婚約
試合当日—画面の向こうと、コートサイド
1) クアラルンプール:拓実のワールドカップ(優子=自宅BS応援)
朝10時、優子はちゃぶ台の前に正座。テレビはBSのライブ中継、テロップに「Men’s World Cup Kuala Lumpur」。
テーブルの上には“必勝おにぎり(カツオ)”と“必笑せんべい(顔文字入り)”。
「……よし、レシーブはYG見せといて、3球目バックな。いける、いける……あ、来た来た来た!」
第1ゲーム、拓実が台上を制して11-7。優子は拍手しながら、実況より早口で解説を被せる。
「今のはストップ見せてフリックやろ〜!相手、完全に読み外しとるやん!たっくん、ナイスッ!」
第2ゲームは相手がロングサーブで揺さぶり、9-11。優子、深呼吸して“応援ルーティン”。
「切り替え切り替え。**“最初の3球で設計”**戻そ。サーブは逆横下見せて、フォア前ショート混ぜる〜!」
第3・第4を連取した瞬間、優子の“勝利の膝リズム”発動。
「タン・タタタン♪ たっくんペース〜♪」
最終、第5ゲーム。8-8の大詰め、拓実がYGからの3球目バックミートでライン際を射抜く。
優子、テレビに向かって両手を突き上げ——
「それーーっ!取ったぁああ!!」
11-9、ゲームセット。解説者が「判断の速さですね」と言うのを、優子がドヤ顔でなぞる。
「それな(小声)。——たっくん、世界は近いけん。」
スマホに“既読にならない応援メッセージ”を送り、画面に向かって小さく一礼。
「次も、笑って戦おうね。」
⸻
2) 有明:デビスカップ(光子=現地観戦)
午後、有明コロシアム。光子は通路脇の席で、耳には使い込んだイヤープラグ、膝にはメモ帳。
「“半歩前”、今日はこれやね。」と呟く。
第1セットはタイブレーク。6-5、相手セカンド。コートの翼が半歩前へスッ、と出た。
「来た、あの半歩——!」
ライジングのブロックがクロスに突き刺さり、7-5。場内がどよめく。光子は立ち上がって拍手、そしてすぐ座る。
「よかよか、浮かれん、次のファースト2本目Tコース、見せ球——。」
第2セットは6-3。試合終了の握手、日の丸の揺れ、チームのハイタッチ。
光子は胸の前で手を合わせ、そっと目を閉じる。
「翼、あんた、ほんと強なったね。」
スタンドのファンに手を振りながら出口へ向かう途中、近くの席の少年が声をかける。
「お姉さん、今の“半歩”って何ですか?」
光子は笑って、指でコートと自分の靴のつま先の距離を作る。
「怖くても、この半歩出すんよ。音楽も同じ。最初の“息”を、勇気出して前に置くと、全部が鳴りだすけん。」
⸻
3) 夜——二人の通話
夜9時。通話の着信が重なる。
優子「たっくん勝ったね!3球目の設計、完璧!」
拓実『テレビの前で解説被せるのやめて(笑)。でも助かった。次もこの流れでいく。』
光子「翼、半歩、最高。タイブレの呼吸、完璧やった。」
翼『眉サイン、見えた気がした(冗談)。でも、あの言葉、効いたよ。』
四人同時に笑いが混ざる。
優子「次は“必勝+必笑”セット、増産しとくけん!」
光子「私は“半歩前ジングル”改訂版、明日送る。」
拓実『笑わせすぎは反則ね。』
翼『でも要る。——明日も、前へ半歩。』
小さな“おやすみ”が重なって、通話は切れた。
画面の向こうでも、コートサイドでも、同じリズムが続いている。
——勝つために、笑う。笑うために、積み上げる。
そんな一日が、静かに終わった。
祈りと笑いの応援リレー - 福岡と東京、二つの空の下で
春の午後、福岡市博多区・小倉家のリビング。
壁のテレビには「卓球ワールドカップ マレーシア大会」の生中継が映し出されている。
ソファの前では、優馬と美鈴、美香、そしてまだ4歳の春介と春海が並んでいた。
⸻
