18.君に願いを
「あ、やっぱり結果が出てますよ」
僕たちは登校してすぐに順位表を見に行った。
縦には10人、横には3人ずつ、上位30人の結果が掲示板の上順位表に貼られていた。
その順位表の左上には、目を疑うような現実が書かれていた。
「…同点だ」
「…同点です」
1位と書かれた順位は二つあり、五十音順のため秋山さんの名前が上に書かれている。点数は1000点中の958点で、3位には(-67)とあり、飛び抜けているのがハッキリと分かる。
だが、僕たちが気にすることはそれではなかった。
「これ、どうしようか。秋山さんは何かいい案ある?」
同点だったときにどちらがお願いをすることができるのか。
秋山さんはこうなるのを心のどこかで想定していたのか、たった数秒考えてから案を出してくれる。
「お互い一つずつお願いを聞くというのはどうでしょうか」
秋山さんは提案というよりは期待の眼差しを向けてくる。まるで自分自身がお願いしたいことがあるかのように。
「秋山さんもお願いを聞くことになるけど、いいの?」
「私は構いません。どちらかというと聞きたいまであります」
「普通は嫌になるんじゃないの…?」
「私は歩くんがどんなお願いをするのか気になります」
なんてキラキラした目をしているんだ。
立ち話をしていて誰かが通りかかって野次を飛ばされると嫌だから、僕は秋山さんに教室へ行くことを提案する。
秋山さんは少し疑問を持っているようだったけれど、ちゃんとついてきてくれた。
僕はちゃんと秋山さんに伝えることを整理して、隣に座る秋山さんに声をかける。
「秋山さん。お願いのことなんだけど」
「はい。いいですよ」
秋山さんは椅子ごと僕に向いて僕の話を聞く準備を整える。
僕も秋山さんを真似して椅子ごと体を向ける。なんだか面接をしているみたいで緊張する。
「これから僕たち、一つの部屋で生活する…しますよね」
「そ、そうですね。近いうちに…確実に」
「そこで、僕からは『同じ部屋に住んでることを言わない』っていうお願いをしたいんだけど…駄目、かな?」
少し期待外れだったような反応をした秋山さんは、すぐに頬を緩ませる
「分かりました。絶対に隠し通します」
なぜかは分からないけれど、笑顔で宣言する秋山さんはこれまでにない信頼感と安心感を感じられた。
…お願いだからかな?
秋山さんも何をお願いするのかを決めていたらしく、「私もいいですか?」と訊いてくる。
「いいけど、秋山さんは前回分のお願いもしていいよ。前回勝ってたわけだし」
「え、いいんですか?」
「もちろん。僕はそっちの方がフェアだと思うよ」
秋山さんは追加で決めて良くなった二つ目のお願いを考えるのに大して時間を使わず、まずは一つ目のお願いを口にする。
「一つ目は、えっと、その…」
「…?」
「や、やっぱり帰ってから言います!」
秋山さんは恥じらってそう言うので、僕は何をされるのか心配になりつつもそれを許可した。
後回しにしたのでこれで終わりかと思いきや、秋山さんはまだ何か言いたいことがあるそうでこちらを見ている。
「えっと、先に二つ目のお願いを聞いてもらってもいいですか?」
「いいけど、それはここで言って大丈夫なの?」
「はい、これは先に言っておきたいですから」
今度は言いにくいことではなかったのか秋山さんは一度深呼吸をしてから話す。
「二つ目は、その、歩さんが必要以上に謝ったときに、私からのお願いを一つ追加してください」
「…え?」
お願いの内容が予想の地平線を越えていて、上手く理解するのに少し時間を要した。
ただ、お願いを追加するのはルール上いいのかという疑問があり、簡単に頷けるものではない。
「ちなみに基準は私が判断しますけど、いいですか?」
「それってなんでも駄目ってことにならない?」
「それは『常識の範囲内』で判断しますから。必要なときに謝れなくなるのはよくないですし」
正直、不用意に謝らなければお願いが追加されることはなく、このお願いはほとんど効力がないとも言える。
「駄目なら他のお願いもありますけど、どうしますか?」
「いや、大丈夫。変えなくてもいいよ。頑張ってみるから」
この瞬間、僕はこれから秋山さんにお願いをされまくる未来が確定した。
なんでかって?
