07 逃亡魔女7
「こっ公子様!?」
「まずは、僕の宮殿へいこう。あそこが一番安全だ」
「縄を解いてくだされば、自分で歩けますよ」
「傷だらけの子を、歩かせたくないよ。もう少しだけ我慢してね」
(そんなぁ……)
人生二度目のお姫様抱っこの相手もイケメンだというのに、またも拘束された状態なのでトキメキの欠片もない。
ヒロインらしからぬ状況を恨めしく思いながらも、リズはアレクシスの肩越しに馬車の中へと視線を向けた。
床に落ちているリズの帽子を、柄の先で器用に拾い上げたメルヒオールは、穂先でぴょんぴょんと地面を蹴りながらついてくる。
その器用さがあれば、リズを椅子に座らせることもできたのではと、リズは恨めしく思う。世の中、上手くいかないことだらけだ。
第二公子の宮殿へと到着し、客室へ入ったアレクシスは、丁寧にリズをベッドの上へと降ろした。
前世以来のふっかりとしたベッドの感触に、リズは身体の力が一気に抜ける。小説とは異なる状況はさておき、やっと安心できる空間へとたどり着けたようだ。
アレクシスはリズの手足を縛っている縄を解くと、赤くなってしまった縄の跡を眺めて顔を歪ませる。
「僕がもっと目を配っていれば……。君には辛い思いをさせてしまったね」
彼は真面目な性格だから、責任を感じているのだろう。作中でも、ヒロインがいじめられていたことを知り、自分のせいだと悔やんでいた。
妹と関わるつもりがなかったにも関わらず、こうして宮殿で保護してくれるほどに、彼は真面目なのだ。
「公子様は、なぜあの場に?」
「午前中に出発したはずの騎士団が、真夜中に帰ってきたのが気になって。窓から様子を伺っていたら、おかしな方向へ馬車が向かうのが見えてね」
(そうか……。カルステンが私を丁重に扱わなかったから、アレクシスの興味を引くことになったんだ)
逃亡に失敗した時は、物語の強制力には勝てないのかと思ったけれど、少しのズレを繰り返すことで、ストーリーは大きく変化するのかもしれない。
『火あぶりエンド』を回避できるかもしれないと、リズの心に少しだけ希望が湧いてくる。
アレクシスはそれから、怪我の治療をしなければと、医者を部屋へと呼び寄せた。
寝ているところを起こされたのか、若干眠そうな顔で部屋へと入ってきた医者は、二十代前半くらいの男性。ダークブラウンの髪と瞳を持つ彼は、この若さで公宮で働いているのだから、よほど優秀なのだろう。賢そうな顔立ちと、それに見合う眼鏡をかけている。
小説の登場人物並みにイケメンだが、小説に医者は出てこなかったので、完全に一般人のようだ。
医者はリズを見て驚いた様子だったが、魔女に偏見がないのか丁寧に診察を始めた。
「骨は折れていないようなので、打ち身でしょう。擦り傷も深刻なものではございません。数日ほど薬を塗れば治りますが、いかがなさいますか?」
「彼女は公家の養女となる身だ。すぐにでも治してあげて」
アレクシスにそう指示された医者は、「それでは、こちらをお飲みください」と、手のひらサイズの薬瓶をリズに手渡した。
それを見たリズは「あっ!」と顔をほころばせる。
「この薬は、私が作ったんです」
「お嬢さんが、この薬を?」
「はい。ラベルについているこのマークが、私が作った薬の印です」
「それではここ二年ほどの薬は、ほとんどお嬢さんがお作りになったのですね」
「母の役目を、二年前から引き継いだもので」
「そうでしたか。貴重な薬をいつもお分けくださり、ありがとうございます。医者は診断には長けておりますが、薬がなければ治療ができませんのでいつも感謝しております」
深々と医者に頭を下げられ、リズは不思議な気分を味わった。今まで薬は商会でしか取引していなかったので、使用者に直接お礼を言われたのは初めてのこと。商会はいつも『気味の悪い魔女の薬を買ってやっている』というスタンスだったので、これほど感謝している者がいるとは想像もしていなかった。
「お役に立っていたようで、嬉しいです」
小説でもこんなシーンはなかった。アレクシスが助けてくれたおかげで、リズは心まで助けられたような気分になる。
瓶の蓋を開けて、魔女の万能薬を一気に飲み干すと、リズの身体からは擦り傷が消え、打ち身の痛さもそよ風に吹き流されるようにして消え去った。
アレクシスの助けは魔女の万能薬のようだと思いながらリズは、心配そうに成り行きを伺っているアレクシスに微笑みかけた。
「公子様、私を助けてくださり本当にありがとうございました」
医者が部屋を出たあと二人きりになると、アレクシスはベッドへ腰かけリズの顔を覗き込んだ。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は第二公子のアレクシス・ベルーリルム。今年で二十歳になる」
「初めまして、アレクシス公子殿下」
そう微笑んだリズはベッドから降りると、メルヒオールの柄から帽子を取って自らの頭にかぶせた。
そして、くるりとその場で一回転しながらメルヒオールを手に取ると、もう片方の手でスカートの裾を広げて、お辞儀をする。これが魔女の正式な挨拶の姿勢。
「私は、魔女リズ。今年で十七歳になります」
「丁寧に挨拶してくれてありがとう。リズは想像していた魔女より、ずっと可愛いね」
「そういえば、魔女を見たことがないとおっしゃっていましたね」
「恥ずかしながら、そうなんだ。偏見は本当にいけないね」
「公子様は一体、どんな噂を信じていたのですか?」
魔女は憎むべき対象なので、醜い女、または男をたぶらかす悪女という印象が強い。リズも魔女が題材の本をいくつか読んだことがあるが、どれもそのような魔女ばかりで、最終的には火あぶりににされるのだ。
アレクシスはどんな魔女を想像していたのか気になり、リズは顔を覗き込んでみるが、彼は恥じらうように顔を背ける。
「これから兄となる身としては、心配事が増えそうだ」
質問の答えになってない返答をされて、リズは首を傾げた。





