開会式の夜
――開会式の夜。
ストックホルムのスタジアムは、白夜の余韻をまとった薄青の光に包まれていた。客席には世界中の旗。風が通るたび、色が波になる。
入場行進
アナウンスが響く。「ジャパン!」
赤と白のユニフォームがスタンドの視線をさらう。
翼は肩の力を抜いた笑顔、拓実は軽く拳を握ってリズムを刻む。
客席の光子と優子は、家族席で小さな日の丸に“笑って前進”の刺繍を掲げた。
光子(手のひらに口を当てて):「翼ー!楽しんでー!」
優子(口パクで):「拓実—!大丈夫、いける!」
カメラが二人を抜く。スクリーンに映ると、スタンドから拍手が膨らんだ。
春介と春海、穂乃果と水湊は“静かに応援”のジェスチャーでピョコピョコ。
美鈴と優馬、青柳・柳川の両家は目を細め、ただ頷く。
セレモニー
北欧の木琴と弦が重なり、氷の結晶を模した巨大なオブジェがフィールド中央で開く。
光がこぼれ、子ども合唱が「ようこそ」を多言語で歌う。
音が空に溶けていく。白夜の空はまだ眠らない。
点火演出は、湖から運ばれた小さな炎がリレーで器へ——
最後の瞬間、スタジアム全体が息を止め、火柱がやわらかく立ち上がる。
歓声、そして一瞬の静寂。ここからすべてが始まる合図。
家族席の小さな儀式
光子が胸ポケットからお守りリボンを取り出し、優子と指先で結び直す。
優子「約束、二人で見届ける」
光子「うん。結果よりも、楽しんだ証拠を連れて帰って」
グルチャ《笑って前進★ファミリー》に、光子が短く投稿する。
「入場、最高。二人とも、良い顔。呼吸、深く。」
アスリートの表情
退場通路で、翼が深呼吸。視線はまっすぐ。
拓実はラバーケースを撫でてから、にやっと笑う。
翼「いける」
拓実「いこう」
夜の締め
セレモニーが終わっても空は淡く明るい。
ホテルに戻るバスの窓、湖面が街の灯を抱きかかえている。
家族席の誰かが小さく口ずさんだ——
「笑って、前進。」
その言葉が、今日の一日をそっと閉じた。
明日からは、勝負の音が鳴る。
でも今夜だけは、世界が同じテンポで息をしている。
――ストックホルム・オリンピック開幕前夜。
競技の火ぶたは、すでに切られていた。
サッカー:男女とも快勝スタート
大会初日。郊外のスタジアムでは、真新しい芝の上で日本代表が戦っていた。
女子はスペインとの初戦。序盤から主導権を握り、キャプテンのロングシュートが見事ネットを揺らす。
スコアは 2-1。終盤、GKが相手のPKを片手一本で止め、歓声が爆発した。
男子はその夜、スウェーデン代表との対戦。
前半終了間際にカウンターから先制点。後半ロスタイムにはダメ押しの追加点。
スコアは 3-1。スタジアムには「ニッポン!」コールが響き渡り、
現地在住の日本人サポーターが日の丸を振って涙した。
ニュース速報が流れると、ホテルのロビーにいたファミリー全員が立ち上がった。
光子:「やった!男女とも勝ちスタート!」
優子:「幸先ばっちりやね!次はうちらの番たい!」
翼:「この勢い、もらっとこ」
拓実:「うん、勝利の流れに乗ってくぞ」
⸻
テニス:開会式の2日後
会場はストックホルム南部、森と湖に囲まれた国立テニスセンター。
翼は開会式後の短い調整を終え、
ラケットを持つ手がまるで呼吸するように軽かった。
世界ランキング10位でのシード入り。
初戦の相手は南米の強豪だが、コーチ陣は口を揃える。
「今の翼は波がない。集中が深い。」
光子は、スタンドで静かに手を握る。
「頑張れ、翼……メルボルンの風が、今もついとるよ。」
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卓球:開会式の3日後
場所はオリンピック・アリーナ特設卓球ホール。
拓実は初戦の前夜も淡々としたルーティンを守っていた。
手にするラバーは新調された特製モデル。
「いつも通り。やることは変わらん。」
優子は、選手村の外からライブ映像を見つめてつぶやく。
「拓実、うちがついとるけん。全力でやれば、それでよか。」
⸻
ホテルのテレビでは、連日“JAPAN快進撃”のニュース。
音大チームはロビーで即席セッションを始め、
M&Yが即興でテーマ曲《笑って前進★ストックホルムVer.》を奏でる。
白夜の空の下、
家族も仲間も、日本代表も——みんなが同じ方向を見ていた。
笑顔と拍手で、世界がつながっていく。
――大会4日目、午前10時。
ストックホルム南部・国立テニスセンター。
夏の陽射しが、湖面を照らしてまぶしい。
メインコートの観客席は、朝から日本の旗で埋まっていた。
アナウンスが響く。
「Next match — representing Japan… Tsubasa Aoyagi!」
