90 ピクニック魔女7
(はいっ?)
昨日の今日で、フェリクスが彼女にプレゼントまで贈っていたというのか。
あまりの手の速さにリズは驚いてしまったが、それよりもエディットの体勢が危険だ。何が何でも帽子を落としたくない様子の彼女は、身体の大半を船の外へと乗り出してしまった。
「王女殿下、危ない!」
リズは慌てて彼女の腰に抱きついたが、リズだけでは彼女を引き戻せそうにはない。
抱きついた甲斐も虚しく、エディットに引きずられるようにしてリズも、船の外へと身体が引っ張り出される。
「リズ!!」
アレクシスの叫び声だけ辛うじて聞きとめたリズは、そのままエディットと一緒に湖の中へと落ちてしまった。
(どうしよう! 水を吸ったドレスが重すぎて、浮かべない……!)
落ちた勢いで、水中へと沈み込んでいく二人。
足をばたつかせようにもドレスがまとわりつくので、何の助けにもならない。エディットは泳げないのかリズにしがみつくばかりで、これではすぐに共倒れになってしまう。
(アレクシス、助けて……!)
最後に聞いた兄の声を思い出しながら、リズは身動きの取れない状況で水面を見上げた。
その少し前。船上でリズ達が落ちる場面を目撃したアレクシスは、瞬時に上着とシャツを脱ぎ捨てながら、船首へと走り出した。
「殿下おやめください!」
「俺達が救助します!」
一瞬だけ遅れたバルリング兄弟が後を追うも、アレクシスは構わず湖に飛び込んだ。「二人は上から引き上げて」と言葉を残して。
リズが見上げた水面には、ばしゃりと何かが飛び込む陰とともに、無数の気泡が広がる。
リズ達に向かって、手を伸ばす者がいる。アレクシスだと気が付いたリズは、必死に兄の手を掴もうと手を伸ばした。
すると突然に、沈んでいく身体が浮力を得たように感じられた。それは気のせいではなく、どんどんと二人の身体は浮上し、水面の光が近くなる。
(あ……。フェリクスが、魔法で助けてくれたんだ……)
自然の力に抗うこの現象は、魔法でしか説明がつかない。
想定よりも早くアレクシスの手を掴むことができたリズは、そのまま魔法の力に身を任せて、水面の上へと顔を出した。
「大丈夫かリズ、エディット!」
アレクシスの心配する声にうなずきながら、リズは大きく息を出し入れした。
助かったという安心感で、リズの緊張は一気に抜ける。
対して、エディットは水を飲んでしまったのか、咳き込んでいて安心どころではないようだ。
「エディットを早くこちらへ!」
船上から手を伸ばすフェリクス。リズとアレクシスは二人でエディットを支えながら、彼女をフェリクス達に引き上げさせた。
無事にエディットを助けられたことに安心したリズは、ほっと息を吐いた。
公国で他国の王女に何かあったら、大問題である。
皆のおかげで、最悪の事態を避けられたことに安心していると、再びフェリクスが船から顔をのぞかせた。
続いて彼は、リズとアレクシスを引き上げるつもりなのかとリズは思ったが。
次の瞬間に、フェリクスの笑みと共に身体が急に重くなる。
「うわっ……!」
「リズ!」
再び水の中へと引きずり込まれるようにして、リズは沈み始めた。
(フェリクスが、魔法を解除したんだ……!)
まるでイタズラでも仕掛けたような彼の笑みが、脳裏に残っている。けれどこのような仕打ちは、イタズラでは済まされない。
大魔術師の恐怖を再び感じたリズは、命が切迫している状況にも関わらず怖くて動けなくなってしまった。
そんなリズから、沈んでいる原因であるドレスを剥ぎ取ったアレクシスは、なんとかリズを水面へと浮き上がらせたのだった。
「リズ、ゆっくり深呼吸して。慌てないで、もう大丈夫だよ」
「うん……。助けてくれて、ありがと……」
船の上へと引き上げられたリズは、毛布に包れた上からアレクシスに抱き寄せられた。
アレクシスに全てを委ねられる状況は、リズにとってはこの上なく安心できる状況であるが、フェリクスの笑みを思い出すとやはり心は落ち着かない。
(フェリクスは、本気で私を見捨てようとしたのかな……)
それとも、度が過ぎるイタズラだったのか。どちらにせよ彼はもう、リズをヒロインとして扱うつもりがないことだけははっきりとした。
婚約回避したいと思っているリズとしては、フェリクスの気持ちの変化は喜ばしいことだ。しかし彼は、リズへの気持ちが冷めたというよりは、憎んでいるような気がしてならない。
リズが考え込んでいると、エディットとフェリクスがこちらへとやってきた。
エディットは彼の魔法で、濡れた身体を乾かしてもらったようで。湖に落ちた割に、体調は良さそうだ。
それでもリズを巻き込んでしまったことに罪悪感を抱いているのか、エディットは落ち込んだ様子でリズに頭を下げた。
「公女殿下。私のために、本当に申し訳ございませんでした」
「船の端へお連れしたのは私ですし、お気になさらないでください」
今回は不慮の事故なので仕方ない。リズはにこりと微笑んでみせたが、エディットは心配そうにリズの顔を覗き込む。
「ですが、顔色がよろしくありませんわ。フェリクス様、公女殿下を魔法で乾かしてくださいませ」
エディットがそう頼むと、フェリクスは勝ち誇ったようにリズを見下ろした。
「魔女であるそなたなら、俺の助けなど必要ないと思ったが。俺の見立て違いだったようだな」
魔女の森の魔女達は薬作りに特化している。それを知っているフェリクスは、明らかに確信犯だ。
「仮にも妹は、王太子殿下の婚約者となる者です。このような扱いは、婚約の信頼関係に傷が付くのでは?」
リズをかばうように、アレクシスはフェリクスを睨みつけた。しかしそれにもフェリクスは嘲笑うような笑みで返す。
「信頼関係を先に崩したのは、お前らだろう。俺が何も知らぬと思っているのか?」
(えっ……。もしかして、私の前世を知っているの……?)
リズはドキリとしながら、アレクシスに目を向けた。アレクシスも動揺の色を見せている。
二人の様子に気分を良くしたフェリクスは、さらに続けた。
「おまえらがどのような関係だろうが、この婚約を破棄するつもりはない。せいぜい叶わぬ恋に絶望するんだな」
(あれ……? 今のってどういう意味だろう?)
きょとんとした顔で、リズは再びアレクシスを見た。アレクシスは困ったような表情で、リズに微笑みかける。
「どうやら、公子の一方通行のようだな。すまない。お前からは、想い人と結婚相手の、両方を奪ってしまいそうだ」
高笑いをしたフェリクスは、上機嫌でリズに乾かす魔法を掛けた後、エディットとデートをすると言って、瞬間移動でどこかへ消えてしまった。
「今のって、なんだったんだろう?」
「リズが気にすることではないよ。ともかく、あいつが勘違いしているおかげで作戦は順調なようだね」
「でも、アレクシスから両方奪うって……」
自分の結婚問題で、アレクシスが不利益を被るのは本意ではない。心配しながらリズは尋ねてみたが、アレクシスに肩をがっちりと掴まれる。
「いいから、今のは忘れて。ね?」
「う……うん」





