを取らない。
(行く。)
フォアへ長いサーブを一本だけ混ぜる。相手の足が反射で動き、ふくらはぎの筋肉がわずかに跳ねる。
その“跳ね”を見て、バックで迎え撃つ。
10-8。
最後の一本、バック対バックの押し合いから、カウンターをカウンターでねじ伏せる。
勝利。
審判がスコアを読み上げ、観客席の拍手が渦を巻く。
ベンチに戻ると、コーチがタオルを差し出す。
「準々、明日。相手、あの人。」
名前を聞いて、拓実は短く笑う。
「うん。あの人、ね。」
“壁”は、いつも会場の中央に座っている。
そこを越えて初めて、世界の光が見える。
優子からメッセージが届く。
《今日の“間”、めっちゃよかった。明日もその呼吸で》
短い文のあとに、うさぎの絵文字。
拓実は既読をつけ、スマホを伏せる。
(呼吸、ね。)
夜のホテルは、空気が乾いている。
彼は加湿器に水を足し、軽くストレッチをして、目を閉じた。
耳の奥で、ボールの“コッ、コッ”という小さな音が、規則正しく遠のいていく。
――準々決勝まで、順当に。
明日、空気はまた少し薄くなるだろう。
それでも、呼吸は同じように整える。
一本のために。
一本の向こうにある、明日のために。
――準々決勝。
相手は五輪経験者。アップの段階から“勝つ身体の鳴り方”をしている。観客のざわめきが一段深く、台の上の空気がほんの少し重い。
第1ゲーム、最初の2本は短いサーブで触り合い。相手のレシーブが浅く浮いた瞬間、拓実は迷いなくバックのチキータで角を割る。三球目は肘(フォアとバックの境目)へ早い一打――相手の足が半歩詰まり、ラリーの主導権がこちらに傾く。
7–6、ここで巻きの逆(YG)を一度だけ混ぜる。相手のラケット面が上を向く。三球目のバック対バックで押し切り、11–7。
第2ゲーム、相手はロングサーブを混ぜてくるが、拓実は前に詰めた構えから一歩も引かず、カウンタードライブで迎撃。チキータ→三球目攻撃の往復運動が完全にハマって、11–8。
第3ゲーム、さすがの相手も手を変えてくる。台上でのフリックにナックルを挟み、回転を見えにくくする。だが拓実は“高さ”で見切る。触って、浮かせて、刺す。
9–7、最後はストレートへ速いバックドライブを通し、**3ゲーム連取。**ベンチに戻るまで吠えず、ラケットに頭を下げる。それが彼の礼だ。
――準決勝。
会場の音が一段上がる。対戦相手は国際大会の常連、カウンターの名手。最初の一本から、ボールが重い。
第1ゲームは相手の強打で押し込まれ、8–11。
第2ゲーム、サーブの“間”を半拍だけ伸ばし、リズムをズラす。短長の揺さぶりで11–9。
第3ゲーム、長いラリーを二本落として9–11。
第4ゲーム、タオルブレイク明け、バック対バックの押し合いで“先に上体を起こさない”我慢が実る。終盤にYG→ナックル見せ→巻きの順回転の三段活用で一本もぎ取り、12–10。
――フルゲームへ。
最終ゲーム。両者、足が止まらない。
3–3、5–5、8–8。一本の密度が濃く、会場の呼吸が短くなる。
9–9、相手の早いチキータを面で受けて高さだけで返す。欲しがった相手の肘が詰まり、10–9。
ここで追いつかれ、10–10。以降はデュースの往復。
11–11:相手タイム。再開後、いきなりのロングサーブ。読み切ってフォア前へストップ、相手が持ち上げた球を三球目でミドルに突き刺し、12–11。
12–12:台上の小競り合いを相手が制す。
13–13:サービス、巻きの順回転を**“見せてから”YG**。相手の合わせが薄く、13–12……を取り切れず13–13。
14–14、15–15――どちらも一歩も引かない。観客は座ったまま体が前へ出る。
16–16、17–17。拓実は水をひと口だけ含む。呼吸、同じ。
18–18、19–19。相手ベンチから短い掛け声。
20–20。
サーブ権、拓実。
ここで“勝負サーブ”は打たない。短く、質だけ高く。
