61.複雑な心境のそれぞれの戦士達
獣舎の中から、ケルベロスに話しかける黒戦士の声が聞こえる。
「ケルベロちゃん、家出をしてたって聞いたよ。分かるよ、女にだらしのない子達なんかと一緒にいたら危険しか感じないよね。突然に攻撃なんかされたら出て行きたくもなるよ。
それにさ、この国の王子様もその女の子達の味方なんかしちゃってさ、もう本当に困った野郎どもばかりだよね。
きっとまた可愛い子に誘われたら付いて行っちゃうだろうし、今度家出をする時は私も誘ってね。ケルベロちゃんと一緒ならどこへ行っても大丈夫な気がするよ。
はい、オヤツだよ。たくさん食べてね。オルトロちゃんも食べて食べて」
外でハルの言葉を聞いていた英雄達は、ハルがどういう目で自分達を見ているかを知って、立ち尽くしたまま動けなかった。
フォレストは今すぐハルに駆け寄って、言い訳をしたい思いに駆られる。
自分は別に、彼女達に惹かれていた訳ではない。
自分の使役する魔獣に、使役魔法や攻撃魔法を仕掛ける者に惹かれる訳がない。
あの件は自分の油断が原因だと思っていたので、未熟な彼女達に怒りを向ける事をしなかっただけだった。
フォレストにとってハルは、今では戦いの運をもたらす女神のような存在であり、自分の使役するケルベロスを大切にする者でもある。
この世界に黒戦士を引き留めた理由の一つはケルベロスだった。
その事実をフォレストは誇りに思う。
ケルベロスの主として、自分がハルの側にいるべきだと思えたし、側で守っていきたいという思いも本物だった。
――「女にだらしのない野郎」扱いされて断られてしまったが。
そんなフォレストの隣では、メイズもショックを受けていた。
「少女戦士達を女性として見ていた訳ではないんだ」
メイズはそうハルに言いたかった。
元々の元凶は彼女達にある事は分かっていたが、同じ料理人のサフランからは料理に対する情熱が感じられた。それに森でのケルベロス捕獲の為に動き始めてからは、自分も討伐に入る事も多かった為、彼女の手伝いに助けられていた。
怪我を負っていたライム、マリン、アガットの三人の少女も、お皿洗いや片付けなどを積極的に手伝ってくれていたため、彼女達を邪険にする事が出来なかったのだ。
「人に甘い」と言われる自身が招く、大きな過ちに直面した気分だった。
マゼンタだけは、ハルの言葉に否定の要素がなくて黙り込むしかなかった。
女好きなのも、あの少女戦士達にちょっかいを出していたのも事実だったし、多分自分はこれからも変わらないだろう。
だけど「治癒魔法は神の領域にも入る」とも言われる。エクリュ国の聖力魔法ほどではないが、治癒魔法も神聖な魔法とされていて、治癒魔法の術者は神への信仰が特に厚い。
その治癒魔法を極めたと言っても過言でない自分にとって、神と対話までしたハルは敬うべき存在となった。
自分を慕う様子は皆無だが、可愛いハルは見た目からお気に入りだ。側にいたいと思うのは当然だろう。
『何とか挽回しなくちゃいけないわね』
ハルが楽しそうにケルベロスに話しかける声を聞きながら、マゼンタはため息をついた。
フレイムとシアンは、そんな三人の戦士達を見ながら、苦々しい顔をしていた。
この三人があの少女達に甘い顔を見せたせいで、数々の厄介な出来事に巻き込まれたのだ。
シアンは舌打ちしたい気分だった。
ハルとは、ナキドリの鳴く夜に距離を詰めれたと思っていたが、長らく離れている間に、あの夜の事は無かったかのように再び強く一線が引かれていた。
あの忌々しい討伐期間……。
あれを「合コン討伐」とかいうあり得ない勘違いで長らく誤解されていたせいなのか。
少女達と共にいた他の戦士達はどうか知らないが、自分は「不参加だった」とハルは納得してくれたが……
ハルは時折り奇抜な発想を持つ。
果たして今も、自分を他の戦士達と一括りにして「女にだらしのない男達」と断じていないと言い切れるだろうか。
不安と苛立ちが入り混じる。
