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プロローグ

人は誰かの物語の登場人物になりたいと願う。

だが、現実は、ページの外で静かにめくられていく――。


ぼくは、ずっと誰かの“役に立ちたかった”。


目立たなくて、取り柄もなくて、いつも人混みに埋もれていた。クラスで孤立していたわけでも、特別嫌われていたわけでもない。ただ、「いた」と言われれば思い出される程度の存在だった。


“空気”と呼ばれる人種は、実はけっこう苦しい。


呼吸はできる。でも、声は届かない。


誰かの痛みを察しても、それを伝える勇気がなかった。

助けたいと願っても、手を伸ばせなかった。

一歩踏み出すたびに、「お前なんかに何ができる」と、もう一人の自分が耳元で囁いてくる。


それでも、ぼくは、誰かの心を少しだけでも軽くしたかったんだ。


その思いだけは、最後まで消えなかった。


──気づいたとき、世界はもう、別の色でできていた。



空が深く、青く、静かだった。


まるで、絹のような薄い布を何重にも重ねたような空。


ぼくは、知らない草原の真ん中に、ひとりで立っていた。いや、横たわっていたのかもしれない。体が軽くて、眠りの余韻がまだ指先に残っている。


風が吹き抜ける。甘い匂いがした。果実とも花ともつかない、懐かしいような、泣きたくなるような香り。


「あれ……?」


ぼくは自分の声を聞いて、違和感を覚えた。


若い。というか、幼い。


手を見た。細い。小さい。まるで、小学生のころのような手。

いや──それよりももっと小さいかもしれない。


周囲に人影はない。木々が揺れ、鳥が鳴いている。聞いたことのない音なのに、胸の奥に響いてくる。


──ここはどこだ?


──どうして、ぼくはここにいる?


立ち上がろうとしたとき、視界の端に“糸”が見えた。


いや──それはたしかに“糸”ではあるけれど、普通の糸じゃない。


光っている。


細く、揺らぎながら、でも確かにそこに存在していて、まるで生き物のように呼吸している。


「……なんだろう、これ」


ぼくは、そっと手を伸ばした。


触れた瞬間、心が震えた。


痛みでも、恐怖でもない。むしろ──やさしさ。


心の奥で何かが共鳴する。これは、誰かの感情だ。誰かが泣いている。孤独のなかで、誰にも言えない苦しみを抱えて。


それは──ぼく自身のようでもあった。


気づけば涙が頬を伝っていた。理由もないのに、ただ泣きたくなった。誰かを、抱きしめたくなった。


「……大丈夫だよ」


そう口に出した瞬間、糸がふわりと震え、そして──消えた。


あとには、何も残っていなかった。


でも、心だけは確かに変わっていた。

何かを受け取り、何かを与えた気がする。


「これが……ぼくの、力?」


そんなこと、誰も教えてくれなかった。けれど、わかる。


ぼくは、誰かのために“糸”を紡ぐことができる。

それが何なのか、どうしてそんなことができるのかは、今はまだ分からない。


でも、それでいい。


ようやく、誰かの物語の登場人物になれる気がするから。


誰も気づかない場所で、ささやかな奇跡を。


誰かの痛みを、そっとほどく糸を。


ぼくは──


こうして、「運命の織り手」の物語が、静かに始まった。

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