帰り道に残る歌
帰り道に残る歌
見送りのエントランスに、夕方の風がすべって入ってきた。
自動ドアが閉まる直前、ソフィーアが小さくつぶやく。
「私、ここで学び終えたら――ウクライナに帰る。みんなの復興を歌で後押ししたい。私たちの世代で、日本が戦争の傷跡から復活したように、私たちの手で、祖国を豊かにしたい」
言葉は静かだった。けれど胸の奥で、低く強い鐘の音のように響いた。
光子が、一拍おいてから微笑む。
「決めとる顔やね。なら、うちらも覚悟でついていくよ。現地の合唱団、子どもたちの合奏団、つないで。歌える場所をいっしょに増やそ」
優子が荷物を持ち直し、軽く拳を突き出す。
「復興のリズム隊は任せんしゃい。瓦礫の隙間にも、テンポは絶対おるけん。拾って、合わせて、街の鼓動にする」
ソフィーアの目が、夕焼けを映して少し潤む。
「ありがとう。怖くないってわけじゃない。でも、怖さより“やりたい”が勝ってる」
「怖さを計る秤は、音楽が傾けてくれると」
光子はソフィーアの肩を抱き、耳元でささやく。
「帰ると決めた日に、まず最初の曲――**“また灯る街へ”**を書こう。ウクライナ語、日本語、どっちでも歌えるやつ。子守歌みたいに、でも歩幅は前へ進むテンポで」
優子がポケットから小さなメモを出す。走り書きの譜線、三和音、短い動機。
「さっきの“言葉”、メロディに落としてみた。〈私たちの手で〉のとこ、上に半音あがる。意思が上を向く感じに」
ソフィーアは紙切れを胸にあて、笑う。
「……もう、始まってるんだね」
寮の廊下を風が抜け、どこかの部屋からピアノの音が漏れる。
光子が玄関の外を指差した。
「次に帰る先が“故郷”であるように、こっちも準備する。楽器支援のチャリティ、合唱譜のフリー配布、オンラインの指導枠。できること、積み上げよ」
優子が、笑いながらも声色を引き締める。
「それと、ソフィーアが戻る日には――空港で“出迎える”じゃなく、“送り出す”コンサートやろう。出発ロビーで。タイトルは**『行っておいで、音とともに』**。うちらの定番ギャグも挟むけど、最後はまっすぐ握手や」
「ふたりといると、決意が怖くなくなる」
ソフィーアは、根付けの赤い糸を指でたどって、くすりと笑った。
「音でつながる“家族”って、きっとこういうことだね」
「家族は、結ぶ動詞やけん」
光子が、あの口癖を借りて言う。
優子が続ける。
「そして、笑わせる副作用つき」
三人で顔を見合わせ、同時に吹き出した。
ただの冗談なのに、涙腺の奥が少しだけ熱くなる。
階段の踊り場で、ソフィーアが振り返る。
「約束。私が帰ったら、最初の冬、キエフの広場で野外コンサートしよう。“また灯る街へ”を、みんなで」
光子は親指を立てた。
「約束は楽譜化済み」
優子がドアの押し釦を押しながら、片目をつぶる。
「その日まで、ここで腕磨いとくけん。発電量、上げとく」
自動ドアが開き、柔らかな夕風が頬を撫でる。
ソフィーアは軽く手を振り、光の方へ歩いていった。足取りは、決意のテンポ。
残されたふたりは、しばし無言で空を仰ぐ。
「……よし、書こ」
光子が小さく言う。
「うん、今の風、コードにできる」
優子が頷く。
窓を通り抜けた風の音は、どこか遠くの広場のざわめきに似ていた。
そのざわめきに重ねるように、ふたりは鍵盤へ、五線譜へ、静かに指を伸ばした。
“また灯る街へ”の、最初の一音が――やわらかく落ちた。
コント「出発じゃなくて“出発”やけん!」
(舞台:空港ロビー風。手作り看板「行っておいで、音とともに—ゲートS(Sofiia)」)
優子「本日のフライトは、笑い行き直行便で〜す。搭乗口は“Sゲート”、Sは“ソフィーア”のSやけん!」
光子「ただいまより手荷物検査を行いまーす。危険物、持っとらんね?」
ソフィーア「危険物は…『諦めん心』と『歌いすぎる喉』だけです。」
優子「それ安全!むしろ必携!」
光子「ほんなら“笑いビザ”確認します。入国目的は?」
ソフィーア「“復興”です。」
優子「“復興”ね。間違えて“出港”やないよね?(船の汽笛モノマネ)ボォ〜!」
光子「違ったら“就航”で機内アナウンスいくよ?(CAっぽく)『本機は間もなく希望上空へ参ります。シートベルトは“前向き”にカッチン!』」
ソフィーア(笑)「カッチン完了!」
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光子「持ち込みOKリスト読み上げます!
