6.作戦
「へぇ、秋山さんと春川は隣の部屋だったんだ」
「じゃあ、告白とかしてみた?」
「そ、そんな軽い気持ちで告白できませんよ…!」
いつもの放課後、歩は部活に行っており席を外しているので、この会話は誰かが話さない限り、歩に知られることはない。
「そういや、春川が秋山さんには彼氏がいるって言ってたけど……」
「え!そうなの!?」
「ふゆ、最後まで聞けよ。……んで、秋山さん。それって嘘だよね?」
「はい。それは他の人からの告白を断るための理由として使っているだけです」
「あ~よかった。秋山さんが二股してたら協力やめようかと思ったよ」
「わ、私はそんなことしませんよ!だって、あんなに優しい人がこんなにも近くにいるのに……」
窓から外で部活をしている陸上部の姿を見て思いに耽っていると、グラウンドに入っていく歩を目で追っていたことに気づき、話の続きをするために二人に視線を戻すと二人はスマホを構えていて、思わず手で顔を隠してしまいました。
「大丈夫大丈夫。撮(録)ったりしないから。まあ、これだけ好きなら、あたしも背中を押したいなって思うよ」
「俺も春川に秋山さんのことどう思ってるか聞いてみるし、作戦もバッチリだよ」
「本当にお二人にはいろいろしていただいて……」
「いや、まだその言葉はとっておいて。それは秋山さんがちゃんと歩と結ばれてから聞きたいな」
星野さんもそれに同意して、もう一度作戦のことを振り返ることになりました。
最終確認もすぐに終わり、白瀬さんはバン!と机に手をついて立ち上がります。
「今日から『オペレーション・いろは』を始めるよ!」
「え、何でいろは?」
「『いろは』は、いろは歌の最初の3文字です。始まりという意味があり、恋のいろはとして使われることもあります。なので、私の恋の始めだと例えるのに加えて、さらに3人での作戦なのでいろはを選んだと思われます。そうですよね、白瀬さん?」
「そ、そうだよ!うん!」
何か違ったことを言ってしまったのか、白瀬さんは少し焦った様子でしたが、今日はここで解散となるそうで、星野さんと白瀬さんは今日も二人で帰っていきました。
いつもの帰り道、電車の中でふゆに先程の焦りを指摘すると、ふゆは分かりやすく口を尖らせた。
「いろは坂の『いろは』ってひらがなだったから可愛さと、作戦の『オペレーション』の響きがかっこよかったから持ってきただけで、本当はそこまで考えてなかったですぅ~。秋山さんが言ってた意味なんて全然知らなかったですぅ~」
「地理の先生が話してた峠を攻めるゲームの話と最近俺にもやらせるゲームのオペレーション・オメガからとってきただけだろ……」
「うぐっ、なぜバレたし」
「俺もその話聞いてたし、それに10年も一緒にいたら分かるだろ。……でも、『オペレーション・いろは』の響きは俺も好きだな」
「でしょ?やっぱりあたしって才能ある!」
「ちゃんと意味も知ってて使おうな」
「ぐっ、頑張ります……」
やっぱり、なんだかんだ真面目なところがふゆの良いところなんだと改めて思う。昔から変わらないふゆが一緒にいてくれるのは、俺も恵まれているのだと思う。
だからこそ、何かしら辛さを受け入れている春川にも、その気持ちを体感してほしい。それは恩がどうこうという話ではなく、ただの友達としてそう思っている。
「『オペレーション・いろは』成功させような」
「うん。絶対に」
電車に揺られていても二人の意志は合致し、人目がつかないところで、繋いだ手に力が入るのだった。
次の日、放課後の部活が休みだった歩を入れて、普段と同じように勉強をしながら雑談をしていた。
白瀬さんが何かを思い出したように立ち上がり、他3人を見渡す。
「あたし先生に用事あるんだけど、……秋山さんもついてきてくれない?」
「私ですか?そうですね、少し動きたいですし、お供します」
秋山さんは白瀬さんについていき、二人の声はだんだん小さくなっていく。
歩は3人が歩と夏樹だけを二人きりにさせようとしていることには気づかず、作戦通りになった状況で夏樹は歩に話しかける。
「そういえばさ、春川には彼女いないの?」
「いや、いないけど…?自慢でもしたくなったの…?」
「違うわ!俺の自慢話なんて聞きたくないだろうし、俺も自慢話をする気なないわ!」
じゃあなんだ、というように正面に座る夏樹を見る歩は、疑いの視線を向ける。
「春川の好きな人とか、まあ、特徴でもいいや。なんか理想みたいなのはないのか?」
「理想……」
歩はシャーペンをノートの上に転がし、窓の外を興味なさげに見る。
夏樹にはその仕草自体を含め反応全てがどうしても気になってしまった。
「―――……かな。……ん?どうした星野?」