福岡のリビング:優馬家の応援風景
「ほら見てみぃ。たっくん、サーブ構えたぞ」
優馬が指さすと、美鈴が頷いた。
「ほんとやね。あ、相手、ちょっと緊張しとるっちゃない?」
画面の中、拓実が冷静な表情でラケットを振る。
ボールがネット際をかすめ、相手の返球が浮いた。
「うわっ!今のナイスサーブ!あれ、YGサーブっちゃろ?」
美香がすかさず反応。
「おぉ、よー知っとるやん!」と優馬が笑う。
春介と春海も意味が分からず拍手だけは負けていない。
「たっくん、がんばれ〜!」「ぽんぽんするー!」
二人の手拍子が、リビングのリズムを刻む。
第3ゲームを取った瞬間、優馬が小さくガッツポーズ。
「よっしゃぁ、これは取ったね! 拓実、乗ってきた!」
⸻
一方、東京の音大寮
同じ時刻。
東京の音大女子寮・共用ラウンジでは、光子と優子がスマホで中継を見ながら声を上げていた。
「うわぁ、たっくん、サーブ完璧やん!」
「ねぇ、あの3球目、完全に狙っとったっちゃね!」
隣の部屋から顔を出した小春が笑う。
「二人とも、応援の声が丸聞こえばい〜!」
「よかやん、うちらの応援届くかもしれんやん!」
と、その時、もう一方の画面には有明コロシアムの様子が。
翼がデビスカップに出場していた。
「うわ、翼お兄ちゃんも始まっとるやん!二刀流応援タイム突入や〜!」
⸻
福岡と東京、同時に沸く
再びリビングのテレビ。
拓実がマッチポイントを握る。
スロー再生が映し出されるたびに、優馬の目が細くなる。
「今のは見事や。スピードより“タイミング”やね。よう練習しとる。」
美鈴が微笑む。「ねぇ、優子ちゃんもこの試合、見よるやろうね」
「見とる見とる。あいつらのことやけん、絶対叫びながら応援しとる。」
――その瞬間、テレビのテロップに「GAME SET」と表示。
拓実が勝利の笑顔を見せた。
「勝ったぁーーー!」
福岡のリビングに、笑いと歓声が広がる。
「たっくん、よう頑張ったねぇ!」
「すごい、すごい〜!」と春海。
「やったぁ、パンパンパン!」と春介が手を叩く。
⸻
東京の光子と優子も歓喜
同時刻、スマホの画面に「WINNER TAKUMI YANAGAWA」の文字。
光子と優子は顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「きたーーーーー!!!」
「たっくん、世界取るばい!!」
周囲の寮生もつられて拍手。
「やっぱすごいね、あの柳川くん!」
「ていうか、あんたらリアルに解説上手すぎやろ!」
「まぁね、家系が“発電所”やけん」と優子がドヤ顔。
「電力安定供給中〜!」と光子が続け、ラウンジ爆笑。
⸻
そして夜、家族グループ通話
夜9時。
グループ通話が繋がる。
「お父さん〜、たっくん勝ったね!」
「見た見た!翼もええプレーしよったやん!」
「おぉ、見てたか〜。春介も春海も拍手しとったで」
「ねぇお父さん、笑いすぎて腹筋痛くなってない?」
「おう、危うく整骨院コースやったばい。笑」
画面越しの笑顔が、東京と福岡の距離を縮める。
テレビの残光が消えても、家族の笑い声だけが夜空を照らしていた。
有明に走る青い風—光子、翼のコートサイドへ
連休の午後、有明コロシアムの外周には、初夏の潮風がやわらかく吹いていた。
光子は紺のキャップを深くかぶり、手には小さな応援フラッグ。胸元にはさりげなく「ラブ翼」の缶バッジ(※自作)。入場ゲートを抜けると、砂塵の匂いとハードコートのきしむ音が混じった、独特の“試合の空気”が肺に満ちた。
「よっしゃ、つばさ—今日は暴れちゃってよかよ…!」
独りごちてスタンドに上がる。コートではデビスカップのシングルス、翼の試合がちょうど第1ゲームに入るところ。相手はパワー型、サーブのトスが高い。
序盤、翼は深いリターンで主導権を握る。
