本の執筆活動
雪見指定席、夢行き片道
札幌駅の改札前。スタッフと小雪、ソフィーアと何度もハイタッチして、最後は両腕で大きくバツ印——じゃなくて“もう転ばないぞ”ポーズで解散。
光子と優子はキャリーをコロコロ転がし、スーパー北斗のホームへ。
「じゃ、行こっか」
「うん——帰りも“車窓フルコース”で」
ドアが閉まる音。シートヒーターのぬくもり。
二人のまぶたは、秒で落ちた。カウントダウンする間もなく、同時にコテン。
——Zzz。
*
「…あれ? もう白い絵本みたい」
最初に目を覚ました優子が窓を指さす。森、湾、屋根に積もる雪。
光子もあくびを一つ。「お腹すいた。駅弁、どっちいく? “いかめし”か“石狩鮨”か」
「二択じゃなくて二個食べる、でしょ」
「正解!」
小樽のガラスみたいに光る海を横目に、二人は弁当を半分こ。味噌汁代わりのホットココアで乾杯すると、またふわっと眠気がくる。
——Zzz(二回目)。
*
新函館北斗。乗り換えアナウンスで同時にハッと起きる。
「やば、終点!」
「はやぶさ、間に合う?」
エスカレーターで一段飛ばし。勢い余って在来線の矢印に吸い込まれそうになるのを、光子が首根っこで回収。
「そっちは“寄り道ルート”。こっち“首都直行”」
「危なっ。帰京が道南漫遊になるとこだった」
無事にH5系へ。指定席に座ると、今度はスマホの通知が一斉に鳴る。
《ドームツアー最高!》《湿布売り切れ報告、多数!》
「ほんとに特設コーナーできたんだ…」
「“笑震9.0”のせいで明日も筋肉痛って。うれしい苦情」
光子がメモ帳を取り出す。「雪のリズム、今のうちメモっとく」
車輪の「タン・タン・タタン」に合わせて、鉛筆が踊る。
優子も小声でハモる。「帰り道ソング、できちゃうね」
「タイトル“ホクホク北帰行”どう?」
「おでんみたいで好き」
——気づけばまた、スヤァ。
*
「まもなく大宮—」
「…あ、埼玉!」
関東平野のビル群が遠くにのびる。雪景色はいつの間にか、夕陽を反射するガラスの街へ。
東京。ドアが開いた瞬間、暖気が入れ替わり、人の流れが一気に速くなる。
「戻ってきたね」
「うん、“ただいま”の速度」
そのまま在来線で学生寮へ。部屋のドアを開けた瞬間、二人同時に靴を脱ぎ捨て、ソファにダイブ。
「荷ほどき…は、明日」
「洗濯…も、明日」
「シャワーは…今」
「賛成」
湯気で旅の疲れがほどける。ドライヤーの風を浴びながら、光子がポケットから何かを見つける。
「え、なにそれ」
「湿布。北海道の楽屋でもらったやつ。お守りがわりに貼っとく?」
「じゃ、腹筋に一枚ずつ。“笑い筋”ケア」
ベッドに倒れ込む前、家族グループに一言。
《無事到着。雪も笑いも満タン。おやすみ》
送信音が消えるより早く、二人はまたもコテン。
窓の外では、遠くの線路を走る電車の灯りが点と線になって流れていく。
“次の旅まで、少しの充電。”
東京の夜は、静かに二人を包み込んだ。
夏の編成会議と「軌跡/奇跡」執筆開始
寮のラウンジ。巨大な日本地図をテーブルに広げ、付箋とマジックを両手に持った光子と優子が、作戦会議を始めた。
「まずは広島。お好み焼きの鉄板でテンポ上がる」
「次、四国。鳴門の渦でツインドラムが巻き込まれる」
「京都は“静かな寺×爆笑MC”のギャップで攻める」
「北陸は海鮮で音がプリプリ」「語彙どうした」
「北関東は“からっ風でも笑いは止まらない”キャンペーン」
「道北は——宗谷で風に煽られてもコーラスはブレない選手権」
「夏でも寒いから、MCで『さみちいでちゅ』は封印」
「いや、そこは解禁でしょ。会場あっためるやつ」
付箋が地図じゅうに咲いた。
横で小雪がメモを取る。「移動は基本、鉄路?」「うん。景色ごと曲に取り込むから」
ホワイトボードに“夏プログラム案”が並ぶ。
