29.現実味のない人々
今日は討伐も中止になったし、白戦士ミルキーも帰ってしまったし、ケルベロスもミルキーを送りに行っていないので、ハルは部屋に戻って休むことにした。
他の戦士達も、これまで見た事のないくらいにハルが沈んだ様子を見せるので、これ以上話を追求するような事をせずに見守ることにした。
ハルは部屋に戻って、ゆっくりお風呂に浸かってみたけど気分が晴れる事はなく、夕食も断って今日はもう眠る事にする。
『疲れたな…』
そう思いながらすぐに眠りについた。
夢の中でハルはタピオカ屋のバイトをしていた。
かつてのタピオカブームほどではないが、それでもタピオカドリンクは人気がある。
デパートオープンから次々とお客様が押し寄せてきて、バイト初日の慣れない作業の中、必死でお客様を捌いていく。
やっとお昼の休憩になって、オーナーさんがほうじ茶タピオカドリンクをサービスしてくれた。ほうじ茶タピオカドリンクは、ハルの一番好きな味だ。
一番好きだと話していた事を、オーナーさんは覚えていてくれたのだろう。
隣のブースのお煎餅屋さんのおじいちゃんが、「今から休憩かい?これ、売り物にならんかったからお食べ」と言って割れてしまったお煎餅をくれた。
おじいちゃんにお礼を言って受け取り、『休憩室で食べよう』とカバンの中に入れる。
休憩場所の食堂ば四階だ。
四階に止まったエレベーターから降りると、社員食堂の扉が見えた。
食堂の扉に手をかけた瞬間――思い出す。
この扉を開けちゃいけない。
この扉の先はこの世界の続きではない。
休憩なんてどうでもいいから、引き返さないととんでもない事になる。
この先に進むと、後悔する事になる。
そう分かっているのに、手が止まらない。
扉を開けてしまう。
違う世界に入ってしまう。
この手を止めなくてはいけないのに――!!
ハッと目を覚ました。
ドキドキと動悸がして、冷や汗をかいている。
『ここはどっちの世界だろう』
答えは分かっているけど、前の世界である事を祈る。
前の世界に彼氏がいたわけではない。
深い付き合いをする友達がいたわけでもない。
重要な仕事を持っていたわけでもない。所詮バイトだ。
家族だってそんなに恋しいわけではない。
前の世界にこだわるものは何もなかったけど、だからと言ってこの世界にこだわるものが出来たわけではない。
今日みたいな迂闊な行動で、死を招くこともある。
この世界で戦士となったけど、自分のメリットなどひとつも見つからない。
国宝級美貌の戦隊達はハイスペックなイケメン過ぎて、いまだに現実味がない。彼らに惹かれる事もない。
今、悲しいのかも分からない。涙も出ない。
ドキドキと自分の動悸だけが聞こえて、ハルはじっと丸くなっている事しかできなかった。
そうしているうちに、またいつの間にかハルは眠っていた。
朝、目を覚ますと意外にもスッキリしていた。
考えても状況が変わるわけでもないし、しょうがないと諦める事が出来た。
今はあまり深く考える事は止めておく事にする。
『とりあえずこの討伐が終われば、何らかの変化があるだろう。その時に考えればいいや』と、また気持ちに蓋をする事が出来た。
ハルを窺うように、ソッと扉からベルが顔を見せたので、ベルに挨拶をする。
「おはよう、ベル。今日も可愛いね。昨日は先に寝ちゃってごめんね。今日からまた一緒に寝ようね」
そう話して、皆が待っているだろうダイニングに向かった。
「おはよう、みんな。昨日はごめんね」
ハルがいつものように顔を見せた事に、他の戦士達はホッとした様子を見せる。
「冷めないうちに食べよう」
そうメイズが声をかけ、今朝はもう世話をするべきミルキーがいないので、ハルも食事に集中する。
またいつもの日常が戻ろうとしていた。
「今日の討伐は、クロイハルは不参加でいいぞ。ここで休んどけ」
そうフレイムが声をかけてくれたけど、ハルは一緒に行く事にした。
討伐を休んで一人でいたら、ここにいる意味さえ無い気がしたからだ。
後方でいつもと同じようにベルソファーに座って撮影をしていると、メイズが謝った。
「昨日は大きな声を出してすまなかった。怒ったのは、クロイハルが心配だったんだ」
「怒る…?ああ」
そういえば昨日、メイズに怒鳴られたんだった。
普段温厚なメイズを怒らせたのは、ハルが悪かったせいだ。
だけど身体が大きいメイズの怒鳴り声は、ハルの身体に響いて身体が固まった。
昨日ログハウスに戻ってからも、メイズを見ると緊張するのは怒鳴られたせいだったのか。
ハルはあまり考えたくない事があると、思考を閉じてしまうクセがある事を自覚しているので、『そういえば』と思い出した。
「大丈夫だよ。私もごめんね」
ハルも謝って笑顔を見せた。
「何か撮影効果が上がりそうな物を作ろうか?」
メイズが気遣って声をかけてくれたけど、今日はあまりお腹が空いてなかったからお断りした。
討伐組の皆が魔獣と戦っている姿を見ながら思う。
本当に彼等は現実味が無いくらい完璧だ。
顔も国宝級だし、スタイルもいいし、戦う姿も格好がいい。
赤戦士と青戦士は大きな剣を軽々と操って、ザクザク魔獣を切っている。
緑戦士は、ケロとスーに的確な指示を出して確実に魔獣を仕留めている。
桃戦士は皆が怪我をしたり、疲れを見せたりすると治癒魔法を使って完璧にフォローする。
いつも感じている事だが、皆んなの討伐する姿はまるで映画を見ているようだ。
ハルにとっての現実味がない。
そんな戦隊ショーを見ながらジュースを一口飲むと、またタピオカが頭を過った。
前の世界に戻ったら、今のこの戦隊達の事もこんな風に思い出すのだろうか。
『これ以上は考えない方が良さそうだ』
ハルは軽く頭を振った。
「ベルは本当に可愛いねえ。最高のソファーだよ」
ハルはベルに話しかけながら、ベルソファーを優しく撫でた。
メイズはそんなハルを注意深く見ていた。
ベルにだらしなくもたれながら、ボンヤリと皆を眺めている姿は、いつもと同じようにも見えるが、どこか遠くを見ているようにも見える。
昨日から、どことなく自分と距離を取られているようにも感じる。どの辺が、と言われるとハッキリとは言えないが。
『やはり昨日思わず怒鳴ってしまったのは不味かったか』
そう思って、メイズは静かにため息をついた。