それは後から分かると思う。
正直、このときはあんなことになるとは微塵も思ってなかった。
お互いのお願いを聞き終わってから5分も経たずに、いつも集団で動いている女子3人組が教室に来て、それぞれが鞄を席に置いて、そのうちの一人の椅子へと集まって、僕たちの場所でも聞こえる声で話し始めた。
「なんかさ、A組の子から聞いたんだけど、2、3人でグループ作って家庭科で調理実習をやるって言ってたよ!」
「えー、めんどー」
「うちらなら楽勝でしょ」
調理実習か…、と内心誰と組むか考えたけれど、先に今日の英単語の小テストの範囲を覚えようと単語帳に視線を落とそうとしたその時だった。
視界の端で秋山さんがこちらを見ているように見えた。
秋山さんを見て確認してみるけれど、秋山さんは自身の単語帳を見ていた。
(気のせいだよね)
再び単語帳に視線を落としたところで、今度は何者かにガシッと両肩を掴まれる。
「わっ!」と声が出た口を慌てて塞ぐと、頭の上から笑い声が聞こえる。
肩から手を離され振り返れば、そこに立っていたのは夏樹と真冬だった。
「驚いた?」
肩を掴んでいた真冬がそう聞いてくる。
結構驚いたと自分でも思う。寿命が少し縮んだ気がする。
「うん。肩を掴まれたのも驚いたけど、二人がいつもより早く来たのも驚いてるよ」
「あぁ、それは…」
「歩とかなっちが絡まれてるといけないと思ってね。杞憂だったけど」
夏樹と真冬は安心したのか、夏樹は「ところで」と話題を変える接続詞を使って話題を変える。
「すげぇな、春川も秋山さんも!」
「いえいえ、お二人もすごいですよ。十番以内には入っていましたし」
「あたしはギリギリだけど! あーもー、今回もなつには勝てると思ったのに!」
真冬が悔しそうにすると、夏樹は伸ばした親指と人差し指の間に顎をつけて調子に乗り始めた。
「フッ、俺は常に進化し続けるのだよ」
「でも、差は2点でしたよね?」
「ぐふっ」
秋山さんの一言が刺さったらしく、夏樹は「しょ、勝負は勝負だし…」と分かりやすく致命傷を負っていた。
しばらく立ち上がれないかと思いきや、夏樹は席に着いた途端に「よし。」と何かを決心して僕と秋山さんを呼ぶ。
「春川と秋山さんからは何か聞かないといけなかったな」
「そうだっけ?」
人差し指を口から顎にかけて当てて知らんぷりをする真冬に、夏樹は容赦なく「ふゆは俺のもだぞ」と釘を刺す。
「うぐぅ…! し、仕方ない。聞いてやろうではないか!」
「負けた人は大人しく聞けよ。なんで上から目線なんだよ」
「んー!?」
夏樹に煽られて真冬は唸り声を上げて怒りを隠せない。それほど自信があったみたいだ。
2点という僅差で負けたのは相当悔しいだろう。
「春川と秋山さんのお願いを先に聞くよ。俺のはあとでふゆと1対1の時に言うから、ふゆは楽しみにしててな」
「ドヤ顔で言われるの滅茶苦茶うざい」
「言ってろ。俺のために今日は楽しませてもらわないといけないしな」
「ぐぅ…! なつのくせに…!」
二人はこうは言うものの、心から嫌がっているわけではないのが分かる。じゃれ合っている、というのが正しいのだろうか。
「あの、星野さん、白瀬さん。私のお願いを聞いていただけませんか」
「おっ、さっそくだね。かなっちのお願いってなんだろ。気になる!」
「俺も気になる」
正直なところ、僕も気になっている。
秋山さんが二人に何をお願いするかによっては、僕がお願いすることも変える必要がありそうだ。
「よければ4人で放課後に、どこかに食べに行ってみたいです」
「…へぇ、あの秋山さんが。なんか以外かも」
「以外? なんで夏樹はそう思うの?」
僕の問いに夏樹は腕を頭の後ろに回して、理由を説明してくれる。
「俺の勝手なイメージなんだけど、秋山さんから誘ってくるイメージがなかったというか。嬉しいんだけど、ちょっと驚いたって感じかな」
夏樹の説明に真冬は便乗する。僕はショッピングモールに出かけたときは誘ってもらった側だからイメージがなかったわけじゃないけれど、ごはんを誘うとは思っていなかったので驚いた。
「じゃあ、天気次第だな。できれば晴れか曇りのときがいいな」
