63 留守番魔女7
しかしアレクシスは、一週間経っても、二週間が過ぎても、公国へは戻ってこなかった。
その間リズは、アレクシスが用意してくれた『気晴らし』である魔法薬店へと足しげく通っていた。
初めはカルステンが反対していたので行けずにいたが、ある日、ミミが公宮まで様子を見に来てくれたのだ。
彼女はリズの事情を知るや否や、リズの額に手を当てて、こう述べた。
『どれどれ、うんうん。魔力は健康に戻ってるよ。魔女は、歩いて魔力も使わなきゃ寿命が縮まっちゃうから、リズちゃんが心配! リハビリのためにも魔法薬店へ行こうよ!』
体温を測るのではないのだから、額に手を当てたからといって魔力の状態がわかるはずもない。しかし、その堂々とした診断を真に受けたカルステンは、リズの寿命が縮まらないか心配になったのだろう。ついには、リズの外出を許可してくれたのだ。
魔法薬店のほうは、薬作りをいち早く始められるよう、最優先で厨房を整えてくれていた。ここでリズは、ミミに教えながら万能薬作りに勤しんでいる。
今後は万能薬の需要がさらに増えると見込んで、レシピは魔女の森の共有財産にするとリズの母は決めたそうだ。魔女の森でも母が、魔女達に万能薬作りを教えている。
母も何度か、この魔法薬店へと足を運んでくれたので、リズはこの空間にこの上なく安らぎを感じていた。
アレクシスが作ってくれたこの店は、小説の中には一度も出てこなかったものだ。ストーリーとは異なる空間にいられることが、今のリズにはなによりも支えとなっている。
(アレクシス。いつになった帰って来るんだろう……)
リズは万能薬の鍋をかき混ぜながら、ぼーっとそのことばかり考えていた。
アレクシスの性格なら、毎日のようにリズへ手紙を送りそうなものだけれど、それすらなくて完全に音信不通状態だ。リズからも手紙を送りたいとは思っているが、宛先がわからない。滞在先が決まり次第、アレクシスから手紙がくる予定だったらしく、侍従長も連絡が取れずに困っているそうだ。
アレクシスは、国同士の交渉事で隣国を訪問している。『交渉に入った』と隣国から公王への連絡はきたようなので、無事ではいるようだ。
交渉に集中しているために、リズへの手紙を忘れているのかもしれない。そう思いつつも、アレクシスらしくない態度に心配が募っていた。
「リズちゃん、そろそろ昼食の買い出しにいこうよ!」
「あっ……。うん」
ミミに呼ばれたリズは、ハッとしながら手を止める。その様子に気がついたミミがイタズラ心満載の表情で、リズの顔を覗き込んでくる。
「ま~た、公子様のこと考えていたんでしょう。リズちゃんってば、お兄ちゃん大好きなんだから」
「ちがっ……。帰りが遅いって思っていただけだよ……」
「やっぱり、公子様のことを考えてたんだ」
「うっ…………うん」
魔女の帽子とローブを脱ぎながらリズがうなずくと、ミミはリズの肩に手を乗せて微笑んだ。
「公子様はきっと、リズちゃんを驚かせようとして、帰る日を秘密にしているんだよ。きっと凄いお土産を持って帰ってくるよ!」
「うん……。アレクシスならそうかも」
短期間ながらミミも、アレクシスの性格を良く理解している。そのことがおかしくてリズは少し笑みをこぼす。
元気いっぱいのミミと一緒にいると、アレクシス不在の寂しさや、ストーリーへの不安もやわらげてくれる。リズは改めて、親友のありがたさを実感していた。
「さぁ! 大工さん達がお腹を空かせちゃうから、早く買い出しに行こう!」
「うん。今日はなんのスープにしよう?」
リズとミミがこれから買い出しをして作ろうとしているのは、リズがアレクシスの夜食に作っていたようなスープだ。
ミミが作った万能薬は、まだまだ売り物になるような効果を得られないので、こうしてスープとして活用している。アレクシスへの夜食に魔法薬効果を加えることを思いついたのも、元々リズの家ではこうして活用していたからだ。
ちなみにリズが店へ来る日に限って、公宮からは焼きたてのパンやステーキなども届けられる。そういう意味でもリズの訪問は、皆に大歓迎されていた。
「ねぇねぇ、リズちゃん。最近、街の人達が優しくなったと思わない?」
