72 宴魔女2
建国の大魔術師を、玉座の上から見下ろすなどとんでもない。公王は壇の下にて、フェリクスを迎えた。
「公国への訪問は、建国時の式典以来か。十年で国は落ち着いたか?」
「王太子殿下がご支援してくださったおかげで、無事に国を安定させつつございます」
「街の様子も視察したが、活気があって良い国となったな」
「これも全て、王太子殿下のご配慮があってこそ。改めまして国の独立にご助力くださり、感謝申し上げます」
フェリクスは軽くうなずいてから、「しかし――」と声のトーンを下げながら辺りを見渡した。ぞくりとするような低音が響いたことで、会場は一気に緊張が張り詰める。
「我が愛する『聖女の魂』を持つリゼットに対して、貴族の振る舞いに問題があったと聞き及んでいる。貴族の筆頭は、宰相であったな」
この国は元々一つの領地であったため、上位貴族が少ない。伯爵以上の爵位を持っている貴族は、侯爵である宰相だけだ。
宰相は、身を震わせながらフェリクスの前へと進み出る。
「そちらの件につきましては、貴族を統括できなかった私の責任でございます。しかしながら第二公子殿下のご配慮により、問題は解決いたしました。現在の公女殿下には、ご安心してお暮しいただけているかと……」
「果たして、そうだろうか」
フェリクスが目で合図すると、騎士達は縄で縛られている男性を連れてきた。服装から、公宮の使用人であることがわかる。
(やっぱり今日は、ヒロインを虐めていた者の断罪イベントのやり直しなんだ……)
リズが考えていたとおりならば、彼が放火犯。一度も見たことが無い人物なので、第二公子宮殿の使用人ではなさそうだ。
「この者が、第二公子宮殿の放火犯だ。このような輩を野放しにしておいて、よくも安全に暮らせるなどと言えたものだな」
第二公子宮殿の問題については、誰も首を突っ込みたがらないので、公宮内ではいつも何も無かったかのように扱われてきた。
放置しておいても、バルリング家や第二公子宮殿の者達でなんとかするだろう。それが、公宮内での常識となっていた。
「放火の件につきましては、近衛騎士団が管轄しておりまして……」
今になって、第二公子宮殿が危険に晒されたことの重大さに気がついた宰相は、責任を押し付けるように近衛騎士団長であるカルステンへと視線を泳がせる。
「近衛騎士団長は、そなただったな。リゼットを危険に晒した責任は重いぞ」
「はい。この件につきましては、近衛騎士団長である私が責任を取らせていただきます」
フェリクスの前へとひざまずいたカルステンは、覚悟を決めたかのように騎士団長の証である勲章を外し始めた。
(そんな……。カルステンが騎士団長を辞める未来は、消えたと思っていたのに……)
小説内でのカルステンの辞任問題は完全に、ヒロインに対するカルステンの感情によるもの。こうして公の場で、辞任を迫られるような話ではなかった。
ヒロインとヒーローが結ばれる過程に、必要ではないエピソード。それすら改変を許さないこの小説の意思を、リズは恐ろしく感じる。
「お待ちください、フェリクス……。騎士団長は火災の際に、いち早く他の宮殿へと消火魔道具を借りに向かってくれたんです。体調が悪くなった私のために、魔女の森まで薬を貰いにも行ってくれました。アレクシス……お兄様がいない間、彼は献身的に私の世話を焼いてくれました。誰よりも私の安全や体調を考えて行動してくれたのは、騎士団長なんです。彼は私を危険に晒してなどいません!」
リズは食い入るように、フェリクスを見つめる。すると彼は、了承したようにポンっとリズの頭をなでた。
「そなたは、優しいな。――リゼットの慈悲深さに免じて、近衛騎士団長の責任は問わないことにしよう。その代わり、この件の後始末は任せた」
「寛大なご配慮に、感謝申し上げます」
フェリクスは頭の固い人間ではないようだ。リズはホッとしながら、カルステンへと声をかけた。
「カルステン、もう立ち上がってよ」
「公女殿下……。あなたには、救われてばかりです。この御恩は、一生かけてお仕えしても返しきれそうにありません」
「私だって、カルステンに助けられてばかりだもん。お互い様ってことで」
にこりとリズは微笑みながら、カルステンを立ち上がらせようと手を差し出す。しかしその手を取ったのは、カルステンではなくフェリクスだった。正確にいうと、リズが差し出した手を彼に引き戻されたのだ。
「リゼットのために働きたいのなら、今すぐに犯罪者を処罰する任務を与えてやろう」
フェリクスは騎士達に「次の者を」と合図を送る。
(まさか、まだ断罪イベントが続くの?)