•Overture:TOKYO(ツアー用アレンジ)
•サンライズ小章(合唱付き)
•さみちいでちゅラプソディ(会場コール&レスポンス)
•北へ(新曲/道北書き下ろし)
•うにゃあじゃぱメドレー(ショートコント連結)
•アンコール:手をつなご(アカペラ→バンドイン)
「各地のご当地ネタは“即興ポケット”で差し替えよう」
「現地の子ども合唱も一曲入れたいね」
「募金はロビー常設、整骨院コラボは…」「“笑い筋ケアブース”ね。湿布提供は継続打診」
笑いながらも、進行表は秒単位で埋まっていく。
二人の顔つきが、急に“本番の目”になる。
⸻
執筆ターン、開幕
会議がひと段落すると、今度は机の上にノートPCと分厚い紙束が積まれた。
背表紙にはマジックで大書——「光子と優子の軌跡(たまに奇跡)」。
「タイトル、ダジャレに逃げた?」
「逃げじゃない。事実。“軌跡”は足跡、“奇跡”は起きがち」
「たしかに起きがち」
目次(初稿)
1.はじまりの家族——白金荘のドアが開いた日
2.幽霊とスーツと、未来のメロディ(両親の出会い)
3.幼少期:初MCは“おばしゃん事件”
4.吹奏楽の汗と笑い——県大会から全国へ(2年連続金賞・特別賞)
5.ファイブピーチ★結成の裏側
6.事故と再起——「大丈夫」を歌にするまで
7.春介&春海、笑いの震源地誕生
8.上京:寮とコンビニと授業と深夜の作曲
9.ウクライナへ——歌と祈りと地雷の話
10.ドームツアー:笑震9.0の夜
11.これからの旅程——地図はまだ白い
「章のトーンは“85%笑い、15%がっちり真面目”でいこう」
「写真は多め。舞台袖、移動車、譜面の落書き、そして家族」
「家系図も要るよね。春介・春海ラインは太字」
「“おばしゃん/おじしゃん事件年表”も巻末資料で」
「資料なのに一番売れるやつ」
書き方ルール(ふたりの取り決め)
•むずかしい音楽用語は練習と制作の章だけ。
•日常章は“ふつうの言葉”で。
•ギャグは自然発生。無理やりは禁ず(結果、自然に湧く)。
•読み手が明日だれかに話したくなる一行を、各ページに一本。
喫茶店に移動して、コーヒーを置いた瞬間、キーの音が走り出す。
光子は幼稚園時代の映像を見返しながら一気に書くタイプ。
優子はボイスメモに喋ったあと、文章に整えるタイプ。
「ここ、笑わせたいけど泣かせたいとこでもある」
「じゃ、起承転“ギャ”で落として、余韻で泣く」
「“転ギャ”新語生まれた」
夕方。第一章の草稿ができた。
母からの家族LINEに一文を貼ると、既読が一気に4つ点いた。
母:いいじゃん。呼吸が聞こえる。
父:タイトル、笑った。
美香:写真は任せて。アルバムぜんぶ掘るね。
春介:お姉ちゃん、ぼくも本に出る?
春海:わたしも! いい顔のやつにして!
「出ます。顔はセレクトします」
送信して、ふたりは同時に背伸びした。
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夏へ向けて——“旅程”と“章立て”の二刀流
夜、地図の前に戻る。マグネットの“現在地”を札幌から東京へ移動。
その横で、執筆スケジュール表にもペタペタと締切付箋が増えていく。
「広島のMC、仮台本つくる?」
「ううん、現地の空気でいく。台本は“やることメモ”だけ」
「四国は“橋”のメタファでバラードだね」
「京都は静かに始めて、最後にぶっ壊す」
「北陸は海の低音、北関東は風のリズム、道北は“間”」
「全部、録れてる。電車が教えてくれた」
窓の外、線路の先に点の列が伸びる。
二人は同時に、ノートの表紙を指でコン、と叩いた。
「夏の段取り、走らせよう」
「本の一行も、毎日進めよう」
「うちらの“軌跡”が、だれかの“奇跡”をちょっとだけ押すといいね」
