69 ご対面魔女5
メルヒオールを物扱いしたフェリクスだが、リズの『飛ぶのが怖い』という訴えにはすぐに対処してくれた。彼は瞬間移動を使い、リズを一瞬にして知らない場所へと連れてきたのだ。
そこは小高い丘の中腹で、丘の上には半分以上が崩れ去っている小さな古城。その周りの、なだらかな斜面を埋め尽くすように広がっていたのは、ピンクと白が混ざり合ったバラ、リゼットだ。
「こちらは……」
「俺とエリザベートが建国時に建てた、最初のドルレーツ城だ。そなたが、俺の好きな場所へ連れて行ってほしいと願ったので、一番の場所へ連れてきた」
(あっ……)
リズはそういう意味で、その言葉を述べたわけではない。どこへでもついていくので、好きに選んでほしいとう意味だったのだ。けれどフェリクスは、一番のお気に入りの場所へと連れて来てくれたようだ。
「城の近くまで行ってみようか」
ここへ来たのが嬉しいのか、いつもより弾んだトーンでそう提案したフェリクスは、「棘があるから」と言ってリズを抱き上げた。
「あの……。それですと、王太子殿下のお召物がボロボロになってしまいます……」
「服くらい気にするな。そなたに傷が付かなければ、それで良い」
辛うじて残っている城へ続く道を、フェリクスはバラをかき分けるようにして進む。
このようなことをせずとも、飛んでいけばよいものを。リズはそう思ったが、ハッ……と、気がつく。
(私が、飛ぶのは怖いって言ったから……)
「少し浮くくらいなら大丈夫ですから、どうか飛んで移動してください」
「このほうが、近くでバラを楽しめるだろう。そなたの名となったバラだ。思う存分、堪能してくれ」
リズが何を言っても、フェリクスは意思を変えるつもりないようだ。リズは諦めて、丘全体に敷き詰めるようにして咲き乱れているバラに目を向けた。
これだけの規模を手入れするのは大変だろうに、雑草の一つも生えていないような状態で綺麗に咲き誇っている。むせ返ってしまいそうなほどの濃いバラの香りが辺りに立ち込め、まるでリゼットに包まれているような気分だ。
フェリクスはいつもここで、エリザベートの思い出に浸っていたのだろうか。
ゆっくりと歩いて古城までたどり着くと、フェリクスは倒れた石柱の上にリズを座らせ、自らも隣へと腰を下ろした。
リズはちらりと、彼の足へと視線を向ける。やはりバラの棘で、ズボンやマントが所々裂けてしまっている。その中でも一番大きく避けている部分から肌が露出し、血が滲んでいるのが見えた。
リズはゴソゴソと、ポケットから万能薬の小瓶を取り出した。これは非常用にと、いつも持たされているものだ。それを、フェリクスへと差し出す。
「棘で、血が出ていますよ。良ければ、こちらをお飲みください」
「これくらい、大したことではないが……。そなたの作った薬は飲んでみたいから、いただこう」
薬瓶を受け取ったフェリクスは、愛おしそうにそれを眺めてから、瓶の蓋を開けて一気に飲み干した。
足の傷がすぅっと消える様子を確認したリズは、ほっと安心する。
本来なら擦り傷程度で使うべきではないが、ここには塗り薬もないし、なにより他国の王太子に傷がつくなど一大事だ。公宮の人達も、万能薬を使ったことに怒りはしないだろう。
「リゼットの薬は、本当に素晴らしいな。聖女だった頃のそなたを思い出す」
この世界では、治癒効果のある魔法を使えるのは聖女だけだ。そして聖女はたった一人。リズの魂だけ。
転生するたびに聖女の力が発現するわけではないので、リズも聖女の力は使えない。だからこそ建国の聖女は伝説のように伝えられ、今でも国民に慕われているのだ。
そのうような貴重な力と万能薬を重ね合わせて、フェリクスは懐かしんでいるようだ。
それからフェリクスは、「リゼットからの初めての贈り物だ」と言って、薬瓶をハンカチで丁寧に包んでから、上着のポケットへと大切そうにしまい込んだ。
使用済みの物を持ち帰るなど、非常に王太子らしくない。リズは不思議な気分でその様子を見つめていると、フェリクスは照れたように微笑んだ。
「このような、くだらないことまでしてしまうほど、俺はそなたの魂を好いているのだ」
フェリクスはリズの肩を抱き寄せながら、眼下に広がるバラを見つめる。
「昔の話をすると、これまでのそなたには嫉妬されたが、今のそなたは、これまでのそなたとは、違うように思える。だから、ここへ連れてきても大丈夫だと思ったんだ」
なかなか鋭い指摘をするフェリクスに対して、リズはドキリとした。確かに、これから伴侶になる相手が昔の女性のことばかり考えていたら、気分が悪いはずだ。それが例え自分の魂だとしても、その頃の記憶はないのだから。
けれどリズは、前々世のリズと混同しているフェリクスに対して、不満に思うことはなかった。リズ自身、彼には隠し事があるのでそれどころではなかったのもあるが。
フェリクスはそのようなリズの態度を見て、今までのヒロインとは違うと感じ取ったようだ。
「そっ……そうなんですね。私も『鏡の中の聖女』の小説は好きなので、ファンとして昔話は聞きたいです」
「そうか。俺とこれまでのエリザベートを知った上で愛し合えるなら、これ以上ない幸せだな」
フェリクスに頬を触れられ、リズは再びドキリとする。
優しく触れられているのに、捕らえられたような気持ちになるのはなぜだろう。
「これからは、『フェリクス』と呼んでくれないか。そなたの口からも、名前で呼ばれたい」
「ですが……。まだ、婚約前ですし……」
言いようもない不安に駆られたリズは、伏目がちにそう述べる。しかしフェリクスは、リズの顎をクイっと上げて、視線を無理やり合わせた。
「俺はリゼットのために、貴重な魔法陣を大量に付与したんだ。少しは報いてくれても良いではないか」
フェリクスは、ニヤリと意地悪く笑みを浮かべた。
「さっ……先ほどのは、先行投資じゃなかったんですか?」
「先行投資は、初めの一つだけだ。後の九つの鍋は、リゼットが願ったのだろう」
「うぅ……」
確かにそうだ。リズが願うままにホイホイと、フェリクスは魔法陣を付与してくれたが、正式に大魔術師に魔法陣の付与を依頼すれば、物凄い金額が必要になるのだ。それを無料で授けてくれたのだから、お礼の一つも必要……、いや九つは必要だ。
「先ほど万能薬を貰ったから、俺の願いは残り八つといったところか」
彼もきっちりと、お礼を貰うつもりのよう。ここは一つでも減らしておいた方が得策だ。
「わかりました。……フェリクス」
リズがそう呼んでみると、フェリクスはリズの声を身体中に染み渡らせているように、満足そうな顔で目を閉じた。