一、笑顔100人分!
一、合唱の初音!
一、涙拭くハンカチ(観客用)!」
優子「持ち込みNGは?…“ヘコたれ”と“諦めグセ”。没収しまーす!(ゴミ箱にポイッのジェスチャー)」
ソフィーア「どっちも置いてく!」
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優子「それでは搭乗前セレモニー。“安全のしおり”を音楽版で説明します!」
光子「機内に希望が満ちたときは—」
三人「遠慮せず歌ってください!」
優子「気圧が下がったときは—」
光子「リズムで耳ヌキしてくださーい!(ツンツン)」
ソフィーア「感動で涙が出たときは—」
三人「隣の人にもティッシュ分け合ってください!」
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光子「最後に出発コールいくよ。せーの!」
三人「行っておいで、音とともにーー!!」
(効果音:ドン!と同時に小旗“また灯る街へ”がパッと開く)
優子「着いたら連絡してね。既読スピードは“アレグロ”で返すけん!」
ソフィーア「うん!こっちの発電所、常時フル稼働でお願いね!」
光子「任せろい!爆笑発電量、ただいま120%オーバー!」
三人(観客に向かって)「みんなで点けよう、次のあかり。行ってらっしゃい&おかえりを、何回でも!」
(深々と礼。BGMに“また灯る街へ”のモチーフをハミング。幕)
真夏の予感、七月のまんなか
蝉しぐれが窓ガラスを震わせる。
石和温泉から帰って一か月――七月の半ば、東京の空は白く眩しい。
光子と優子は期末実技のリハを終え、寮ラウンジの古い扇風機の前で、
ペットボトルを額に当てながら譜面を並べていた。
「……暑っ。譜面まで溶けそうやん」
「ほんそれ。けど、ここ踏ん張らんと夏フェス追い込み間に合わんばい」
机の端で光るのは、21歳の七夕にもらった小さな星形チャーム。
二人の誕生日から一週間たっても、友人たちのメッセージは止まらない。
その中に、ソフィーアからの近況もあった。
「地元の学校で合唱ワークショップを始めたよ。
地雷原の表示はまだ残る。けど“歌う声が地図になる”って子どもたちが言ったの。
あなたたちの“笑いの防弾チョッキ”、ちゃんと届いてる。」
光子はスマホ画面をそっと伏せ、深呼吸を一つ。
「……大丈夫やね、ソフィーア」
優子が肩をコツンと当てる。
「うん。心配は消えんけど、前に進みよう。うちらもやるばい」
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「夏課題」と「爆笑課題」
午後は作曲課題の最終提出。
光子は組曲《夏のスタンドと三角ベース》の仕上げに取りかかる。
外野フライの放物線をストリングスで描き、内角攻めはリムショット、
盗塁はピッツィカートの疾走で――音が球場を駆け抜ける。
優子は声楽発表の選曲を終え、ギャグ・アリアの台本を微調整中。
タイトルは《セミファイナル(蝉と“決勝一歩手前”のダジャレ)》、
ダ・カーポで突然“ミンミン”とコール&レスポンスを入れる仕掛けだ。
「ここ、観客巻き込みで“ミーン!”言わせるのあり?」
「ありっちゃろ。爆笑発電所・夏季出力上げてこ」
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ミライマートからの風鈴便り
夕方、近所のミライマート音大前店に差し入れを持って顔を出すと、
篠崎店長が涼しげな風鈴セットを手渡してくれた。
「これ、みんなで寮に吊るして。音で熱気を切るんだよ」
「店長、センス、優勝です!」
「ついでに告知! 来週、**“笑って涼む夕涼みライブ”**店頭でやってよ」
二人は即答。
「やります!“納涼ギャグ小噺+ミニライブ”で!」
店の外に出ると、熱風を切るように一陣の風。
風鈴がチリン、と鳴った拍子に、空がゴロリと鳴った。
黒い雲。夏の夕立が近い。