「うん。笑って、前へ」
ラウンジの時計が、ちょうど0時を回った。
次のページと、次の目的地が、同じ速さで近づいてくる。
執筆は進まず、笑いは止まる(※誤:実美が止まる)
寮の自室、深夜。
机の上にはノートPCが二台、マグカップ二つ、付箋は小山。
タイマーがピピッと鳴った。
「よし、25分集中ね」
「うん。まず“はじまりの家族”から——」
三分後。
「ねぇ、あの“おばしゃん事件”の動画、参考に一回だけ見る?」
「一回だけ。一回だけやけん」
再生、三十秒で爆笑。
ふたり同時に椅子からずり落ちる。
「ダメだ、笑いで呼吸が乱れてタイピングがブレる」
「書けるわけないやん、19年半のネタ、濃すぎ」
付箋に“後日ネタ化”と書いて貼る。付箋の小山が富士山に昇格した。
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「じゃあ本題。“私たちの原点は——”」
「硬い。教科書か」
「“うちらの出発点は、だいたい笑い声”」
「それそれ。酸素より笑い」
キーボードが軽快に鳴りはじめたが、画面右下に意味深な文字。
──実美が止まる。
「……誰? 実美って」
「“筆が止まる”の誤変換やん!」
「章タイトル決まったね。“笑いは止まる(※誤:実美が止まる)”」
「誤字を力に変えるスタイル」
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記憶の棚をひとつずつ開く。
“鼻から牛乳噴射事件”は、行間にティッシュの絵文字を添える案が採用。
“詐欺電話撃退”は、会話のテンポだけで笑わせる構成に決定。
“雷停電ナイト”は、真っ暗な欄外に小さく「おへそ防衛戦」と書く。
“ウクライナ訪問”は、笑いを一歩下げて、祈りと言葉を主役に置く。
“ドームツアー9.0”は、湿布の銀色をページ端に印刷する(デザインチームに投げる)。
書いては思い出し、思い出しては笑い、笑ってはペン…じゃなかった、筆(※キーボード)が止まる。
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グルチャがピコン。
美香から“幼少期アルバム.zip”。開けば、幼稚園の舞台で小さな二人が満面の笑み。
続けて春介・春海から音声メッセージ。
春介「しっぴつおうえんラップいきまーす!」
春海「ねぇねぇ、まず書け〜♪ で、笑え〜♪」
二人「ハイパー誘惑ウィンク!」(※全力)
「……作業中にそれは強すぎる」
「笑いの暴風域に突入」
集中が散るたび、罰として“笑ったら腕立て5回”。
結果、笑い筋も上腕三頭筋も鍛えられる地獄の執筆合宿が始まった。
⸻
途中、小雪が差し入れに来る。「糖分補給!」
テーブルに置かれたのは、どら焼き×6、羊羹×2、アイス最中×3。
「章タイトル“奇跡”が“寄席”に見えてきた」
「それはそれで本質かもしれん」
窓の外から、最終電車のモーター音。
光子がぽつりと呟く。「19年半、よくもまあ、こんなに笑って泣いて走ったね」
優子が続ける。「その全部を書かんとね。誰かの明日の笑顔の燃料になるように」
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午前二時。
一章分の草稿ができた。ページの端には、手書きの小さなメモ。
「むずかしい言葉は、練習の章だけ。
日常は“ふつうの言葉”で、読んだら誰かに話したくなる一行を。」
送信ボタンを押して、母と父の家族LINEに抜粋を共有。
数秒で既読が並ぶ。
母:笑いながら泣いた。続き、待つ。
父:誤字のセンスが一番好き。
美香:写真もっと掘る。
春介:表紙、ぼくでもいいよ?
春海:わたしも! いい顔のやつで!