相手はわずかに浮かせる。三球目、叩ける高さ――だが無理はしない。肘へ速く、深く。 相手はカウンターに行く。面がかすり、ボールの縁が台のエッジをかすめた。
――エッジボール。
審判の冷静なコール。会場が一拍ざわついて、すぐ静まる。相手は苦笑してうなずく。フェアだ。
**21–20。**マッチポイント。
最後の一本。相手は当然、先に仕掛けてくる。バック対バックの撃ち合い――速さを上げない、回転を上げる。
拓実は膝をさらに落とし、身体の芯からラケットへトルクを通す。
相手のカウンターが浅くなる“前”に、高速スピンのバックドライブ。
弧を描いて、ラインに落ちる。
22–20。
一瞬の静止。
次いで、波のような拍手。
相手はネット越しに笑い、指を一本立てて“良い球だった”のサイン。
拓実は小さく会釈し、ラケットを胸に当てる。ベンチに戻る途中、眼だけでコーチと合図。
(呼吸、合ってた。)
(合ってた。)
コートサイドの通路に抜けると、スマホが震える。
《ナイス“間”! 決勝、同じ呼吸で》(優子)
うさぎの絵文字が跳ねる。
タオルで汗を拭い、拓実は天井の灯を一度だけ見上げた。
空気は薄い。だが、呼吸はいつも通りだ。
次は――決勝。
「はい。明日は“出し合い”になると思います。こちらが主導権を握る時間と、相手に握られる時間が必ず来る。その揺れを前提に、まずは“レシーブの質”で土台を作ります。短いボールは台上で低く、長いボールは迷わず前へ。サーブは短短・逆横・ロングを散らして、三球目で肘を先に突く。最初の3本、最初の3点を丁寧に取ることがテーマです。
ゲーム中は“間”を半拍だけ長く取る場面を作って、相手のリズムに同調しすぎないようにします。バック対バックはスピードで勝負せず、回転量と深さで押す。要所(7–7、9–9、デュース)は配球をシンプルに戻して、サーブは見せ球→本球の2枚看板。プランAは台上から先手、Bは中陣でのカウンター合戦、Cはロングサーブ主体で展開を早める形。タイムは“流れが二本続けて逆行したら”迷わず取ります。
メンタル面はいつも通り。“一本だけ”を積む。スコアや肩書きは台の上では回転にならないので、呼吸とルーティンを崩さず、欲しがらない。我慢と決断のどちらも出せる準備はできています。相手へのリスペクトを持って、自分の卓球をやり切ります。応援、力になります。しっかり届けます。」
拓実は少し笑って、マイクに向かって落ち着いた声で答えた。
⸻
「はい。…そうですね。彼女の存在は、すごく大きいです。
試合の内容を直接アドバイスしてもらうわけじゃないですけど、“呼吸”を思い出させてくれる存在というか。焦ってる時でも、彼女の言葉を思い出すと、自分のテンポに戻れるんです。
今回の準決勝も、途中でリズムを崩しかけた時に、“半拍、呼吸を伸ばして”ってメッセージが浮かんで。あれで、もう一回立て直せた気がします。
彼女はいつも、自分の世界で本気で頑張ってる人だから、こっちも中途半端な気持ちでは立てない。ステージは違っても、同じ“勝負の空気”を吸ってる。だからこそ、並んで歩ける人です。」
⸻
報道陣のフラッシュが一斉に光る。
拓実は少しだけ照れくさそうに笑い、
「明日は、彼女に胸を張って見せられる試合をしたいですね。」
とだけ言って、会釈した。
背中の汗がまだ熱い。
だが、心の中には静かな風が吹いていた。
その風の源は、客席で静かに微笑んでいる、ひとりの女性の存在だった。
SNSのタイムラインが、夜の光でゆっくり流れていく。
その中に、ひとつの投稿がきらりと光った。
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優子(@yuko_yanagawa_official)
未来の旦那様。
今日、勝ちました
いよいよ明日は日本選手権、決勝です
ここまで本当にたくさん努力してきた姿を、いちばん近くで見てきました。
だからこそ、どんな結果でも、もう誇りしかありません。
あとは“呼吸”を信じて、自分の卓球を。
頑張れ〜拓実〜!!