相手のフォアに集めたと思ったら、一拍置いて逆クロス。スタンドの空気が「うまい…」と波立つ。光子は膝の上で指を組み、呼吸を合わせるように小刻みにうなずいた。
「(ストレート見せて、次ショートアングル…いける)」
——パン。
翼のバックハンドがネットすれすれに抜け、相手は走り込んで届かず。
「よっしゃあぁ!」思わず博多弁が漏れる。「今ん、エグかったねぇ!」
コーチ席からも小さく拍手。スコアボードが動く。
第1セット、6–3。サーブもリターンも噛み合い、翼のフットワークが有明の風を切り裂く。
第2セット、中盤で小さな揺らぎ。ブレークポイントを握られる。
相手の重いフォアがベースラインに突き刺さり、場内がざわつく。光子は唇を結び、客席の手すりに指を添えた。
「(ここは“粘り”やろ…つばさ、我慢よ。我慢からの一撃や)」
相手のセカンド。翼は一歩踏み込み、体の正面に引きつけて、コンパクトなリターンブロック——からの前詰め。
ドロップ気味のボールをネット前で拾い、ふわりとスライスロブ。相手は振り向きざまに下がるが、打点が合わない。
ボールはベースライン手前にふわりと落ちて、大きく跳ねた。
「ナイス判断っ!」光子は立ち上がって拍手する。「よー見えとる、つばさ!」
ここから流れが返る。
翼は配球を変え、サイドへのワイドサーブとボディサーブを織り交ぜる。リターン位置を揺さぶって、相手の“決め所”を曖昧にする。ラリーが伸びた瞬間は、足で勝つ——それが今日の翼だ。
第2セット、タイブレーク。
「一本ずつ、積み上げればよか…!」光子は胸の前で拳を軽く合わせる。
大事な6–5。翼のサーブ。観客の気配がすっと引く。トスが高く上がる。
イン——外へ逃げるスライスがライン際へ吸い込まれ、相手のリターンは浅い。
翼は踏み込み、体重を乗せたフォアの逆クロス。コーナーに針で刺すように決まる。
ブザァッ!
点灯するスコア。7–6(5)。ストレート勝ち。
一拍の静寂ののち、有明が割れるような拍手に包まれた。
光子は胸に手を当て、深く息を吐く。
「つばさ…やったね。めっちゃ、かっこよかったばい。」
選手がネットを越えて握手を交わす。
コートを後にする時、翼がスタンドへ手を振った。気づいたのか、ほんの一瞬、視線がぶつかる。
光子は慌ててフラッグを振り回しながら、子どもみたいに笑った。
——その笑顔のまま、通路へ。スマホを取り出して、すぐに寮のグループチャットへ動画を投げる。
「有明勝利!ストレートやで!たっくんもおめでとうスタンプ連打しとって〜!」
すぐに優子から電話が鳴る。
「みっちゃん、聞こえる?コートの音、やば!現地の空気、伝わってくる〜!」
「えへへ、鳥肌モードやった。あ、あとで“勝利うにゃだらぱ〜”配信しよか?」
「よし来た、勝利ギャグ会見や!」
ふたりの笑い声が通話口で重なり、まるでコロシアムの歓声の余韻みたいに、長く、やさしく尾を引いた。
光子はキャップを少し上げ、青い空を見上げる。
今日の東京の空は、翼が打ち抜いた逆クロスみたいに、透きとおっていた。
熱戦の果てに──ベスト8進出
◆ 翼の戦場・有明コロシアム
東京の空が夕暮れに染まる頃、有明コロシアムはまだ熱気に包まれていた。
翼の試合はすでに3時間を超えていた。相手は世界ランキング20位の強豪。
誰もが「ここで止まるか」と思った第3セット、翼は笑った。
「……まだ、いける。」
観客の息を飲む中、デュースを繰り返す。サーブを打つたびに、足の裏から伝わる硬質な振動。
腕は重く、ラケットを振るたびに汗が飛ぶ。
それでも彼は、前へ出た。ネット際でのドロップボレー——相手が届かない。
歓声が爆発する。
光子はスタンドで両手を握りしめ、泣き笑いになった。
「つばさぁぁぁ!その一球で十分ばい!」
最後のポイント。
