5.あくまでクラスメイト
昨日の侵入事件の後から、僕はずれた机や椅子を戻すついでに、部屋の掃除を行っていた。ソファーの上に退避させた秋山さんのスクールバックが目に止まった。
(スマホもここにあるし、本当に困っていたら申し訳なさすぎるんだが……もしかして、秋山さんってスマホさわらないタイプなのか?)
もしそうだとすると、スマホに気づかずにスクールバックのことも気づいていないのかもしれない。
(考えても駄目だな。先に掃除を……)
ピンポーン
(…?こんな時間に客人?)
時刻は7時半を過ぎた頃、玄関から呼び鈴が鳴り、僕は玄関に向かう。実家から何か届く予定があったかと思考を巡らせるが、特にそういったものは聞いていない。マンションは訪問販売などをしっかり規制しているため、玄関先にいる人はマンションに入れる資格がある人なのは確定だ。誰かが間違って押してしまっただけだろうか。
こんな朝早くに訪れに来る人なんてたった一人しかいないのに、僕はその人を勝手にリストから外していたのだ。
片足だけ玄関に並べてあったローファーに突っ込んで、鍵を開けて扉を押す。
「えーと、どちら様…で?」
玄関先には私服姿の秋山さんが待っていて、扉をゆっくり開けて対面する。
「こんにちは」
「こんにちは?」
「き、昨日のお詫びというか、その、受け取ってください!」
「あ、ありがとう?」
ほんのり温かいガラス製のタッパーを受け取ると、そのまま秋山さんは帰ろうとする。「待って!」と声をかけられたのは僕自身でも驚いたけれど、そのおかげで秋山さんを引き留めることに成功した。
「忘れ物があって、ほら、スマホとスクールバック。忘れてましたよ?」
「え、あ!そうでした!本当にごめんなさい!」
「わ、そんなに謝らなくても…。そうだ、僕がとやかく触るのもよくないですし、自分で取りますか?」
秋山さんは一度躊躇った様子を見せたものの、次には何かを決心したのか「おじゃまします」と部屋に足を踏み入れた。
秋山さんを部屋に入れたのはいいけれど、僕の部屋は片付け途中だったことを忘れて入れてしまった。そのことをひどく申し訳なさそうにする秋山さんは、何度も何度も謝罪の言葉を述べる。
「私が昨日ずらしてしまったから……」
「いや、部屋の掃除中だっ…た、から…」
秋山さんに心配をかけないようにしていたのだが、タイミング悪くお腹からぐぅ~と大きな音が鳴り、さらなる心配に繋がってしまう。
「もしかして、起きてからずっとお片付けを!?」
「……そう、なりますね」
「その、ご飯だけ先に食べませんか?腹が減っては戦ができぬとも言いますし」
昨日の夜から何も食べていない僕としてはとても嬉しい提案なのだが、この流れだと秋山さんが部屋の掃除を手伝おうとするのではないかと思ってしまう。
「電子レンジ、お借りしますね?」
「あ、はい。どうぞ」
秋山さんは慣れた手つきで電子レンジを操作し、あっという間に先程もらったタッパーが温め始めた。料理に慣れた人という感じで、てきぱきとする姿に少し憧れた。
「ご飯の残りとかはありますか?」
「えっと…、炊いてないです」
「なら私の部屋から持ってきますね!」
「え、そこまでしてもらわなくても…」
秋山さんは僕の呼びかけにニコリと微笑んで、小走りで玄関へと向かった。なんとなく彼女はやりたいことは何でもするのだろうと分かってきた。
だが、こうなるとすることがない。
結局のところ、秋山さんが帰ってくるまでに鍋敷きに温め終わったタッパーを乗せて待つしかなかったのだ。
秋山さんはわざわざご飯を温めてから持ってきてくれた。
もう何から何までしてもらっているような気がする。朝から何かを手伝おうとしても、秋山さんは「私がやりますので」と何もさせる気がないらしい。
「その、私もご飯まだなので、一緒に食べてもいいですか…?」
「僕は構わないけど、秋山さんは誰か一緒に住んでいないんですか?」
「いつもは一人です。たまに両親が訪ねて来るときもありますが、今日はその日じゃないです」
秋山さんはそのことを言うと、声色を変えて「それに…」と嬉しそうに話そうとしたが、内容は何も話されずにトーンを戻して話題は方向性を変えたことが分かる。
「実家は春川さんに比べれば近いですけど、私が電車が少し苦手で、両親に相談したらこのマンションの部屋を借りてくれました」