封印できた魔物との対峙は、ハルに危険が無かったわけではない。実際に封印後にハルは名前を失ったし、深い眠りに入ったまま五日間も目を覚まさなかった。
それに深い眠りについたまま、ハルは元の世界に帰ってしまうところだった。
――もしかしたら何も言えないままに、突然ハルを失っていたかもしれない。
とても理不尽だと感じるが、「それが神の導き」と言われてしまえば、この腹立たしい思いをどこにもぶつける事は出来ない。
よく自分は冷静沈着だと評されるが、自分は存外短気な方だと思う。
自分に群がる女達には苛々させられるし、少女戦士の一人が自分の部屋に忍び込んだ時は、思わず窓から投げ捨ててしまった。
ハルのいるべき部屋にあの女達がいる事も許せず、そんな女達を庇う三人の戦士にも切れて、あのログハウスを早々に出て行ってしまった。
あそこに留まっていたフレイムの方が、自分よりは気が長いと言えるだろう。
……そして今、一番腹立たしいのはアッシュだ。
眠るハルを王城へ運んだ時、すぐにドンチャ王子から呼び出された男。
『ハルが心を許している相手』として、双子が説明していたエクリュ国の戦士だ。
白戦士にしては珍しく良い体格をしていたが、実は文官戦士らしい。
平凡な見た目の、大人しそうな男だった。
そんな男がエクリュ国では、ずっとハルの側にいたという。
ハルはずいぶんあの男を慕っていたようで、左手の腕輪もあの男から預かった物のようだった。
今ハルが身につけている腕輪。
自分の贈ったブレスレットからそれに変わった事は、会った瞬間に気づいていた。
『贈った物は、極細の魔力で作った簡易的な物だった。エクリュ国で過ごす中、聖魔法の影響で消えてしまったのだろう。………だけど自ら外してしまったかもしれない』
そう思うと、シアンはハルにブレスレットの事を尋ねる事が出来なかった。
結局は自分のブレスレットが日々の浄化魔法で消えた事を双子から聞いて知ったが、代わりにつけられていた腕輪が、アッシュの物だと知って嫉妬に駆られた。
それに。昨日ハルが、彼女に起こった出来事や思いを打ち明けたのはアッシュだった。
――自分ではない。
シアンは、どこにもぶつけようのない怒りが自分の中で渦巻くような思いでいた。
フレイムは苦々しい思いで舌打ちした。
双子やシアンの話で、ハルが長らく自分達が合コン討伐で楽しんでいると誤解していた事を知った。
自分の作ったブレスレットは浄化されて、白戦士アッシュの腕輪に代わったという、ハルに直接聞けなかった事実も分かった。
ハルと離れている間、ハルを忘れた事など一日も無かったというのに、ハルは自分達を見切ってエクリュ国に馴染んでいた。
本来なら神に呼ばれたハルは、自分達の側にいる者だ。
自分達が過ごした時間よりも長くハルの側にいて、ハルに慕われていたアッシュに敵意しか感じない。
昨夜ハルと二人だけで話をしたアッシュは、控え部屋で待つ皆にハルから聞いた話を伝えた。――ハルがアッシュにそれを頼んだらしい。
その話を聞いた時、フレイムは肝を冷やすと同時に焦れるような思いがした。
ハルは元の世界に戻るギリギリの所で誰かに引き留められたらしい。
もちろんケルベロスやアッシュからの借り物にも心を残していただろうが、その呼び止めた者こそがハルをこの世界に引き留めたのではないかと思っている。
――「そっちへ行ってはいけませんよ」
そんな言葉遣いをしてハルに話しかけたのは、あの白戦士のアッシュだろう。
容易に想像ができる。
フレイムは横に立つシアンに目を向ける。
いつものように何もないような顔をしているが、激しい怒りの魔力が漏れている。
『コイツは俺より気が短い奴だからな。おそらくあの白戦士の存在が許せないんだろう』
自分だって許す事は出来ない。
ハルには、自分達がこれからも側につくことをあっさりと拒否されたが、『あんな平凡そうな男だけには渡したくねえな』とフレイムは唇を引き結んだ。