70 ご対面魔女6
「そなたから名を呼ばれるのは、本当に久しぶりだ……。このようなことを言っても困らせるだけだろうが、長い間、そなたの魂を彷徨わせたままにしてしまい、申し訳なかった」
(えっ?)
「俺も後を追いたかったが、当時の情勢では俺無しで国を安定させるのは、難しかったんだ……」
(確か、前々世の私は、35歳を目前にして亡くなったんだっけ……)
これは、ドルレーツ王国の歴史書にも記されている。突然の病に侵され、若くして亡くなったのだとか。
フェリクスは聖女の魂を愛するがゆえに、たびたびヒロインの寿命に合わせるような行為をしていたらしいが、リズの前々世は魔獣が多く、不安定な時代。国を治める者として、無責任な行動は取れなかったようだ。
「きっと前世の私も、フェリクスには長生きしていただきたかったと思います」
「そう言ってくれると、救われる。だが、何十年も魂を彷徨わせてしまったことが、ずっと気がかりだったんだ……。無事に、再び転生してくれて感謝する」
リズに抱きついたフェリクスは、わずかに身体が震えている。それほどリズの魂が無事か、心配だったようだ。
(やっぱり、その間に私が日本で転生したことには、気がついていないみたい)
リズはそれを再確認できてホッとしつつも、他の疑問が沸いてくる。
(こんなに心配していたのに、初対面の時のあの態度はなんだったんだろう……)
あの時のフェリクスは明らかに怒っていて、病死で別れた伴侶に対する接し方ではなかった。
『それほど、俺のストーリーが嫌だったのか?』
出会った時にフェリクスは、確かにそう言っていた。あの時にも疑問に感じてはいたが、推しに出会った衝撃ですっかりと思考停止させられていた。やっとリズは、その疑問を思い出す。
(フェリクスってどのくらい、ストーリーに介入しているんだろう……)
フェリクスは、リズの魂を転生させることができる人物だが、あのような言い方では、ストーリーすら操っているように聞こえる。
この世界にある『鏡の中の聖女』の小説の著者はフェリクスだが、それは自叙伝のようなもので、彼がストーリーを考えているわけではないはず。
(それなのに、なんであんなことを言ったんだろう……)
リズが、うーんと考え込んでいると、フェリクスがリズから離れて顔を覗き込んだ。
「何を考えているんだ?」
「えっ!? えっと……あの……、前世のフェリクスはどんな感じだったのかなぁ……と」
「俺のことを考えてくれるのか。嬉しいな」
再びリズの頬にふれたフェリクスは、そのまま顔を近づけてくる。推しの顔が目の前でいっぱいになったリズは驚いて、「わぁぁ!」と叫びながら両手で顔を隠した。
すると手の甲に、暖かくて、柔らかくて、湿り気を帯びた何かが触れた。
リズはまさかと思いながらぷるぷると手を震わせつつ、無事なほうの手をよけてみる。
そこには不満そうに目を細めた、フェリクスの顔が。
「キスを拒まれたのは、初めてだな」
「申し訳ございません……。ですが、婚約前ですし……、昨夜に出会ったばかりですし……」
そう。リズとフェリクスは出会ったばかり。この小説はじっくりと愛を育むのが売りだというのに、フェリクスはまるで何かに急いでいるかのように、ぐいぐいと押してくる。
「やはりそなたは、今までとは違うな。攻略し甲斐がありそうで、嬉しいよ」
(何言ってるんだろう、私の推しは……。恋愛ハンターみたいなキャラじゃなかったよね……)
変なスイッチを入れてしまった気がしてならないリズは、ぶるっと身を震わせた。
しかしヒーローがどれほどやる気を見せたところで、リズとフェリクスは前世の伴侶ではない。鏡に映らなかった時の彼は、どうなってしまうのだろうか。
ヒロイン以外には冷たい彼なら、リズに騙されたと激怒するかもしれない。
リズの脳裏には、再び『火あぶり』の文字が浮かぶ。
(円満に解決するためは、あまり親しくならないほうがいいよね……)
そうは思いつつも、すでに手遅れな段階に入ってしまったかもしれない。
けれどリズの心には『アレクシスが何とかしてくれる』という、漠然とした安心感があった。
翌日。食堂での朝食を終えたリズが部屋へ戻ろうと歩いていると、向かい側からヘルマン伯爵夫人がやってきた。
彼女はうやうやしくドレスを広げて、リズへと礼をする。
「ごきげんよう、公女殿下」
「……ごきげんよう、ヘルマン伯爵夫人」
「本日は、王太子殿下をお迎えするにふさわしい、素敵な宴日和になりそうですわね。公女殿下のドレスの裾が汚れぬよう、廊下を念入りに磨かせておきましたわ」
「あ……ありがとうございます」
「よろしければ是非一度、こちらの宮殿へも王太子殿下をご招待してはいかがでしょうか。使用人一同、誠心誠意、心を込めておもてなしさせていただきますわ」
「考えておきます……」
「では、公女殿下。良い一日をお過ごしくださいませ」
「はい……。ヘルマン伯爵夫人も……」
手のひらを返すとは、まさにこの事ではなかろうか。ヘルマン伯爵夫人の変わり身の早さに驚いたリズは、ぽかんしながら彼女が去っていく方向を見つめた。遠くからでも良くわかる。ヘルマン伯爵夫人は、上機嫌で浮かれている。よほど、フェリクスの公国訪問が嬉しいようだ。
「今まで敵対していたのに、何なのかしら!」
「そうですわ! 公女殿下への無礼を、私達が忘れたとでも思っているのかしら!」
一緒にいた侍女達はご立腹のようだが、リズ自身はすでに忘れつつある記憶だ。
バルリング伯爵夫人がこの宮殿を掌握してからというもの、めっきりとリズの前には姿を現さなくなった彼女。リズ自身も強く出れば、それなりにヘルマン伯爵夫人は従うと確認していたし、小説の中の夫人ほど警戒する必要はなかった。
リズはそう思っていたが、侍女達との間では小競り合いがあったのかもしれない。怒りが収まらない様子の侍女の一人が、リズに詰め寄った。
「公女殿下! ヘルマン伯爵夫人のために、王太子殿下をご招待する必要などございませんわ! どうか第二公子宮殿にて、おもてなしさせてくださいませ!」
「もう、宮殿の修繕は終わったの?」
リズが尋ねると、もう一人の侍女がうなずいた。
「修繕は完了し、ただいま撤去作業中ですわ。急げば、明日にはお茶会を開けます」
「そうなんだぁ……。ってか、呼ばなきゃ……駄目……?」
本日の王太子歓迎の宴も、半ば無理やりにフェリクスのパートナーにさせられてしまったし、できることならもう交流はしたくない。
しかしこの場にいた侍女三人は、目の色を変えて一斉にリズを見た。
「もちろんですとも! 王太子殿下は御自身、公女殿下に会いにいらっしゃいましたのよ」
「きっと、婚約式が待ちきれなかったのですわ。素敵です!」
「どうか私共にも、おもてなしさせていただく栄誉を、お与えくださいませ!」
フェリクスの訪問に浮かれていたのは、ヘルマン伯爵夫人だけではなかったようだ。恐るべしヒーロー。恐るべし建国の大魔術師。
侍女達の迫力に負けたリズは、うなずくことしかできなかった。
次話は、日曜の夜の更新となります。





