15.幸せな子供と不幸な親
ちょっと内容ヤバめなので注意です。心が弱い人は見ない方がいいかも。
「え…今、の…選択肢…」
「どっちから聞きたい?」
「…こ、子供から…お願い、します」
奏ちゃんはかなり怯えてしまっている。そんなに怖いオーラを出したつもりはないんだけどね。
幸せな子供の話。安心して。怖くないから。
昔…15年くらい前に女の子には弟が産まれた。二人の年は少し離れていたけれど、双子に負けないくらい仲が良かった。
そんな二人はある日、白い髪の女の子に出会った。その女の子は日本とヨーロッパのハーフの父と、日本人の母の間に産まれ、少しの間だけ母方の父の家を借りていた。女の子は弟と同じ年で、初めは姉弟を怖がっていたけれど、すぐに仲良くなっていった。でも、三人で遊ぶのは少し難しく、よく姉が女の子に場所を譲り、弟と女の子はより仲良くなった。
けれど、二年ほどが経ち、弟が小学校に行き始めた頃、女の子は両親に連れていった。最後に遊んだときは凄く泣いていたそう。
姉は昔から人の心が読めた。だから、弟が悲しがっているのを見て、すかさず側に居ようとした。何年も一緒にいたからか、弟はすっかり元気になった。けれど、女の子のことはすっかり忘れてしまったみたいだ。
結局、姉弟も新しい家に住むことになり、実家から少し離れたところに移住した。
「…どう?」
「これ、忍さんと歩さん、ですよね?」
「そうだよ。一人っ子の女の子は奏ちゃんだよ」
「…私たち、昔に会ってたんですか」
「そう。私は5歳年上だったから、少し覚えてたんだ」
奏ちゃんは少し体が震えている。少し冷えたかな?
「奏ちゃんは浴槽に浸かってて。まだ話は続くから」
「ごめんなさい。最後まで出来なくて」
「いいよいいよ。じゃあ、話続けるね」
奏ちゃんは肩まで湯船に浸かってあったまる。私も髪洗わないと。
今度は不幸な親の話。また子供の話に戻るから、ちょっとだけ交互に入れるよ。だけど、私も泣いてしまうかもしれない。
姉弟の両親は仲が良く、何もなく、事が上手く進むと考えられていた。でも、弟が小学校中学年に上がったとき、母は事件に巻き込まれて命を落とした。母は通り魔に襲われ、10ヵ所以上の刺し傷があり、発見時には既に死亡していた。
その日は丁度三者懇談の日で、母は仕事を途中で切り上げ、学校に向かうところだった。車に乗り込む前に襲われ、車や金品も全て盗られていたそうだ。現場には父が行き、事の事実を受け入れさせられた。
弟は、その日から虐められるようになった。三者懇談で親が来ずにずっと廊下で待っていたそうで、それを見たクラスメイトたちが、親がいないと嗤ったのだ。
姉は弟を助けたかった。そして、一つの間違いを犯した。
「お母さんは、一卵性双生児の双子だったんでしょ!なら、お父さんはその人と結婚したら、歩は苦しまないのに!どうしてしれくれないの!」
その言葉を、姉は一生呪うことになる。母の双子は、顔は似たものの、性格は大きく異なっていた。弟を助けたかったはずの行為は、弟を苦しめることになったのだ。
父はその新たな母を恐れ、口を出すことはなかった。
「お前はなんでお姉ちゃんみたいにできないの!」
皿が割れる音、弟が殴られる音、「ごめんなさい」と唱え続ける怯えた弟の声。ああ、全部間違えたんだ。姉は自身を呪う。感情さえ見えなければ。あの言葉さえ言わなければ。自分さえいなければ。
姉は責任から逃げてしまった。できすぎる姉は弟を苦しめた。テストではほぼ100点だった。だから、それより低い点数を取った弟は叱られる。
何度も聞いた「ごめんなさい」が、姉に突き刺さった。
だから、姉は弟を連れて逃げ出した。どこでもいい。弟が「ごめんなさい」なんて言わなくていいところに。
たどり着いたのは、山道を50キロ。道中でトラックの運転手に拾われ、ほぼ全ては車で移動した。お金なんてない。連絡手段も何もない。でも、弟は絶対に紙と鉛筆は持っていた。
トラックの運転手に手書きの千円札を渡した。不恰好で、正方形に近いおかしな千円札を。
実家のある高山まで来た。トラックの運転手には感謝を何度もして、そこからは歩いて祖父母の家に逃げた。あの時の祖父母の顔は今でも覚えている。
「寒いのに、どうして来たの!?」
あの時は、そうだ。雪が降っていた。トラックから降りて30分くらいだけ、小学生と中学生は雪に覆われた道を歩いたんだ。
実家は暖かかったと思う。確か祖父が雪の中、薪割りしてくれたんだ。祖母は暖かくなるよう、何枚も布をかけてくれた。
凍傷になるかもだとか、体温低下が著しいとか、そんなことも言ってた。当時は何を言っていたのか気にする余裕もなかったな。
次の週から、メイドさんが来た。