翼はフルスイングでフォアの逆クロスを突き刺した。
ボールがラインをかすめ、チャレンジシステムの赤いランプが点灯。
──IN。
「勝ったぁぁぁーーー!!!」
光子の叫びが会場の歓声に混ざる。翼はラケットを胸に抱え、深く頭を下げた。
⸻
◆ 拓実の戦場・クアラルンプール
そのころ、マレーシアでは拓実が戦っていた。
熱帯の湿気の中、体育館の空気はまるで湯気のよう。
相手は中国の新星、回転量の多いサーブと強烈なバックドライブで知られる選手。
第6ゲーム、スコアは10対10。
観客が静まり返る。
拓実は汗をぬぐい、短く息を吐いた。
「負けるのは、まだ早い。」
相手のサービス——ナックルに見せかけた下回転。
一瞬の読み。拓実のラケットがすっと前に出た。
軽く合わせたようなブロックが、ネット際でふわりと揺れて、相手コートに沈む。
——11対10。マッチポイント。
次のラリーは、魂のラリーだった。
二十回、三十回……。
互いにチャンスボールを打たない。耐える。
観客が固唾をのむ中、拓実が最後に放ったのは、低く鋭いカウンター。
ネットをかすめて入った瞬間、相手は動けなかった。
拓実は無言でガッツポーズを取る。
コーチの手が震えながら拍手する。
電光掲示板に「YANAGAWA 4–3」の文字。
⸻
◆ 福岡と東京、歓喜の連鎖
光子:「拓実も勝ったばい!!!」
優子:「えっ、マジ!?翼も勝っとるけん、ダブル8強やん!!!」
寮のラウンジが一気にどよめいた。
「え、どっちも勝ったの!?」「日本勢すげぇ!」
周囲の学生たちがスマホを掲げてSNSに投稿する。
一方、福岡の小倉家でも——。
「すごい……ほんとに二人ともベスト8やん!」
優馬が涙目で叫び、美鈴が拍手。
春介と春海もぴょんぴょん飛び跳ねて、「おめでと〜!!」と声を揃える。
⸻
◆ 終わりなき挑戦へ
試合後、記者からのインタビュー。
「これでベスト8ですが、次は?」
翼:「まだ中間点。勝って笑うけど、油断せん。次はもっと速く、もっと正確に。」
拓実:「相手が強くなるほど、試合が楽しくなる。次も自分らしくやります。」
ふたりの言葉は、スクリーン越しに東京と福岡を結ぶ。
光子と優子は同時に言った。
「うちらも、次の“爆笑決勝ラウンド”負けられんばい!」
――音楽でも、笑いでも、家族でも。
それぞれのフィールドで戦う小倉ファミリーの物語は、まだ続いていく。
準決勝、心を燃やせ
◆ 拓実──銅を越えて、さらに上へ
クアラルンプールの会場は、湿気まで震えるほどの緊張で満ちていた。
準々決勝を突破した拓実は、この瞬間すでに銅メダル以上が確定。だが、彼の視線は表彰台のさらに上だけを捉えている。
相手は世界ランキング一桁、回転とコースの読みに長けた老獪な左利き。
第1ゲームを落としても、拓実は眉ひとつ動かさない。タイムアウトで短くつぶやく。
「一本ずつ、削る。」
第2ゲーム、サービスの型を半歩だけ前に。トスの高さを数センチ下げ、下回転に見せかけた巻き込みナックル。
相手のレシーブがわずかに浮いた瞬間、拓実のフォアカウンターが前に刺さる。
——歓声が波のように押し寄せる。
3、4ゲームは互いに譲らず、セットカウント2–2。
第5ゲーム、11–10のマッチポイント。長いラリー、15本、20本……。
相手の深いボールに、拓実は身体を折り畳むようにして粘り、最後はミドルへ低い弾道のチキータ。
ネットをかすめて沈んだ白球に、相手の足が一歩止まる。
審判の手が上がる。
「ゲーム、マッチ、ヤナガワ!」
右拳を握りしめた拓実の頬に、初めて火が灯る。
銅を超えた。金まで、あと一つ。
⸻
◆ 翼──すべてをラケットに預けて
有明コロシアムの屋根が揺れる。
翼の準決勝はフルセットに突入していた。相手は強烈なフラットで押してくるビッグサーバー。
