15.未練を残すもの
ハルはたまに以前の世界を思い出す。
ジュースを飲む時にタピオカ屋の事が頭を過ぎる。
ケルベロソファーでうたた寝している時に、以前の自分の部屋にいるのかと寝ぼけて勘違いする。
国宝級美貌のヒーロー戦隊達の髪や目の色を見て、ここが自分のいた世界ではない事に、改めて気付かされる時もある。
前の世界を思い出して、この世界にいる自分を悲観する事はない。だけど、この先もずっとこの世界にいる自分を想像する事は出来なかった。
いつの日か任務を終えた時、またある日突然元の世界に戻るのかもしれない。
前の世界のタピオカ屋オーナーさんに挨拶も出来なかったように、今の戦隊仲間達にも挨拶する事なくお別れするかもしれない。
先が分からないから、ハルはこの世界に深く入り込むつもりは無かった。
別れを惜しむ存在があると、突然の別れがある未来が怖くなってしまうだろうと想像ができる。
ハルがこの世界に来た事を嘆かないのは、以前の世界にそれほど執着するものが無いからだ。
もちろんそれなりに平和に生きてきたし、自分の部屋のソファーにも愛着はあった。浅い付き合いしかしてこなかったが、友人もそれなりにいた。ほとんど連絡を取り合う事はないが、遠くに家族も住んでいる。
だけど今、別れを嘆くほどの想いはない。
『もう会えないかも』と追い詰められるような気持ちにはならないから、『ただ今は自分が遠くに来ているだけ』それだけのように感じられる。
また突然元の世界に戻る時も、こんな風に軽く受け止められる自分でいたいと思う。ここに心を残すつもりはない。
だからこの世界の王子のドンちゃんに媚びる必要も感じられないし、美貌の戦士達の名前を覚える気も無かった。――もちろん戦隊仲間としてはちゃんと向き合うつもりだが。
そんな風に、色々な事に目を瞑るように過ごしていたので、この世界について積極的に知ろうともしてこなかった。
別に『知りたくなかった』というわけではない。
必要がないと感じているだけだ。
そんなハルにとって意外な事実を知った。
「え?みんな違う国から集まってきたと思ってたけど、本当は同じ国の人達だったの?」
「まあそういうことになりますね。この世界は、様々な色の小さな国が集まって、一つの大きな国となっています」
青戦士のシアンが簡単な地図をメモに書きながら、ハルに説明をしてくれた。
「それって日本と都道府県みたいな感じかな?」
「よく分からない例えですが、多分想像した通りでしょうね」
そんな話になった流れは。
この森の討伐が終わったので、次の討伐他に向かう前に、緑戦士フォレストの国に寄って買い出しをする事にしようという話が上がった。
『国境を越えるの?海を渡ったりするの?』というハルの質問で、この世界の『国』の認識に間違いがある事がわかり、シアンが説明してくれたのだ。
「この世界全体をまとめる国の名は、『バリアスカラー国』です。今回買い出しに向かうフォレストの国は、『マラカイト国』。その隣のメイズの国、『カナリヤ国」。こちらはマゼンタの国の『アザレ国』。こちらはフレイムの国の『クリムゾン国』。私の国は『セレスト国』となります」
「そっかあ…みんな難しい名前だね」
「……」
ふうんと頷きながらも、全く覚える気の無さそうなハルを見て、これ以上説明しても意味がないと、シアンは話を終わらせる事にした。
この討伐他に別れを告げる前日。
たくさんの『部屋の外に出ても非常識にならないパジャマ』がハル宛に届いた。
さすが王家御用達のデザイナー作だけあって、快適なパジャマ機能を持ちつつも可愛いものばかりだ。
ハルは早速ドンチャ王子に、お礼を伝えることにする。
アプリを開き、王子に呼びかける。
「もしもーし、ドンちゃんいますか?」
「あ、クロイハル様ですね」
「うん。ドンちゃん、今パジャマ届いたよ。みんなすごく素敵だね、とてもパジャマには見えないくらい。
こんなに可愛いかったら、お出かけ着として街に出れるよ。たくさんあるから、もう一生服を買わなくても良さそうだし、本当にありがとうね」
「喜んでいただけて何よりです。…あの、そちらの服はパジャマなので、外出時は控えた方がよろしいかと…」
ドンチャ王子はいつも控えめだ。
ハルはそんな王子に気遣って声をかけた。
「大丈夫。誰が見てもパジャマだって分からないくらい素敵だよ」
「………」
声が聞こえなくなった。
「また途中で切れちゃった。電波が悪いのかな」
あーあ、とハルはアプリを閉じる。
一緒にリビングにいた戦士達が呆れた視線をハルに寄越してくる。
コイツら…電波が悪いのは私のせいじゃないのに。
いくら私が記録担当だからって、そんな責任まで押し付けないでほしい。電波を舐めているのか。
国宝級美貌のイケメンのくせに。
『その浅はかさには呆れるよ』
ハルは皆に呆れた視線を送ってやった。
「クロイハル、パジャマでの外出はやめた方がいい」
黄戦士メイズが、常識人を気取り出した。
おおらかなはずの黄色い奴が、皆の前だからって格好を付けている。
『本当はこっち寄りのクセに』
ハルは冷たい目でメイズを見る。
「……」
メイズはハルの視線に、その意図を正確に感じ取ってショックを受けていた。自分が、パジャマで街へ出るような人間だと思われた事が心外だったのだ。
青戦士シアンは、静かにため息をついただけだった。
プレゼントされたパジャマは最高だった。
ジャージ素材っぽい生地で、ストレッチが効いた快適仕様である。
これからは、毎朝着替えることなく一日を過ごすことが出来る。ケルベルソファーで一日寛いでも、シワになる事もない。
更に戦士達に『パジャマで部屋の外に出るな』と小言を言われる事も無くなるという、奇跡の逸品だった。
『ケルベロちゃんとこのパジャマが、この世界に未練を残す事になるかも』
そんな風にも思えるくらい、素敵なパジャマだった。