「え、あっ、なんだ?春川の理想」
「もう一回言うのか……秋山さんと白瀬さんが戻ってきたら嫌だし、ちょっと耳を貸してほしい」
再び歩の理想とする彼女の特徴を聞くのだが、優しさ、思いやり、人柄の3つをあげた。
「そのへんにあるサイトみたいな答えだな」
「えぇ、じゃあどうしろと…?」
「もういっそのこと気になる人とかいないのか?ふゆは絶対にやらんが、秋山さん、とか」
夏樹も発言をしてから、さすがにバレるのではないかと心配になったのだが、歩は真剣に考えている様子なのでバレてはいなさそうだった。
「秋山さん……か、確かに優しいし、思いやりもあって人柄もいい。だけど、秋山さん彼氏いるって言ってなかったっけ…?」
「いや、あれは……って、そうかもしれないな!なんかそんなこと聞いたな!」
そういえば歩はあのときには部活でいなかったので、奏の彼氏はイマジナリー彼氏だとは知らない。
(くっそ、一歩ずれてるな……春川に秋山さんの彼氏は嘘だなんて、俺からは言えないし……)
要は手詰まり。夏樹にできることはこのくらいだろう。少しでも歩に奏のことを考えさせたかったが、ここまでが限界だ。
スマホで二人に連絡を送り、二人の帰りまで他の話でその場を繋ぐことにした。
奏と真冬が教室に戻ってくると、教室には「たっだいまー!」と元気一杯な声が響く。
「おかえり。用事は済んだの?」
「え?あぁ、そう、先生が見当たらなくて……結局終わってないんだ」
「そうなんだ。先生方も6月の始めの中間テストの用意で忙しいのかもね」
6月に入れば、最初の週には4日間にわたる大がかりなテストが待ち受けている。
雪学は私立高校のため、他の公立高校に比べると遥かに授業料が高い。その代わり、雪学には修学支援金という奨学金制度が存在し、一定数の生徒だけ学校側が授業料を負担してくれるというものがある。
制度にはランク分けがされており、学年のトップ15の生徒には授業料の全額負担、トップ16から30の生徒には半額負担といった、返さなくてもよい奨学金制度が定めている。
そして、このグループは全員トップ15に入っているので、順位を落とさないためにも、こうして放課後も教室で勉強会を行っているのだ。
「俺らはテストで高い点取った方が、低い方に1000円以下ならなんでも頼み事ができるシステムを導入してるからさ、テストに余計に必死になるわけですよ」
「前回はなつがあたしにパフェを奢ってくれました!」
「今回は絶対に勝つ…!」
同点だったときは、じゃんけんで勝ち負けを決めるらしい。制限があって、単発なのがルールとして非常によくできている。
「そうだ!秋山さんと歩もやってみれば?」
「「えっ…!」」
「あー、確かに。二人の点数もあんまり違いないし、二人がどんな頼み事するのかも気になるかも」
「ど、どうします…?私は春川さんがいいならやってもいいんですけど……」
奏は早々に判断を歩に任せ、夏樹と真冬の視線の対象外になる。
期待の眼差しと煽りを受け、歩は夏樹と真冬を巻き込み、夏樹と真冬が歩に点数で勝てなければ、同じように頼み事を要求できる、という形で奏との点数対決をすることになった。
いつもよりも早い時間だったが、見回りの先生が帰ってくれと指示したため、今日は少し早めに帰宅することになった。
「巻き込むなんて予想外でしたね。星野さんと白瀬さん、一瞬魂抜けてましたよ?」
「勝てないのが分かってたのか、本当に一瞬だったけどね」
歩にとって、それよりも考えていることは、点数対決で最も大きな壁となるの秋山さんで、彼女の期待通り、いや、それ以上の評価を得られるように、日々のノートを見返そうと決めた。
「では、また明日ですね」
「うん。また明日」
奏とマンションの廊下で分かれた後は、テストへの対策方法の見直しから、借りた問題集での発展問題へのチャレンジなどと、抜け目なく対策をした。
基礎から発展の復習を繰り返す日々を何日か続けていると、気がつけば6月になって2日目、テスト前日となっていた。
別にテスト前日だからといって、何か特別なことをするわけでもなく、いつもと同じくらいの時間にご飯を食べ、お風呂に入り、ベッドに入って寝るだけだ。
(明日からテストか……今度こそ、一番になる)
そう心に刻んで、次の日の朝を迎えた。
体調は万全、朝ごはんも重くなりにくいものを選んだ。朝から単語帳を開き、英単語の復習をする。
英単語に限っては、一瞬で意味が分からないものは覚えていないので、見るだけでも復習になる。朝の空いた時間に少し見るだけでもかなり変わってくるので朝の忙しいときにはちょうどいい。
学校に着いても、テストが始まるまでは各教科の復習をするのを欠かさない。
