19.内定は心の安定剤
ベルソファーにもたれながら、ハルはみんなの討伐の様子を眺めていた。
フォレストが、ケロとスーに指示を出して魔獣達を誘導し、フレイムとシアンがサクサクとそれらを切り倒している。思わぬ魔獣の動きで負傷しても、マゼンタが瞬時に治癒をする。
以前よりも連携が取れた、流れるような討伐だ。
もう見慣れたはずの討伐風景だが、こうして討伐に意識を向けて見てみると、彼等は『英雄』と呼ばれるに相応しい能力を持った人達だと改めて感じさせられる。
今ハルの横に立つメイズだって、そんな彼等の身体を管理する料理人でありながらも、実は剣も扱える者でもある。
『英雄戦士大百科』は、辞典のように分厚い本だ。
その中には、いまだに読み終わる事が出来ないほどの戦士達の輝かしい功績で溢れている。
ハルが出会う前でそれほどの功績を収めているなら、そこから現在に至るまでの功績は、もっと賞賛されるものになっているだろう。
――ここにいるのは、すでに将来安泰の者達だ。
ハルだってもちろん英雄戦士としての役割は持っているが、タブレットで撮影モードボタンを押すだけの仕事に、能力の伸びしろはない。
討伐の撮影記録は、他の仕事で全く活かすことの出来ない経験だった。
以前の神の信託任務が突然終わりを告げたように、今回もある日終わりを告げるかもしれない。
それは明日突然任務が終わって、突然にハルの進む道の選択を迫られるかもしれないという事だ。
シアンとの話で、「元の世界に必ずしも戻る必要はない」と気づいたが、『実際に決断を迫られた時に、迷いなく答えられるようにしておかなくちゃ』とも考えるようになった。
元の世界での将来と、この世界での将来。
元の世界に戻ったら、ハルはまた一人暮らしのフリーター生活だ。
――それはそれで別に悪くない。
この世界に慣れ過ぎているので、最初は手間取るかもしれないが、そのうち慣れていくだろう。
だけど最も愛するケルベロスとの別れがある。
それは考えるだけで悲しくなることだ。
この世界に残るなら、エクリュ国で暮らす事になるだろう。
エクリュ国には双子もアッシュもミルキーもいるし、ケルベロスと離れることになっても永遠の別れではない。会いに行く事はできる。
もちろん以前のエクリュ国での生活のように、毎日遊んでばかりはいられないだろうが、ミルキー騎士団でバイトをしながら生計を立てるというのは悪くないように思われた。
果たしてハルが手伝えるようなバイトは募集しているのか―――と気になって、ハルはタブレットの撮影をしばらくだけ止めて、アッシュに聞いてみることにした。
ハルはアッシュアプリを押す。
「もしもーしアッシュさん、そこにいますか?」
ハルが呼びかけると、すぐにアッシュは応えてくれた。アッシュの画像が表れる。
どうやら執務中だったようだ。
「ハル様、何かありましたか?」
「ちょっと聞きたい事があるんだ。今大丈夫?」
「いつでも大丈夫ですよ」
いつもと変わらずアッシュは答えてくれる。
「ミルキー騎士団で、私にも出来るようなバイトって何か募集してる?」
「バイトですか?何か欲しいものがあるのですか?」
「ううん。いつ神様に会っても迷いなく答えられるように、この先を考えておこうかなと思って。この世界に残るなら、何か仕事をしないとね。ミルキー騎士団でバイトが出来たら、みんなと休憩時間に遊べるし、私にもできるバイトがあったらいいなって思ったんだ」
「ハル様は騎士団でバイトなどしなくても、いるだけで皆が喜びますよ」
「さすがに戦士じゃなくなった後も、遊んで暮らすのはどうかと思うよ……」
アッシュは少し考える仕草を見せた後、答えてくれた。
「では私の仕事を手伝ってもらえませんか?騎士団の皆に書類を届けてくれたり、必要なものを一緒に買い出しに出ていただけると助かります」
「前の生活と同じだね」
「そうですね。あの時はとても助かりました。また一緒に仕事が出来れば、とても嬉しいです」
「本当に?」
「はい」
「ハル、それは今決める事じゃないだろう?」
アッシュの答えに嬉しくなって、「じゃあそうしようかな」と答えようとして、メイズに口を挟まれた。
「え、前もって慎重に将来の計画を立てておくことが大事なんだよ。明日神様に会うかもしれないし。内定は心の安定剤なんだから」
『全くこのハイスペックな国宝級美貌の戦士は分かってないな』という目でメイズを見てやる。
『ハルほど「慎重」という言葉に遠い者はいないだろう』とメイズは思うが、今はそんな話はどうでもいい。
タブレットでの会話は、スピーカーモードにされていないため、メイズにはアッシュの言葉は聞こえなかった。
だけどハルの言葉だけでも、会話の流れは読めた。
ハルがこの世界に残る事を選択するのは嬉しい限りだが、勝手にアッシュを選ばれたくはない。
「仕事なら僕の仕事を手伝ってほしい」
「え……みんな私が料理するの怖がるじゃん」
「将来は店を構えるつもりだから、配膳の仕事をお願いしたいんだ。小さな店にするつもりだし、給料ははずむし、休みも多いぞ。もちろん三食まかないつきだし、住む場所も保証しよう」
「高待遇なお店だね。だけど、もれなく女の子の怨恨も付いてきちゃうね」
「僕が側でハルを守ろう」
「もっと怨恨深まって危険になるじゃん……」
「とにかくアッシュさんの仕事への即答はダメだ」
確かにメイズの言う通り、即答するべきでもないように思えたので、ハルはアッシュに声をかけた。
「アッシュさん、お仕事の手伝い内定ありがとう。この世界の将来に安心したよ。でももう少し考えるね」
「ハル様の思う道を進んでください。騎士団はいつでもハル様を歓迎しますよ」
「ありがとうアッシュさん」
お礼を伝えてハルはアプリを閉じた。
「メイズさんも仕事の声をかけてくれてありがとう。これお礼にあげるよ」
ハルは魔法のカバンから聖なる缶を取り出して、缶の中から金色の毛玉ボールを取ってメイズに手渡した。
「小さいけど一番貴重な色のケルベロボールだよ。金色だけど、メイズさんのカラーに一番近いよね」
「……ありがとう」
メイズは『守る』という言葉を、護衛として受け取られた事を少し残念に思いながら、聖なる缶から一つ金色ボールを取り出した事でボールの並びが乱れてしまったのか、残ったボールを綺麗に並べ直すハルを眺めていた。