市場でお肉を買ったところ、おまけをしてもらえたのが不思議だったのだろう。ミミは、ひそひそとリズに耳打ちした。
リズも今までこの市場で買い物をしても、おまけどころか不当に魔女だけ値を上げられるような嫌がらせまで受けていた。ミミの疑問は最もだとリズは思う。
おそらくは、『魔女に対する差別撤廃法案』についての情報が貴族を通じて、街人にまで広がっているのだろうとリズは推測する。しかし実は、ローラントが念入りに『挨拶』という名のけん制をおこなったことなど、二人は知る由もない。
野菜やデザートの果物を買い込んだリズ達は店へと戻ろうとしたが、ミミが突然に立ち止まったので、リズはミミに激突しそうになる。
「わぁっ!」とリズが声を上げると、荷物持ちで付いてきていたカルステンが、後ろからリズの肩を抱き込んだ。
「リズ様、お怪我はございませんか?」
「うっ……うん。ありがとう、カルステン」
街の中では身分を隠したほうが良いということで、リズとカルステンは名前で呼び合うことにしている。
この件については、小説のストーリーと同じく、「これからは俺のことを、名前で呼んでほしいです」とカルステンが懇願する場面が再現されてしまったが、リズはそれを無かったことにした。
これはあくまで、身分がバレないための手段。それ以外のなにものでもないし、必要以上にカルステンを名前で呼ぶつもりはない。
「……もう大丈夫だから、離していいよ?」
「人混みは危険です。俺から離れないでください」
「…………」
今日もカルステンの庇護欲は、全開である。
リズはため息をついてから、ミミに視線を向けた。このようなやり取りをしていたら、いつものミミなら喜んで会話に参加しているが、今は周りの声が聞こえていないかのような状態で、一直線にどこかを見つめている。
「どうしたの、ミミ。何かあった?」
彼女の背中をトントンしながらリズが尋ねると、ミミはリズのほうへと顔も向けずに、どこかを見つめたまま答える。
「見てよリズちゃん……。めちゃくちゃかっこいい人が、私達を見つめているの」
「えっ。どこどこ?」
「あそこの路地に……あっ。行っちゃった……」
ミミはよほど残念なのか、がっくりと肩を落とす。
「そんなに、かっこいい人だったの?」
「そうなの……。公子様と勝負できるようなかっこよさだったよ!」
リズに向けて振り返ったミミの瞳は、気のせいかハートが宿っているように見える。アレクシスと勝負できるとなれば、滅多にお目にかかれないほどのイケメンであると、リズは予想した。
「アレクシス殿下と勝負できるとなると、王太子殿下くらいしか思い浮かびませんね」
リズをハグしたまま、カルステンはそうつぶやく。それに反応したリズは、びくりと身体を震わせた。
(ちょっ……。怖いこと言わないでよ……!)
「もしかして……。王太子殿下が、公国を訪問する予定が?」
「そのような予定は聞いておりませんが。期待しましたか……?」
リズは恐る恐る振り返ってカルステンに尋ねたが、彼は辛そうな表情を向けてくる。まるでリズを、王太子に会わせたくないような雰囲気だ。
(あ……。王太子が登場しちゃうと、カルステンは……)
引き際を心得ているカルステンは、ヒーローの登場と同時にヒロインへ会いに行かなくなる。ヒロインの幸せを願いながらも、落ち込む日々に見舞われ、そのせいで騎士団長の役職も辞することになるのだ。
(私……。火あぶりが怖くて、カルステンのことを何も考えていなかった……)
カルステンから「好きだ」と決定的な言葉を聞いたわけではないが、小説のヒロインに対しても彼は、気持ちを告白していなかった。
小説の中のような想いを、今のリズに対して抱えているかどうかは判断しかねるが、職を失うほどの悲しい結末を、仲良くなったカルステンには迎えてほしくない。
「……王太子殿下が、こんなところに居るはずないよね。私は婚約式までは、公国でみんなと過ごしたいと思っているよ」
今のリズにできるのは、このような言葉を掛けるくらいだ。けれどカルステンは、安心したように「俺も、リズ様との限られた時間を大切にしたいです」と微笑んでくれた。