「それもそうだけどさ、かなっちはお店はどこにするか決めてるの?」
「頻繁に外出する訳じゃないので、あまりお店に詳しくないというか」
確かに秋山さんなら自分で作って食べることが多そうだ。
そんな秋山さんの不安に真冬が声を上げる。
「ならあたしが決めていい?」
「いいんですか」
「もちろん」
「ならお願いします」
「やった。連れて行きたいところあったんだ~」
「それって、どこなんですか?」
「それは行ったときのお楽しみ!」
それから少し経つとチャイムが鳴り、教室に担任の小林先生が入ってきた。
小林先生は自分の持つクラスから順位表に入った人が多かったことで、かなり嬉しそうにしていた。
放課後、秋山さんは姉さんに呼び出され帰り、夏樹と真冬は学校に残る理由もなくなって、秋山さんと一緒のタイミングで教室を出ていた。
僕はというと、雨の日だけど部活があった。
早く帰るつもりでいたけれど、部活の終わりがけに部長と神山先輩に呼び止められた。
「春川くん!」
「部長に神山先輩。どうかしましたか?」
僕を呼んだのは部長で、隣に立つ神山先輩は紙袋を持っている。
「球技大会のときには迷惑をかけた。これを受け取ってほしい」
「すみません。僕が避けられなかったばかりに」
「そういうのはいい。一年が受け取るまで俺は動かないからな。あと、これの中身は全て一年のために選んだものだ」
「…ありがとうございます、神山先輩。ありがたくいただきま…」
僕は神山先輩の手から紙袋を受け取ると、ずっしりと重さを感じる。思わずもらったものを落とすところだった。
「だ、大丈夫か一年!?」
「だ、大丈夫です」
僕は紙袋を下から持ち、なんとか紙袋を落とさずに済んだ。
紙袋の上から中を覗いてみると、何やら箱や銀色の袋が見える。
「神山先輩、これって…?」
「筋トレ道具とプロテインだ。一年は鍛えがいがありそうだからな」
銀色の袋の中身はプロテインらしい。味はバニラだそうだが、全く予想がつかない。
他にはプロテイン用の薄い黒のシェイカーや、握力を鍛える握る道具や、腹筋をするときに使うローラーや手が動かないようにするための持ち手が入っている。
「あ、ありがとうございます?」
「しかし、量が多くて重いだろう。一年は電車は使うか?」
「いえ、徒歩圏内なので、自分で持っていけます。ちょうど雨も止んでますし」
今は止んでいるけれど、いつまた降りだすかは空模様からは予想できない。
(走れば3分で着くし、降り始めたら走ろう)
部長は時計を確認すると、今日は各自で解散するように全体に伝達する。
陸上部以外にもこちらを見ている人がいるのがわかる。
部長は本当に何しても人を惹き付けられる気がする。そんな部長は聞き逃した人へ呼びかけるために屋根下の練習場所に行くらしい。
「春川くんも気をつけて帰ってね」
「はい。ありがとうございました」
僕は一足先に服を着替えて下駄箱に向かう。
生徒一人一人に割り当てられているロッカー型の下駄箱を開けると、ひらひらと一枚の手紙が落ちていく。
神山先輩からの紙袋を一度置いてから手紙を拾い上げると、裏側にハートのシールが貼られて閉じてある。
珍しい連絡手段だなと思い外観を見ていると、小一時間前に帰ったはずの人の声がした。
「歩さん?」
「えっ!?」
ここにいるはずのない人の声がして、思わず声が裏返ってしまった。
声のした方を見ると、傘を2本持った秋山さんがいた。
秋山さんは制服姿だが鞄は持っていない。一度帰ってから傘を届けに来たのだろうか。
「どうして秋山さんがここに」
「私は忍さんから『弟くんが傘持ってきてほしい』って言われたから…って、それは?」
僕はとっさに手紙を紙袋に入れて、神山先輩からもらったものだと説明すると、簡単に納得してくれた。
秋山さんは傘を渡すついでに紙袋を持つけれど、僕とは違って全然重そうにしていない。
「さて、帰りましょうか」
「重くない?」
「少し重たいとは思いますけど、下から持てばそうでもないですよ」
できるだけ全て自分でやろうとしたのだが、秋山さんは譲る気はないらしい。
(下から持ったら雨が降り始めたら傘を差しにくくなるんじゃ?)
