65 ご対面魔女1
第一公子宮殿は、第二公子宮殿とさほど変わらぬ規模の宮殿であった。こういった部分で兄弟格差がないことに、リズはほっとしつつ中へと足を踏み入れた。
「やぁ、リゼット! 急な誘いに応じてくれて、ありがとう!」
「第一公子殿下。本日は、晩餐にお招きくださり、感謝申し上げます」
第一公子ランベルトは、わざわざリズの到着を玄関ホールで待っていてくれたらしい。リズは挨拶を交わしてから、ランベルトへ手土産を渡す。これは、侍女が急いで調達してくれたお菓子だ。
「外出していたので、急ごしらえのものですが……」
「兄妹なんだから、気を遣わなくても良かったのに。それと、『お兄様』って呼んでくれるんじゃなかった?」
にこりとランベルトに顔を覗き込まれ、舞踏会の時にそのようなことを彼は言っていたと、リズは思い出す。
「失礼いたしました。ランベルトお兄様……。少し照れますね……」
アレクシスのことは、結局は名前で呼び続けることになったため、兄と呼ぶのはランベルトが初めてだ。一度しか会ったことがない相手を兄と呼ぶのは、不思議な気分でもあるし、彼とは一歳違いなのであまり兄という感じもしないが。
「その様子だと、兄上のことは未だに名前で呼んでいるのかな?」
「はい。アレクシスが、そのままで良いと言ってくれたもので」
「へぇ……。そうなんだ」
ランベルトは、急に冷めた視線でリズを観察し始めた。やはり失礼なことをしているのかもしれないと、リズは焦る。
「あの……。アレクシスが優しいので、いつも甘えてしまっているのですが、公子殿下を呼び捨ては、失礼でしょうか」
恐る恐るそう尋ねると、ランベルトは何でもなかったように表情を笑顔に戻した。
「兄上が、許可したなら構わないと思うよ。それにしても兄上は、リゼットをよほど大切にしているみたいだね。護衛騎士に、騎士団長を付けるなんて驚いたよ」
ランベルトの指摘を受け、リズは改めてカルステンの役職を認識させられた。いつも「騎士団長」と呼んではいたが、その前に彼はアレクシスの『幼馴染』という認識が強い。リズの臨時護衛騎士になったのも、幼馴染の頼みだからと、特に疑問も持っていなかった。
(カルステンって本当は、公王陛下の護衛騎士になるような身分なんじゃ……)
そんな人が、自分の護衛を請け負っている。リズは気まずさ一杯でカルステンに目を向けた。
するとカルステンは、リズをかばうように一歩前へと進み出た。
「父であるバルリング伯爵が、公王陛下の護衛を譲ってくれないもので。業務に余裕があった俺が、たまたまリゼット殿下の護衛騎士を務めることになりました」
「たまたまね……。それじゃあ僕が頼めば、君は僕の護衛騎士を務めてくれるのか?」
「ご希望とあらば、誠心誠意お仕えいたします」
カルステンがランベルトに向けて、礼をしながらそう述べると、ランベルトは急に笑い声をあげる。
「まさかバルリング家の長男が、僕に忠義を示してくれるとはね」
バルリング家はこれまで、ひたすら公王やアレクシス親子の助けとなってきたのだから、正妻の息子であるランベルトが滑稽に思うのも無理はない。
けれど今は、リズとアレクシスの関係には、目を向けさせるべきではないとカルステンは判断した。
バルリング家の接し方が悪かったせいで、アレクシスはこれまでずっと他人に対して心を閉ざしてきた。妹という存在ができたことで、アレクシスはやっと心を開き始めている。この環境を、ランベルトに壊されたくない。
そんな気持ちと、リズへの興味を持ってしまった罪悪感。
カルステンが今、アレクシスやリズを守るためにできる行動といえば、ランベルトの興味を自分に向けさせるくらいだ。
「バルリング家は、公家の盾でございますので、第一公子殿下をお守りすることも務めでございます……」
「それじゃ早速、その忠義を見せてよ。僕は、妹と二人きりで過ごしたいんだ」
「しかし……」
アレクシスからは、リズから目を離すなと命じられている。それでなくともリズは危なっかしいので、カルステンは常に心配が尽きない。
しかしランベルトの要求は、兄妹としてはごく当たり前のこと。下手に拒否しようものなら、第一公子に敵意があると判断されてしまう。
