17.ハルが今一番ハマっている事
夕食の片付けが終わり、ハルはケルベロスを連れてブラッシングのために自分の部屋に向かった。
美神ブラシを使ったブラッシングは、ハルにとって今一番の毎日の楽しみである。
足取り軽く、ケルベロスを撫ぜながらウキウキと部屋に歩いていく。
ハルの可愛いケルベロスは、エスプレッソカラーだ。
一見遠目で見ると苦いしかないエスプレッソ珈琲の、黒に近い焦茶色一色に見えるが、実はそんな単純な色合いではない。
場所によっては、エスプレッソの上に浮かぶ泡の色――温かみのあるカフェオレのような茶色や、ラテアートのようにミルクの白い筋の入る部分もある。
普段長めの毛に隠れている部分にはレアな赤い部分や、三匹の接合部分には金色部分もあるのだ。
ハルは毛の色ごとに分けてブラッシングをするタイプだ。
スウッスウッと美髪ブラシをマッサージするように丁寧に滑らせて、エスプレッソ色、カフェオレ色、ミルク色、赤色、金色の抜け毛をそれぞれ置いておく。
色が交ざらないように、それでいて万遍なくブラッシングするには、集中力が必要だ。
ハルは真剣な目で、慎重に丁寧に優しくブラッシングする、この時間が大好きだった。
どれくらい時間が経っただろうか。
途中ケロとベルとスーに別れてもらって、今日はスペシャルコースにしたから、かなり時間がかかったかもしれない。
ふうと息をついてハルは優しくケルベロスに声をかけた。
「ケルベロちゃん、お疲れさま。マッサージ終了だよ。ちょっと待ってね。すぐに仕上げるから」
声をかけ終えるとハルは集めた抜け毛を手に取って、両手の中でコロコロと転がして、毛玉ボールを完成させた。
エスプレッソ色ボール、カフェオレ色ボール、ミルク色ボール、赤色ボール、金色ボール、全部で五色のボールが完成した。
「ほら見て。今日はこんなに大収穫だよ。今日の赤色ボールはちょっと大きめだね。頑張ったね」
ハルは美神ブラシで艶々でフワフワになった毛を優しく撫でて、ケルベロスをねぎらった。
ハルがブラッシングの世界に集中している頃。
ハル不在の中、戦士達は激しく言い争っていた。
「シアン、テメェどういうつもりだ!何勝手に討伐抜けてんだよ!」
「幼馴染二人とメイズも入ったんだし、ケルベロスもそのまま揃っていたし、どこにも問題はないでしょう?」
涼しい顔をして答えるシアンに、フレイムは怒りで震える。
「ちょっとシアン、問題ないわけないでしょう?今日私がどれだけ大変だったと思ってるのよ。私も討伐しながら、休みなしで治癒魔法を使い続けたのよ」
「いつもそれほど魔法を使う事はないのですから、鍛錬だと思えばいいでしょう?」
「はあ?!あんた何言ってんのよ!」
疲れ切ったマゼンタが、切れて珍しく大声を出す。
「シアンが来れば、すぐキリのいいところまで討伐を終える事が出来たんだ。すぐに帰れると思ったから、ハルの留守番をみんなが認めたんだろう?
次があるなら僕がここに残る。シアンは討伐に行け」
「幼馴染の女はメイズを誘っていたでしょう?私はハルとの約束があるので行けませんよ」
「ふざけるなよ!」
メイズも声を荒げる。
「ハルの留守番は駄目ですよ。ハルがいないとケルベロスの機嫌が悪くて、嫌がらせのような行動を見せるんですよ。討伐の効率が著しく下がります」
「ああ、ハルはケルベロスを可愛がっていますからね。部屋にポスターも貼ってますし。見せてもらいましたが、実物より厳つい姿でしたよ」
シアンのさり気ない自慢に、フォレストの声が低くなる。
「……皆がいない時に、ハルの部屋に入ったんですか?」
「オセロを運ぶのを手伝っただけですよ」
そこから始まった英雄達の大乱闘に、カーマインとルビーは被害が及ばないよう部屋の隅でグッタリと座り込んでいた。
二人はさすがに疲れ切っていた。
すごくどうでもいい事に、討伐後の今もあんなに元気に暴れ回れる戦士達が信じられなかった。
留守番をしていたシアンが一番元気なのは当然だが、英雄四人相手にも負ける事がない。
こんな野蛮な者達が揃う場所は、一刻も早く出ていきたかった。
ルビーは元々、自分という存在をハルに認識させるつもりでここに来ていた。
自分の実力を見せつけて、ハルを牽制するつもりだったが、実力不足を痛感させられるだけだった。
「黒戦士は何も出来ないくせに、英雄達に囲まれてチヤホヤされていい気になっている」というのが、世間の女達が評するハルだったが、実際に見たハルは英雄達に全くの塩対応だった。
どこまでの能力を持っているかまでは分からないが、少なくとも魔獣ケルベロスは、フォレストよりも上手く従えているように見えた。
ルビーが喧嘩をうっていい相手ではない。
『夜が明けたらすぐに発とう』と、終わることのない戦士達の乱闘を見ながら、ルビーとカーマインは決心をしていた。
翌朝ハルがリビングに顔を出した時には、すでに二人はいなかった。夜明けと共に二人はログハウスを出たらしい。
ログハウスの訪問客は皆、慌ただしく去ってしまうようだ。
「そっか。帰っちゃったんだ。もっと遊んでいったら良かったのにね。フレイムさんの幼馴染は、礼儀正しい子だね。気を遣ったんだと思うよ」
「……そうかよ」
「元気ないね。昨夜ははしゃぎ過ぎたの?みんなで遅くまで盛り上がってたよね」
「………」
昨日の討伐で疲れ果てた上に、昨夜は遅くまで喧嘩をしていた。疲れているのに感情が昂りすぎて、やっと解散した後も眠る事が出来なかったのだ。
珍しく疲れを見せているフレイムは、すぐに帰ってしまった幼馴染との別れを悲しんでいるようにも見えた。
ハルだって双子と別れる時は、いつも寂しい気持ちになる。
「フレイムさん、ここ。ここ触ってみな。すぐに疲れが取れるし、元気になれるよ」
ハルは「ここ」と、ケルベロスのお腹の一番柔らかくてフワフワした、とっておきの場所を撫でる。
ハルの丁寧な美神ブラシでのブラッシングで、艶々でフワフワになった毛が、ハルの手を優しく包み込んでいた。