「表紙はプロにお願いするけど、帯コメントは君らで」
「“この本、ちょっとおもろい”ってやつね」
二人はハイタッチ。
タイマーを次の25分にセットして、もう一度、呼吸を整えた。
「続き、行こっか」
「うん。“実美”に負けてられんし」
——執筆は時間がかかる。
でも、笑いは燃料だ。止めない限り、ページは前へ進む。
¥とqの夜
カタカタ…カタ…コトン。
タイマーが切れた音もしないまま、二人はキーボードにほおを乗せて沈没していた。
ぱち、と小さく目を開けた光子が最初に見たのは、ノートPCの白い海。
そこにびっしりと並ぶのは——
「……円安?」
画面いっぱい、縦横無尽の¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥。
一方、隣では優子がまぶたをこすり、液晶を二度見。
「え、なにこれ。小さい9の大群?」
「それ“q”やろ…。」
「q q q q q q q q q……999ページあるんやない?」
「打鍵ツアーの長尺すぎ。」
とりあえず深呼吸。
光子がCtrl+Zを連打する。
「前世まで戻りそうな勢いで取り消し中」
「待って待って、保存は? 自動保存は?」
「生きとった! 5分前の下書きが残っとる。ギリセーフ!」
二人とも椅子にもたれて天井を仰ぐ。
睡魔、犯行時刻—未明。凶器—キーボード。残された二つの手がかり—¥とq。
「犯人は眠気、動機は炭水化物不足やね」
「被害総額、¥999,999,999。」
「通貨記号やめんね?」
「すまん、脳が円マークに支配されとる。」
少し落ち着いたところで、優子が指を立てた。
「でもさ、これ曲にできるよ。」
「え、どういうこと?」
「タイトル『Yen & Q』。スクショをジャケット背景にして、1分のインタールード。¥の雨とqのささやき。」
「……天才か。」
「ほら、打鍵ミスがアートに昇格。」
「誤字もメロディーも、拾えば宝。」
勢いで作戦会議が始まる。
・¥は“シャラシャラ”って感じの打音サンプルにする
・qは“クッ”ていう小さな息にする
・最後は二人の笑い声でフェードアウト
「いや音の話は後で。まずは被害状況、証拠保全。」
「スクショ撮った。ファイル名『証拠_円Q_寝落ち事件』。」
「やめて、それ未来永劫イジられるやつ。」
案の定、グルチャに投下すると即座に反応が来た。
母:『笑いながら泣いた(いろんな意味で)』
父:『プロも寝る。安心した』
美香:『タイトル案『円も縁も大事』』
春介:『おかねの歌?』
春海:『きゅっの歌?』
「可愛いけど追い打ちがすごい。」
「よし、戒めのために机の前に貼っとこ。『寝落ち注意』。」
「貼り紙の文言が弱い。もっと強くいく。」
二人でマジックを握る。
【寝落ち対策】
①カフェインは計画的に
②タイマー鳴ったら立つ
③キーボードに顔を置かない
④¥とqが見えたら即休憩
⑤笑ったら腕立て5回(継続)
「④が具体的で好き。」
「⑤が地味に効く。」
ひと段落して、優子がそっと画面を撫でた。
「でもさ、こうやって笑いながら進めるの、うちらっぽいよね。」
「うん。止まっても、ネタになる。ネタにしたら、また動ける。」
温め直した白湯をすすって、二人は背筋を伸ばす。
再びタイマーを25分にセット。
光子が宣言する。
「再開。章タイトルは『¥とqの夜を越えて』。」
「ラスト一行は決めた。『誤入力は、未来の脚注。笑いとともに残す』。」
「いいじゃん。じゃ、いくよ。」
「うん。」
カタカタ。今度は意識ははっきり。
もしまた眠気が来ても大丈夫だ。
この夜の¥とqは、もう“失敗”じゃなくて“材料”になったから。
外は青みがかった朝。
画面の向こうで、物語はまた少し前へ進んだ。
土曜の正しい爆睡
「もう寝る。人として寝る。」
そう宣言してベッドにダイブ——3秒で無音。
――――
カーテンの隙間から、やけに斜めな光。
スマホを見た優子が固まる。「13:42。」
光子もむくり。「午前、絶滅してた。」
二人で天井を見上げて、同時に笑う。
「まあ土曜だし、正解。」
「正解。」
キッチンでコーヒーがポコポコ鳴る。
脳みそが帰還する音がする。
通知は山盛り。
母:『ちゃんと寝た?(既読スルー可)』
父:『¥とqの続編、待ってます』
美香:『スクショ、待ち受けにした(やめて)』
小雪:『寝落ち界のパイオニア』
ソフィーア:『きょうは休む日。命令』
「愛されてるな、うちら。」
「寝落ち芸で?」
ブランチは近所の喫茶店。
オムライスにケチャップで“Yen & Q”って書かれて出てきた。
「店まで知ってるの?」
「SNS、侮れん。」
帰りにドラッグストアで目薬を買う。
「これで“q目”対策は完璧。」
「“円”のかすみ目も対策しとこ。」