#柳川拓実 #日本選手権決勝 #信じる呼吸 #夫婦二人三脚
(添付写真:練習後の拓実の背中。ラケットケースを肩にかけ、夕暮れの体育館を出ていくシルエット。光がラバーの赤を照らしている)
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投稿から数分で、コメント欄は温かい声で埋まっていった。
コメント例:
•「なんて素敵な関係…」
•「“呼吸を信じて”って言葉が沁みます」
•「優子さんの支えがあっての拓実選手!明日は応援します!」
•「夫婦で世界を目指すって、ほんとにすごい」
•「ファイブピーチ★のファンも全員で応援中」
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ミライマート音大前店の店長・篠崎も、それを見て思わずスマホを掲げた。
「よっしゃ、明日は特設応援モニターつけるばい!」
音大寮では光子がその投稿をリツイートし、コメントを添える。
「優ちゃん、想い伝わったね。 明日は“呼吸合わせて”勝ち取ろう、拓実!」
⸻
夜。ホテルの一室。
拓実はその投稿を見つめ、指先で一度だけ画面をなぞった。
表示された「いいね♡」の数より、
“未来の旦那様”という五文字のほうが、胸に強く響いた。
「……よし。」
スマホを伏せ、ストレッチを始める。
呼吸を整えながら、心の中でそっと呟いた。
(明日、絶対勝つ。優子に“ありがとう”を勝利で伝える。)
そして、部屋の明かりが静かに落ちた。
――日本選手権、決勝前夜。
――決勝。
空気が、まるで水のように重い。
会場の照明が一点に集まり、台の上に青白い光の輪を作っていた。
この一戦に勝てば、無条件でストックホルム・オリンピック代表内定。
だが、相手は去年の王者。
誰もが知る名選手。
試合前の記者席では、「経験 vs 勢い」「王者の壁」「若き挑戦者・柳川拓実」と見出しが並んでいた。
⸻
■ 第1ゲーム
ラリーの最初の一打から、会場の空気が変わった。
両者ともに譲らず、得点はシーソーのように揺れる。
9–9、10–10、11–11……デュースが続く。
観客は息を呑み、コーチの指示も届かないほどの緊張。
サーブを投げた拓実は、短く低い球を台の端ぎりぎりに落とす。
相手が浮かせたボールを、バックのチキータでえぐる。
20–18。
拓実が第1ゲームをもぎ取った瞬間、観客席の後方で優子が立ち上がり、手を合わせて祈るように笑った。
⸻
■ 第2ゲーム
互いの集中が頂点に達し、スコアは再びデュースの繰り返し。
相手の強烈なフォアドライブが何本もコーナーを突くが、拓実は台から半歩下がり、中陣カウンターで切り返す。
球が弧を描き、相手のラケットをすり抜けていく。
23–21。
拓実、連取。
あと1ゲームでオリンピック代表。
だが、拓実はベンチに戻っても笑わない。
タオルを取りながら、ただ一言。
「ここからが、本当の勝負です。」
⸻
■ 第3・第4ゲーム
王者は簡単に折れない。
次のゲームではサーブの種類を一気に変え、リターンの“間”を狂わせてくる。
拓実のチキータもわずかに浅くなり、相手が待っていたようにフォアで叩く。
11–8、10–12。
相手が2ゲームを取り返し、スコアは2–2。
コーチが短くつぶやく。
「最後は“呼吸”だけや。」
拓実は軽くうなずき、目を閉じる。
観客のざわめきが遠のく。
“間”を吸い込み、“静けさ”を吐き出す。
⸻
■ ファイナルゲーム
第1ポイント、拓実のYGサーブから始まった。
相手のレシーブが少しだけ浮く。
三球目攻撃、フォアへ高速ドライブ。
1–0。
次もチキータ。
2–0。
コーナーを突く。
3–0。
相手の動きがわずかに重い。
四試合連続のフルセット。
体力が限界に近いのが、表情で分かる。
拓実はリズムを崩さず、低く、静かにボールを操る。
中盤で6–1。
会場はもはや呼吸を忘れたような静けさ。
優子は両手を胸に当て、涙をこらえる。
9–2、
10–2、
マッチポイント。
サーブの構え。
トスを上げる瞬間、拓実の中に優子の声が浮かぶ。
「呼吸を信じて。」
彼はゆっくり吸い込み、吐き出しながら、
完璧なスピンのドライブサーブ。
相手のレシーブはわずかに甘く、ネットに触れて転がる。
――11–2。
拓実が両手を広げた。
会場が一気に沸騰した。
観客席の最前列、優子が立ち上がり、手を口に当てて泣いていた。
⸻
アナウンスが響く。
「優勝──柳川拓実選手!