リターンゲームは耐える時間。ブレークの芽は小さい——それでも、翼は笑っていた。
「崩れるの、待たん。こっちから崩す。」
最終セットのタイブレーク、3–4。
翼はリターン位置を半歩前へ、さらにセンター寄りに寄る“読み”。
相手の得意なワイドへのスライスサーブに体を開きながら、逆クロスへ低いライジング。
返球が甘くなる——ネットへダッシュ、ドロップボレーが芝を滑る。
4–4、5–4。
土壇場のサービスポイント、こぶしを握りしめてトスを上げる。
ボールが真上から落ちてくる一瞬に、彼は心で叫ぶ。
「この一球のために練習してきた!」
センターへ220km/hのフラット。相手のラケットが弾かれる。
6–4、マッチポイント。最後はフットワークで作ったクロスへの強打、ライン上に吸い込まれた。
——決まった。
翼は天を仰ぎ、胸にラケットを抱えた。
観客が総立ちで拍手する中、彼はネットを挟んで相手と固く握手を交わす。
⸻
◆ 東京と福岡、そして家族
光子(客席で涙目):「つばさ、やったぁぁぁ! はぁ〜心臓もたんばい…!」
優子(配信を見ながら跳ねる):「たくみキタ! 銅確定からの決勝進出とか、上げてくるやん!!」
福岡の小倉家では、春介と春海がぴょんぴょん跳ねている。
春介:「たくみにいちゃん、かっこよか〜!」
春海:「つばさにいちゃん、はやか〜!」
優馬:「よっしゃぁ! 決勝や決勝!」
美鈴:「落ち着いて水分とって、次の応援の準備よ〜!」
⸻
◆ 記者会見の言葉
拓実:「取れたメダルの色は、ここから自分で塗り替えます。」
翼 :「最後の一球まで、笑って攻めます。迷いは置いてきました。」
ふたりの視線は、同じ高さでまっすぐ前に伸びていた。
準決勝を制し、舞台はいよいよ最終日へ。
家族も、仲間も、そして日本中の“爆笑発電所”のファンも——心拍数をそろえて、その瞬間を待っている。
決勝、ふたりの「この一球」と「この一本」
有明—翼の決勝
土曜の午後、有明コロシアムの屋根は夏の光をはじき返し、センターコートの緑が鮮やかだった。
光子は客席の手すりに指をかけ、視線で翼を追い続ける。呼吸は浅く、鼓動はサーブのテンポと同調している。
相手はリターン巧者のカウンターパンチャー。序盤、翼の攻撃は何度も壁のように押し返された。
第1セット、タイブレークを落とす。
ベンチへ戻る翼は、タオルに顔を埋めて数秒、そして顔を上げた。目の奥に曇りはない。
「風、1球ごとに半歩流れる。トス、1センチ低く。足、前へ。」
第2セット、翼はリターン位置を微妙に前に詰め、相手のスピンをライジングで刈り取る。
6–4。イーブン。
最終セット。3–3からの第7ゲーム、デュースが続く。
長いラリーの終盤、翼は一瞬だけスライスで時間を止め、相手の重心が前へ崩れた刹那、バックのダウン・ザ・ライン。
ライン際に白い粉がふわりと舞い、客席の空気が破裂する。
5–4。サービング・フォー・ザ・チャンピオンシップ。
光子は拳を握り、無意識に唇が動いた。
「いけ、翼——この一球。」
0–15、15–15、30–15。
ラリーの中で、翼はネットへ。ショートボレー、ロブ、振り返り様のスマッシュ——45度の角度で突き刺した。
40–15、ダブル・マッチポイント。
最後のポイント、センターへフラットのエース。
コートに響いた琴線のような音と同時に、有明が揺れた。
審判の声が落ちる。「ゲーム、セット、マッチ——ツバサ!」
翼はラケットを空へ掲げ、膝を折る。汗と涙が混ざった。
そして——コートサイドインタビュー。マイクを受け取ると、彼は深呼吸を一つ。
翼「えっと……まず、支えてくれたみんなへ心から感謝します。
それから——今日、ここで伝えたい人がいます。光子、ステージに来てくれませんか?」