他に断罪されるべき者などいないはずだ。何が起こるのだろうと、リズはハラハラしながら見守る。すると、縄で縛られて連れて来られたのは、ヘルマン伯爵夫人だった。
(まさか、料理に嫌がらせをした罰を、ここで受けさせるつもり?)
彼女がリズにおこなった嫌がらせは、料理の味付けをさせなかったことだけだ。それについての謝罪はまだされていないが、わざわざ大勢の前に引っ張り出してまでするようなことでもない。
(ストーリーを重視するあまり、ネタがおろそかになったのかな……)
ストーリーを考えている者としては、ヘルマン伯爵夫人に虐められるリズを期待したのだろう。
しかしリズは、おとなしく虐められるような性格ではないし、アレクシスのおかげで味方してくれる者たちに助けられた。
お粗末な断罪シーンになりそうなので、リズは小説の強制力に勝てたような気分になる。
(イタズラ程度のことだし、幽閉塔に一日ってところかな?)
リズは気楽に予想を立てたが、床に座らされたヘルマン伯爵夫人が上げた顔は、涙でドロドロに化粧が落ちたひどいものであった。
「私は毒など盛っておりません! 公女殿下、どうかお助けくださいませ!」
「えっ……。毒……?」
この小説に似つかわしくない物騒な単語が出てきたので、リズは驚きながらフェリクスを見た。
「その者は、そなたの食事に毒を盛ろうとしていたんだ」
「そんな……。いつですか? 証拠はあるんですよね?」
「もちろんだ。今日の昼食に合わせて、俺がデザートを贈っただろう。それを届けに行った俺の使いが、その者が昼食に毒を盛っている場面を目撃したんだ」
フェリクスは「そなたなら、わかるだろう」と言いながら、リズへと瓶を差し出す。それを受け取ったリズは、中身を確認して眉間にシワを寄せた。
確かに瓶の中に入っているものは、毒の実だ。
「濡れ衣ですわ! 私は公女殿下のために、お食事に白トリュフを振りかけようとしただけです!」
「ヘルマン伯爵夫人……。こちらは白トリュフによく似た、毒の実なんです……」
リズが事実を知らせると、彼女はがくりとうなだれた。
「そっ……そんな……。私はただ、公女殿下に喜んでいただこうと……」
確かに今日のヘルマン伯爵夫人は浮かれており、リズへの配慮も見せていた。そんな彼女が、リズに毒など盛るだろうか。それも、見ればすぐにバレるような方法で。
(ストーリーに重みを持たせるために、やっつけ作業で毒を盛らせたんだ……)
だが、誰がそれをさせたのか。小説が勝手に、トリュフとすり替えたというのか。
そのようなことができるならば、リズがストーリーから逸脱しないよう、早期に対処できていたはずだ。
ストーリーを戻すために努力している者ができることは、火事を起こしたように物理的な介入と、カルステンがリズに庇護欲を感じたように、その場面へと誘導することくらいだろう。
侍女達がヘルマン伯爵夫人の虐めに加わらなかったように、人の心までは操作できないようだ。
そうなると、小説の創造神のような存在が、見えざる手でストーリーを元に戻そうとしているとは考えにくい。この地に存在する人間によって、おこなわれていると考えるべきだ。
このような執着心を見せながら、ストーリーを元に戻したがっている者など、この世に一人しか思い当たらない。
彼と出会った際の「俺のストーリーが嫌だったのか?」という言葉が、リズの脳裏をかすめる。
リズは視線を感じて、斜め上を見上げた。
そこにいたのは、暗黒世界のような黒い髪と、血のような瞳を持つ彼。
リズは初めて、何世にも渡り記憶を維持し続けている大魔術師を『怖い』と感じた。