メイドさんの名前は未来さんという人で、初めて会ったその日から、忙しく働いていたらしい。未来さんは姉弟を気にかけてくれることが多かった。いろいろ出来て凄い人だった。でも、未来さんは一度だけ失敗したことがある。電話に受け答えたのを祖父母に怒られた。
その次の日に朝に父が来た。玄関先で土下座して、祖父母に謝っていた。祖父母は父の姿を見て、一週間だけ家に姉弟を戻した。
一週間後、弟は生死の境にいた。過度な暴行と強烈な精神負荷で意識を失って戻ってきた。ただでさえ弱い体は徐々に壊れ始めていたんだ。
「奏ちゃん。泣いてる?」
「うぐっ、だって…そんなの、知らなかった…ですっ…」
私は髪と体を洗い終わり、奏ちゃんを膝の上に乗せて、続きを話そうとする。
「ちょっと怖かったね。今度は子供の話だから」
少し話を進めるよ。幸せな子供の話で。
姉弟は実家に引き取られ、親権は祖父母に譲渡された。毎日の送り迎えは未来さんがしてくれた。でも、弟は中学校に上がっても、学校での立場がほとんどなかった。でも、姉は大学受験が控え、弟はほとんど未来さんに任せきりだった。本当は私が教えてあげたかったけれど、祖父母の負担を減らすために必死だった姉は、自分を優先してしまった。
姉は無事に大学に合格し、ふと弟に気を向ける。弟は姉を待っていた。この一年間をずっと待っていてくれた。
でも、その待ちが必要なくなってしまったのだ。
そう。姉には、一つ隠さなければいけない問題が昔はあった。
『文字が読めない』のだ。形として認識できなかった姉は、昔からコミュニケーションによって理解を得ていた。いずれ認識できるようになると言われていて、それは高校入学の直前で克服した。
一人で、全てできてしまう。コミュニケーションが必要にならず、これまで誰かの助けが必要だった姉はもういなくなっていた。
弟は姉が別人に思えてしまった。だから、これまで名前で呼んでいたのに、『姉さん』と呼ぶようになった。でも、姉はそれでもよかった。壊れなかった弟が、自身を姉だと認めてくれた。それが何より嬉しかった。
しかし、大学に毎日通うのは交通面では非常に無謀であった。通えるはずがない。片道で最低三時間かかる通学は不可能であった。そんな朝早くに出る電車はほとんど無いし、それを毎日続けるのも無理があった。
姉は大学で友達ができた。その人は大学の近くに住んでいて、なんと部屋を貸してくれたのだ。
「なら、忍さんは今はそこから?」
「ちょっと違うけど、まあ、そうだよ」
「…?」
幸せな子供は不幸な大人になってしまう。
姉は友達の家に泊まり、大学に通い続けた。しかし、その友達にもさらに友達ができ、彼氏ができた。
その彼氏は、姉にトラウマを植え付けるには十分すぎることをしてしまう。
「ねぇ、君、可愛いね…♡ちょっとだけ、イイコトしよ?」
「…や、やめろ…!」
姉は寝込みを襲われ、睡眠不足の体での抵抗は男には通じなかった。
だが、タイミングよく祖父母から電話が掛かってきて完全に目が覚めた。姉は男の隙を見て反撃し、正当防衛とは言ってもギリギリなラインまでボコボコにした。そして、姉はその家から出禁を食らう。さらに、男の仲間から狙われる事態となり、急遽、泊まっている間に出来た友達の輪で家を回っていた。
相当なストレスになったことは間違いないが、それよりも迷惑をかけたことに非常に心を締め付けられていた。心が読めるのは良くも悪くも心の奥のそのままを写し出してしまう。
『なんで私のところに…来るなよ』
『可哀想だけど、巻き込まれたくないし…』
『忍ちゃんなら、泊めてあげるけどなぁ』
最終的に、姉は今は一つの家に泊まり込ませてもらっている。
弟が高校に上がってからは、何度か実家に自転車で戻り、片道150キロを初めは8時間ほどかかったが、慣れたきてからは片道4時間で動けるようになった。自転車で常に40~50キロで走行するため、ほぼ自動車だど思っている。
一応免許は取って、二輪と四輪は乗れるが、車を持たないため自転車だ。
「その、襲われたんですか?」
「…今でも男性恐怖症なんだ」
「歩さんは大丈夫なんですか?」
「うん。というか、会ったことない男の人が怖いかな。そういうの以外は大丈夫だから」
「大変ですか?」
「いや? そうでもないよ。関わろうとしなければ問題ないから」
不幸に染まらない大人は、いつだっているものだよ。
弟が高校に受かったとき、姉は実家にいた。受験の日は自転車で弟を送り迎えをしていて、帰りに出会うはずのない人物に出会った。
「奏ちゃん…?」
かつて一緒に遊んだ女の子は体調を崩して寝込んでいた。それを見守っていたのは弟だった。
「偉いね歩」
「僕には、これくらいしかできないから」