客席がどよめく。係員に促され、光子が震える足でコートへ降りる。
翼はポケットから小さなリングケースを取り出した。
有明コロシアムが、一瞬、世界でいちばん静かな場所になる。
翼「これからも、勝っても負けても、笑って泣いて、一緒に歩きたい。
結婚してください。」
光子の目から、堰を切ったように涙がこぼれた。
彼女は大きく頷き、声にならない「はい」を唇でつくる。
抱き合う二人に、スタンドから紙吹雪のような拍手が降り注いだ。
⸻
クアラルンプール—拓実の決勝
時差を越えて、画面の向こうにも「決勝」の熱が漂っていた。
日本時間14時、優子はPCの前で姿勢を正す。
呼吸のリズムは拓実のサービス前のルーティンと同期していた。
対戦相手は中国の超攻撃型。前陣での早い打点、重い前進回転。
第1ゲーム、拓実はレシーブで先手を取れず、7–11。
だが表情は変わらない。タオルタイムで指先を見つめ、次の一手を整える。
第2ゲーム、巻き込み下回転と見せてのナックル、バック深くのストップからの一気のフリック。
相手の表情に「読み違えた」影が差す。11–8。
第3ゲーム、相手が前に出れば中へ、中を閉じればストレートへ。11–6。
セットカウント2–1、逆転。
第4ゲーム、相手のギアが上がり、超高速の打ち合い。9–11で落とす。
最終ゲームへ。会場の空気が熱を帯び、優子は画面越しに祈る。
「一本ずつやけん、拓実。」
6–6、7–7、8–8。
レシーブはストップと見せて、ギリギリでツッツキに切り替え——相手のプッシュが浮く。
バック対バックの応酬、ミドルへ一撃、そしてフォアのカウンターが稲妻のように走る。10–8、ダブル・マッチポイント。
タイムアウト。
拓実は首元の汗をぬぐい、視線をまっすぐメインカメラへ向けた。
その先に、優子がいる。
再開の一本。サービスは巻き込み。回転は浅い下——に見せたナックル。
相手のフリックがわずかに上ずる。
拓実、踏み込みながらのフォア・ドライブ——黒いラバーが白球を掴み、一直線。
審判の手が、静かに、そして高く上がる。
「ゲーム、マッチ、タクミ・ヤナガワ!」
拓実はラケットを胸に抱き、天を仰いだ。
すぐにコートサイドインタビュー。彼はマイクを握り、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
拓実「この舞台に立たせてくれたすべてに感謝します。
そして、ずっと支えてくれた人へ——日本で見てる優子、聞こえる?
俺、約束どおり勝ったよ。だから、もうひとつ、言わせてください。
俺と結婚してください。これからも、ずっと一緒に。」
優子の視界が一瞬にじむ。
PC越しに、画面の拓実へ向かって、彼女は両手で大きく丸をつくり、涙声で笑う。
優子「はい! もちろん! ずっとずっと、いっしょに!」
会場のスピーカーから、通訳の言葉が遅れて流れ、歓声がドームを揺らした。
国籍も言語も超えて、祝福の拍手が渦を巻く。
⸻
交差する祝福
その夜。
有明のロビーでは、光子の左手で小さなリングがきらりと光り、
クアラルンプールの表彰式では、拓実の首に金色のメダルが輝いていた。
電話がつながる。
画面の四分割——光子と翼、優子と拓実。
みんな笑って、泣いて、また笑う。
光子「翼、やったね。——私も、やっと言える。よろしくお願いします。」
翼 「こちらこそ、一生よろしく。勝って、言えてよかった。」
優子「拓実、最高やった。うち、あんたの嫁さんになるけん!」
拓実「聞けてよかった。次は日本で、正面からもう一回言わせて。」
遠く離れたふたつの決勝が、同じ日の光で結ばれた。
スポットライトの余熱が消えても、胸の鼓動は静まらない。
ふたりの「この一球」と「この一本」が切りひらいた未来に、
拍手は、いつまでもやまなかった。




