表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

第4話 吟遊詩人の失われた歌(後編)

音は、想いを越えて届く。

言葉にできなかった感情さえも、旋律はやさしく伝えてくれる。


ラゼルが演奏を再開してからというもの、村の空気がほんの少し、変わりはじめていた。


広場の音楽を聴こうと、遠くから人が集まり、久しく姿を見せなかった老人たちまで顔を出した。

商人は足を止め、子どもたちは演奏にあわせて手拍子を始める。

音が、村に“風”をもたらしていた。


だがそれ以上に、ラゼル自身の変化ははっきりしていた。


かつて、俯きがちだった背中は伸び、誰とも目を合わせなかった彼が、子どもに「ありがとう」と笑顔でパンを分けていた。


「……俺は、ずっとあの日のまま止まっていた」


夜、焚き火の前でラゼルはそう言った。


「セイラが去ったのは俺のせいだと、勝手に思い込んで、すべてから目を背けていた。でも……違った。俺は、想いを受け取る前に勝手に閉じてたんだ」


ぼく──ユリエル・カグヤは、黙って聞いていた。

彼の背後から揺れる“糸”は、今はまっすぐに光を帯びていた。もう、断ち切られたままではない。


「彼女にもう一度会えるかはわからない。でも、今なら言えるよ。ありがとうって」


彼はそう言い、リュートを抱きなおした。


「……ユリエル。お前は、何者だ?」


「ただの旅人ですよ。ちょっと変わった目を持っただけの」


「目、ね……。なら、お前の“耳”にも、この音が届くといい」


そのとき──ラゼルの手が動いた。


リュートの弦がふるえ、音が広場を満たしていく。

今までと違う、希望と記憶が織り込まれた音だった。


曲は“再会”の旋律だった。


けして派手ではない。

けれど、一つひとつの音が丁寧で、あたたかくて、聴いている人の心にすっと染み込んでくる。


涙をこぼす老婆。

そっと肩を寄せ合う夫婦。

子どもを背負った若い母親が、遠くの空を見つめていた。


それぞれが、過去の誰かを思い出していた。

別れた人。亡くした人。

伝えられなかった“ありがとう”や“ごめんね”が、胸の奥でそっとほどけていく。


──これが、音の力だ。


ぼくは思った。


ラゼルの音は、過去の傷に蓋をするのではない。

そっと糸を引き寄せ、ほつれを結び直すように、人の心を繕っていく。


それは、ぼくの力とは違うかたちの「癒し」だった。


夜が更け、ラゼルの演奏が終わったあと、彼は一枚の紙切れをぼくに差し出した。


「これは……?」


「手紙だ。あのとき見つけた、セイラのやつを写し取った。自分のためにも、いつか誰かに歌として伝えたいからな」


彼は少し照れくさそうに言ったあと、まっすぐぼくを見た。


「だが……これはまず、お前に渡しておきたい。あのときの手紙が見つかったのは、偶然なんかじゃない。お前の“目”がなかったら、俺はいまだにあのままだった」


「……ありがとうございます。でも、それはセイラさんの想いが届いたからです。僕は、少し手伝っただけです」


ぼくはそう返しながらも、その言葉が胸にしみた。

ほんの少しでも、誰かの心を軽くできたのなら、それで十分だった。


次の日の朝。


ラゼルは村を発つことを決めていた。


「……俺も、もう一度旅に出ようと思う。新しい歌を探しに、な」


広場では、村人たちがこっそり花を用意していた。


「この村の名前は“エレメア”。エレメアには“響きの泉”って意味があるんだってさ。……今なら、それがわかる気がする」


ラゼルはそう言って、最後に一曲だけ短い曲を弾いた。


それは、まるで別れではなく、“続きの始まり”のような曲だった。


彼が去ったあと、ぼくは村の小道を歩いていた。


とある古井戸のそばで、ふと誰かの声が聞こえた気がした。


「……あの人、ようやく笑ってくれた」


風の中にかすかに混ざる、懐かしい響き。

まるで──誰かが見守っていたかのように。


ぼくはそっと、糸に触れた。

まだ完全には消えていない、セイラの想いの名残。


(きっと、あなたの“音”も、この村に残ります)


その想いを胸に、ぼくはまた旅に出た。


音が残した温もりとともに。


「想いは、言葉よりも静かに、確かに届く」

それを信じられるかどうかで、人の運命は変わる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