弟は、女の子のことは覚えていなかった。でも、女の子の父に会い、父は姉と弟のことを覚えていた。
「忍ちゃん、歩くん…?」
「すみません、誰でしょうか?」
「歩、この人は秋山零さん。昔に会ったことあるけど、覚えてない?」
弟はやはり覚えていなかった。家に帰ってからはアルバムを見せてみた。そこで分かったのは、
『一度気を失ったときよりも前の記憶がない』
ことだった。
そして、合格が発表されて数日後、姉弟の両親が祝いにきたときだった。弟は、あの時の恐怖を掘り返してしまったのか、両親を見ると気絶してしまった。
「歩さんが覚えていないと言ったのは…」
「あの時に気絶したよりも前のことは覚えてないんだ。だから、奏ちゃんを助けようとしたことも、なぜ高校受験にそこを選んだのかも覚えてない。本当に心の奥底に根付いたこと以外、全て忘れてしまうんだ」
「…忍さん」
「…なに?」
「泣いて、ます…」
手で目頭あたりに触れると、涙が指をつたう。
「奏ちゃんが、あの子を…幸せにしてあげてほしい。私は、もうどうすればいいか、分からないんだ…」
「私が…歩さんを…」
さて、エンドロールはすぐそこだよ。奏でてほしいな。奏ちゃんがどんな未来を歩むのか。
幸せを託した大人たち。誰かに幸せを与えられるなら、きっとそれはいいことだと思う。それが目に見えるものなら、もっといいことだと思う。
姉は弟の部屋の隣が空いているところを選び、その部屋と契約する。そして、女の子の両親はその隣の空いた部屋を選び、見守ることにした。会えない時間が長くなるのは重々承知で、子供たちに幸せを託した。そういえば、姉が泊まっていた家の名字は確か『日野』だったね。
「お父さんはマンションの経営者なんだって!」
「へぇ。どういう仕事なの?」
「うーん。あんまり聞いたことないけど、見張りみたいな仕事だと思うな」
いつだろうか、そんな話をした。まだ姉であるうちはあの家を使わしてもらっている。
いつか、姉とは呼ばれなくなるのだろうか。私はその時、どんな顔で、弟という存在に向き合えばいいのだろう。
でも、そんな心配はいらないね。昔会った女の子は、こんなにも弟のことを思っているのだから。
「私が…支えます。だから、私に…歩さんをください」
「…うん、頑張ってね。奏ちゃん」
風呂上がり、長風呂に心配した歩が水を置いていったことに気がついた。確かに、長く話しすぎたかも…?
ちょっと、ふらふらする…。
秋山さんと逆上せた姉さんを運び出して、ソファーに座らせた。姉さんらしくないというか、珍しいの一言だ。
「弟くん…いる?」
「いるよ。ここに。ほら」
手をとって、存在を示すと、姉さんは優しく微笑む。やっぱり、何か変わったみたいな感じだ。どうしたんだろう?
「奏ちゃん、うちわ貸して~」
「は、はいっ、どうぞ」
姉さんはゆっくり扇いで自分自身に風を送る。でも、いつもみたいな力強さを感じない。
「秋山さん、姉さんどうしたの? なんか、いつもと違う気がする。何かあった?」
「ま、まあ、逆上せるまで語ってましたよ」
「珍しいね。姉さんが他人にそんなに語るなんて。ほんと、どうしちゃったんだろう」
朝と比べてかなり涼しい6月中旬。網戸を動かして、虫が入らないようにしてから風を入れる。
なんとなくテレビのスイッチを入れると、ちょうど天気予報がやっていた。明日から一週間から二週間は梅雨入りになるそうだ。傘は必須アイテムになりそうだ。
「姉さん大丈夫?帰れる?」
「ん~、大学休むー」
「駄目でしょ。姉さんがせっかく合格したんだから。単位もほとんど取ったんでしょ? もう少しじゃん」
「じゃあ、弟くんが甘えてくれたら頑張る」
「えっ…いや、それは…」
こういう『甘えてくれたら頑張る』は罠なのは知っている。前に一時間くらい餌食にされたことがある。もう引っかからないぞ。
「じゃあ、奏ちゃん、おいで~?」
「はい」
とてとてとて…
あ、まずい。秋山さんは姉さんに促されるまま隣に腰掛けると、ふわっと持ち上げられ膝の上に。
「え、な、なんですか!?」
「ふふっ、弟くんよ。奏ちゃんを返してほしくば、大人しくおいで~」
「回復したなら、髪乾かすよ」
こういうのはジト目で対抗する。ほら、早く秋山さんを離しなさい。
「ん~。奏ちゃん、弟くん連れてきて」
「分かりました!」
「え、えぇ!?」
姉さんから降りた秋山さんに腕を引かれ、姉さんの隣に座らされる。
秋山さんは姉さんを挟んで反対側に座り、姉さんに頭を撫でてもらっている。嫌そうにはしていないけど、お風呂上がりで髪がぼさぼさにならないか心配だ。
…とりあえず姉さんが秋山さんを構っている間にタオルで水気だけ取っておこう。
15話、16話は没になったので、もう一回書き直してます。