「そうなんですか」
内容を変えたことは分かったのだか、もともと彼女が何を言おうとしたのかは知りようがない。ましてや知ったところでどうしようもない。
とりあえず変えた話題の方に意識を向ける。秋山さんは僕と同じように一人暮らしをしていることを知って、仲間が増えたような気がして嬉しかった。
マンションの一室の料金は高いところもあるが、このマンションは学校に近いということもあり、学生を住まわせることを条件に少し安く売られているため、同じ学校の制服を着た人を何人か見かけたことがある。
もしかすると、かなり人気なのかもしれない。
とまあ、そんなことより先にごはんだ。四人用のダイニングテーブルに乗せられたご飯入りのタッパーと、ホクホクになった肉じゃがが入ったタッパーから半分ずつ取り分けて、少し豪華な土曜の朝ごはんをとる。
一口食べればお米のモチモチさと肉じゃがの完成度の高さに驚かされるのは必然であった。空腹は最高のスパイスであり、手料理は最高の一品であったのだから。
「うま……」
「お口に合ってよかったです」
こんな嫁さんがいたら、毎日こんな美味しい料理が食べられるのだろうか。
途中で秋山さんはお詫びにつくったものを食べてしまったことを詫びてきた。それに対して僕は「美味しさを共有できた方が嬉しかった」と伝えると、秋山さんは数秒固まっていた。
…何か変なことを言ってしまったのだろうか?
普段では味わえない朝ごはんを食べ終わり、秋山さんは帰ると信じていたが、そんなはずもなくまだ部屋にいる。
食べ終わったタッパーなどは、いろいろ迷惑をかけてしまったことから僕に負担をかけたくないらしく秋山さんが持って帰って洗うとのことだ。
そして、秋山さんは当たり前かのように掃除まで手伝うつもりのようだ。
秋山さんの私服を汚してしまうことを恐れて、彼女にはモップ掛けをしてもらうことにした。僕は棚の上などに積もった埃を埃取り用の綿ブラシで集める。ただ、これでは取りきれないこともあり、少量の埃を床に落とす。落ちた埃は後からモップで取ればいいので、気になるくらい大きい埃以外は無視して次々と掃除をする。
僕が掃除し終わったところからモップ掛けをしてくれる秋山さんは、少し退屈な時間ができてしまうからか、暇ができると質問を飛ばすようになっていた。
「春川さんはどうして雪学を志望校にしたんですか?」
「え?まあ、将来のために、と思ってきたけど、秋山さんは?」
「私は…えっと…」
秋山さんが困ったようにしているのが分かり、咄嗟に場を整えにいく。
「ごめん。言いづらいことだったよね。今のナシで」
「は、はい……」
微妙な空気が流れ、なんだか居心地が悪い。結局、その後は僕が担当したところを終わらせて、久しぶりにキッチンに手をついて絞った布巾で一通り拭いた。
特に見られても恥ずかしいものがない寝室を任せていたので、仕事がなくなった僕は寝室へ向かう。
そこでは秋山さんがベッドメイキングをしており、そういえばベッドメイキングなんてしたことないな、と一人で反省した。
かれこれ掃除を始めてから一時間、ようやく僕と秋山さんは掃除をそれぞれ終えていた。人に見られているのが分かると、一段と手を抜けないように思えて必死にやっていた。それは彼女も同じようで、2日前に買っていて、冷蔵庫に入ったままの新品の麦茶のペットボトルと、ガラスのコップを二つ渡した。
予想外だったのは、彼女は断ろうとはせずに受け取って、それぞれに注ぐと、何も注意をすることなく飲んだ。僕としては女の子が男の部屋に入るよりも、そこまで知らない男から出されたものを飲む方が注意するべきだと思うのだが。
彼女は喉が潤ったからか次第に話をするようになり、かなり打ち解けてきたようにも感じる。
「今度は秋山さんは最近何かハマってる趣味を聞いてもいい?」
「そうですね、最近だと絵を描くのが趣味です。昔描いたのでよければ見せられますよ?」
「え、見てもいいの?」
「大丈夫ですよ」
秋山さんはスマホを操作して、僕にその『絵』を見せてくれた。
一言で言えば、思っていたのと違った。
しかし、彼女が言ったことは間違いではなく、ちゃんと『絵』ではあった。正直なところ作画力に驚かされたとも言える。