部屋に戻って洗濯機を回しながら、PCの前に付箋をぺたり。
“¥とqを見たら即休憩”
「今日だけは作業しない?」
「しない。昼寝二部制で。」
ソファに沈んだ瞬間、春介からビデオ通話。
画面いっぱいのドアップで「おねえちゃん、きょうはねるひ?」
「寝る日。プロとして。」
「じゃあ“ねおちのうた”うたうね」
横から春海のツッコミ。「それ子守歌やろ!」
通話を切ると、二人は伸びをして、毛布を引っ張り合う。
「土曜の午後って、世界でいちばんやさしいね。」
「うん。明日からまた走るための、でっかい深呼吸。」
再び静かになった部屋で、洗濯機だけが規則正しく回っていた。
夜の再起動、¥とqの封印
21:00ちょうど。
二人はダイニングテーブルにノートPCを並べ、ミニ会議から始めた。
「本日の目標:二章ぶんの初稿。寝落ち禁止。」
「禁止ワードは“¥”と“q”。見かけたら即休憩。」
付箋が三枚、キーボードに貼られる。
《姿勢》《水分》《保存》。
アラーム名は物騒だ。「起きろ起きろ」「¥押すな」「q触るな」。
温いハーブティー、背中にクッション、タイマーは25分。
「ポモドーロ、回すよ。」
「回せ。」
21:05 — タイピング、点火
光子は「事故と再出発」の章にカーソルを置く。
一文目が決まると、次が自然にほどけるみたいに続いた。
当時の匂い、音、ひとの表情——必要十分だけを置いて、余計な飾りは削る。
優子は「笑いの作法」の章。
突っ込みの“角度”“間”“声量”を、生活のエピソードで落とし込む。
(脚注にそっと一行:「※ただし生活圏ではやりすぎ注意」)
二人とも、ときどき声に出して読み合わせる。
「ここ、三行いらない」「ここは逆に一行足したい」。
削るたび、文が軽くなる。
残った言葉だけが立っていた。
21:32 — 休憩5分(封印強化)
タイマーが鳴ると、即セーブ&バックアップ。
クラウド、外付け、メール下書きの三重保存。
ついでに“¥”と“q”のキーにマスキングテープで小さな絵を描いた。
¥には赤いバツ、qには眠気を煽る目玉の落書き。
「これで寝ぼけ指でも避ける」
「物理的抑止力、大事」
21:37 — 再開
光子は「全国とウクライナ」の章に入る。
歓声と、静けさ。
ドームの残響と、病院ロビーの息づかい。
笑いでほどける瞬間、胸が詰まる瞬間——両方をそのまま置く。
優子は「家族」の章。
父のボケから生まれた“さみちいでちゅ”の一行を、
一段落の後にひっそり置いた。
重いページの空気が、ふっとやわらぐ。
二人のキーボードが、交互に速くなる。
「この言い切り、気持ちいいね」
「うん、ここは『〜かもしれない』要らない」
22:20 — 小さな邪魔、やさしい邪魔
スマホが震える。春介からメッセージ:
『ねーね、英語のqってどう打つの?(写真:キーボード)』
優子が即レス。『押さんでいい(真顔)』
光子がフォロー。『右上のその子だよ。宿題がんばれ』
『うい!( ー`дー´)キリッ』スタンプが飛んできて、二人同時に笑う。
22:45 — 一章、落ちた
光子が指を止める。「ここで、章を閉じたい」
最後の一文は短く、しかしやわらかい。
——『笑いは、真剣に生きようとする誰かの酸素になる。』
読み上げると、優子が親指を立てた。
「それ、表紙の裏の言葉にしよう」
「決まり。」
23:10 — 再セーブ、そしてもう一歩
ストレッチをして、眼のピントを戻す。
二章目の見出しに、カーソルが点滅する。
「タイトル仮で“道のり”ってしてたけど、変えよう」
「“道のり”は写真集だね。本文は“歩幅”がいい」
打ち替えた瞬間、ページ全体の空気が変わった。
書きながら、思い出すたびに要点メモをサイドに積む。
・落研で学んだ“間”
・仙台の舞台袖の手
・ソフィーアの小さな深呼吸
・マイクの持ち方で観客の表情が変わる話
「どれも、嘘のない重さ。」
23:45 — 本日の区切り
最後の段落に句点を打つ。
自動保存の音が小さく鳴る。
画面右上、雲アイコンにチェック。
外付けにもコピーして、メモの写真をパシャリ。
「よし、今日はここまで。」
「『やめる勇気』も実力だもんね。」
PCを閉じる前に、互いのファイル名を声に出して確認する。
「_book_ch03_hofuku_v7.md」
「_book_ch02_waraha_v9.md」
「良い名付け。破滅しない。」
カップに残ったハーブティーを飲み干し、窓を少しだけ開ける。
夜風が、キーの隙間を撫でた。
明日また書ける、という確信だけが、ふわりと机の上に残る。
「おつかれ、自分。」
「おつかれ、相方。」
二人は同時にスタンディングで背伸びをして、
机の上の付箋《保存》に、そっとチェックを入れた。