その瞬間、スタンドの一角で、ひときわ大きな拍手が起きた。
光子が立ち上がり、手を胸に当てる。
白地に赤の「TEAM JAPAN」タオルを肩にかけたその姿は、誰よりも誇らしげだった。
翼がコートに歩み出る。
サーブ練習の合間、ふと観客席を見上げた。
視線が合う。
一瞬、周囲の喧騒が消えたように感じた。
光子(口の動きで):「楽しんで。」
翼(小さくうなずきながら):「任せとけ。」
ほんの数秒のやりとり。
けれど、二人にとってそれは、何百時間もの練習より重い、
心を通わせる“約束の合図”だった。
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試合開始を前に、ベンチ脇のコーチが光子に声をかける。
少し年配の、コテコテの大阪人。
ユニフォームの上からでも分かるほどの熱血漢だ。
コーチ:「あんさん、光子ちゃんやな? そや、彼の彼女やろ。
いやぁ、今の翼はええ顔してるで。ほんまに“戦士”の顔や。
あの精悍な目、見てあげてな。
大切な人のためやったら、あいつ、どんな相手にもビビらへん。」
光子は姿勢を正して、まっすぐ応える。
「ありがとうございます。
私も、翼が全力で集中できるように、
心から応援します。信じていますから。」
コーチ:「ええ返事や! その言葉、あいつの耳にも届いとるわ。
ほな、勝負の時間や!」
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場内アナウンスが静まる。
審判がコイントスを終え、翼がサーブを選ぶ。
空は白夜の光を残したまま、夏の青に染まっていた。
光子の指先は、無意識にピアノの鍵盤をなぞっていた。
翼の一球一球が、彼女の中で音楽になって響いていく。
そして試合開始の笛。
翼の第一サーブが、ストックホルムの空を切り裂く。
その瞬間、光子の胸の中で、
「笑って前進」のメロディが静かに鳴り始めた。
――大会6日目・午後。
ストックホルムの空は今日も高く、透明だった。
白夜の太陽が傾き始めても、コートの上は明るいまま。
センターコートに立つのは、
第8シード・青柳翼(日本)。
世界ランキング10位。
3回戦からの登場だ。
観客席の一角、光子の姿があった。
胸に小さな日の丸のワッペン、手には折りたたまれたM&Yの応援タオル。
⸻
試合開始
相手は南米の若手有望株。
強烈なフォアと粘りのラリーを得意とする選手だが、
翼の集中は初球から違った。
サーブ、リターン、ネットプレー――
どれも研ぎ澄まされていた。
コーチがコート脇で小さくうなずく。
「今の翼、ええリズムや。無駄な力がどこにも入っとらん。」
光子の視線は、ただひとりの選手を追っていた。
翼のサーブが、風を裂き、コートに突き刺さる。
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スコアボード
第1セット:6-2
第2セット:6-3
観客が立ち上がり、拍手の波。
わずか1時間半。完璧な試合運び。
ミスはわずか3本。
サーブエースは12本。
実況席が伝える。
「青柳翼、まさに危なげなし!世界10位の貫禄です!」
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光子は立ち上がって拍手を送り、
その瞬間、翼がコート越しに手を上げて小さく笑った。
まるで、「ちゃんと見とった?」とでも言うように。
光子の目尻が少し潤む。
「うん、見とったよ。
あなたの“努力の音”が、ちゃんと聞こえた。」
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試合後
インタビューで翼は笑顔を見せた。
「3回戦からの登場だったので、最初はリズムをつかむまで慎重に入りました。
でも、家族や仲間、そして…大切な人が見てくれてたので、
迷いは一瞬もなかったです。」
記者席から、「その“大切な人”とは?」の声。
翼は照れ笑いをしながら答えた。
「……みなさんご存じですよね。
世界で一番、笑いと音を愛する人です。」
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控室に戻ると、スマホに光子からメッセージ。
「お疲れさま。最高やった。
翼のプレー、全部が音楽みたいやった。」
翼は短く返す。
「ありがとう。
君が見てると思ったら、ミスできんかったわ。」
その画面を見て、コーチが笑う。
「ははっ、やっぱりな。
愛されとるやつは、ほんま強いわ。」
翼はタオルで汗を拭きながら、
静かに呟いた。
「次は4回戦。
ここからが、本当の勝負や。」
そして、ストックホルムの白夜の空に向かって、