「はーい。皆、ホームルーム始めるよ。秋山さん、挨拶お願いします」
「起立!礼!」
「「「おはようございます」」」
「着席!」
いつもと少し違う朝のホームルーム。クラスの雰囲気がピリッとしていて、勝負の世界のほんの一部を感じた。ここにいる誰一人、テストに向けて一段と気持ちを引き締めている。
(僕も最後まで一心に取り組みたい)
クラスの雰囲気をバネにして、最後のあがきをするのであった。
一日目は問題なく終わり、クラスには一時のやんわりとした雰囲気が漂った。
歩としては四日目の最終教科まではピりついた雰囲気だと嬉しかったのだが、そうもいかないらしい。
それに加えて予想外だったのは、回答用紙だけではなく、問題用紙も回収されたことだった。
クラスの中では、今日行われたテストについて、話し合っている生徒がいたのだが、それよりも明日の教科がやりたかったので、歩は足早に教室を出た。
それはあと2日間続き、最終日の最終教科に向き合っている。
最終教科は数学1。学力テストのときもそうだったのだが、最後の一問だけ、難易度が高すぎる問題となっている。
この問題の配点は5点。前回4点差だったのを考えると、この最終問題が解ければ、かなり秋山さんにも近づける。
残り20分という微妙な時間なので、最終問題以外を先に見直してから最終問題に挑む。
「残り僅かなので、クラスと名前の確認と、回収の準備をしておいてください」
先生の声が教室内に響く中、最終問題をもう4回は見直している歩はそれどころではなかった。
(答えが『解なし』…?本当にそうなのか……何か見落としているところ、もないし、本当に合っているのか…?)
「はい。そこまで。一番後ろの席の人は答案用紙を、後ろから二番目の人は問題用紙を回収してください」
教室内が喜びの声で溢れる中、問題用紙なしでも、まだ答えを考えている歩は、副級長の号令の仕事を忘れていた。
「起立!」
奏が挨拶を代わりにすると、クラス全員が席から立ち上がる。
歩は前に座る生徒が立ち上がったところで、ようやく自分が仕事をしていなかったことに気付き、慌てて席を立つ。
「「礼!」」
「「「ありがとうございました」」」
「……あ、着席」
指示に従わず、そのまま友達に話をしに移動する人や、従って座ったのはいいものの、担任の先生が来るまでには少し時間があるので、教室の前方や後方に置かれた鞄を取りに行く生徒もいた。
「なあ、春川。大丈夫か?なんかすっごく考え事してたみたいだけど」
「最終問題の答えが気になってさ、『解なし』でいいのかずっと考えてたの」
「え、適当に解なしって書いててよかった~。あたしも歩と答え一緒なら安心だわ」
「俺も安心かも」
「え、いや、合ってるかは確定じゃないんだけど、秋山さんなら正確に分かるかも」
「おっけー。なら秋山さんにも聞いてみるか。おーい秋山さーん!」
聞いてくると言いながら、その場で座ったまま秋山さんを呼ぶ星野は、クラスから良くなく視線を受けるものの、本人は気にせず秋山さんの到着を待つ。
「はい。お呼びでしょうか?」
「イエス。この春川というやつが」
「え、僕は呼べなんて言ってな…あ……」
「んぁ?え、春川!?」
「ど、どうしたの歩!?」
「っ…!」
周りからの集まった視線が、まるで体を刺すような痛みを感じ、胸を押さえて前屈みになり、上手く体を起こせない。
夏樹は突然力が抜けて前屈した歩を起こすのだが、すでに意識がない様子だった。
「な、何が春川さんに…?」
「と、とりあえず保健室だ!秋山さんは先生に保健室に行くことを伝えてくれないか!」
「わ、分かりました!」
夏樹はぐったりした歩を背負って、いつぞやかの球技大会のときと同じように保健室へと歩を運んだ。
保健室の先生は、気絶していた歩を見てみるものの、何が原因なのかよく分からないと言う。
「とりあえず、まずは親さんに連絡を」
「春川、スマホちょっと借りるな。って、パスワードとかつけてないのかよ!?」
スワイプしただけで画面が開けてしまい、驚きを隠せなかったが、電話アプリを探して、母と表示された欄の電話マークを押して、保健室の先生へと渡す。
そのときちょうど秋山さんも来て、いつもの四人が集まった。
電話は数回コールが鳴ったあと、繋がったらしく、スマホから音声が聞こえる。
『もしもし』
「あ、すみません。私、雪ノ下大学附属高等学園、高校保健室担当者の河瀬と申します。お子さんの…春川歩さんが……」
『誰ですか、その人』
「え?」
『すみませんが人違いだと思います。では失礼します』
プツン……ツー、ツー
スマホは音声通話終了と表示され、虚しく音が保健室に響いた。