73 宴魔女3
「怯えているようだな、リゼット。このような環境では、安心して暮らせないだろう」
「いえ……、あの……」
怖いのは毒ではなく、この大魔術師だ。しかしこれは、リズの想像に過ぎないので、本人に直接言えるはずもない。リズは、絞り出すように言葉を続けた。
「私には……どうしても、ヘルマン伯爵夫人が毒を盛ったとは思えなくて……」
「リゼット。慈悲深いのは結構なことだが、王族の殺人は未遂であっても死罪だ。こればかりは、譲ってやることはできない」
ヘルマン伯爵夫人とはそれほど話をしたことはないし、小説内での彼女は本当に陰険で嫌なキャラだった。けれど今はストーリーが元に戻るために、彼女は無理やり悪人に仕立て上げられている可能性がある。
自分がストーリーを変えてしまったために、夫人の未来がさらに悪くなってしまったようで、リズは罪悪感に襲われる。
(せめて、夫人の意思で毒を盛ったのかどうか、正当な判断をしてもらわなきゃ……)
そのためにストーリーをまた変えると、その反動がさらにやってきそうだ。そうならないためには、不本意ではあるがストーリーどおりに進む必要がある。
(でもこの場面も代替えだから、ストーリーとは少し違うよね……。もしかして、この場面で得られる結果さえ同じなら、それで良いのかも)
この断罪イベントでは、フェリクスが絶対的強者だと見せつけることにより、ヒロインの心に憧れや尊敬、安心感や恋心など、様々な感情の種が芽生える大切な場面。だからこそ、無理やりにでもストーリーを元に戻したがっているのだろう。
それらの感情が芽生える予感さえ与えれば、上手く事が運ぶかもしれない。
リズはフェリクスへの恐怖を打ち消すように、ぎゅっと両手を胸の前で組み合わせた。
「ヘルマン伯爵夫人は、今日をとても楽しみにしていたんです。その理由が、私へ毒を盛ることだったなんて思いたくありません。フェリクスならきっと、真相を解明できますよね? どうか私を安心させてください」
祈るような気持ちで、リズはそう願う。するとフェリクスは、リズを観察するように目を細めた。
「そなたの性格ならば、俺に願わずとも自ら行動を起こしそうだが……」
「わっ……私は魔法薬作りしかできないので……。フェリクスなら、魔法で痕跡をたどったりできますよね? フェリクスじゃないと、この事件は解決できないと思うんです!」
アレクシス並みに鋭い彼を、言いくるめられる自信などリズにはない。それでも自分のせいで、夫人が死罪になるなど嫌だ。
「……ふむ。この件は近衛騎士団長に任せようと思ったが、そなたが俺を頼ってくれるならば、任せてくれ」
リズの説明でフェリクスは納得したのか、はたまたリズの心を見透かして楽しんでいるのか。リズには判断がつかないが、彼は微笑みながら請け負ってくれた。
「わぁ……、ありがとうございます!」
「その代わり、俺の願いも聞いてくれるか?」
「私にできることでしたら、なんでも!」
これ以上、リズがストーリーを改変したことで誰かが犠牲にならずに済むのなら、何でもするつもりだ。リズは藁にも縋る思いで、こくこくとうなずく。
それを受けたフェリクスは、改まったように姿勢を正して、リズを見つめた。
「そなたをここには置いておけない。すぐにでも王国へ一緒に帰ろう」
「へ……?」
「婚約は一年後の予定だったが、正式に今、そなたへ婚約を申し込む」
辺りは一瞬にして、騒然となった。純粋に婚約を喜ぶ者や、悔しがる者。厄介な魔女がいなくなることへの期待。
様々な感情が飛び交う中、リズの頭は真っ白になった。
(ちょっ……、ちょっと待ってよ。ストーリーどおりに進みたいんじゃなかったの!?)
リズはおろおろしながら、辺りを見回した。公女の婚約は、リズ個人で決められることではない。
それにリズはまだ、貴族としての教育を受けている最中だ。公国としても、まだ準備の途中だと思っているはず。
公王と目が合ったリズは、助けを求めるように目で訴える。
「それは喜ばしいことですな。公国としては、異存はございません」
しかし、ろくに話したこともない養父。リズの気持ちを汲み取ってくれるはずもなかった。
「公王の賛同も得られた。リゼット、俺との婚約を受け入れてくれ」
「えっと……、婚約は『前世を映す鏡』で確認した後のはずでは……」
「順序が逆になっても構わないだろう? どちらにせよ、俺達は結婚するんだ」
「そうなんですけど……。私はまだ、心の準備が……」
「別に、今すぐ結婚をしろと迫っているわけではなから、安心してくれ。一国の公女を王国へ連れ帰るには、それなりの理由が必要だ。そなたの安全のためにも、どうか婚約を受け入れてほしい」
リズがどうあがいても、フェリクスはリズを王国へ連れて行くつもりのようだ。
「それとも……。婚約を受け入れられない理由でもあるのか……」
重く響く、推しの声。初めは、脳が麻痺してしまいそうなほどかっこいいと思っていたのに、この威圧感に溢れた低音が、今は恐ろしくてしかたない。リズは動けなくなってしまった。
彼の赤い瞳に映った自分が、まるで火にあぶられているかのように、錯覚してしまう。
ストーリーから逸脱してもなお、ヒーローに求められている状況に、どう対処するのが正解かわからない。リズは、ぎゅっと瞳を閉じた。
その瞬間――、会場の扉が大きな音を立てて開いた。
次話は、日曜の夜の更新となります。