そう、彼女の『絵』は、デフォルメされた(たぶん)オリジナルキャラクターだった。教科書にいれば癒しキャラになること間違いなしの出来栄えで、ゆる~い感じを放っている。
「秋山さんって何でもできるイメージだったけど、改めて何でもできるんだね」
「そうでもないですよ。私にだって出来ないことはあります。例えば、そうですね…。大食いとか、早食いとかはできません」
「それは無くても困らないし、気にしなくてもいいと思うけど…?」
「うーん。それ以外となると思い当たらないというか…」
「何でもできちゃうんだ…」
秋山さんは机に置かれた麦茶入りコップを一度手にしたけれど、飲む気がなくなったのか机に置き直す。
「その、今日はすみませんでした」
「こっちこそ。掃除まで手伝ってもらっちゃってごめんね?」
「いえいえ、私が言い出したことですし、元はと言えば私のミスです。春川さんが謝らないでください」
僕は悪くないという手振りも加えつつそう話した彼女は、始めに入れていた半分ほどになった麦茶を一気に飲んだ。
無理して飲んでいるのではないか、と不安になったけれど、彼女はそっと席を立ち、飲み干したコップをキッチンへと持っていく。なんとなくこのまま帰りそうだと思った僕は、四分の一ほど残った麦茶入りのコップを持ってついていく。
予想通りと言っていいだろう。彼女はコップを流しに置くと、部屋へ戻ることを口にした。タッパーも持って玄関へと向かった彼女にお礼を言う。
「秋山さん、朝ごはんと掃除、ありがとう。おかげで楽しかった」
「私も、美味しいと言ってもらえて嬉しかったです。余裕があればまた作りましょうか?」
「え、迷惑じゃない?」
「いえ、あくまで『余裕があれば』ですから」
彼女はそう言うものの、毎日作ってほしいとでも言えば本当に毎日作ってきそうだと感じる。学校でもかなり人気のある異性にご飯を作ってもらっているとでも噂になると…。うん。生きていける自信がない。
秋山さんは靴を履くとタッパーとスマホを持って廊下へと出る。
…いや待て。何か忘れているような…?
でも、タッパーは持ってるし、他に何か……
「待って秋山さん!」
「ど、どうしましたか!?」
「スクールバック!」
「あっ!そうでした!」
彼女はもう一度部屋へと入り、今度はスクールバックも持って玄関に立つ。が、片手にタッパーを上に二つ乗せ、もう片方でスクールバックを持つ彼女は玄関の扉を開けることができなくなったようだ。
代わりに扉を開けておくと、彼女は素直に感謝を告げる。
「ありがとうございます。できないことありましたね……」
「本来はタッパーなんてなかったのに、僕が何も食べていなかったから…。」
「いえ、私が勝手にしただけのことですから…っわぁ!」
彼女長時間左右の重さの違うものを持っていたが、肉じゃがの入っていたタッパーが滑り落ちそうになったのを見て慌ててそれを取り上げた。タッパーと言ってもこれはガラス製なのだ。持つだけでも重さを感じるものを落としてしまえば危険が伴うのは間違いない。彼女もそれが分かっているのか、少し反省したようにも見える。
手にしたタッパーを彼女の部屋まで届けようと提案してみたが、プライバシーが無かったのだろうか彼女はそれを断り、二度に分けてものを運んだ。確かに、女子からすれば男子を部屋に入れるのは嫌であろう。夏樹と真冬のようにゲーム仲間や彼氏彼女の関係にあるのなら話は別だが。
奏は自分の部屋に二度目の帰還を果たし、満足感を覚えながら背の高い椅子に体を預けた。一時は歩からの対応が変わっていたらどうしようかと不安になっていたが、今は学校と変わらない彼の対応にほっとしていた。
持ち帰ったタッパーを洗うこともスクールバックの中身を取り替えるのも忘れ、足を無意識にぷらぷらとスイングしていることにも気づかずに、歩の肉じゃがを美味しそうに頬張る姿を思い出していた。
(嫌われてなさそうでよかった)
少し身軽に感じる体はすんなりと立ち上がるのをサポートして、お昼ごはんの食材を購入しに行く足を進ませてくれる。今日は朝から良いことがあって気分が乗っていて、お金とマイバック、部屋の鍵を持って出かける。
しかし、その気分は長く続かなかった。先ほどまで中におじゃましていたあの部屋の扉が廊下を遮るように開いているのに気がつき、まさか閉め忘れてしまったのではないかと自分の過去を振り返る。
…どこにも閉めた覚えがない!