僕たちが校門をくぐり、マンションへと帰ろうとしたその時、タイミング悪く雨がポツポツと降り始める。
秋山さんが持ってきた傘は大きめの傘ということもあり、僕と秋山さんくらいなら軽く傘の中に入ることができる。
傘を差してみると、一つの傘に二人入る状態になっているのに関わらず、両者とも全然濡れる心配はない。
「ありがとうございます。歩さんも濡れないようにしてくださいね」
「大丈夫だよ。この傘広いし、ちゃんと入ってるから」
5分というのはあっという間で、すぐにマンションに着いてしまう。秋山さんと話ながら下校するのは個人的に楽しいと言える。
今日は料理の一手間の工夫について聞いた。
じゃがいもは一度茹でることでホロホロにもなるし、味も染み込みやすくなっていいらしい。
初めて作ってもらった肉じゃがは確かにホロホロで美味しかった。
雨の日にでも、こんなに楽しく帰ってきたのは久しぶりな気がする。
傘についた水滴をできるだけ落としてからマンションのエントランスに入る。
秋山さんはエントランスで待ってくれていて、二人でエレベーターに乗り込む。
「今日はゆっくりしてください。ごはんもできてますし、お風呂も沸いてます」
「ありがとう秋山さん。今日は至れり尽くせりだ」
「忍さんにもお礼してあげてくださいね」
「はーい」
そんなやり取りを交えつつ部屋の前に戻ってきた。
10時間ぶりに帰ってきた部屋に入ると姉さんのお出迎えを受け、僕は洗面所を経由して食卓に座らされる。
なんだか今日は姉さんがいつも以上にワクワクしているような気がする。
機嫌良さげな姉さんとの間には大皿が置かれていて、その上には湯気の立つ料理が盛り付けられている。
「あ、肉じゃがだ」
「奏ちゃんが作ってくれたんだよ」
「歩さん、美味しそうに食べてくれるので…」
実際に美味しいから仕方ない。それに帰り道で話したじゃがいもの準備は今日やったから話したかったのかも。
「ほら、早く食べよう? 奏ちゃんの自信作」
「忍さん、すごく楽しみにしてましたもんね」
「もう、それ聞いたら食べたくなるよ!」
僕たちはテーブルを囲んで晩ごはんを食べ始める。
秋山さんの自信作の肉じゃがはさらに腕を上げていた。
食後には僕が一番にお風呂に入らせてもらった。
お皿を洗うことくらい喜んで引き受けるのに、姉さんと秋山さんに反対されて、挙げ句の果てには姉さんにお風呂場に追い出されたのだ。
そんなこともありつつ、僕がお風呂から上がると、姉さんがドライヤー片手に待ち構えていた。
「なんで姉さんは今日に限って面倒見がいいの」
「なんでだろうねぇ」
はぐらかすあたり何か企んでいるのは間違いない。椅子に座って姉さんに雑に髪を乾かされながらも少し考えてみる。
でも、ここまで隠すことを引っ張らなくてもいい気がする。
となると、企んでいるのは…
「歩さん」
脳裏に写った一人の女の子の声が聞こえてくる。
かなり恥ずかしがっていて、頬のピンク色が分かりやすく目視できる。
ちょうど髪も乾かし終わり、姉さんはお風呂場から立ち去っていく。
二人きりにされて少しドキッとするけれど、僕は秋山さんの発言を待つ。
「お願い…いい、ですか?」
学校で後回しにした『お願い』。
僕もちゃんと聞けるように気を張る。
「いいよ。聞かせて」
「…今日から一緒に寝てくれませんか」
「…え?」
一緒に…寝る?
秋山さんがそんなこと言うわけがない。絶対に聞き間違いだ。
「ごめん。聞き間違いかな? 一緒に寝るって聞こえたんだけど」
「そう…言いました」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
でも、それってつまり…?
「秋山さんと二人で…?」
「その、歩さんのお部屋の布団はいつも以上にぐっすり眠れたので…」
お祖父ちゃんが寝具は良いものを使った方がいいと言って買ってくれたこのベッドで寝たいのか。
「なら、僕が床で寝るから、秋山さんはベッドで…」
「だめです!」
「わっ、ごめん」
「歩さんと…寝たいんです」
それが秋山さんのお願いなら、僕は叶えるべきだろう。
それに、僕もそろそろけじめをつけたい。
言わなきゃいけないことを本人に伝えないと。