拳をひとつ、ゆっくりと握った。
――大会7日目。
卓球競技が行われるストックホルム・オリンピックアリーナ。
朝から各国の代表選手が練習を繰り返し、会場は金属音と歓声に満ちていた。
観客席の最前列には、優子の姿。
小さな日の丸を手に、静かに目を閉じて祈る。
⸻
男子シングルス3回戦
柳川拓実(日本) vs マシュー・レイン(南アフリカ)
拓実はシード枠として3回戦から登場。
ドローでは、中国代表とは反対側の山に入っている。
勝ち上がれば、決勝で激突する可能性がある。
試合前、コーチが短く告げた。
「焦らんでええ。最初の5点で流れをつかめ。」
拓実はラバーを撫でながら、深くうなずく。
そして、軽くラケットを叩いて呟く。
「優子、見とけよ。」
⸻
試合開始
第1ゲーム。
サーブからの3球目攻撃。
相手のリターンを読み切り、最初の5ポイントを連取。
ピンポン玉が弾けるたび、会場の空気が締まっていく。
実況:「柳川、立ち上がり完璧です!ボールがまるで吸い込まれるよう!」
第1ゲーム 11-4。
第2ゲーム 11-6。
第3ゲーム 11-5。
――ストレート勝ち。
わずか23分。
ラリーのテンポ、リズム、間の取り方。
すべてが音楽のように整っていた。
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試合後、拓実はタオルを肩にかけ、観客席の優子を見つける。
その顔は汗に濡れながらも、少年のように無邪気だった。
優子(口パクで):「すごかった。ほんとに。」
拓実(軽く笑って):「まだまだ、これから。」
コーチが横で腕を組み、笑う。
「おう、ようやっとる。あの落ち着き、誰の影響や?」
拓実:「……そりゃ、優子の“ツッコミ訓練”ですわ。」
コーチ:「そら勝てるわ!世界一鋭いツッコミコーチやもんな!」
⸻
ニュース速報。
「柳川拓実、日本勢第1号の4回戦進出!」
同じ頃、ホテルのラウンジでは光子と翼がスマホでその速報を見ていた。
翼が笑って呟く。
「あいつもストレートか。やっぱ双子の家族は強いな。」
光子:「うん。優子が笑っとる顔が目に浮かぶもん。」
二人は拳を合わせた。
「次は、二人ともベスト8。そこからが勝負やね。」
白夜の空は、また少しだけ明るくなった。
――試合終了直後。
ストックホルム・オリンピックアリーナの中央に立つ拓実の姿が、
スクリーンいっぱいに映し出された。
観客席は大きな拍手に包まれ、
卓球台の上には、白いボールが一つ、静かに転がっている。
アナウンサーがマイクを持って近づく。
「柳川拓実選手、見事なストレート勝ち!
まずは試合を終えた今の気持ちを教えてください!」
拓実はタオルで額の汗を拭き、少し笑って答える。
拓実:「やっぱり、オリンピックの舞台は特別ですね。
緊張もあったけど、最初の1本で“いける”って思えたんで。
今日は自分のリズムで戦えたと思います。」
「序盤から攻めの姿勢が際立っていましたね。
特に第2ゲームのチキータからの三球目攻撃、完璧でした!」
拓実:「はい、練習で何度も繰り返してきたパターンなんで、
そこをしっかり決められたのは大きかったです。
でも今日は、ひとりじゃなく“チーム”で戦えた試合でした。」
「チームで、というのは?」
拓実は、少し照れたように笑い、観客席を見上げた。
カメラがその視線を追う――そこには優子の姿。
笑顔で、小さく手を振っていた。
拓実:「……優子、ですね。
ずっと支えてくれて、
“焦らんでええ、楽しんでこい”ってLINEくれたんですよ。
だから、今日はその言葉を胸にプレーしました。
うまくいったときも、ミスしたときも、
あいつの“ツッコミ”が聞こえてくる気がして(笑)」
観客席から笑いと拍手。
優子は顔を真っ赤にしながらも、立ち上がって拍手を送る。
「素敵な関係ですね。
次は4回戦、さらに強敵との対戦になりますが?」
拓実:「はい。でも、勝っても負けても、笑顔で終わりたい。
それがうちら(優子と)の約束なんで。
次も“笑って前進”で、全力でぶつかります!」
拍手が再び広がる。
実況の声が重なる。
「日本代表・柳川拓実選手、
恋人・優子さんへの感謝とともに、
ストレート勝利で堂々の4回戦進出です!」
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その夜、ホテルのラウンジで光子がニュース映像を見ながら笑った。
光子:「やっぱり、言うと思った。拓実らしいね〜」
優子(耳まで真っ赤):「もーっ、全国放送で言わんでいいのに!」
美鈴:「でも、いいじゃない。
あんたたちの“笑って前進”、世界に届いとるよ。」
白夜の街の空に、
彼らの笑い声がゆっくりと溶けていった。




