18.ハルの宝物
リビングでケルベロソファーにもたれながら『英雄戦士大百科』を読んでいたハルが、スッと背筋を伸ばした。
先ほどまでの眠そうな顔は、キリッと真剣に本に集中する顔に変わっている。
今日は雨だ。
討伐を休みにした戦士達は、同じリビングで思い思いの時間を過ごしながら、ハルが見せた変化に小さな緊張感を走らせた。
しばらくじっと本に見入っていたハルが顔を上げて呼びかける。
「フレイムさん」
「……何だよ」
『俺だったか』とフレイムは覚悟を決めた。
「グラナート山って、ここからどのくらいかかるか知ってる?」
「どこだって?」
てっきりまた『自分の経歴に、ハルの気を引くものを見つけられてしまったか』と覚悟したフレイムは、思ってもいなかった質問に、思わず聞き返した。
「グラナート山はクリムゾン国にある山だって、本に書いてるよ。『クリムゾン国は英雄フレイムの故国でもある』って書いてあるから、グラナート山を知ってるかと思って。
この山、ケルベロちゃんの故郷なんだって。意外だね、フォレストさんの国のマラカイト国出身かと思ってたよ」
ハルとフレイムのやり取りに、フォレストが言葉を挟む。
「ケルベロスはグラナート山生まれではないですよ。元々はマラカイト国のモスグレイ山に住んでいた説の方が有力ですし。オルトロスはそこで捕獲されましたからね。
僕がケルベロスを捕まえたのがグラナート山なので、そう書かれているだけです」
「そうなんだ」
ハルが頷くのを見て、フレイムが答えた。
「フォレスト、お前ハルには正確に答えてやれ」
「ハル、フォレストの意見はお前の国側の意見だ。ケルベロスが捕獲された俺の国では、『クリムゾン国がケルベロスの生誕の地で、マラカイト国で捕獲されたオルトロスの生誕の地も、クリムゾン国だ』という説が有力なんだ。
まあ俺はどちらでもいいと思ってるが、どっちも自分の都合の良い意見を主張してるだけで、本当の生誕地なんてケルベロス本人にしか分かんねぇんだよ」
フレイムの説明に、ハルは目を丸くする。
「そうなの?」
「まあ、確証はないから、そう言われてもしょうがないかもしれませんね」
フォレストも不本意そうに同意した。
どうやらケルベロスの二つの生誕地説は、どちらも確証はないようだ。
「ケルベロちゃん、どこで生まれたの?帰りかた覚えてる?今度ちょっと見に行ってみる?見るだけで帰っちゃダメだよ」
ハルはケルベロスを優しく撫でながら、 尋ねてみた。
「グラナート山もモスグレイ山もダメですよ。崖地ばかりの危険な場所ですから。魔獣も討伐地ほどではないですが、かなり強い物がいますし」
「え!そうなんだ。ここの討伐が終わったら、ケルベロちゃんに故郷を見せてあげようと思ったけど、そんな危ない所には確かに連れて行けないね」
魔獣はともかく、ハルにとって崖地は危ない。
『ごめんね』と慰めるようにケルベロスを撫でるハルを見て、戦士達は素直に納得してくれた事に安堵した。
「まあその本に、『クリムゾン国を生誕の地』と書くなら、その本の著者はクリムゾン国の者でしょうね」
フォレストにそう言われて、ハルは本の表紙に記載されている著作者を確認した。
「著作者はターキーさんだって」
「ああ……まさにクリムゾン国の者ですよ」
「知ってるの?」
「一度会ったことがあります。『ケルベロスはクリムゾン国のものなんだからこっちに返せと』ふざけた事を言われましたよ」
「え!何それ」
ハルが息巻く。
「勝手にケルベロちゃんを自分のものみたいに言うなんて信じられないね!もし次に会ったら、「ケルベロちゃんはハルのものだ!」って言い返してやろうよ!」
「………」
「「オルトロちゃんだってハルのものだ!」って言って分からせてやった方がいいかも!勝手な事は言わせないようにしよう!」
勝手な事を言い出して憤慨するハルに、フォレストは言葉を返せなかった。
「いや、ケルベロスの使役者は僕だから」とは、フォレスト以上にケルベロスを使役しているハルにはとても言えない。
黙るしかなかった。
ハルはケルベロスを知らない者に所有者気取りされたのがよほど腹立たしいのか、すごい顔をして床を睨んでいる。
『ケルベロスはしょせん、フォレストに使役されてなきゃ、ただの厄介な魔獣で討伐対象だろ?
そんなわけ分かんねぇこと言う奴なんか、気にするな』
とフレイムは思うが、さすがにそんな言葉はハルに言えない。
「どうせ誰よりもケルベロスと仲が良いのはハルだろ?そんなわけ分かんねぇこと言う奴なんか、気にするな」
――言葉を変えてハルに伝えた。
フレイムが珍しく良いことを言ってきた。
「そうだよね。ケルベロちゃんと一番仲良いのは私だよね」
ハルはケルベロスを優しく撫でてから、魔法のカバンを覗きながらガサゴソして、赤い小さなボールを取り出した。
今のフレイムになら、これをあげても惜しくはない。
「これフレイムさんにあげるよ」
「……なんだこれは?」
「はい」とハルが差し出したものを受け取って、訝しげにフレイムが眺めた。
「ケルベロボールだよ。ケルベロちゃんをブラッシングして作ったんだ。赤い毛の部分は貴重なんだよ」
「………」
黙ったフレイムに代わって、メイズがハルに注意する。
「ハル、魔法のカバンはオヤツも入れてるだろう?魔獣の抜け毛を一緒に入れるな」
「大丈夫!ミルキーさんも同じ事を気にして、それで『聖なる缶』を作ってくれたんだ」
ハルは魔法のカバンから聖なる缶を取り出して、メイズに見せる。
「……前にクッキーが入ってた缶じゃないのか?」
「あ、そうだね。正式名称は『聖なるクッキー缶』だね。ドンちゃんが送ってくれたこのクッキー缶、入れ物が可愛いから取っておいたんだ。この缶に、ミルキーさんが強力な聖力を込めてくれたんだよ。
缶に入れるだけで、全てが浄化されて神聖な物になるから、神聖なケルベロボールが出来るんだ」
ただケルベロスの抜け毛を浄化するためだけに、神に最も近いミルキーから作られた「聖なるクッキー缶」。
『これほど聖力の無駄遣いはないだろう』と戦士達は思う。
ハルは聖なる缶を出したついでに缶の中身を確認して、嬉しそうに蓋を閉め、また再び魔法のカバンに大事にしまいこんだ。