やってしまった、という焦りからドアノブを掴んで扉を押すと、扉が何かにぶつかって止まった。
まさかと思いつつも扉より向こう側を見ると、閉まってくる扉を押さえた人物が一人。
彼も奏に気づき、彼は廊下に出ると鍵で彼の部屋の扉を閉めた。
「…その、秋山さんも買い物?」
「はい。『も』っていうことは…、そうだ、春川さんが良ければ一緒に行きませんか?」
「え?でも、誰かに見つかったら怪しまれない?秋山さん周りから注目されてるし、僕といたら誤解されるかもよ?」
実際、奏は高校に入学してから計8回の告白を受けていたが、全てに付き合っている人がいるからという理由をつけて断っている。本当は、告白を断る理由として使っているだけで、奏に付き合っている人は今のところいない。
奏の目の前にいる歩は、奏に彼氏がいるのは自然なことだろうと思い、一緒に行くことにさらに心配になった。どこか恨まれそうで怖い。
そんな歩に一つ提案するかのように奏は意見を出す。
「同じマンションの人は多くいます。たまたま会ったというのは使えると思いますし、私たち、よく放課後まで残っているので《放課後4人組》なんて呼ばれていたりするんですよ?」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、大丈夫かな?」
「はい。きっと大丈夫です」
歩は奏の嘘には気づかない。マンションに同じ雪校の生徒が住んでいるのは歩も知っていた。ただ、《放課後4人組》は奏の嘘で、誰からも言われたこともなく、他三人にも知らない。それは、奏のでっち上げた想像であり、周りの人が放課後4階の1年の教室にまで来るわけがない。
それでも、幸運なことに歩は嘘には気づかないのだ。
僕は秋山さんの押しに負けて、近くのスーパーを訪れていた。いつも弁当を買うスーパーのため、ある程度は商品の売り場がわかる。
秋山さんは折り畳みの日傘を片手に、野菜や卵にお肉など、食材をどんどんカゴに入れていく。対して僕は秋山さんについていくだけで、まだ何も入れていない。レジ横のお弁当コーナーを通り過ぎようとしたところで僕がお弁当に手を伸ばすと、掴んだのは弁当ではなく奏の手だった。
「男子高校生がそれだけで足りるんですか?」
「えっ?」
「それも栄養バランスもとてもいいと言えるものではありませんし、それに――」
「でも、弁当なら安く早く食べられるから…」
「いえ、安くは間違っています。春川さんは1日にキャベツを一玉も使いますか?そう、使わないんです。実質的には自炊の方が安くなるんです」
「わ、分かった。とりあえず何か作ってみるよ」
とは言ったものの、カゴにはヨーグルトとアップルジュース(牛乳パック入り900ml)しか入っていない。
これでどう作るのかと訊かれると思っていたのだが、秋山さんの目のつけどころはそこではなかった。
「違います!栄養バランスも考えて作らないと駄目です!今日の朝のことも考えて――」
「わ、分かっ…」
「もう一周回りますよ!」
「え」
そうして、僕は秋山さん指導のもと、もう一度スーパーを回って、食材を購入した。お昼ごはんのメニューを考えていなかったので、食材はほとんど秋山さんに選んでもらった。
普段持たない重さになったカゴを持ってレジを通し、秋山さんが余分に持っていたマイバックを借りて、食材を中に入れる。ずっしり重くなった秋山さんのマイバックは、持っているだけでも手が痛くなってくる。