そして、ストックホルム・オリンピック日本代表、内定です!!」
拓実は深く頭を下げ、ラケットを胸に抱いた。
その背中は汗で光り、涙のように光っていた。
⸻
優子のスマホが震える。
画面には短いメッセージ。
《約束、守ったよ。
呼吸、ありがとう。》
優子は小さく頷き、返信を打つ。
《うん。これからも、ふたりで。
世界のステージでも、同じ呼吸で。》
照明が落ち、歓声が長い余韻を残して響いた。
ストックホルムへ続く扉が、静かに開かれた。
――試合を終えたばかりのアリーナ。
フラッシュが無数に瞬き、実況アナウンサーの声が興奮を押さえきれない。
「日本選手権・男子シングルス、優勝は――柳川拓実選手です!!
そして、この瞬間、ストックホルム・オリンピック代表が正式に内定しました!!」
拍手と歓声の中、拓実はゆっくりマイクの前に立つ。
呼吸を整え、観客席の一角に視線を送る。
そこには、手を胸に当てながら涙ぐむ優子の姿があった。
司会者が笑顔で声をかける。
「柳川選手、おめでとうございます! 今の気持ちを聞かせてください!」
拓実は深く息を吸い、少し照れたように笑って言った。
⸻
「まずは……私の“妻になる優子”との約束を果たせて、本当に良かったという気持ちです。
『ストックホルムに必ず連れて行く』――ずっとそう言ってきました。
今日、ようやくその約束を実現できました。」
会場が一瞬静まり、次の瞬間、あたたかい拍手が広がる。
優子はハンカチで涙をぬぐいながら、笑ってうなずいた。
司会者が続ける。
「勝因は、どこにあったと思いますか?」
拓実は少し考え、視線をまた優子へ。
⸻
「やっぱり――優子の存在が一番大きかったです。
彼女は私とはステージが違いますけど、音楽で世界と戦って、素晴らしい実績を残してきた人です。
そんな彼女の隣に立つにふさわしい選手になりたい。
そう思うことが、毎日の練習の原動力になっていました。
試合の途中で苦しい場面もありましたけど、
『呼吸を信じて』――その言葉を思い出して、自分を立て直せました。
優子の支え、そして一緒に戦った仲間、コーチ、スタッフ、そして応援してくださったすべての皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。」
⸻
客席が総立ちとなり、拍手と歓声が波のように押し寄せる。
司会者が笑顔で言う。
「素敵なお言葉ですね! それでは、優子さんもぜひステージへ!」
優子が呼ばれると、拓実は自然と手を差し伸べた。
優子は涙をこらえながら手を取り、二人で並んでステージ中央へ。
照明が二人を包み、観客席から「おめでとう!!」「ストックホルム頑張れ!!」の声が飛ぶ。
優子はマイクを向けられ、小さく笑って言った。
「もう……最高です。
ずっと支えてきた人が、夢を叶える瞬間を見られて、本当に幸せです。
次は、世界の舞台で――二人でまた“呼吸”を合わせます。」
拓実は優子の肩に手を置き、ゆっくりと深呼吸をした。
その息づかいが、照明の下で、ひとつのリズムに溶けていった。
――ストックホルムへ。
約束は、確かに果たされた。
そして、新しい約束が、今、ここに生まれた。