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雷鳴ジャム:夕立セッション
寮に戻ると、ソフィーアと小雪、早苗が譜面を抱えて集合。
「今、雷、キーはGで鳴いとる!」
「ほんなら、即興“雷神ジャム”いくばい!」
ピアノが雷鳴の重音を刻み、
ベース(光子)が雨脚のうねりを、
アコギ(優子)が稲光の閃きをアルペジオで散らす。
やがて本物の夕立が屋根を叩き始め、
音と雨が混ざり合って、ラウンジが一瞬ステージに変わった。
演奏が終わると、みんな一斉に笑った。
「……最高か」
「夏、来たね」
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夜の作戦会議:「夏の三本柱」
雨が上がると、空気が少しだけ軽くなった。
ホワイトボードに、光子がマーカーで大きく三本の矢を書く。
1.納涼店頭ライブ(ミライマート)
- 15分のギャグコント「スズメ夫婦、熱中症対策会議」
- 新曲プレビュー《雷神ジャム》《セミファイナル》
2.被災地・復興支援オンライン
- ソフィーアの学校と同時接続。
- みんなで歌う《Safe Passage(安全な通り道)》を収録し、寄付キャンペーンへ。
3.期末後・夏フェス準備
- 《夏のスタンドと三角ベース》を五重奏版に拡張。
- MCは“涼しいボケ/火傷注意ツッコミ”で温度管理。
優子が追記する。
「それと――“笑いの防弾チョッキ・増産計画”。
ソフィーアのとこに、ギャグ動画を週イチで送る。字幕多言語、やね」
「決まり!」
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福岡からの“爆笑通信・夏季号”
その夜。ビデオ通話の着信音。
画面いっぱいに春介と春海の顔が飛び込む。
「お姉ちゃーん! 今日の“学校あるある”いくよ!」
「先生の『静かに!』がいちばんデカい件!」
「給食の“冷やし中華あるある”——きゅうり逃げ足早い!」
二人の畳みかけに、寮ラウンジはもれなく崩壊。
光子と優子、床を転げながら。
「……あかん、ジュニア発電所、出力マックスやん……!」
「こりゃ夏フェスの助っ人に呼ぶかね……(本気)」
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メッセージ、夜風にのせて
通話を切ったあと、窓を開けると、
遠くの神社から祭ばやしのリハ音が聞こえた。
どこかで誰かが、今夜も練習している。
歌って、笑って、前を向くために。
光子がぽつり。
「うちらが怖いのは、“何もできんこと”やけん」
優子がうなずく。
「なら、できることを積み上げる。音と笑いで、道ば作る」
二人はノートを開き、新曲《Safe Passage》の最後の一行を書き足した。
“君の足もとに、音で橋をかける。
渡りきるまで、ここにいる。”
風鈴がもう一度、やさしく鳴った。
七月のまんなか。
夏は、これからが本番だ。
七月の祈り 〜ソフィーアを想って〜
七月の風が、少し湿り気を帯びて寮のカーテンを揺らした。
石和温泉から帰って一か月。
光子と優子の心には、あの夜語られたソフィーアの言葉が今も残っていた。
「ウクライナに帰って、歌で復興を後押ししたい」
そう言っていた彼女の瞳には、まっすぐな光があった。
けれど――あの地には、まだ無数の地雷が眠っている。
そしてそれが、二人の中で小さな棘のように刺さっていた。
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■ 不安と願いのあいだで
寮の屋上。
夜風に吹かれながら、光子は缶ジュースを手に空を見上げた。
「……優子。ソフィーア、大丈夫かね」
優子は手すりにもたれて、静かに頷く。
「たぶん、大丈夫。あの子、強かもん」
「でもさ……あの地雷って、まだようけ埋まっとるっちゃろ?