(どうしよう……。カルステンが、困っているみたい……)
急に二人が険悪なムードになってしまったので、リズはハラハラしながら成り行きを見守っていた。
馬車でも会話したように、カルステンも公子同士の関係については理解しているようだった。リズに被害が及ぶかもしれないと思い、彼はかばってくれているのだろう。
けれど、小説の内容を知っているリズは、ランベルトがリズを傷つけないと断言できる。とりあえずこの場は、カルステンと離れても心配する必要はない。
「私もランベルトお兄様と、ゆっくりとお話ししたいです。カルステンは気にせず、夕食を食べてきてよ」
「公女殿下が、そうおっしゃるのでしたら……」
リズが目で合図すると、カルステンはそううなずいた。カルステンも、事を荒立てるつもりはないようだ。リズはほっと息を吐いてから、ランベルトとともに食堂へと向かった。
「護衛と引き離してしまって、ごめんね。実は僕も、兄上に負けないくらいリゼットを大切にしていることを示したくて、プレゼントを用意したんだ」
宮殿の廊下を、並んで歩くリズとランベルト。もじもじと照れたように、そう明かしたランベルトは案外、可愛い性格なのかもしれない。
(小説内では、いい人だったしね)
アレクシスと敵対しているというだけで身構えていたが、その必要はないのかもしれないと、リズは微笑む。
「なんでしょう? 楽しみです」
食堂ではない場所へと案内されると、ランベルトは「さぁ! プレゼントを確認してみて」と、部屋の扉を開けた。
何があるのだろう? と思いながら部屋へと足を踏み入れたリズは、すぐに足を止めた。っというより、近づく勇気がなかったのだ。
「エリザベート、会いたかったよ」
ソファに腰かけて待ち構えていたのは、艶やかな黒髪と、宝石のような赤い瞳を持つ二十代前半くらいの男性。その若さに似合わず、堂々とした佇まいで、リズをしっかりと見つめている。
前世では、何度も、何度も、表紙や挿絵で見た顔。凛々しく、気高く、まさに理想の王子様。前世のリズは、人生の最後にこの小説を思い出すほど、小説のヒーローに夢中だったのだ。
(はぁ……。忘れた感情だと思っていたのに……)
自分の置かれた境遇に反して、リズの心臓は忙しなく動いている。
この世界に転生して『火あぶりになる』と悟って以来、前世の感情は忘れるように心掛けてきた。いくら前世の『推し』と出会えたとしても、結ばれない未来は決定しているのだから。期待するほど、落胆が大きくなるだけ。
アレクシス達と出会った時のような『小説の中のイケメンに会えた』という、気楽な感情はここには存在しない。
今のリズの心を占めているのは、フラれた相手と再会してしまったような落ち着かない気持ちだ。
「リゼットも早く、フェリクス兄上に会いたいかと思って、僕がお願いして来てもらったんだ」
動けずにいるリズの横で、ランベルトはサプライズが成功したかのようにはしゃいだ声色で、リズの顔を覗き込んでくる。
もしこれが本当のヒロインだったなら、自分を救ってくれる存在がわざわざ会いに来てくれたことを、心の底から喜んだであろう。
そしてこのような地雷を仕掛けたランベルトも、純粋にヒロインとヒーローの手助けをしたかっただけ。リズを困らせてやろうとは、微塵も思っていないはずだ。
(あぁぁ……。こんなところに、伏兵がいたなんて……!)
気持ちのやり場に困ったリズは、心の中で頭を抱えることしかできない。
「リゼット、びっくりしちゃったみたいだね。まずは座って、お茶でも飲んで落ち着きなよ」
ランベルトにされるがままの状態で、リズはフェリクスの向かい側へと座らされる。そして手早くリズに、お茶を淹れてくれたランベルトは「それじゃ、邪魔者は消えます!」と言って、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
「えっ……待って! ランベルトお兄……さま……」
リズが、ハッ! っと我に返った時には、すでに手遅れ。二人きりなってしまった部屋の中で、リズの頼りない声だけが辺りに響いた。