そんな僕を見て、秋山さんは一つフォローを入れてくれる。
「腕よりも肩で持つようにすればいいと思いますよ」
「そうなのか。あ、本当だ。なんかいろいろありがとう秋山さん」
「…っ、お礼を言われるようなことはしてませんよ」
秋山さんは顔を逸らして、慣れたように持ち手を肩に引っかけて持つ。来たときよりも少し早足で帰ろうとするので、僕も追い付こうと早足で歩く。
隣に並んでみたが、彼女は一向に顔を合わせないようにしているため、今彼女がどんな顔をしているのか分からない。
普段の生活から改善していかないと、秋山さんみたいな食べるものを考えるなどの配慮はできないのだろう。
まずは食生活から……と思っていた矢先、ずっと聞いていたくなる声で非常に嬉しい提案が飛んでくる。
「その、私に余裕があれば、えっと、時々ごはんを作りに行きましょうか?」
「え、いいの?あ、でも…」
「でも?」
僕には少し懸念していることがあり、それはもし見つかると非常に厄介なことになる要素を抱えている。そう、それは間違いなく厄介になる。
「来てくれるのはありがたいけど、ちょっと僕の方もいろいろあって」
「あ…そうですよね。ごめんなさい」
「あ、いえ、秋山さんが謝ることじゃないんだ。その、ご飯も美味しかったし、もっと食べたい味でした!」
「…そういうの、反則ですっ…!」
秋山さんは再び顔を逸らして、なにかをブツブツと言っていた。声が小さかったのに加え、顔を逸らしていたから余計に聞こえなかった。
あと、少し話を聞いてくれなくなった。よくないことでも言ってしまっただろうか…?
マンションに着く頃には秋山さんと学校の時と同じように話せるようになっていた。まだ、顔を合わせるようにはしてくれないけれど。
「その、先程の話なんですけど、作ってほしいときに春川さんが呼んでいただければ、作りに行きますよ?」
「それはありがたいけど、秋山さんが大変じゃない?」
「え、あ、いえ、健康に生活しているかのチェックも兼ねてですから、気にするのは春川さんの方じゃないですか?」
「うっ、気を付けます…」
「ふふっ。たまに押しかけるかもしれないので、普段から気をつけていてくださいね?」
「…がんばります」
秋山さんは僕の答えに満足したのか、少しの間見られなかった顔を笑顔にしてこう言った。
「…期待してます♡」
僕はその顔を一瞬見ただけで自分の中の感情に負けた。その感情を悟られる前に鍵を使って解錠し、「また明日です!」と明日は日曜日なのに言って内側から鍵を閉めた。
(可愛すぎるだろっ…!やばい。あの笑顔が脳裏に焼き付いて…また会ったら絶対思い出すじゃんか…!)
僕は高まる胸を手で抑えようとして、しばらくの間鼓動を遅くするのに必死で、冷凍食品やヨーグルトを入れるのを後回しにしてしまったのだった。
一方の奏も、押しかけ訪問を宣言した後から、ずっと頬が熱い。両手を頬に当てて熱を取ろうとするも、頬の熱さは増していくだけだ。
(言っちゃった…というか、ほぼ告白だった気がします…!)
奏としても歩がすぐに部屋に逃げてくれたのは助かっていた。なにしろ鏡に映った自分の頬が真っ赤に染まっていたからだ。結局奏も、頬の熱を取るのを優先して、冷凍食品などを後回しにしていたのだった。
部屋の異なる男女はこんな言葉を口にするのだ。
「「明日も会えたらいいな…」」