復興の途中で、また誰かが傷ついたらと思うと……胸がギュッてなる」
光子の言葉に、優子も唇を噛んだ。
二人の脳裏には、ソフィーアが見せてくれた写真――
地雷原の看板の前で、子どもたちが笑って歌う姿が浮かぶ。
その笑顔が、どうか消えませんように。
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■ ソフィーアからの便り
数日後、ソフィーアからメッセージが届く。
添付された写真には、瓦礫の町の一角に咲いた小さなヒマワリ。
その横で、ソフィーアが子どもたちと歌っていた。
「まだ危ない場所は多いけど、
音楽が流れると、人々が外に出てきて笑うの。
笑い声があれば、地雷の音は聞こえない——
そう信じてる。」
スマホを見つめながら、光子と優子は言葉を失った。
けれど、自然と涙がこぼれる。
その涙は、不安と誇りのまざった、あたたかい涙だった。
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■ 二人の決意
夜。
光子はピアノの前に座り、優子はギターを抱えた。
そして、二人でそっと音を重ねる。
♪ どうかその足もとに
笑顔の花が咲きますように
風が吹いても、雨が降っても
あなたの歌が消えませんように ♪
静かな旋律の中に、願いが込められていた。
それは祈りでもあり、約束でもある。
「もしソフィーアが危険な目に遭いそうになったら、
うちら、どんな手使っても助けに行くけんね」
「当然たい。あの子は、うちらの“笑顔の妹分”やけん」
二人の声が、夏の夜風に乗って、遠い空へと溶けていった。
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■ ナレーション
世界のどこかで、まだ地雷は眠っている。
けれど、それ以上に確かなものがある。
――“笑い”と“音楽”は、心に道をつくる。
その道が、やがて地雷の跡を埋め尽くす日を信じて。
光子と優子の祈りは、静かに夜空に広がっていった。
ひまわりの画面越しに
夕立の名残りでしっとりした寮の窓辺。
光子がノートPCを開くと、通知のポップが弾けた――Sofiia: Video Call。
「出るね」
優子がそっと椅子を寄せる。画面が開くと、夏のやわらかな光に満ちた部屋と、その中央で微笑むソフィーア。そして、彼女の両脇に、やせてはいるが凛と背筋の伸びた祖父母が座っていた。
「ミツコ、ユウコ!」
ソフィーアは、言葉より早く笑顔を投げてくる。
「さっきね――おじいちゃんとおばあちゃん、退院したの。長かったけど、やっと家に戻れた」
祖父は胸に手を当て、ゆっくりと頷く。祖母は、刺繍の入った布を膝にのせ、ほほ笑んだ。カメラの向こうの窓辺には、一輪のひまわりが差してある。
「……よかった」
光子の声は自然と震えた。
「ほんとによかった。ソフィーア、よく頑張ったね」
優子も身を乗り出す。
「おじいちゃん、おばあちゃん、よう頑張らはった。おかえりなさい。まずは、ゆっくり――ね」
ソフィーアが祖父母に耳打ちし、ウクライナ語が返る。
祖父母はカメラに向かい、短く、丁寧に、そして何度も「ありがとう」を重ねた。
その音のひとつひとつに、土と風の匂いが混じっているように感じる。
「夏休みはね、私、復興の手伝いを続ける。地雷原の調査は専門家チームと一緒に。私はコンサートを開いて、支援の募金と、地雷教育のワークショップを……」
ソフィーアは言葉を探し、一拍置いて続けた。
「一つでも、地雷を取り除きたい。でも私はまだ学生。だから、卒業までの一年半は日本で鍛える。そのあと、歌でちゃんと還す。約束」
光子は深呼吸し、ゆっくり頷いた。
「うちらも、音で手ぇ貸す。配信でいいけん、一緒にコンサートやろ。タイトルは――『ひまわりは風に負けん』」
優子が、机の端のメトロノームをつまんでコツ、と鳴らす。
「セットリスト、こっちで組むけん。クラシックの祈り曲に、うちらのオリジナル“祈りのポルカ”混ぜて、最後はみんなで合唱しよ。笑顔も寄付も、両方集める」
ソフィーアの目がかすかに潤む。
「……好き。あなたたちのそういうところ、ほんとに」
祖父母がひまわりの茎をそっと指で押さえ、画面の外の誰かに「見て、花がね」と話しかける。
カメラ越しに伝わる、生活がまた動き出す音。ポットの湯が湧く小さな音。開け放した窓から入る、遠い教会の鐘の音。
「ソフィーア」
光子が、ピアノのフレーズをスマホ越しにそっと流す。
(G–D–Em–C。やさしい夏の四和音。)
「これは“帰る場所のコード”ばい。どこにおっても、鳴らしたら“ただいま”って言えるやつ」
優子はギターで三度上をなぞり、最後に軽くハミングを重ねる。
「いつでも電話して。不安が押し寄せたら、うちらが笑いで堤防作るけん」
画面の向こうで、三人の肩がふっと緩んだ。
ソフィーアが親指と人差し指をくっつけて、いつもの合図――「OK、愛してる」。
祖母が花瓶のひまわりを少しこちらに向け、祖父がカメラに手を振る。
「じゃあ、次はリハやね」
光子が笑う。
「『ひまわりは風に負けん』、キーはG、テンポは72。」
「そしてアンコールで“祈りのポルカ”。テンポは上げる。――未来は踊って掴むっちゃ」
通話が切れたあともしばらく、四和音は部屋に残っていた。
夏の夕陽が、譜面台の白紙に斜めの金色を落とす。
光子は新しい五線を引き、優子は鉛筆を転がす。
一つでも、地雷が少なくなりますように。
一人でも、笑顔が増えますように。
窓の外で、都会の風に小さな雲が流れた。
ひまわりの色を運ぶように、やわらかく。




