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【短編小説】寒がりの熊

作者: 青いひつじ


ダイヤモンドが散らばる海。時刻は午後1時。

熊は、とある島の海辺に横たわり、自分が来た道を眺めていた。ここまで来るのは、簡単な道のりではなかった。



熊は人間から逃げるため、1日かけて波打つ水面に浮かぶ海氷の上を歩いてきたのだ。寒がりの熊にとってそれは、非常に過酷な道だった。

ひとたびバランスを崩せば、冷たい水の中に落ちてしまう不安定な足元。しかし足裏が氷に触れると切り裂くような冷たさが襲ってくるので、踵とつま先を交互に浮かし、落ちるまいと体中の神経を集中させた。

歩き始めて1時間もすれば足裏の感覚は完全に無くなり、良いのか悪いのか、歩きやすくなっていった。熊は前だけを見て歩き続けた。

少しでも意識を別のところに移せば、頭に浮かぶひとりぼっちの自分に涙が出てきて、歩みを止めてしまうと思ったからだ。



だんだんと海氷は薄く小さくなり、足の踏み場がなくなってきた。こうなると飛び込むしかなかった。少し前から覚悟していたことだった。熊が海に飛び込む決心をし、グッと目を瞑り、ハッと開いたその時。

少し先で一枚扉ほどの木の板が、ユラユラと漂流しているのが見えた。熊は、逃すまいと海に飛び込み木の板を掴むと、濡れた毛皮のコートに包まれる体を引っ張り上げ、板の上に横たわった。この板がどこに向かっているのかは分からなかったが、熊はひと安心し、すぐに心地の良い揺れが強烈な睡魔を連れてきた。

ぐっすりと眠ってしまった熊が目を覚ますと、たどり着いたのは島だった。



少しの間横になっていたが、誰かが来るような気配はなった。無人島のようだった。建物どころか、おんぼろ小屋も見当たらない。

熊はまだ少し重たい体を持ち上げ、薄暗い島の森へ進んだ。体に絡まった枝葉を引きずり歩くその姿は、スラム街を徘徊する浮浪者のようにも見えた。


熊が森に入った瞬間、気配を察したのか、シマリスが木を駆け登っていった。熊は嬉しかった。久しぶりに話ができる相手を見つけたからだ。


「やぁシマリスくん。私は君の大切な木の実を取ったりはしない。それよりちょっと降りてきて、私と話をしないか。ここ数日ひとりぼっちだったから、話し相手が欲しくてね」


「どんな話ですか」


てっぺんまで登ったシマリスは、恐る恐る降りてきて、顔を覗かせた。


「いやぁ、それがここに来るまで大変だったんだ。海氷の上を歩いて、海を渡ってここまで来るのに丸1日もかかったよ」


「それを言ったら、私たちの方が大変ですよ」


続けてシマリスは言った。


「氷の上を歩くのがそんなに大変なことですか。海に落ちたってあなたには、その大量の毛があるじゃないですか。私たちは冬眠に向けて、この何週間もの間ずっと寝ずに木の実をかき集めているんです。この広い森を駆けずり回ってるんです。その方がよっぽど大変ですよ」


その冷たい物言いに熊は何も返さず、「そうかそうか。忙しい時にすまなかったよ」と、その場を立ち去った。




次に出会ったのは、1羽のハクチョウだった。


「君、はぐれてしまったのかい?」


熊の声に驚いたハクチョウは素早く振り返った。


「なんだ熊か。驚かさないでくださいよ」


「君、少し時間あるかい?話し相手が欲しくてね」


「いいですよ。何について話しますか」


熊は嬉しくなって、来た道のことを話した。


「そしたら、木の板が流れてきてね。それに乗って、どうにかここにたどり着いたってわけさ」


「お言葉ですが、私の状況はもっとひどいものですよ」


熊の話が終わりすぐに話し出したハクチョウの声は、温度をもっていなかった。


「私なんて、体を切り裂くような豪風の中を飛び続けてるんですよ。ここ数日ずっとね。おまけに仲間とはぐれてしまった。あなたの数倍大変な状況なんです」


熊はまた何も言い返さず、「そうかそうか。忙しい時にすまなかったよ」と、その場を立ち去った。




次に出会ったのは、優しそうな野うさぎの夫婦だった。熊はまた声をかけた。


「やぁやぁ。うさぎさん、少し話をしないかい?」


「いいですよ。どんな話をしましょうか」


「実はね、私は海に浮かぶ氷の上を歩いて来たんだ。それはそれは大変な道のりだったよ」


熊の話に、妻のうさぎは悲しい表情のまま黙ってしまった。


「どうしたんだい?」


「‥‥あなたはいいではありませんか。海の上を歩く逞しい四肢をお持ちなのですから。‥‥私たちの子どもは波に連れ去られ、そのままシャチの餌食になってしまったのです。ちょうど1年前です。私たちはこの1年間、ずっと悲しみと闘いながら生きてきたのです」


声を震わせ、妻のうさぎは泣き出した。

熊は「大変な時にすまなかったね。そして、悲しいことを思い出させてしまってすまなかった。これで失礼するよ」と、その場を去った。



その後からは、話し相手を見つけても声をかけることはしなかった。

歩きながら熊は、丸一日かけて必死に進んできたことは、とてもちっぽけなことだったのだと思うようになった。それから誰とも話さないまま、寂しく森の中を歩いていった。


雨の日も、粉雪の舞う寒い日も、食べ物と居場所を探し歩き続けた。

ある日、熊は青い小鳥に出会った。

小鳥は痩せ細った熊を見つけて優しい声で尋ねた。


「大丈夫ですか。ここまで大変な道のりだったのでしょう。ぜひあなたの話をお聞かせください」


熊は、これまで自分が歩んできた道について話そうと思った。しかしその瞬間、何かが喉に栓をして、熊は頭の中に浮かんだそれを言葉にするのをやめた。

その代わり優しく微笑みこう答えた。


「いいえ、私は元気ですのでお構いなく。それに、私が歩いてきた道は大した道ではありませんので」





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